洋食エッセイ
カレーライス |
カレー中毒者更正記
アルコールにも麻薬にも中毒になったことはないが、カレー中毒だったことはある。まだ小学生だったときの話だ。今だってカレーは好物の一つだし「甘口は邪道」という戒律も守っているが、当時ほど偏執的に追い求めることはしなくなった。
なにしろパンと来ればカレー、うどんと来ればカレーうどん、食堂に入ればそこが蕎麦屋だろうとラーメン屋だろうとメニューに載っている限りはそれを取り寄せさせる始末。駄菓子だってカップヌードルだって当然カレー味である。
さて、そういうカレーだけ食べてれば幸せだった僕。
それが高じてなにかの慶事で家族がちょっと高価な食事をしているときでさえもレトルトのカレーを喜々としてほおばっている僕を見て、流石に母も不憫に思ったのだろう。ある時知る人ぞ知るカレーの名店に連れていってくれたことがあった。
その名店は(後に知ることになるが)風俗街近くにある、屋台に毛の生えた程度の店で、客層はおそらく地理的に言っても風俗関係者であろうが東南アジア系のやたら派手な女性が多かった。
僕はその時、「本場インドの人も集まるとは随分すごい店なんだな」と一種聖地に辿り着いた巡礼者のように涙ぐむほど感動した。熱暑の日に行ったのだが、ドアというドアを開けっ放しにして、細い路地にもテーブルを出し、天井にフライファンがあったのが印象的だった。
どきどきしながら注文の品を待つ。来た、家や給食で見る焦茶色ではなく黄色に近い色である。「やっぱ本場は違うのう」などと思いつつ豪快に一口食べる。
ん? と思った。この「ん?」は料理番組のリポーターのやるそれと基本的に同意である。但し、この後が違う。はっきり言ってこのカレーはどうしようもないほどまずかったのだ。僕は大変吃驚した。何故ってここのカレーはおいしくなければならないからだ。
自分の舌を騙し騙しスプーンを運んだ。
結論、まずい。
母の皿を見ると、好き嫌いを一切許さずまた忠実にそれを履行してきた母が半分を残して皿を睨んでいる。僕は「ここは本場のカレーでだから日本人の僕らにはあわないんだ」と結論づけ、食券制なことをいいことに逃げるように店を出た。
そんなことがあって以来、当然の如くカレー熱は冷め、ただ「本場だからといってうまいとは限らない」という観念だけを残し、「本場の味」という手垢の付いたフレーズに徹底的な懐疑と嫌悪を抱かせた。 ▲
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ハヤシライス |
食わず嫌いの突破口 カレーは大好物な筈なのに、ハヤシライスはどうした訳か食べることがなかった。初めて食べたのは大学に入ってからである。
どうした訳か、我が家ではハヤシライスが食卓に供されたことは一度もなかった。元々格式ばった高級料理などてんで縁ない家ではあったが、ハヤシライスという廉価で食せる大衆食品が何故に斯くまで冷遇されたかは一考の余地がある。
まず、一番大きいのはカレーというあまりにも偉大な親類が巨大なマーケットを誇っていたことだろう。レストランなど外食は勿論、スーパーでもカレーコーナーは威風堂々と一棚占めており、ハヤシライスはその亜流という感じである。
また「明治の洋食屋」という妙に舶来ぶった古臭くて高慢ちきなイメージもよくない。ガス灯の下で老夫婦の経営する小さな洋食屋、そういうイメージは嫌いではないが、我が家には向かない。
続いてなんとなくカレーの代用品的な趣がある点や「ハヤシ」という言葉が鬱蒼とした密林を想起させ、おいしそうには感じない所、また中産階級の特徴であるが、カレーのような食品は2日ほどまとめて作るので、まずかったリスクが大きいという点もある。
そういう訳でイマイチハヤシライスに対しては後ろめたい気分に襲われ、我が家はどことなく避けていた。一家揃った食わず嫌いのようなものである。
ところが普通の食わず嫌いがそうであるように、一度端緒が切られれば、あとは案外食えるものである。
その口火は偏食著しい僕の冒険心により落とされた。
百円均一のショップに行ったおり、話のタネにでもとレトルトのハヤシライスを買ったのだ。自宅で温めるとごく少量の飯にかける。僕はここではじめてハヤシがケチャップとソースを基調に使った物であることを知る。
そして、これが実においしかったのだね。
と、その日は休日だったのだが、親父がやってきて略奪する。父が「おお、随分うまいカレーだな。新製品か?」といったことからも我が家の程度が知れる。
しかしこれを口火にハヤシ文明は当時食傷気味だったカレー文明を駆逐し始めた。もうこの反動は凄かったね。半年くらいカレーが姿を消したから。
今ではその反動の暴走は物凄く、ハヤシライスすら飛び越えて、ハッシュドビーフを飯にかけてる有様です。 ▲
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涙という名の隠し味
泣いた後のゴハンはうまい! そう思う。
親や教師に叱られて、喧嘩に負けて、好きな番組が終了して、泣く要因がたくさんあった当時、この経験はよくした。アニメの主題歌で「泣いたあとのゴハンはとてもおいしくない」てな歌詞があり、大いに激昂した覚えがある。
それを痛感したのは幼少の頃に母の教習所について行った時だ。
いつもは隣家の友人宅に預けられていたのだが、その日は一家で留守なのか一緒に教習所に連れて行かれた。一冊のキンダーブックを渡されて待っていろとは云われたが、そんな長時間も子供が待っていられるわけはない。
なんとテケテケとコースの方へ歩いていったのだ。
当然のように教習員にとっつかまって怒られる。発見されなければ今ごろ土の下である。たっぷりお灸を据えられた後、女の事務員に 引き渡されたが、僕はやはり子供らしくぴーぴー泣き喚くわけだ。
やがて母が講習を終えてやってくる。
これで教習員が母に怒鳴りついたら哀れな僕はPTSD起こすぐらいぶっ飛ばされるのだが、事務員は丁寧に諭してくれたのだろう。母は僕に詫びると教習所付属の食堂に連れていき、ピラフを食べさせてくれた。
そのおいしいこと! 泣き疲れて横隔膜がぜいぜい云っているときに食べたあの味! 悲しみも忘れ、母に「泣いたカラスがもう笑った」と冷やかされながらも必死で食べた。こんなおいしい食べ物がこの世にあるかと思いながら、ある種の食欲以外の快感を感じながら食べ続けた。
「ピラフ」という食事はその後カレーライスよりおいしい唯一の料理として記憶に残っていた。当時は冷凍食品もあまりなかったし、外食にも行かない家だと食べる機会もなかったのだ。その幻想が拡大していってイメージは膨らんでいったのだろう。
その後何度かピラフを食べることがあったがどれも「これは違うぞ」と思っていた。
結局、僕のピラフの幻想は、ログハウスのような薄暗い食堂で鼻をすすりながら食べたあの一皿につきている。今では冷凍食品としてお世話になっているピラフを食べながら「うん、これは本物じゃない」と太古の美化された思い出に浸りつつ、スプーンを運んでいる。 ▲
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スパゲティー |
無国籍料理の誕生
僕の大学には3つ学食がある。
その中に「P」というスパゲティーハウスがあるのだが、これがまた信じがたいほどまずい…らしい。味覚貧民の僕にはよくわからない。ともあれその不味さは決して好き嫌いを云わず、雑食民と思っていた母が、大学見学の折、昼食にここのスパゲティーを食って「あんたもお昼大変ねえ、弁当にすれば?」とのたまったくらいの不味さである。
メニューは軽食やジュースを除くと通常のスパゲティー(ミート・ホワイト・カレー)とスープスパゲティーに分かれる。
通常の方はプラスチックの容器に、きちんと麺の重さを図った上でソースをよそってくれる。そしてそれを「箸」で食べるのである。日本 広しといえどもスパゲティーを箸で食べることを前提にする料理屋などあるものか。
それも、不味くて(ソースが少ない)高くて(通常270円だが、普通は大盛りを頼む)超高カロリー(並で800を超える)。女子で食っている奴など見ると驚く。
しかし悲惨なのはスープスパのほうで、なんと発泡スチロールの丼に入っているのである。どんぶりに入ったスパゲティーというのもこれまた珍しい。これははじめてみた人は必ずラーメンだと思う。僕もそう思っていたし、某氏などは最近までそう思っていたという。普通は丼に箸で小麦麺を啜っていたらそう思うだろう。タチの悪いことはコンソメ味なので実際、カップヌードルの赤と味も似ているらしい。
そういうわけで僕はここの料理は和食なのか洋食なのか中華なのか全く解らない。かねがね疑問に思っていたのだが、バンドをやっている友人がある日、天啓を授けてくれた。
彼はサークルの集会所が「P」の隣にあるくせに入学以来1度しか行ったことがないという繊細な味覚の持ち主である。彼曰く「山田ァ、あれは「P」というジャンルの料理なんだよォ」といってくれた。
どんぶりからラーメン状のスパゲティーを箸ですする。
これこそが料理の混血、または奇形。
「P」万歳、国際化社会に栄光あれ! ▲
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ハンバーグ雑記
生まれてから肉の食えない時代が長く続いていたが、ハンバーグは何故か随分前から食べられた。と、いうのはこの肉嫌いが「動物を 殺して食べている」という原罪意識に立脚しているからであり、ハンバーグは肉と云うより「一個の工業製品」と割り切って食べていたからだと思う。
ステーキや焼き肉なんかとは全然歯触りが違うでしょ? また「赤」から遠い色をしていたのもよかったのだろう。これにはミミちゃん印のマルシンハンバーグが大きく貢献した。
よってハンバーグは好物として永らく君臨していた。ファミレスでは最低額の料理がこれであることも手伝って、大学進学以降、仲間と ファミレスに入るときは大抵ハンバーグに類する物を注文している。どこにでもあるし、食い散らかす心配も少ないからだ。
このハンバーグ、しかし随分全体的に値が下がった物だ。僕の行くところでは500円出せば食べられる。格安と歌われた牛丼級だ。 場所によってはライスやスープがついてこの値段だったりする。
そうそう僕のハンバーグ好きの理由として補足することがある。
雑巾並と称されしこの舌の故かも知れないが、つけあわせがとてもおいしいのだ。連れが残すことがあるが、頂戴願うくらい好きだ。具体的にはいんげんとニンジンのグラッセにポテトがついているが、これが下手するとハンバーグ本体よりも好きだ。
そんなに原価もかからないし、つけあわせ食べ放題の店なんてないのだろうか? ▲
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ハンバーガーに熱狂した頃
ここで断るが、この欄の話はマックに限定している。最近でこそ人並みだが、赤貧時代が長く、自腹では一食に300円を越せなかった時期が長いのだ。
信じられないことだが、僕が生まれて初めてハンバーガーを食べたのは小学校五年生のことだった。勿論僕の生まれた街にも一応は マクドナルドはあった。当時は2店舗しかなかったが今では知ってる限りで8店舗ある。
食べたことのない理由は簡単で恐ろしい食べ物という意識があったからだ。最近はあまり見なくなったが、あのピエロみたいなドナルドを筆頭とするマクドナルド一味は販売促進に役立っているとは僕には とても思えない。あの血飛沫を浴びたようなドナルドや覆面に囚人服姿のハンバグラーや、極彩色の不気味な空飛ぶ生物など、どれをとっても悪魔の使いとしか思えなかった。
特にドナルド! ありゃ夢に出てくるほど恐ろしかった。CMで彼が指から光を出すとハンバーガーが出てきて子供と一緒に食べるというのがあったが、僕はその子供の剛胆さに敬意を表したものだ。
ミミズ肉やネズミの肉だというフォークロアもマトモに信じていた頃であり、恐ろしい食べ物だという意識は強く残っていた(これは噂の変形版だがチキンナゲットの皮はミミズから成分を抽出しているというのもあって、これを伝えたのは当時の担任だった!)。
僕がその年になるまで食べたことがなかったのは、他に体に悪いという話から母が買わなかったことやそもそも食べる必然性がなかったこと、経済的な理由(当時は高かった。39セットなどが出始めた頃である)、店舗が近所になかったことがあるがある。
すでにハンバーグは食べられたから(ナゲットはだめだったが)食べられるであろうことはわかっていた。
小学校の給食の話題で何気ないことからカミングアウトして、実は未食者がクラスで僕だけであることを知り、大いに狼狽した。流行に乗ることは当に放棄していたが常識に振り落とされるのは嫌だった。かといって母に頼んで買ってきてもらえる食品とも思えない。
結局、何の手も打てなかったが、幸運は向こうからやってきた。
友達の家で遊んできたら家族がお昼ご飯にもってきてくれたのだ。先方は「簡単でごめんねえ」といってたが、僕に云わせれば食べられない寿司なんかを出されるよりはよっぽどいい。
品目はチーズバーガーだったけど、おいしかったね。そしてその後、食べられなかったのはつらかった。叶えられない夢は見せられない方がいい。一般的に世間では否定されるこのテーゼがどうしても僕は真理に思えてしまう。ハンバーガーの一つで馬鹿馬鹿しいことだが、悩み少なき当時はつらかった。
中学のとき、バリューセットが開始され、手頃に口に入るようになっていた。そしてハンバーガーは仲間との外食の象徴になっていた。
後に百円バーガーが期間限定で始まった。これの意味することは大きく、この時期が来る度に百円引きの吉野屋の如く、暇と金があれば食いあさった。コンプレックスを跳ね返すように。
そして大学に入って65円が恒常化。いつしか僕の足はマックから遠のいた。小五の初食のとき鍵っ子だった友達が「慣れちゃえばもう食べたくなくなるよ」と云っていた。僕はあまりに急に食べ過ぎたのだろうか?
アダムとイブの子孫である僕らがリンゴだけでは満足できないのと同様に、僕もハンバーガーではとても満足できない。 ▲
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サンドイッチ |
雪中の貧乏な伯爵達
サンドイッチと云えば語源はサンドウイッチ伯爵なんだよなあ。英語の教科書でそのことが書かれた章でつまづいて、以後全く英語がわからなくなってしまった身としては妙に恨めしい物がある。
ま、それはともかく。
これからするのは大学のクソ真面目集団である我らが「OGAWA'S PARTY」がスキーに云った時の話だ。
スキー場というのは金持ちのアソビ人の馬鹿どもが集う末期資本主義的退廃がモロに出ているところであり(新左翼みたいな物言い)この三点キーワードが当たる大学生という階級が大挙して現れ所である。我々も大学生には違いないが金持ちとアソビ人と云うところが根本的に違う。
そういう金持ちで遊び人な連中は旅行会社が用意したメニューにガンガン追加注文をかけ、カニは出るはすき焼きは出るわ、ビール乱れ飛ぶはの大騒ぎ、対するこっちは量も少なく冷えた飯をぼそぼそ食うのみ。
「この資本家の豚どもめ、労働者階級の恨みを知れ」とストックで刺してやりたくなるぐらいの怒りを感じた。そんあ食事では我々も人間であるからして腹は減る。といって孤立したスキー場、旅館でやたら高くて量の少ない飯を食う気はしない。
と、云うわけで少々歩いて、最寄りのコンビニである「ヤマザキ・デイリーストア」に向かうことにした。
八甲田山的苦難の果てにコンビニに着く。
コンビニは全国統一価格と思っているキミ、それは間違っている。
やはり観光地料金と云うべきかコンビニでさえ高いのである。カップメンを一つ買うのにもそれなりの料金がかかる、ポテチもジュースも然りである。
しかし・・・さすがは山崎製パンの関連会社。
パンの価格は同じだったのである。
ここぞとばかりにパンを買い込む僕。僕は費用の節約のため、少量で高カロリーの「ツナサンドイッチ」二〇〇円也をか毎食食べた。
今でも大学前のデイリーストアで、同価格のそれを 食べるたび、日焼け止めクリームの匂いや、アホ学生の嬌声、食堂での屈辱感、雪の中を踏破したことなどがしみじみと思い出される。 ▲
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ホットドッグ |
映画とホットドッグ
今や懐かしのマイケル・J・フォックス主演の「ハードウエイ」を見ていたらある1シーンで猛烈にホットドッグが食べたくなってきた。
粗筋を詳述することはさけるがこんなシーンのことである。
映画スターが役を作るために本物の刑事とコンビを組みパトロールをしている最中、スラム街のホットドッグスタンドで刑事が昼食を採る貧しそうな老黒人がホットドッグとポテトを包みケチャップやマスタードをふんだんにかけて差し出す。
その値段もまた廉価で刑事がおいしそうに食べるんだ。映画スターは料理を見て一口は食べるものの「こんな体に悪いものが食えるか」と刑事が後ろを向いた好きに投げ捨ててしまう。
「なんと勿体ない」と僕は思った。正直「ラストアクションヒーロー」の如く映画の中に入れるのなら、拾い食いの禁を破って食べたいくらいだ。別に僕はマイケルのファンではないが。
ホットドッグというのは野球などと連想しやすく、またなかなか象徴的なのか映画(これは殆どハリウッド映画なのだが)でも色々と登場する。大抵は今書いたように屋台「ホットドッグスタンド」という奴だ。屋台的なものが割と好きなのだが、ここではバーガーショップがその代用を果たしていると言えるだろう。
しかしなんでマクドナルドはあれをホットドッグと認めないかねえ。 モスバーガーのライスバーガーがどう見てもおにぎりなのと同様で、この業界はなかなか頑固である。
さて、ホットドッグの食べたくなる映画を一つ紹介したから、逆に食べたくなくなる映画も紹介しよう。
「裸のガンを持つ男」(あ、1ね)
こんなことで、と知っている人は呆れると思うが、事実僕はこの映画を見た後は当分ソーセージ系のものが食べられなかった。泉麻人・著「B級ニュース図鑑」を見ると、国内でもそんなニュースが現実に 出てきているしね。 ▲
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フライドポテト |
勝手にジレンマ
ハンバーガー屋のメニューの中で、最も好きなのはフライドポテトである。ジャガイモ派の僕としては必然とも云える回答であろう。
厚切りと薄切りがあるが、当然薄切りである。ジャガイモ好きからは邪道との謗りを受けそうだが、僕は貧乏性なので数が多い方が魅力的に感じるのだ。殆ど朝三暮四的な考え方なのだが、やっぱりおいしいものは長時間つまみたいでしょ?(まあ上記の理由の他に、皮が嫌いというのもあるんだけど)
ところで、バーガーショップのポテトって高いと思わない?
ハンバーガーはもはや狂乱ともいえるほどの値下げ戦争に突入しているけど、ポテトはまったく吃驚するほど下がらない。期間限定でさえもさげない。
これは単品あたりの利益率が主力のはずのバーガーだけでは殆ど見込めず、サイドメニューであるポテトとジュースによるところが大であるという理由によるものなんです。そういう訳で店員は執拗にセットメニューを勧めるわけですね。
ただ吝嗇なる僕はやっぱ100円前後のバーガーにセットつけて500円払う気はちょっとしない。バーガーショップのジュースはとても値段とあわない酷さだからねえ。それを混みで考えると不当にポテトの金額が内心跳ね上がっちゃうんだよね。
そう考えると単品でもいいんだけど、でも単品でポテトっていうのもなんだかねという感じがして、結局勝手にジレンマに陥って、ポテトを食べないんですね。100円バーガーだけでいいやって。
今、ポテトを頼むのは仲間と騒ぐときくらい?見栄もあるから単品はきついからね。
ところで今は昔の嘉門達夫の名曲、「ハンバーガーショップ」を聞いて思い出したのは、昔は「御一緒にポテトも如何でしょうか?」と云ってたのね。この理由は前述の通りだけど、今はどういう訳かもう聞かないね。
スマイル! ▲
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あるピザ屋での挫折体験
高校期の後輩が大学に遊びに来てくれというのでわざわざ巣鴨まで出張ることにした。
彼の用事につきあって、繁華街をぶらつき昼食の段になったとき、彼が「**にでも行きますか、ピザ食べ放題の」と言った。別に店名を隠す必要もないのだが伏せ字にしておく。解る人は解るから。
僕は原則中高生のガキが集まるうるさい飯屋には行かないのだ。この時もそうしたが、**に行かない理由はもう一つある。実はこの系列の店には中学生の頃、修学旅行の自由行動日に行って懲りているのだ。
中学生のくせに変にひねていた僕らは「地方名物って言ったって、高いだけ。地元でも食える」と達観して、地元名物は学校指定の旅館の夕食で済まし、昼は専ら低燃費高カロリーを目指してたのである。そんな僕らにこの**は食べ放題で値段も廉価と渡りに船だった。
さて、確かにここは安かったが、見ると妙にジュースの値段が高い。ピザ代の半分くらいジュースの一杯にかかっている。グループ内で一番頭の良かった奴がピザをひっくり返して曰く「ああこりゃ酷い。香辛料をふんだんに使ってるよ。タバスコの使用を張り紙で推奨し、喉渇かせてジュースを頼ませる気だ」とするどい分析をかました。
確かにピザもパスタも味の濃いものばかりだった。
彼は「外で110円のジュースを飲む」と宣言し、黙々と食べ始めた。僕はその時、限界量の少ない胃弱のくせにケチな特性を活かしてピザを詰め込んでいる最中、この一言は大いに効いた。
面白いもので初めは結構「珍品じゃわい」と喜んで食べていたのだが、後の方は仇とばかりに食べることになる。仲間は段々ジュースの魅力にあがなえず脱落していった。指摘した男はジュースを飲まず、鉄の意志でピザを誰よりも食べ続けた。
僕は元来、ピザのような脂っこいものに耐性がないし限界いっぱいだったのだが、ケチの精神で腹に詰め込んだ。しかしここらへんが堪え性のない僕の弱い点、喉の痛みに耐えかね、とうとうジュースに堕落してしまった。
耐えていた友人は「ふん」と大軽蔑の様子で、僕のメロンソーダを見た。一口欲しいとも云わなかったし、僕も勧める気はなかった。
結局ジュースは飲まず20ピースを食いあげた。外でアクエリアスの500缶を数秒で干し、「お前とは体の構造が違うんだよ」と云った。
この男は現在東大にいる。
次点の男は18ピースでやはりジュースは飲まなかった。
この男は慶応にいる。
僕? 僕は堕落しながら15ピースで青息吐息。
しかもその夜が悲惨だった。トイレは殆ど僕の貸し切りで、あんまりひどい有様なので部屋のトイレではなくフロント脇のトイレにこもってふるえ続けたぐらいだ。
異境の狭い個室に籠もって脂汗を流し続けながら僕は「この腹痛を止めてくれたら一生僕は**には行きません」と誓いを立てた。
別に**は全然悪くない。悪いのは全面的に僕なのにも関わらず、この**にはジュースを頼んでしまった挫折感や腹痛の屈辱感、無理して食べた気持ち悪さ。そして吐瀉物は本当にピザそっくりだ、という感慨が頭から離れないのである。 ▲
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子供の自制心
グラタンを見ると、舌が痛くなってくる。
僕がまだ幼い頃、我が家はまだ電子レンジはなく、オーブン調理が主流だった。一般家庭にしては不必要に大きいオーブンで、僕には 「ヘンゼルとグレーテル」にでてくる魔女のカマドを彷彿とした物だ。
冬になるとよく、母親はこのオーブンを駆使して、耐熱皿にアツアツのグラタンを作ってくれたものだ。
僕はどういう訳か、ホワイトソース&チーズという組み合わせが「女の食べるもの」という誤った先入観を植付け、初めはなかなかスプーンをつけなかった。勿論食べてみれば、これがうまいものであることが解った。
こう云う体験を経て僕はすっかり母の手製のグラタンの虜になり、冬はいつもわくわくしながらグラタンの日を待ち、寒い日などは特にリクエストしたものだった。
ところが、ここで忘れてはいけないのは、グラタンの出来たてはとても暑いということだ。なんせ数百度のオーブンの中に数分鎮座しているのである。皿でさえ手ではつかめない。
ホワイトソースはその粘性から、100度超の温度で煮立っている。これを慌てて口にいれたらどうなるか?
本当はつまみ食いのつもりだったんだけどねえ。
たった少量でも口内は偉いことになる。反射作用で吐き出してももう遅い。口の中は焼け、もうその日の食事は苦痛以外の何者でもならなくなる。大体火傷が治まっても口内炎が後を継ぐため、当分はそういう味気ない食事を強いられるのだ。
そういう苦痛を経ても懲りないのが子供という奴で、随分、この愚行は繰り返しました。最近はレンジで出来る冷凍グラタンも出来ましたが、これなら口を火傷することはないでしょう。
今の子供は幸せ(?)です。 ▲
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二時間遅れのサラダと無銭飲食
本日、僕は大変貴重な経験をしたのでそのことを報告する。
先輩に連れられて行った、最近隆盛を誇るイタリアンレストラン「S」での話である。とある賭けに勝利した僕は彼に奢ってもらえることになったのだ。
彼は「カレー風のピラフ」と「わかめサラダ」を、僕は「カルボナーラ」を頼んだ。Kという名札をつけたそのウエイトレスは復唱することなくスタスタ戻っていった。
しばし経って別のウエイトレスがピラフとスパゲティーが届ける。
と、彼女「御注文は以上でしょうか?」と決めのフレーズをつけた。先輩は怪訝な顔で「サラダがまだなんですけど?」といった。彼女はウエイトレスはみんな持ってる小型のコンピューターの液晶を見ると、「はあ」と正社員なら絶対やらない態度をとった。先輩は寛大なので怒らず「ならいいです」と話を締めた。彼女は二食分の請求書をスタンドに挟んで去った。
「先輩はやさしいですねえ。僕なら店長呼ばせますよ」と言うと、 先輩は「彼女は注文の人と違うからね」とクールに云った。
僕らは20分で食べ終わると2時間ほどジュースバーで粘り、楽しく歓談していた。店は八分混みと言ったところだったが、不思議なことに誰も僕らの空いた食器を片づけようとはしなかった。
入店から二時間もして、帰ろうかと云うときにさっきの料理を持ってきた方の女の子がサラダを持ってやってきた。
「わかめサラダです」
何事もなかったようにそれを置くと追加伝票も持たずにまたスタスタと戻っていった。
僕も先輩も目が点になった。注文通り「わかめサラダ」を持ってきたのだ。一体2時間もして持ってくるものとも思えない。なにがどうなっているのかさっぱりである。
先輩はまあ注文した品だし、食べた。
そしてピラフとスパゲティーのみが書かれた伝票を持って(ジュースバーは申告制)レジにいった。レジでは伝票に従い二品とジュース代しか請求しなかった。
店を出た僕らは「無銭飲食になるん?」「請求しなかったからいいんじゃん」と勝手気ままに論じあった。
これが一体何なのか。僕が思うに店は僕らが二時間も粘っていたのは闇に消えたサラダを待ってのことだと思ったのだろう。一人ウエイトレスに知った顔があったのでウエイトレスの方をよく見ていたのを店側は睨んでいるのだと解釈したのかも知れない。
遅れてきたサラダには御丁寧に二つの皿がついていたのだ。 ▲
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俺は男だ!
女の子ってクレープ好きだよねえ。
その動機がオシャレなイメージによるものか、甘くて量が少ないという嗜好とカロリーの妥当性にあるのか、直接的なところは解らないが僕のような風流の下さぬ愚鈍には解りかねる話である。
僕の嗜好とは即ち「安くて多い」が優先するため、さしあたってクレープのように食品よりも雰囲気を味わうようなものはなるべく御免蒙りたい。まあオシャレを演出する食べ物である以上、あまり安かったり多かったりすると商品の沽券に関わるから、僕とは絶対敵対関係にならざるを得ないのだろうな。
薄い卵焼きに甘いものをドカドカくっつけた食品。
僕には少々理解しかねるのであるが、しかして嫌ってばかりいられないのが、デートのときである。僕は原則デートは全く主体性のないデクノボーなのだが(色々考えるの、面倒くさいじゃん)食事に関しては断固我流を貫く。
廉価が売りのファミレスや薄汚いラーメン屋、運動部系の安飯屋に駅そば牛丼屋と、マトモな女なら逃げ出すセッティングである(山田と付き合う時点でマトモじゃないという請求は棄却)。
そういう暴君な僕でもリクエストは気かにゃァならぬ。
「クレープが食べたいー」ときたら「ダメだ、認めん」とは云わない。僕はポリシーからして絶対に女性には奢らないのだが、逆にいえば要求しなければ御勝手にの世界である。
けれども彼女と一緒にクレープを食べるかといったらダメだね。
恥ずかしくない? あれって。
喫茶店でパフェを嬉々として食べる優男に軽蔑心を感じる僕は
「ケッ俺は男だ。んなもん食えっか」とほのぼのとクレープをはむ彼女の脇で、ガンを四方に飛ばしながらあたりを睥睨している。 ▲
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真冬の高級食材
今でこそ僕は片道3時間という遠距離通学である。
では昔はどうだったかというと、中学高校は同じ場所にあるのだが片道自転車で20分。高学年通った小学校は徒歩20分。低学年に通ったのが…そう、1時間だった。
どうした訳かこの3年間の生活は毎日固定化されてい為、はっきりと覚えている。6時起床で6時40分に出発、バスの便が忘れもしない7時ジャストと10分と15分。その次は40分で、これは遅刻。バスには15分程揺られ、バス停から小学校まで5〜10分。大体総合で1時間かかった。
6時起き、今は堕落しているからなんとでも誤魔化せるのだが、小学生にとっても寒い季節である。僕は病弱だったので流石に半袖半ズボン小学生などではなかったが、人一倍寒がりな性状であり、冬の朝はいつも苦痛だった(低血圧であったが当時は20時に就寝が義務だったのでもっと寝ていたいと思ったことはなかった)。
我が家の朝食は基本的に和食で、当時は毎日朝食をとっていた。とんでもない激痛が起こるので中学以降は全く食べなくなったが、小学校のときは風邪で高熱出した日や下痢した日だって軽いものを食べていたのだ。
ともあれ和食に味噌汁が普通なのだが、たまに母が忙しい朝には菓子パンにコーンスープが出た。コーンスープと云っても3袋で100円のインスタントなのだが、これが僕には御馳走のようにも思えた。
いつも口に出来ないものは僕にとって御馳走なのである。
カップによそられたそれを、僕はコーヒーをかき回す小さい匙ですくいながら飲んだ。云うまでもなく何度も口元に運ぶ必要がありそれだけ多く飲めるような気がしたからである。
そういう訳で絵本の登場人物が飲んでいるような、甘くておいしいスープに僕はハマり、冬は飲める日を楽しみにしたものだった。
そういうイメージは100円くらいすぐに都合つく今でも残っており、冬はインスタントスープを欠かすことが出来ない。まず朝食は食べなくても、冬の早朝のコーンスープは未だに高級食の威厳を保ったまま、朝のすきっ腹に収まっている。 ▲ |
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