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僕のテレビライフ

僕の今昔物語

 人口4000名突破記念にリクエストされた施設はなんとテレビ局、だった。テレビ番組に関するエッセイを、とのこと。キリバン該当者は「塾長」様で、施設の命名は任せるとのことでしたので、氏のHP名を使わせていただきました。
 さて、そういう訳で、これからTVエッセイに入るわけですが、困ったことに僕はテレビという奴を殆ど見ないんですね。本来なら紀子様の御家庭のように「我が家にはテレビはありません」というレベルにまで高めたいところですが、我が家がやると「教育熱心」ではなく「貧困家庭の極致」になりかねないので、置いてあります。
 テレビ嫌いの理由はそんな時間がないというのが第一なのですが、その他には病的なまでのバラエティー嫌いと無趣味性があります。バラエティーは勿論、ドラマも邦楽も観光も食事もスポーツも、僕は殆ど関心がありません。ニュースなどは新聞が情報源ですし。
 そういう訳で、現代テレビ事情については殆ど無知な僕ですので自然に話は過去20年間の人生に遡ります。我が家ではテレビ禁止令が跋扈して、これまた他人と比べると殆どテレビは見ていないんですが、塵も積もれば山となる、なんとかネタをひねり出していきたいと思います。
 それでは、僕のテレビ放談、これより始まります。
 どうか気楽にお楽しみください。 

いきなり最終回

涙・涙の最終回

 最近は滅多に泣かないが、昔はちょっとした馬鹿馬鹿しいことでも簡単に泣いたものだ。繰り返すが、このよく泣くというのは哀話を読んだりした時に感情が昂ぶって泣いてしまう場合のことであり、棒でぶたれたとか悪口を云われたとか、そういうレベルではない。
 この特殊な情けなきアビリティーは勿論、大好きなテレビ番組の最終回にも如何なく発揮され、僕は「もうこの人とは一生あえなくなっちゃうよ」と別離の苦しみを胸に、ブラウン管に移る画像を頭に刻み付けんと、涙目でテレビを睨みつけていたのである。時期にして幼稚園期から小学校2年生までくらいだろうか。
 その頃だから見ている番組といっても大したことはない。どんな番組の最終回で泣いていたかというと、母と一緒に見てた教養番組やお昼のドラマなどである。あと学期末に「おかあさんといっしょ」の歌のお兄さんが交代するときも欠かさず泣いていた。律儀なことである。
 猿の時代の尻尾が今なお我々の尾てい骨として残るように、この奇癖も今なお僕の体に流れている。もはやテレビの段階ではなく、現実社会の話だが、例えばなにかの偶然で打ち解けて話し、その後一生あわなさそうな人。そういう人と別れるときはやはり今も心のどこかで非常に悲しい気分になる。
 泣きはしないけど、ね。 

バラエティーは嫌いだ

バラエティーに見る少数派の迫害

 どういう訳か、バラエティー番組が嫌いだ。
 ここでのバラエティーとは、あくまで狭義のバラエティーとして捉えて欲しいのだが、どういう訳かみなが好き好んで見ている番組、僕はちっとも面白いとは思えない。何故といわれても返答に困る、体質的生理的に受け付けないとしかいいようがない。
 これは僕の交友関係にも出ていて、非行者続出の小学校期はいざ知らず、中学高校の優等生期から大学の頭がいいとは到底いえないがマジメな友人連中に至るまで、バラエティー番組の好きな友人がいた試しがない。
 この頃の僕の友人は皆々ちょっと街では見かけないような真面目系ばかりで、概して知的なものを好み、不良っぽいところや偽悪趣味は微塵も見せない。それ故に服飾や外見は無頓着になり、しばしばオタクと同一視されるが、そこまでは視野狭窄でない。
 つまり僕は何をいいたいか、真面目系が真面目であるというだけで一般人から疎外される主要因に決定的なまでの価値観の差があるということである。
 バラエティー番組があそこまで隆盛するからには相当数の「フツーに遊んじゃってる一般人」が楽しく見てるのであろう。それが僕らにはさっぱりわからない。むしろその馬鹿馬鹿しさに軽蔑している節もある。
 これが現実社会では「あのマジメくんってさあ、かなりうちらとノリが違うよね」という大義名分で疎外を受けることになるのだ。この点、同好の士で固まっていられる学生時代は幸せといえる。
 そういうメンタル・ガードたる集団が剥奪されたとき、精神病院と転職の狭間をマジメ君は歩くんだろうな。そして往々にしてそのマジメさゆえにマジメ君は前者を選ぶ。最近子供の精神病院通院者が激増しているが、その連中を見てみるがいい。不器用なまでにマジメな連中の集大成だ。 

児童の敵
 我が家は僕が生まれて以来、小学校5年生のときに進学塾で深夜に勉強する必要が生じるまで、「就寝法」なる家族ルールがあった。ま、厳密にいえば名前なんてついてませんがね。これは単純明快で子供は8時に寝ること、但し土曜は9時まで起きていてよい。
 我が家の両親は教育評論家Yという男のいかがわしい教育論を間に受けて、子供に一字一句間違えずに実践した。この就寝規則もその一環である(ちなみに他にも「子供に金を与えるな」「喧嘩は独力で解決させろ」「教師に体罰されても抵抗させるな」などのありがたい託宣があった。僕はこの教育評論家を長い間殺してやろうと思っていたが、先日病死した。残念である)。
 さて、土曜日は8時から「カトちゃんケンちゃんゴキゲンテレビ」なる悪名高い番組があった。確かYの本には「低俗なテレビは絶対に見せてはいけません」とあったはずなのだが、どういう訳かこの番組は親公認で、就寝時間を延長してくれた。
 さて、一体この番組のどこが悪名高いのか、知らない読者のためにお知らせしておきたい。
 ドリフの「加藤茶」と「志村けん」の番組だからおおよそ想像はつくと思うけど、徹底的にPTAを煽るようなつくりになっている。番組構成は日本では珍しい連作コメディードラマ。探偵社が舞台のはずなのだが、大抵は事件らしい事件にもならずドタバタなギャグの連発で終わるのである。実際面白かった。
 ところが問題はこの笑いのとり方で、食物は恐ろしく粗末にするわ、女の裸は出てくるわ、時々極端なホラーをぶちかますわ、とにかく世の良識家の頭を吹き飛ばすに十分なアナーキーなテレビ番組だった。それでも5年はもったはずだから、80年代の業界はまだ理性を残していたといえる。
 なんせ何度もTBSに対して様々な教育界や宗教界や官公施設等から打ち切り要請が寄せられ、新聞も何度もテレビ投稿欄で読者を煽り、激烈な批判を書かせる(讀賣新聞の投書合戦は凄かった)。そういう騒ぎを横目に番組が続いたのはやはり面白かったからだろうな。僕のバラエティー番組に関して、唯一の例外である。
 おそらく一応ストーリーがあってドラマ仕立てになっていたのが大きい。ドリフの特番は全く見なかったことからもそれは伺えるし、バカ殿も最初の何回かは感嘆したが、あとはバラエティー番組化してきたので見なくなった。
 さて、この「ゴキゲンテレビ」、なんと当時僕のいた小学校でも糾弾決議がとられかけたことがある。PTAの広報誌の幹部対談で一人が志村けんを名指しで批判し、「児童の敵」としてPTA同志に決起を促したことがある。土井社会党が健在な時代であった。
 ところで、この時、広報誌編集委員でこのバカ騒ぎに批判的な人がいた。うちの母親である。
 母に政治権力はないはずだから真実はどうか知らないが、我らが小学校のPTAがTBSに打切要請をしなかたことは確かだ。しかし、盛者必衰のなんとやら、往年の名作番組はドラマとしての体裁を書き、バラエティーとしては中途半端な番組となった。
 僕はいつしか見なくなり、番組はひっそりと打ち切られた。 

映画のカットは少々不満

WOWOW加入者が羨ましい

 番組編成上仕方がないのかもしれないが、映画のカットが不満だ。
 うまくやってくれればいいのだが、時々「こいつ映画を見ないで無作為カットしてない?」と思わせる時があると、非常にイライラ係数は高まる。ちょうど昨日、その好例が逢ったので紹介すると、「メジャーリーグ」の3である。
 これ日本人なら石橋貴明が出てくる点に注目するじゃん。普通は。
 だけどね、驚くなかれ何故彼がチームに加わったかに至るシーンがすべてカットされているのだ。確か正確にはトレードかなんかで「助っ人」として出てくるはずなのが、出し抜けに試合のシーンでチームの打席に入っているのだ。
 そりゃないでしょ?

 ま、こういう話はそうそうあるわけじゃないけど、Hなシーンや残虐シーンは優先的に消される傾向があってこれなんかも僕は結構不満だったりする。低俗人間ですから。
 だから家人が借りてきたビデオとか「昔テレビで見たよー」とか思いつつも一緒に見てみると、新たな発見などが往々にしてある。またどうしても理解できなかった展開や突然現れたキャラクターに吃驚した経験も、一度ビデオで見てみれば疑問氷塊、すっきり飲み込めることも多い。
 羊たちの沈黙ねえ、テレビで見て「怖くねーじゃん」とか思っている人、どうかビデオでチェックして欲しいね。テレビなんて本当に公衆用に希釈して飲ませているから。
 本当にハードな作品はそもそもテレビに出ないか、深夜に回されてますよ。 

討論番組の不毛

ブレイン・ハード・ブロウ

 討論番組が不毛なわけははっきりしている。
 結果が出ないことは前もってわかっているからだ。
 例えば討論番組の花形たる「朝まで生テレビ」にせよ、最近流行の青少年(それもややイッちゃってる系の)「しゃべり場」にせよ、規定時間でそんな歴史的大命題を解き明かすような真理が出てくるわけないのだ。
 後者は、あれは考えること自体に意義があるとされている分野の問題だからいいとして(しかし視聴後イヤな気分にしかならないのは何故だろう)、前者のような政治討論は何が楽しいか解らない。しかも厄介なのは何が楽しいのか解らないにも関わらず徹夜をしてまで見てしまうところだ。
 結果が出ないことは目に見えている。論破されないことも解っている。殴りあいも罵りあいにもまず発展しない。つまり勝手気ままによく解らないことを論じ合っているだけで、誠に実なきことおびただしい。世間に溢れる論争、みなしかりである。
 何が楽しいかといえば、僕らはそこに剣闘士を見ているのである。
 つまり野蛮な喧嘩がプロレスやボクシング、K−1といった多分にショー要素を含んだスポーツと転化したように、僕らは「論争」という高尚なイミテーションを施した口喧嘩ショーを見ているのである。
 どうした経路で紛れ込んだのか徹底して下らないことしか言わない奴や理念に狂ったデイドリーマーが徹底的に撃沈されている所など、擬似的に自分の思ったツッコミを論客が入れてくれるので非常に気持ちがいい。
 また現実社会でやったら人間関係に致命的な切れ込みが入る「論争」という喧嘩(論争と喧嘩を分けて考えるには一定以上の理性レベルが必要である。一般社会では少ない)。実践するのは気が引けるが、テレビの中では勝手気ままに論じ合っている。こちらもさして討論能力もないくせに勝手な論評が出来るのである。
 応援したいスター選手(論客)がいなくても、自分の思想や信条に近い論客に感情移入できるわけで、その点も優れている。
 この点、ボクシングの中継で「そこだ、右右右を入れろ」と叫ぶオッサンの心理と共通である。実際戦えば弱いのだ。

 結論、討論番組はとにかく不毛である。
 不毛であるが、利用によってはこれほど面白い知的擬似喧嘩もない。くれぐれも「パンチドランカー」になるのは注意しつつ、一緒に戦いましょう。
 とはいえ、現実社会であんな話し方してはいけない。徹底的に嫌われるから。 

テレビ黄金時代

平成生まれにはわかりません

 ここで一旦小休止、ここでは僕が一番テレビ番組を見ていた時代。すなわち小学校6年生のときの話をしようと思う。今から約10年も前の話だ。
 話は少々脱線するが、先日中学生の男女と話をする機会があったのだが、今、昭和63/64/平成元年生まれの台は中学一年生、ということは現在小学生である連中は全員平成生まれということになる。事実、僕は同日初めて平成生まれと言葉を交わした。
 彼らにはもはや解らない話だが、このHPの読者は若くても高校生なので、安心して話を続けることとしよう。
 小学校6年生といえば、僕が私立中学への進学にむけて本格的に勉強していた時期だ。この頃人生で一番テレビを見ていたとは意外な感もあるが、よくよく思い返せばそれ以外娯楽がなかったのだ。
 我が家は家訓として努力に対して金銭や物品を対価に据えるようなことは絶対になかったが、権利はしばしば対価となった。テレビ視聴権はその最たるものとして僕の学習のモチベーションとなったのである。
 僕はこの時期、生涯を通じて最も学習し、テレビゲームから小説から(漫画を読む趣味は全くなかった)すべて断物にして勉強していたのだ。テレビしか逃げ道がない。
 その華麗な番組のラインナップをあげてみると…
日→大河ドラマ「織田信長」
月→世界まるみえ、テレビ特捜部
火→(大岡越前?)
水→SHOW BUY ショーバイ(ちょっと正式名忘却)
木→まじかる頭脳パワー
金→はなきんデーターランド
  (+8時からの番組、なんだっけ?)
土→平成教育委員会

 火曜がどうしても思い出せないのだが(確か時代劇だったような気が…)、この日は塾だったのかな? あと金曜日は「はなきん」が19時30分からの30分番組でチャンネルはそのまま20時からも見続けた覚えがある。
 テレビ漬けのように見えるが1日1時間、節度を守っていたのだ。
 今から考えるとこれでも相当なものだった。 

プロデューサー考

誰も気にしてないけれど・・・

 僕はマジメな人間らしい。よくそう云われる。
 そしてそれはおそらくそうなのだろう。天もそれを認証するかのように僕の体からアセドアルデヒドを抜いているし、煙草も中毒の親父を配置することによってすわせないようにしている。カラオケもギャンブルもスポーツもライブにも興味はない。女事には多少はあるが金を出してまでというと否定的である。
 ま、それはよい。
 今回の話はそのマジメさ故に、一般人ならあまり気にもとめない話について書く。
 最近では電波少年が例としていいが、プロデューサーがテレビに出てくるバラエティー番組が多い。電波少年以後の芸能人が秘境を巡ったりするような番組や困難なイベントにチャレンジする系統の番組に好んで奴らは出没する。しかも姑息にも仮名で。
 そこで云うと、彼らの態度、非常に悪いよね。
 自分が生殺与奪の権を握っている芸人に対してネタとして強硬な発言をするのは仕方ないかと思う点もある。演技だという仮定だとしても、あの態度は非常に不愉快だ。僕はマジメ人間だから。
 みんなが憧れるマスコミ業界。その現場頂点に君臨する男。芸人・スタッフ、そのすべてが自分の隷下。それはいい気分だろうね。
 しかしね、ここに重大な観点がある。
 偉いのは誰か、ということである。
 例えば就職面接で「企業運営で一番大事なのは誰かね?」と聞かれて「社長です」とか「株主です」と答えれば確実に落ちる。多分に欺瞞性の高い面接という空間ではあるが「顧客です」と答えねばならないのだ。
 この場合、偉いのは誰か? 視聴者である。
 プロデューサーが偉いといったって、それはテレビ局という巨大にはせよ、一民間会社の幹部というだけのことである。我々が崇め奉る義務はどこにもない。
 例えば三越なんかで社長が従業員を店頭で怒鳴りつけるとする。我々顧客は不愉快感を表明するのをはばかる必要はない。またJRの総裁が山手線の中で2人分の席を占領してたら「どけよ」ということができる。
 外部のもの、特にユーザーにとっては会社の上下関係など知ったことではないのだ。ついでにいえば東大生が僕の大学の門前で学生証振りかざして「てめえらに未来はねえんだ馬鹿野郎」と叫べば、黒顔金髪に取り囲まれて拉致られるだろう。
 プロデューサーがそのような態度で済んでいるのは、我々が卑屈にもクリエティブな仕事をしている彼らを崇めているに過ぎない。職権の怖い、芸人やスタッフが上司に服従するのは悪くない。どこでも見られる光景である。だが我々がそれに付き合わされる義務はどこにもない。
 以上の理由でマジメな僕はプロデューサーが出てきた瞬間、早打マックさながらのスピードでリモコンを取り、チャンネルを変えるのである。 

アニメについて

僕のアニメ略史

 ここでアニメについて如何様に考えているかを記すのは控える。ただ僕のテレビアニメの視聴の歴史について書いておきたい。
 僕はまあ一般の子供急にテレビアニメは見ていた。もっとも親の教育が非常に厳しかったので、見ていたアニメは相当限られており、記憶にあるのはまず「ドラえもん」と「サザエさん」である。これは現在でも放映しているが、親が見せても安心な話ではある。
 そして僕が何故か偏執的にハマっていたのは今はなき「まんが 日本昔ばなし」である。知っている人は知っているし、知らない人は知らないであろう。後に早朝化してしまい視聴率の激減によって消滅したが、6チャンネルが日曜のゴールデンに放映していた番組である。ちょうどこの時間帯は 10チャンネルで「きんぎょ注意報」だとか「セーラームーン」がやっており、当時は家人とよくチャンネル戦をしたものだ。そのくらい好きだったのだ、昔話が。
 他にも見ていたものがあるかというと…日曜の朝にやっていたのは割と見たような記憶がある。「まじかる タルルートくん」などの時間帯だ(表記は自信ないよ)。「おぼっちゃまくん」は母親が禁令を出すという、まあ順当(?)なる手段で閲覧を禁じられた。小学校でいきなり局部をつかまれ「ともだチンコ」と云われ、訳も解らず殴った話は封印されている。
 一応平均教養くらいはアニメを嗜んでいた僕であるが、小学校も卒業に近いある日、パタリと見るのをやめた。食卓のTVをつけて現れたオープニングの画面を見て、猛烈な羞恥心に襲われたからだ。
 別に特に恥ずかしいシーンでもないし、家族に何かを言われたわけではない。何も影響されてない。ただ、その時猛烈な気恥ずかしさを覚え、すぐにチャンネルを変えたのだ。
 以来年相応に、一切TVアニメは見なくなった。保守的な町だったので、アニメは子供が見るものという観念は強く、僕は中学以降も子供用アニメを熱心に愛読し、キャラグッツを揃えている輩に吃驚したものだった。
 話はずれるが、この頃の「ウゴウゴルーガ」ブームも僕は理解できなかった。あの前身は「ポンキッキ」である。あれを中高生が熱心に視聴する感性がどうしても僕は理解できなかった。
 TVアニメは鎖国のように僕は禁じたが、映画のほうはオランダの如く例外はあった。宮崎(勤じゃないぞ)アニメの映画はビデオながらよく見ていたね。あ、昔「山田大佐」の大佐は「ムスカ大佐」からとったのかと訊かれたことがあるが、それは違う。確かにキザな言葉使いを僕はする方なのでそう訊かれるのも妥当だが…まあ、僕の命名理由はいつか書きます。
 ともあれ、現在は…これが全く見ない。「千と千尋」は映画館で見ないことは当然として、おそらくはTV放映にでもされない限り見ないと思う。理由は特にない。高校時代、ちょっとした党派性の問題から文芸部内で「アニメ愛好家」の一団と一戦を交えた経過があるが(この喧嘩については後述)  その呪縛も解けた今も、見る気はしない。
 二十歳を超えたせいだろうか、周りには今も昔もアニメ愛好家がいるが、彼ら個人への嫌悪感だろうか(勘違いしないで欲しい、アニメそのものとは関係ない。僕の周りのアニメフリークはヒキガエルにも及ばない人格の持主が多すぎる。といっても数名だから偶然の一致だろう)。
 生理的にそういうのを見たい気分ではない。 

街頭インタビュー

僕はジレット派ですが・・・

 髭剃りにマーガリンと来れば、解る人は解るだろう。
 そう街頭CMである。髭剃りの方が有名だから説明しよう。
 時刻にして朝の7時ごろ、通勤客などでごった返す駅前か何かにレポーターが立ち、行きずりのリーマンに電動シェーバーを渡して「髭を剃ってくれ」というのである。
 いきなりそんなこと駅頭で言われたって驚くだろうが、ともかく髭を剃らせてシェーバーを開けてみると、髭が一杯落ちてくる。
 「剃り残しですね、この深剃り新製品ならこんなに剃れますよ」というオチで終わるのだが、これを(勿論録画だとは思うが)毎日毎日違うバージョンで繰り返すのだ。このCMの全盛期は僕が小学生の頃で、当然髭なんて生えてなかったが(毎日剃らねばならぬ今と比べると羨ましい)その僕でさえ髭剃りが欲しくなるようなインパクトがあったわけで、これは凄い影響力である。
 ところで子供心に僕はいくつかの疑問があった。
1.本当に見ず知らずを捕まえているのか? やらせでは?
2.何で皆あんなに協力的か? 逆らう奴はいないのか?
3.髭剃りの中に予め髭が入っていたのではないか?
4.見たところ剃り残しがあるといっても外見からは不明。
  深剃りといっても肌を余計に傷つけるだけでは?
5.彼らの使ったシェーバーはどうなったのか?
  再度使うのは不衛生では?
6.結局、サラリーマンは新製品を買うだろうか?

 今ならいくつか答えられるし、推測できる点も多々ある。
 ところで僕が気になっているのは、このテのCMに限らず、主にニュース番組の街頭インタビューなどでなんでみんなTV局の意見に同調するようなことばかり言うかね? マスコミはファシズムという言葉の乱用が大好きだけど、こういう偏向報道の方が僕はヤバいと思うけどね。
 髭剃りの街頭インタビューは、見てる方もCMと解って見ているけど、ニュースはそれが真実だと思って見てい人も結構多いから、結構危ないことだと思うよ。

(追伸:街頭インタビューに映る渋谷には決まって人間離れしたガングロが闊歩しているけど、現実には彼女らは少数派です。ダサい身なりの若人もオタク系の人もオジサン・オバサン・ジーサン・バーサンもいます。渋谷駅頭に立った瞬間に恐喝されるなんてこともありません。オーバーなる報道を信じてはいけません) 

通販ショッピング

さあ、今すぐお電話を!

 お昼のワイドショーの合間や深夜などに報じられている通信販売のCM、あれはみなさんどう思います?
 僕は保守的な(というか頑迷固陋な)人間の故か、どうも通販という奴を信用しきれない。手にも取れない商品をどうして信用できようかという問題もある(自販機のコーラとは訳が違う、大抵TVに出てくる様なのは1万円が底値である)が、それ以前に送金してそれっきりナシのつぶてだったらどうするというのだ。まあTVに宣伝出すような大手ならその心配はないが、怪しいところもあるんじゃないの? と慎重な(臆病な)僕は思う。
 それに、僕はどうしてもあの卑しいセールストークが気になる。僕は変人と呼ばれるものであるからして(尤も自分はそう思ってはいないし、せいぜい変人検定三級くらいだと思う)、軽佻浮薄な輩には嫌悪感を覚えるのである。
 昔、幼稚園の頃と小学校1年生の頃に二度も母と道を歩いていてキャッチセールスの現場に連れ込まれたことがある。幼少の頃なのに記憶は鮮明だ。やってることまで覚えている。歯切れのいい口調のオッチャンが鍋とか釜とかをまず廉価で売って、おもむろに羽根布団か何かをその場のノリで買わせるのだ。暴利で、暴利と気づかれないように。
 僕はそこまでを知ったのは後のことだが、子供心にあのオッサンを軽蔑していたことは鮮明に記憶に残っている。

「ええっ、こんな便利な品がいちまんえーん!?」

 いい加減にしろ、と思う。ちょっとでも冷静になって考えれば、そんなものは必要ないし、使ったとしても1万円分の使用法があるとは到底思えない。

(注釈;
 僕は随分偉そうなことを云っているが、勿論タイマンでセールスと渡り合ったら確実に馬鹿高い不用品を買わされることは解り切っている。奴らはプロだ。だから道で声をかけてくる奴は全員シカトしている。
 僕は意思がとても弱い。それの証左として修学旅行などで買った全くいらないお土産類などは戒めとしてちゃんと取ってある。土産というものを殆ど買わない助役はこの点、立派である。) 

エロTV

冒険者時代

 思春期の始まりは10歳前後ということになっているようである、現代では。小学生がブラジャーをしてるのではそれも道理である。コクトーじゃないが、最近のガキは恐ろしいからね。嘘だと思えばボランティアに参加して、青少年交流事業にでも参加するがいい。あいつらは猛獣だ。
 さて、今回は僕が猛獣だった10歳前後の話をしたい。
 この頃は男子は一端に性欲に目覚める頃で、そのくせ知識が追いつかないという誠に由々しき時間である。簡単にいえば成熟した女の裸が見たい。で、その先は? 何もないのである。性教育なんてのが今じゃ普通に行われているから或いは知っているのかもしれないが、保守的な町で育った僕らはその先を知ることはなかった。
 小学校期、僕の周りにはワルが随分いて、事実僕も悪の世界じゃ多少知られていたらしい友人の三下としてエロ本の密売やゲーセンのメダルの取引をしていたものだ。その彼でさえ、性のシステムはその当時は知らなかったらしい。
 さて、前置きが長いが女性の裸を見るには当時テレビしか方法はなかった。密輸用のエロ本(拾ったり友人のツテで廃本の週刊誌を貰ったりリサイクル周辺をかぎまわったり)は友人宅に保管したのでいつでも読めるというものではない。僕は売却にはタッチしないから、本屋で立ち読みという訳にも行かない。
 小遣いはないも同じなので買ったり、レンタビデオはNGである。
 テレビしかない!
 日本のテレビは性にも暴力にも甘いと批判を受けるがその点いい国である。
 方法はいくつかあった。

1.深夜番組
2.映画
3.ザッピング

 1は手っ取り早いようで実は難しい。まず家族にばれる。運良く就寝したとしても僕の気配で飛んで来るに決ってる。仕方がないのでビデオを録画モードにして、翌朝に楽しもうかと思ったら、録画時の起動音で母の目がさめて、翌朝は顔がはれるほど殴られた。
 2は割と簡単である。12チャンネルがよくやるB級映画によくあった。映画なら母も若干甘かったのだ。とはいっても濡れ場なぞ見ているとそのシーンでテレビが消されるため、親には隠れなければいけない。放映時間に母を茶の間から追い出すのに苦労した。要は風呂をたいて、母を閉じ込めればいいのである。一人でテレビと対座したあの緊張感は印象的だ。
 3は、大体、まえもって当日のテレビ欄で扇情的なアオり文句をチェックしておくのである。結構羊頭狗肉のハズレが多いのだが、バラエティー番組の企画のような形でちゃんと拝めたりもする。一瞬であるからして親のチェックもゆるい。

 随分、下らない文に終始したが、こういう少年時代の緊張感は数少ない僕の冒険歎の中ではなかなかに印象的な話だったりもする。今は何の抵抗もなくそういう本が買える自分に、若干自己嫌悪だったりもする。 

美しきファシズム

恐ろしいことじゃ

 投書は心のゴミ箱だ! 然り、と思う。
 投書は新聞社のプロパガンダだ! 然りと思う。
 投書は投書マニアのオアシスだ! 然り…と思う。

 讀賣新聞に放送塔なるTV専門の読者投稿欄がある。
 最近は全く「あの」話題は見なくなったが、僕が高校の頃、恐ろしく流行っていた「あの」論争は僕の背骨を凍らせるのに十分なるインパクトを併せ持っていた。あのファシズムにも似ている嵐が新聞上を吹き荒れていた頃、「クラスの女子批判」をしていた僕はドサクサにまぎれてやられていた可能性がある。奴らはそれくらいの勢力をもっている。
 さて、話を引っ張りすぎたが、もう少し引っ張る。
 放送塔には投稿者の他に、その背後に控える没投書を慰める為に同種の意見を投稿の末尾に(同様5通、反対意見2通)という風に表記している。大抵は合計しても1桁、盛り上がった番組は2桁になることもあるが、20を超えることは少ない。
 これが異常に盛り上がると日曜掲載の「放送塔から」というコーナーで一筆記者からくわえられるのだが、この項が爆発したことが過去2回記憶に残っている。
 1度は前述の「カトちゃんケンちゃんごきげんテレビ」の「下品だ、打ち切れ、子供の教育に悪い」というヒステリック主婦と反対する良識人の争いである。
 この争いが投書の数では拮抗していたのに対し、「あれ」は全くのワンサイド・袋叩きであった。
 もう引っ張るのをよそう。
 それは某アイドル事務所のことである。
 僕個人の意見は特にない。前にもいったが芸能人のことは関心がないのだ。「某アイドル事務所の所属タレントはすべからく好きでなければならん!」という人から見れば罪だが、とりあえず無難な意見だ。
 ところが世の中には反対者を許さぬものが多い。
 放送塔である人がジャニーズに属する人気タレントの行動について、ポツリと苦言を呈したりする。別に個人攻撃でも存在攻撃でもない極穏当で、是非はともかく理解は出来る発言である。ところがこれに対しての反対意見が確実に数十票の同様意見を引き連れて、圧倒する。
 これには驚いた。
 勿論、新聞社にもサイコからの投書は圧殺する配慮は見せているだろう。どんなタレントにも熱狂的支持者はいるからだ。また同一人からの執拗な投書も無視しているはずだ。
 と、すれば…日本全国のファンからすれば3桁というのは少なすぎる数字ではあるが、それでもさして害悪になるとは思えない投書に怒りのペン振り上げて筆誅を下す人間が、他の番組出演者の数十倍いるとなると、これは怖い。
 もう彼らを批判する(繰り返すが存在否定などではなく、穏当な発言や行動に対する個別批判である)投書は載らなくなり、かくて論争は存在しなくなった。
 もし彼らが政党を作って衆参ともに進出したら、単独与党になるのは絶対無理でも、そこらの弱小政党よりはよほど議席を数えるに違いない。それこそ無党派は目覚める。そこでうっかり連立与党になったり、村山社会党政権みたいにうっかり政権とったらどうなるか? かなりの政策がとれるに違いない。
 例えば仮定の話、靖国問題の禁忌を乗り越えて、いきなり「朝鮮に宣戦布告」と放言したらどうなるか。自衛隊がそんな妄言はきかんとシカト決め込んでも熱狂的ファンは私兵を組んで、プサンに上陸するのではないだろうか。
 カリスマへの盲従こそが歴史を動かす狂信的な行動へと人を駆り立てるのだ。
 「放送塔」からは何が出ているか、皆さんご存知か?
 電波に決まってる。 

CMについて思うこと

正しいことは難しい

 普段あまりにも満ち足りているが故に、しばしば感謝の念を忘れがちなものを「空気」になぞらえることがあるが、CMもそういうものかもしれない。CMがなければ我々は一局あたり年間結構な額の受信料を納めなければならなくなるだろう。
 まあ、そうなればアメリカのようなケーブルテレビ文化が現れるのかもしれない。だがそれにしたって狭い国土から考えれば限界があるし、現行のローカル局の番組などを散見しても資金不足ゆえにつまらない番組が多いことは否めない事実だ。CMはありがたいものなのである。
 しかし、ありがたいといっても、面白い番組などで頻繁にそれをやられれば腹が立つ。しかもそれが騒がしい(CMになると音量が上がるのは皆さん御承知の通り。最近は大分マシになったが)愚にもつかないタレントの馬鹿騒ぎに終始したとすれば…。怒り心頭である。
 マジメで堅物な僕は番組の盛り上がりで引っ張るだけで引っ張り、CMを入れるという「おいしい手法」がとても不愉快で、その度にテレビを罵っている。「ここが変だよ日本人」と「TVタックル」の超常現象バトルはこの傾向が強く、特に後者は予告編だけで2回もCMを引っ張るので、具の薄さに最近は殆ど見ていない。
 僕はとりあえず勝手な消費者を任じているので、中学生のある時、帳面を用意してテレビに対峙した。そして番組を山場にまで持ってきてCMをどかんと出した企業の名前をメモし続けた。
 何をするか? 一人不買運動である。
 家や車は買えないから関係ないのだが、食品、それも廉価系などは徹底して不買した。こういうことを一度決めると僕は頑固なのである。
 この行為など中学生の愚かさの象徴のような話で、CMのありがたみを忘れた愚行の典型である。
 されど、いくらありがたいとは解っても、不快に感じる物は不快である。正しいことは実践しようと思うが、僕は人間である。今日も僕はCMの見るのを病的に嫌がり、一人でテレビを見ている時はCMをザッピングの時間と心得、あっちにふらふら、こっちにふらふら、やがて疲れてテレビを切ってしまうのである。
 我が人生がこうならぬことを祈る。 

実録・警察24時

警官志望の過去と現実

 警察官になりたかったことがある。
 中学の頃から高校に至るまでである。何をトチ狂っていたのか、僕はその夢を広言してはばからなかったというから恥ずかしい。
 まったく何を考えていたのやら、自分の運動センスを考えれば、受かるかどうかなんて解りそうなものだが、僕はどういう訳か自分が公安刑事になるであろうことを信じて疑わなかったのである。
 こう書くと読者は僕のことを自意識過剰の警察オタクと思われるかもしれないが、当然のことながらそうではない。別に他意はないが、僕はオタクになるのに必要不可欠な要素である執着力がない。ひとつのことを追いかける気概などまったくないし、ケチだから、自分の道楽にさえ出費をよしとしない。これではオタクになりようがない。
 さて、ここで実録警察モノである。
 そうどの局も番組交代の特番連発期間に必ず一度はやる「東京・警視庁24時」という、警察官に密着して犯人逮捕やら酔っ払いの対応やらを公開するという番組である。
 ポリオタク垂涎、そうでない一般人もよく見るのか、長寿を誇るシリーズである。
 ところが、これ僕はまず見ないのだ。
 タダでナマの警察が見られるわけで、警察業務に関心のあった僕が見物してもおかしくはないのだろうが、これが中学校の頃以来、殆ど見ていない。
 理由は二つあって、ひとつはモザクが非常にうざいから。
 プライバシー保護、或いは警察業務に支障をきたすため、または周辺区域の不動産価値を下落させないため、通常番組はモザイクだらけである。これが非常にイラつく。あまりAVのモザイクはイラつかない僕であるが、この画面全体モザイクには腹が立つ。
 続いてもうひとつの理由は番組構成が紋きりなのである。
 「(その年の)重大犯罪鎮圧までのドラマ」「覚醒剤犯の逮捕の瞬間」「暴動族対機動隊」「万引き犯の取調べ」「繁華街交番の夜」「婦警VS卑劣な痴漢犯」、まあ大体がこんな感じだろうか。実は昨年末に見たときも、これと変わらぬ展開だったので驚いた。
 そういう訳で警察業務に理解のある僕もこういうのは更々見ようとは思えない。ただ現場の警察官のガラの悪さはよく理解できる番組作りである。 

刑事ドラマたち

薄汚れたカッコよさ

 前項では警察官になりたかった話とその割には警察実録番組を見ない話をした。それでは刑事ドラマはどうかというと、これが非常によく見ていたのである。中学生の頃は。
 前に「一番多くテレビを見ていたのは小6受験期」と書いたが、中学校の3年間はそれに継いだといってもいい。
 とにかく見ていたのは16時からの再放送である。4チャンネルでは「あぶない刑事」か「刑事貴族」がひっきりなしにやっていて17時からは「さすらい刑事」か「はぐれ刑事」をやっていた。
 当然前者の方が好きなのだが、これは本当に毎日見ていた。
 僕はこれらを見るために中学時代は部活もやらずに一目散に帰宅していたのである。殆ど異常である。ないも同じな小遣いから前2つのドラマのサントラを買ったということからもなんとなくお分かりだろう。とにかく愛しちゃっていたのだ。
 元々警察ドラマに推理なんてのを期待はせず、映画のようなアクションを期待していた。その点、あぶない刑事は実に秀逸である。小学校の頃から再放送やっていて、親に隠れてよく見ていたのだが、あれは何回見てもいい話であった。
 今現在、ああいうドカーンバキューンは流行らなくなり、古畑任三郎や湾岸署が活躍しているが、ああいうデオドラント文明時代にふさわしく清潔なのはどうも僕の趣味に会わない。特の湾岸署の方は実は一度も見ていないし、見る気もない。
 あぶない刑事の復刻調的な映画もハズすべくしてハズしたし、僕の趣味にあう刑事ドラマは全滅かと思われたが若干救いようもある。「西部警察」の再放送ブレイクである。
 石原軍団総出演の破天荒極まりない脳筋番組。あそこまで現実の枠を飛び越えていると爽快ですらある。今後の薄汚れた、汚く、貧乏ッちいアクション刑事ドラマに期待する。 

懐かしの中学生日記

頭がいいと錯覚していた

 僕が中学校の制服に袖を通してから9年、脱ぎ去ってから6年になる。自分の過去はしばしば忘れがちだが、たったこれだけの期間にも関わらず、今中学生にあって話してみると「なんだよこいつら。滅茶苦茶ガキじゃん」と思う。同年では圧倒的に大人びているはずの女子と話しても感じる点は同じである。
 僕が話した中学生は(社会教育実習で話したんだけどネ)公立中である。シビアでなければ生きられない学校の出身者でさえ、ここまでガキなのだから、お坊ちゃん中学で安穏と暮らしていた僕の顔など写真で見るもおぞましきガキ面である。
 とにかく自分のことは差し置いて、中学生と話すたびに「ガキだ、ガキだ。ついでにバカだ。話にもならん」と思うのだが、心のどこかでは「そんなはずはない」という思いはある。
 まごうことなくNHKの「中学生日記」というドラマの刷り込みである。我が母は教育評論家Yの信者といってもいいくらいで、彼が推薦したのかこの番組だけは「正座」して見させられていたのだ。毎日曜に。
 この教育番組はなんとかって中学を舞台に(十年も見てないから忘れちゃったよ)そこで起こる色々な教育問題を愛と寛容の精神に満ちた教師が解決していくという感動的過ぎて馬鹿馬鹿しいドラマである。
 ここで僕は2つの固定観念を持った。
 中学というところはイジメや暴行や恐喝や売春やレイプやエイズやその他諸々の巣食う恐ろしいところである、ということと、勉強が難しすぎるということだ。
 前者は私立中学に行く必然性をいやがうえにも高め(行くべき公立中は荒廃の極みだったからね)、後者は「そういう不良校でもこんだけ勉強が難しい、えらいことだ」という恐怖として残った。実は後者の方が僕にとっては怖かった。
 ドラマで出てくる黒板のシーンは小学校5年までは完全に意味さえわからず、5年以降も解らない点は多かった。塾はかなり高度な学習はするが受験にでないような範囲は絶対に教えないのだ。方程式や化学記号や古文、そして英語がよく黒板には出てきたが、これは最後までわからなかった。
 6年間の「中学生は難しいことをやっている」との思い込み。
 この刷り込みによって今でも僕は「中学生って本当は頭いいんだよなあ」と大学生になった今でも思っている。実際は本当にバカで、礼儀も知らず、社会規範などなんとも思わない、パープーの集団なんだけどね。 

愛の劇場に愛はあるか

食事時のマナー

 TBS、平平日、13時、「花王・愛の劇場」の時間である。
 この番組は衛生業界大手の花王社がスポンサーとなっている30分枠の番組で、毎日家庭的ほのぼのなドラマをやっているのである。
 年に4回くらい違うドラマをやっているのだが、代表作はやはり「天までとどけ」だろうか。子供13人という大家族を舞台にした物語で「1」の方は5シリーズ分くらいは出ただろうか。
 「涙くんさよなら」のテーマソングとともに初めて放映されたのは僕が小学生の頃なので、もう随分になる。現在は「天までとどけ・2」として初代の家とは別の大家族の話をやっている。
 まあ、別に「天までとどけ」の話はどうでもいいのだが、ここで話題にしたいのはスポンサーの花王社である。
 この番組は衛生用品を扱うメーカーの提供らしく主婦向のドラマである。そして我が家の母も僕が小学生のときは好んでこのドラマを見ていた。当然、僕も「情操教育」の名のもとにさして面白いとも思われないドラマを見させられるのである。
 だが本当に困るのはドラマの(小学生の僕にとっての)退屈さではなく、13時という昼食時に花王のCMを見せられることである。具体的にはその商品を。
 一番悲惨なのはトイレの清掃具。便器の大写しは勿論のこと、清潔さを際立たせるために初めにやたら汚い便器を見せる。次に悲惨なのは紙おむつで局部丸出しのガキや「やわらかうんち」などというありがたいナレーションが聞ける。他にも消臭剤では悪臭の模式図が見られるし、CMは大体不快感と嘔吐感を誘うに十分な出来である。
 これは参ったね。
 主婦にアピールするという点では昼どらに投資するのは賢明ではあるのだろうが、これは本当になんとかしてほしい。 

VIVA! スポーツ!

間って退屈じゃない?

 出来ないのでスポーツには関心がない。
 強いて関心があるとすれば母校の高校野球くらいだ。中高時代は大抵地方での決勝まで行き、NHKが放映してくれた。地方大会といえども大きい県だとちゃんと放映するのだ。
 ともあれ母校は強いということでは知られているのだが、肝心なところでいつも負けるので近年はテレビでお目にかかることはまあなくなった(ローカル放送は受信できないのだ)。つまり僕は一切スポーツ番組を見ることはなくなったのだ。
 家族は必ずしもそうではない。父はスポーツ全般をチェックして、日本のスポーツ界とアナウンサーの偽善の悪口をいうことに腐心しているし、母は相撲と高校野球を見ている。
 我が家では中継人気がからっきしないので、観戦好きの父は自室で見ているが、その遺伝子を受け継ぐ僕はまったくスポーツ観戦の楽しさがわからない。
 何が嫌いと云って僕は日本人らしからぬことにあの「間」が嫌いなのだ。野球なんて一球一球投げるごとに随分な間があるし、陸上競技もマラソンを抜かせば殆ど間だし、水泳も然り。ゴルフもそうだし、相撲なんて間の塊だ。
 これらの中継は退屈だ。選手の紹介や過去の映像やスポコン調の裏話などどーでもいいから早く始めろ、とイライラする。ならば間がなければいいかというと、サッカーやマラソンなんてのもダメ。展開がなさ過ぎてイライラする。バレーはシーソーゲームになりがちだから嫌い。
 更に云うとラグビーやテニスはルールが解らないからNG。
 結局、見られるのはバスケとボクシングということになる。技術上のことや細かいルールは殆ど知らないが、スポーツ中継の中では割と好きな方である。もっとも殆ど放映しないという問題はあるし、元々興味はないからじきに飽きるのだが、こういうのは環境ビデオ代わりに流していると面白い。
 つまり僕にとってスポーツ中継はニュース番組のダイジェストで十分なのだ。尤もそれさえよほどのことがない限り見ないし、最近やってた世界水泳なんかも未だに結果を知らない。
 僕がスポーツ中継にいたいのは「野球よ、延長はすんな。映画が見られねーだろ」という点に尽きる。 

「ギルガメ」の功績

土曜の夜に青少年は消えた

 今の若い人は知るまいが、僕らが若かった頃(つまりは思春期を通して)、全国的に善男善女は土曜日の夜、こそこそと自室に消えたものだ。
 何を見るかって? 「ギルガメッシュないと」に決まってら。
 「浅ヤン」「なんでも鑑定団」(だっけ?)と比肩して語られるテレビ東京の人気番組である。深夜帯では視聴率最大手なのではないだろうか。とにかく凄い番組だった。
 内容はエロである。他の深夜番組にもエロ的要素は多かったが、他の番組が「情報番組の一環」というスタンスを取り続けたのに対して、ここまでエロを前面に出した番組も他になかった。
 僕自身も思春期は相当親の締め付けが厳しかったので、残念にもそう多くは見られなかったのだが、司会者からして華やかな割には公然と登場しかねるAV女優を配置し(そういやメインのイジリー岡田はどこ行ったのかね? 関係ないが母校の副会長、元気かねえ)番組にも大量に人気AV嬢が出ていたもんだ。
 まあある意味、いい時代といえばいい時代で、AV女優にとっては電波に乗って登場できるなんてことは、この番組くらいのものである種、この番組に出たことが一種のステータスシンボルだった。
 テレビ放送なのでヘア解禁後も出せなかったし、当然絡みなんかもなかったわけだけど、しょうもないエロコントや各種イベント等、なかなかに楽しめる作りであったことは確かだ。
 放送終了から大分たつが、あの深夜枠では今、何やってんだろう。
 高校時代、仲間と酒もって集まり、ギルガメ見ながらバカやったこと。思い出すなあ、若気の至りって奴ですか? 

総括

スイッチOFF

 以上でこのコーナーはおしまいである。
 僕は殆どテレビを見ないくせに、何とかでっち上げられたことに正直驚いている。中高と人並みの半分くらいは見ていたということですか。
 そういう訳で僕のテレビ嗜好はある程度解ったと思うのですが、ではその他の番組はどうかというとまず見ないです。
 いま少し、考えてみると本項で取り上げなかった番組は「音楽番組」や「料理番組」「ニュースショー」とか「教養・教育番組」「情報番組」等が挙げられますが、これらはまず見ません。
 最終的にはテレビを一切見ない生活(=受信料は不払)というのを理想にして紀子様の家のようなことがしたいんですが、ゲームやビデオの受像機という都合もあって、ちょっと無理っぽいようです。
 暇人の誉れ高い僕ですらつまらないと思うテレビ。それを面白がって見られる人はある意味羨ましいと思うことがあります。
 実際、僕はこの項で現在のことは殆ど語っていません。
 現在はおそらく人生史上、乳幼児期に次ぐTV不視聴期でしょうね。大学に通っている最中はともかく、全然忙しくもないのにTVを見ようとは思わない。理由は面白くないから。
 もう一日中見てても何も云われないし、TVの話題がないと仲間から取り残されるなんてこともないが、とにかく自然体の僕と向き合えばTVを必要としていない自分に気がつかされる。
 HPを作っているとこういう再発見もあるものである。 
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