かけそば |
めざせ、二代目カケソバン!? かけそば、を知らない人はいないと思う。
駅前の立食そば屋や学生食堂において、財布の極端に軽いビンボー人どもだけが食することを許された恥も外聞もない最低額メニューである。あるのはソバとツユと申し訳程度に添えられた刻みネギだけそのあまりの侘びしさを慰めるためかかけそばを頼む者はやたらと卓上の七味を振りかけるのが通例である。
そこで何を隠そうこの僕は高校時代、この「かけそば」の愛食家であった。大抵は弁当持参であったが、たまに弁当の欠けた日は昼食代500円也が支給され、200円でかけそばを消費、あとは小遣いに充当させていた。
我が高校の学食ではかけそばについで安いのは300円のたぬきそばであり、これがおそらく人気ナンバーワンだった。が、百円単位の生活をしていた僕にはそんな贅沢は敵だとばかり(どうしても天カスが百円もするとは思えない)ひたすらかけそばを食べ続けたのだ。
浮いた金は放課後に古本屋に駆け込んで、廉価な文庫本に消えて
しまうのだが、それはそれで満足な循環だった。後に知ったことだがこういう同好の士は他にも多々いたらしく文芸部の同期生はやはり 浮かした金を文庫本に代えていたし(但しこっちは新刊本だった)、 また、新任の理科教師の如きは我が家の近所のぼろアパートに住み毎日ひたすらかけそばを食いあさり、「カケソバン」なるあだ名を奉じられていた。
斯様に貧乏な生活をしていると、そういう態勢が体にできてしまい、余裕のできた今でもなかなか豪華な昼食を取ることができない。大学ではかけそばこそなくなった物の、最低額のメニューである「たぬき」 「きつね」「山菜」そばの愛食者としてお世話になっている。勿論放課後は古本屋である。
僕は現在教職課程を取っているのだが、もしうっかり教師にでも なってしまおうものなら、栄えある二代目カケソバンの名を、恭しく悪ガキどもから奉じられることになるだろう。そしてその頃もまだ、古本屋あさりをしてればイイナと思う。
付記;不景気のせいか、大学の学食でもかけそばが出た。230円。
今は奨学金給付生なので40円多く払って具をつけます。 ▲
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月見そば |
月を見るたび思い出せ!
月見そば? 一度も食べたことないものをエッセイに書くあたりいい度胸をしてるな、僕も(オマケにゲームのセリフをぱくるあたりも)。
どうしても解らないのは、一般のそば屋とりわけ学食を例に取るとわかりやすいのだが「月見そば」と「かけそば+卵」の値段のべらぼうな差である。
高校の学食で言えば月見そばが320円、かけそばが200円で卵が30円の230円だった(何故高校の学食の値段を今も覚えているかとかそういうことを訊いてはいけない)。「かけそば+卵」でもちゃんとおばちゃんが割って落としてくれるので物としては変わらない。
まったく同じものが出てくるのに何故に90円も差が出るか、この不条理にただでさえ悩みがちな思春期の僕は悩み、さらにこの事実を前にしてもなお、月見の白い食券を買い求める輩が多々いることに大きなショックを受けた。
ある日、僕は部長の権勢を嵩にかけ、文芸部の後輩どもに訊いてみた。
愚問に対して愚答が返ってくるのは道理で、覚えている解答は次のようなものだった。
1.両者の内容物の唯一の差、つまり月見に入っている薄い「なると」 の代金である。
2.白い食券はデザインもよく制作費が他の食券より高い。
3.皆が気がつかないだけで高級なメンとツユを使っている
この3の意見を下にして僕は卒業間際に馬鹿小説を書いて顰蹙を買うのだが、ともあれこの価格の差は今以て謎である。
学食のおばさんに訊けばよかったのだろうが、なんせ聞いた途端、あの日頃は温厚そうなおばちゃんがいきなり豹変して「オマエハシリスギタ」とか言って殺されそうな気がしたので訊けなかった、といえば嘘になる。
まあ、そういうことはいわぬが花である、どっちにしろ僕は食べないしね。 ▲
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山菜そば |
山菜そばの思ひ出
山菜そばに関してはなかなか思い入れがある。
かけそばでは虚しい、さりとてタヌキや天ソバのような脂っこいものも食べたくはないし、キツネはちょっと寂しい(すぐ食べちゃうからね)ものがあるとき、指が止まるのは山菜そばである。
このように消去法で行っても到達するのではあるが、逆に言っても可である。僕は山菜そばが大好物なのである。
何故かと問われても好物の問題だけに返事に窮するが、一つには日光を旅行した際に食べた山菜そばの美味しさが色好く影響しているだろう。今もあるのか知らないが、グルメとは縁遠い僕が薦められる数少ない店である。
但し、店の名前など知らない。場所も詳細には知らない。
ただ華厳の滝に一番近い随分汚い江戸時代の長屋のような店、といえば一発で解るだろう。まあ十年以上たった今でも変わらなければという甚だ心もとない前提だが。
値段は確か560円だと思ったが確証はない。やや高い気もするがそれだけの価値はあるはずだ。
日光という歴史的な街にある落語に出てきそうなきたないそば屋。格落ちの痩せた土地でとれた蕎麦の実、そして山に籠もって採った山菜。このように昔に思いを馳せるにはピッタリの場所である。耳をそばだてると聞こえる滝の音がこれまた情緒をかき立てる。
岩頭の吟なんて言葉は当時は知らなかったが、藤村操なんかも ここで食べたのかと今になって思い返しても楽しい(少なくとも当時にあってもおかしくないくらいの寂れようではあった)。
我が家の女どもは芋アイスなどという邪道に走り、僕と親父はきたない店で黙々と蕎麦をすする。
一杯のかけそばに涙する奴もいれば、一杯の山菜そばにロマンを感じ、以後初めてのそば屋では必ず山菜そばを頼む奴もいる。少年期の体験とは時にある種の刻印を押しつけることもあるのだ。 ▲
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天ぷらそば |
一杯の天そば
馴染みの蕎麦屋がある。
僕がいつもよく使う割と大きなジャンクションの駅前にある。
と、こう書くといかにも大した店のような感じがするが、なんのなんの駅そばと殆ど変わらない店である。コンクリート打ちっ放しの暗くて殺風景な店、3人も入れば一杯の狭い店舗。老夫婦と僕と同世代の息子と思しきものでやっている。
当然立ち食いの店内には脂で汚れたお品書がある。
だがシステムは単純で「かけそばorうどん」なら200円。これに天ぷらを50〜100円で買うだけの話である。天ぷらは奥(といってもカウンターの奥と言う意味であって、客の立ち位置からは丸見えである)で息子が業務用の天ぷら鍋(解りやすく言うと家庭用の流しに油を敷き詰め熱したような感じ)であげているのだが、その種類が店舗に相応しくないほど豊富である。
普通のそば屋なら天ぷらとくれば掻揚一個で終わりだが、ここはそれ以外にもサツマイモやカボチャやニンジンやタマネギやイカやタコやキスや、ちょっとメモし損ねたが十数個は余裕である。これを出来ることなら複数トッピングしてくれというのだろう。
この天ぷらが、まさしく家庭の味なのである。
大手の駅そばや学食などでありがちな工場製っぽい固定化した味ではなく、母親が作ったあの味、あの歯ごたえである。家族の味とはこういうものかとも思って、ちょっと感動した。
僕の大好きな家族のそば屋。
一杯300円の天ぷら(イカ天)そばにも、確かに感動はある。 ▲
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きつねうどん |
赤いのはどっち?
別にこの項できつねうどんについて云々しようとは思わない。
ただ昔、塾に通っていた少年時代、毎日のように食べていた「赤いきつね」の「お揚げ」の食べ方として、舌と上顎で挟んでツユをしみ出させ、しなびたお揚げをツユの中に戻す。そういう汚いことを散々した挙げ句に、最後にツユを飲み干してからお揚げを食べた、という共通体験を持ってる人がいれば僕は嬉しいということを告白しておく。
さて前書きが長いが、きつねうどんといえばどうしても大学の学食であった出来事を思い出す。この項ではそのことについて書こうと思う。
とある寒い日、ポケットに手を突っ込みながら僕は学食に入った。前の講義がやたら早く終わったため、また夕方という時刻からいっても学食はがら空きだった。きつねうどんの食券を買うと僕はトレーを片手に配膳台に食券を出した。
筒井康隆のエッセイに「食べ物屋の従業員は無神経なのが多い」というのがあるが、何故か大学の学食の若手従業員は質の低い我が三流大学のパープー学生よりも程度が低くみえる。これは恐るべき ことである。ともあれその中でも一際愚鈍そうなそのニーチャンは 「きつねうどんはいりまーす」と高らかに宣言をすると、慣れた手つきでうどんを湯掻き、丼に落とすとツユを加えて、天ぷらを入れた。
僕は辺りを見回したが、ソバのコーナーには僕しかいないし、配膳台には僕の「きつねうどん」の食券しかない。器を差し出された僕は彼の間違いを丁寧に伝えた。
すると彼は何を血迷ったか、天カスをぽんと投じた。
僕が驚いたのはその彼の顔に何の悪意も皮肉も感じられなかったことである。全く彼は自分の行動に何の疑いも抱かず「ああーっ! きつねなのに天ぷら入れちまった、そうそうきつねはこっちだよなー」という具合に天カスを入れたのだ。
脂質分の高そうなうどんを出され、僕は再び丁重に抗議した。
さすがに彼は怪訝な顔をして、なんと後ろの方にいた中年のコックにお伺いを立てにいったのだ。コックは慌ててやってきて、僕に詫びを入れるとお揚げを慣れた手つきで丼に放り込み、一礼して出した。
新しく作り直さなかったあたり、流石である。
とはいっても天ぷら+天カス+お揚げというヘビィなうどんは完食はできなかった。器の返却口で退屈そうにしていたおばさんは僕の器の残飯にさすがに怪訝な顔をしていた。
普通ならあるはずのない三種の具が浮いているのだからね。
ところで問題なのはあのニーチャンは本当にきつねうどんを知らなかったのだろうか。学食のコックをやる以前にそんなことは常識だとばかり思っていたし、まさか食べたことがないとも思わないのだが。
あれから毎日学食には行っているが、これも驚いたことにあの愚鈍なニーチャンは以後見たことがない。
僕にとってまったく「きつね」につままれたような体験であった。 ▲
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カレーうどん |
カレーうどんって何だ!?
突然ですが、質問です。
Q あなたのイメージするカレーうどんを答えよ
1.うどんのツユをカレーに代えてある料理
2.普通のうどんの上にカレーをかけた料理
もしあなたが僕と同じ常識を持っているとすれば解答は1である。僕の人生経験からすれば「1」の方が多いはずだし、そう信じたいところである。ところが、また「2」であると信じている人も少なからずいるし、事実そういう風に作って客に食わせている店もあるのである。
「1」派のあなた、信じられないでしょう?
僕は学食でメニューにこそはあったが、とても食べてみる気のない 「カレーそば」を食べている人間を見たとき、「なんという気色の悪いものを食べてるのか、こいつは悪魔の使いに違いない」と深く感銘を受けたものだが、2型のカレーの存在を某都内の駅そばスタンドで目の当たりにしたときは「うッ」と胃液が逆流するのを感じた。さすがにその時食べていた270円のかけそばは吐かなかったがね。
高校時代、2型のカレーの存在は友人の間の比較的ゲテモノ的な話題で、冗談として通じていた。ところが大学に行くと大真面目に語る奴がいるのである。関西とか地方の出身なら助かるのだが、これが僕の近辺からの人間というから頭が痛い。
調べてみると比較的大きい店舗型の駅前ソバに2型のカレーうどんは散見するようだ。カレーを扱うくらいの大きさとなるとやはりホームの面積では狭すぎるだろう。やはりソバに比べてカレーの値が馬鹿に高いところを見ると原価を浮かせる為にやってるのかな、と推理するのですが、どうでしょう。
僕は一時期カレー狂だった時代があり、当然その時はカレーうどんばかり食べていたのだが、その間一度もこの2型カレーうどんに当たらなかったのは至極幸運だろうと思っている。 ▲
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牛丼 |
理想の相手は百円引き?
広告の魔力を痛感したのはこの牛丼が初めてである。
まず僕は幼少の頃、食卓で父に「ああ、牛さん食べられちゃった、痛そうだね。可哀想」などとほざかれて以来、長く肉が食えなかった。今では大分社会復帰してはいるが、中学の時はハムの一枚も食えずそれに関しては屈辱的な思い出もあるといえばある。
中学でそれだから遡る小学校の頃は殆ど偏執的に肉を排除した。
そんな僕が突然母に「牛丼食べにつれてって」と胸の内を告白したとすれば周囲の驚きはいかばかりなものであろうか。母は耳を疑い、僕の決心を試すかのように何度も意思の確認をしていた。
僕が何故そんな酔狂なことを言い出したかと言えばこれは最初に述べた通り、告白の3日前に家に届けられた広告の魔力である。
吉野屋のクーポン券付き広告。不景気な世の中になって以来、 すっかり見ないが、当時はそんなものがよく来ていたのだ。その広告の中央にデンと置かれた写真。そのうまそうな写真に、肉は不味く罪深いと思っていた精神は吹き飛んでしまったのだ。
これは理屈では説明できない話である。それ以前には食べたことのない料理が、しかも食えないと言う先入観があるのに、何故写真一枚で半狂乱になるほど食べたがるのか。勿論主要因は写真の妙であるが、それを補ったのはキン肉マンにおける牛丼の描写であろう。或いは牛丼スナック30円の影響やもしれぬ。
とにかく僕はその胸の内を明かすまで3日間何をしていたか。机の引き出しにそのチラシを挟み、悶々と眺めていたのだ。「このタマネギが甘そうだな」とか「お新香が80円かあ、100円クーポン使えば20円有利」とか「器の牛のマークが気にいらん、食べるときは隠そう」とか考えたのである。
殆ど変態の境地である。
かくて次の日曜に、家族そろって「牛丼を食べに行く」というさもしい目的のドライブが始まった。僕は緊張し、興奮していた。馬鹿である。
大盛りをオーダー、すぐ来たのには驚いた。
何度も空想の中で食したように唐辛子とショウガを乗せる。
おもむろに箸をタマネギを摘む。甘い。
おもむろに箸を牛肉に伸ばす。食えない。
そう、食えなかったのだ。結局僕は猛烈な罪悪感に負け、母の白い目の下に肉を母の丼に移し、屈辱感に負けながらツユの染みたご飯を食べた。癪に障ることにこれがまた非常においしかったのだ。
帰りの車内、からかう家族に「ツユの染みたご飯はうまかった」と僕はきっぱりと言った。泣きそうになったのは、からかわれたからというより三日間も煩悶した恋人に裏切られたからの方が大であろう。
僕の肉嫌いを克服するにはまだまだ日時が必要だった。
今? 今はもう積極的に牛丼屋に通っている。
松屋の290円? 非常に助かったりもしている。恋人は最後に振り返ってくれるようだ。一般人には信じられないことらしいが、僕はカノジョ(これは比喩ではなく本物の人間)をデートの時にで牛丼屋に つれていったことがある。
勿論その時は、懐かしのツユタクで、大盛りを。
(ツユの染みたご飯はうまかったァ)。 ▲
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鰻重 |
お見合いの恐ろしくなる光景
食に関しては結構クールだ。
そりゃ我が家だって、日本の誇る中産階級の一員であるからして、フランス料理のフルコース一人二万円也を食べたからといって残りの一月を麦と水で凌がねばならない」なんてことには絶対にならない。庶民には高嶺の花の松茸が一本三万円だって買って買えないことはない。
ただ、他の家がそうであるように、そんな馬鹿げたことをしようとは思わないだけだ。
ある種健全な思想であると言っていいだろう。
僕はとりあえずマザコンではないつもりだが、母や他の家族の料理(我が家で料理をしないのは僕だけである)にも満足している。注釈すると別に我が家に料理関係の職や資格を持っている者はいないが。
ともあれそんな僕だから、今まで二番目に高い食事は解ってる限りで成人式のときの同窓会6500円。次に高校3年のテーブルマナー 5000円。大学の年末総会4500円。
こんな感じである。
で、1位は何かというと1万円の鰻重である。家族は1円も出していない。すべては母親の強運のなせる技でゲットした某高級ホテルの割烹御食事券だ。
中産階級たる我が家族は喜び勇んでホテルに乗り込んだ。するとなんか政治家や悪党が密談をしそうな豪勢な八畳間に通された。客は当たり前ながらうちらだけ。真っ青な畳や豪華絢爛なる襖、入口のところに鎮座ましますはキリッと和服を着こなした妙齢の仲居さん。
注文をするのだが、これがやたらと待つ。張りつめた雰囲気に馬鹿話をするわけにもいかず、仲居さんの気高い雰囲気になんか怒られてるような気さえする。40分くらいで料理が出そろい、食べ始めたのだが何せ仲居さんともう一人の女中さんに見守られながらの食事は非常に重々しいものだった。
ただし確かに鰻重はおいしいものだったが、僕は気分が重く何故だが小学校三年生の頃の食事中に一言でも発すると怒り出す担任の給食を思い出していた。
食後、僕はホテルを出て、盛大にゲップをした。
母親をはじめ、誰も何も言わなかった。
テレビではないが、目隠しをして食べ比べて差が確実に解る人と いうのは、そうはいないと思う。そう考えると、周囲の自称グルメも、案外僕を馬鹿にできないと思うんだけどねえ。 ▲
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江戸前寿司 |
「タマゴ」「イカ」「タコ」
いやーマイライン導入による電話会社の熾烈な競争、いいですね。各社懸命にCM合戦をしていること。どれも面白いCMを打っているけれども、その中で僕が好きなのはNTTの寿司屋編だね。あの上司と部下がカウンターに並んでいる奴。
このCM、僕は出だしの上司の一言で爆笑した。こういうものです。
「なんでも好きなもの食べていいよ、俺タマゴ」
CMはその後部下が「トロ」とか「ウニ」とか高いネタを指名する度に部長の顔がひきつり、部下がメニューに迷うという話になります。オチは「迷わずNTT」というもの。
ここで僕が受けたのはこの「タマゴ」の一言ね。
僕も実はそうなんです。寿司で好きなのは「タマゴ」「イカ」「タコ」 「アナゴ」等の安物です。間違っても「トロ」や「イクラ」や「ウニ」などは食べません。というか肉恐怖症の後遺症で食べられません。
これは貧乏と云うより、味覚がグローバルスタンダード(?)なので「生魚なんて食えない」という理由によります。だから当然刺身も食べられませんが、それは別の話です。
寿司の赤ネタ、特にトロなんてそうなんだけど、あの真っ赤な生魚を食えるその度胸は凄まじいモノがあると思いますね。だって、これが人間ならどこかの肉をえぐり取って、血抜きしてぽんと出されるようなもんでしょ? そういう連想働かせる僕ってやっぱ変かなあ?
ともあれ困るのは将来参加するであろう宴会という奴でね。高い 参加費払ってメインディッシュである山盛りの刺身が食えないなんて勿体ないよなあ。回転寿司に行くときは助かるこの貧乏性もワリカンになると弱くなってしまう。
友人の寿司屋の大将候補生に稽古つけて貰おうかな? ▲
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刺身 |
ナマはダメ
再三再四語るが、僕は子供の頃から肉やら魚が全然ダメで、その後遺症で今でも食べられない肉料理は多い。心が優しいのか、神経過敏な馬鹿なのか、ともあれ肉が食べられない理由は子供の頃から一貫として「動物がかわいそうだから」というもの。
勿論、今では大分リハビリが進んで食えるものも多くなったが、それは肉を敢えて肉として見ず、「何かわからぬ工業製品」としてみているからで、故に工場を通した肉(ハンバーグ、牛丼、チャーシュー、ベーコンなど)や漠然とした名前の肉(カルビや焼鳥)は食べられるが、部位の名がモロに出るような肉は今でも一切食べられない(レバーとか タンなど)。
さて、そういうわけであるからして、魚をとってきて切ってそのまま出すような刺身はとても食べられない。特に皿の下に血の残るような赤身などは一切ダメである。
トロなんて刺身の王様であるように感じるが、僕には魚の肉塊にかぶりつくようにしか見えず、筋繊維や毛細血管を生のまま自分の歯で破砕すると考えるだけで吐き気がする。異常者のように感じるかも知れないが、生魚系は一切ダメである。
では刺身の何が食べられるかというと、タコやイカはナマであるにもかかわらず抵抗なく食べられる。血が出ないし生物っぽくなく工業製品のように感じるからだろう。歯ざわりも悪くないし生臭くもない。
貝は見た目が気持ちが悪いし、海老などは何故か昔から海老の顔が怖いと思うので(呪われそうじゃない)、結局のところ今現在、僕が食べられる刺身はタコ・イカ、そしてツマミの大根の薄切りである。
安っぽくて変なものが好きなのが僕の特徴である。
このまま下手したら社会人、宴会なんかじゃ刺身とかが遠慮なく出てくるんでしょう? 酒も飲めないし刺身も食えない。割り勘であることも考えると極めて馬鹿馬鹿しくなってくる。 ▲
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すきやき |
ファイアーストーム
すきやきに関しては熱い思い出がある。
あれは高校の修学旅行のことだから確か11月初頭のことだったと思う。いくら南国九州にいるとはいえ、寒くなる季節である。幸いその日は暑かったが、僕らはちゃんと詰め襟のホックをしめ、学校の名誉を九州人に見せつけた。
その最終日福岡最後の昼食、僕らのクラスのバスはドライブインに乗り付けた。学年総勢400人の胃を満たす食い物がそこに用意されているのだ。
僕らはバスを降りると、土産物屋の間を縫って、食堂へ向かった。
そのドライブインはどうも安っぽい、鉄筋を支柱に鉄板を巻いたようなプレハブみたいなところで、もろに西日のはいるところだった。修学旅行生などに飯を食わせるぐらいだから、その机も大衆食堂でさえお目にかかれないような会議机に毛の生えたようなモノだった。
さて、メニューはよく覚えていないのだが、「すきやき」があったのは鮮明に覚えている。これがその後のアウシュビッツ的地獄絵図を起こすからだ。
この「すきやき」というのは居酒屋にある奴と同じである。一人一鉢肉と野菜がタレに浸された皿が三脚のようなモノの上に置いてあり、その下に固形燃料が備え付けられている。
食事時になると従業員が燃料に点火して回り、アツアツのまま食べさせる、という趣向である。
さて地獄とは他でもない外壁である鉄板によって密閉された部屋。しかも閉じられた窓からは西日がさんさんと射してくる。
そんな狭いところに制服を着た人が400人も集まり、そこに400本の固形燃料に一斉に火をつけたとしたら・・・どうなる?
いや、ひどい食事だったよ。
すきやきは割と食べられる料理なのだが、このときのように滝の汗をかきながら死の予感にとりつかれ、飯を食べた事なんてことは以後はない。まさしく餓鬼道地獄絵図、という感じだった。
なんとか食べ終え、当時まだ九州限定発売だった乳飲料「愛のスコール」を一気のみしたとき、僕は確かに「愛」を感じた。 ▲
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味噌汁 |
エリートの彼が作った味噌汁は黄土色
味噌汁に関しては色々思い出もある。
一日のみ忘れたばかりに死んだ大男の昔話を読んで怯え、毎食2杯づつも飲んだこと。農家の友人宅で自家製の野菜の具を御馳走になったら中に米粒より小さな虫がたくさんいたこと。十袋百円の味噌汁の素が大好きで夜中によく作って飲んでいることなどあるが、やはり書きたいのは高校三年の家庭科のことだろう。
高校も三年になるとカリキュラムはすっかり受験を意識したものに変わっていた。国立コースの人間はそれこそ毎日勉強だったが、私立コースは比較的科目が少ない分、週に二時間の非勉強な選択の時間が与えられていた。
僕が家庭科を選んだ理由は簡単で食費が浮き、とりあえずは他の科目よりはソツなくでき、楽だし、なによりおいしいものが食べられるからだった。
他の連中もそんな感じの理由で参加しており、偶然にも僕の班は 全員近しい気のいい連中ばかりだった。勉強だらけの日課の中で、きわめて有効な息抜きの場であった。
そんなメンバーの中で一人、とにかく優秀なメンバーがいた。
彼は「当時の」僕の相棒格で部活も一緒の仲のいい奴だった。まあ言ってしまえば万能人という奴で運動こそやや劣ったようだが、それ以外、殊に勉強関係では学校でもトップクラスだった。同学年では彼ほど高い大学に行った奴を僕は知らない。なんせ私立理系コースにいながら私立文系コースの僕より文系科目ができるんだから。
家柄、頭脳、性格に人脈、すべてにおいて優れた奴だった。
おそらく相棒でなければ蹴りの一つでもくれたくなるような奴だが、蹴ったことはない。僕自身、彼の魅力に内包されているのだ。
なんでそんな奴が僕と仲がよかったのかは知らない。未だに謎だ。
それで、その万能人の彼がやらかした僕の知るたぶん唯一のミスがこの味噌汁である。溶き卵の味噌汁、卵は味噌汁が沸騰してからさっと入れるのだが彼はこれを逆にやってしまったのだ。冷えた味噌汁に卵を入れてしまった。
するとどうなるか、コーンスープの色のとろとろな味噌汁ができるのである。沸騰してももう戻らない。黄土色のやたらとぬめる不可思議なスープ。
ああ、結局彼のため僕は飲んださ。まるでインドの王族に恥を掻かせぬため、貴族がフィンガーボールの水を飲んだように! かつて僕のミスった料理もみんな食べたわけだ。勝手はいえまい。
しかしあれはなんとも形容しがたい味であった。好物に属する味噌汁がつらかったのはコレと、前述の虫入り味噌汁くらいのものだ。
彼は誰もがそう思ったように名前を聞けば誰でも知ってる某超大物の国立大学に入った。まあ、おそらくは順当に一流の研究所なり企業に入るのだろう。無謬を誇る彼に周囲の人々は驚くに違いない。その時きっと彼は笑って黄色い味噌汁の話をするだろう。
たぶん、あの家庭科の時間見せた微苦笑を浮かべて、きっと。 ▲
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