憂鬱なプログラマによるオブジェクト指向日記

2003 年 08 月

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男が男に体を売るとき (2003-08-02)

男が男に体を売るとき

同僚と飲みに行く

仕事後、同僚たちと飲みに行った。深夜0時近くまで、約6時間も同じ店で飲み続けた。

一緒に飲んだのは、全員男性で、既婚者と独身が半々。話題は、仕事、女、クルマ、映画、そしてガンダム。 いたって平凡なサラリーマンである。

男が男に体を売れるか

ある同僚が、自分の恥ずかしい過去を赤裸々に語った。若い頃に金に困り、男に体を売ろうとした、と話した。ゲイが集う場所で知られる新宿二丁目に行き、売春(もちろん男性と男性同士)する人が集まる公園にたどりついた。大勢の同性愛者たちがいて、自分を売るために立っている人がたくさんいた。その人たちがあまりに綺麗で美形だったため、同僚は体を売ることができなかった。(私が見たところ、同僚も美形の範疇に入る人間だ。だから売ろうとしたのだが)

彼は同性愛者ではない。あの時体を売らずにすんで良かったのかもしれない。

いくらなら体を売るか?

私は、「いくら金に困ったからといって、男に体を売りたくない」と言った。彼は、「いや、どうしても金に困っていた。今すぐ、その日に現金が必要だった」と語り、「どうしようもなくせっぱつまったら、体を売る」と続けた。

私は同性愛者ではないので、男に体を売りたくない。金に困っていても。でももし、多額の借金を抱えていたら、ひょっとしたら売ってしまうかもしれない。3億で私の体を買う人がいたら、喜んで売る。そんな人がいるわけないけど。

強制異性愛

アメリカのレズビアンの詩人、アドリエンヌ・リッチは、「強制異性愛 compulsiveheterosexuality」という言葉を作った。私たちは、異性を愛するように強制されている。もともと両方とも愛することができるのだが、社会から同性愛に対する抑圧があるため、異性愛が強制される。

同性愛は異常ではない。ただし社会は同性愛を異常と見なす。「異常である」と「異常と見なす」は違う。この見方は重要だと思う。

Yas的日常 体調:不調

頭痛発熱

頭が痛い。熱っぽい。バファリン投与中です。頭痛なのに飲みに行って、さらに悪化。つらい。


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精神安定薬と心臓痛の関係 (2003-08-03)

精神安定薬と心臓痛の関係

心臓が痛い

2,3日に一度、心臓が痛くなる。しめつけられるような痛みだ。痛みは数十秒ぐらい続き、その後おさまる。

生死にかかわる病気かもしれないので、かかりつけの病院で検査を受けることにした。

原因はストレス

検査の結果、原因はストレスだった。ストレスにより、まれに心臓が痙攣を起こすことがあるらしい。

先生「なにかストレスがたまるようなことってありましたか?」
私「うーん・・。ストレスって日常的に感じるものですよね?」
先生「そうですね。ストレスを感じない人間はいませんね」

という意味があるんだかないんだか解らない会話をしてしまった。

「死ぬような病気ではないので、その点については心配ありません」とおっしゃったので、安心した。ただ、この先生は、何か解らないことがあると、いつもストレスのせいにするような気がする。

処方されたクスリ

処方されたクスリは2種類。(なんだかメンタルヘルス系のホームページの日記みたいだ)

  • ヘルベッサー 心臓の負担を軽くしたり、血管を拡げて血圧を下げる。
  • 柴胡桂枝湯 精神安定作用のある漢方薬。ストレスが原因の頭痛などに用いられる。

柴胡桂枝湯は、たしかに精神安定作用がある。医者も、「これ飲むとスッキリするよー」とおっしゃっていた。原因不明の頭痛などに悩まされている人は、実は鬱病かもしれない(本人が気づいていないため、仮面鬱と言うらしい)。一度病院に行ってみることをオススメする。西洋医学の薬である、マイナートランキライザーや、抗うつ剤が処方されるかもしれない。

私は仮面鬱なのだろうか? 精神状態はいたってニュートラルなのだが。

Yas的日常 体調:普通

朝まで生テレビ

「朝まで生テレビ」を再放送で見た。テーマは、暴走する子ども。話題があちこちに飛び、まとまりがなかったが、それは毎度おなじみだ。

都会で公立中学が崩壊している事実を受けて、「文部科学省の連中の子供を私立にいかせることを禁止させればいい。そうすれば公立学校も良くなる」と発言した人がいた。会場は大爆笑だった。

しっかりした親、教育の現場をしっている教師は、自分の子どもを私立に通わせている。公立の崩壊も進むわけだ。

巨人泥沼4連敗

緊張感がない。特に二志。


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「フェラチオ一万本ノック」は純文学か?(舞城王太郎) (2003-08-03)

奇才の作家、舞城王太郎

「阿修羅ガール」読了

阿修羅ガールの本舞城王太郎氏の第16回三島由紀夫賞受賞作、「阿修羅ガール」を読み終えた。

現代の若者文化をごちゃごちゃと書いている感じ。2ちゃんねる、援助交際、少年犯罪などなど。物語としてはまとまりがない。しかし、それが彼の作品の特徴だ。

第15回三島由紀夫賞の候補作にもなった、「熊の場所」の方が、私は好きだ。

大森望氏絶賛、フェラチオ一万本ノック

熊の場所の本「熊の場所」という短編集に、「ピコーン!」という作品が収録されている。この小説を、作家の大森望が絶賛していた。ミステリチャンネル(ケーブルTV、スカパー)で、「女が男と別れるためにフェラチオ一万本ノックをする話で、私のお薦めです」と言っていた。(TVで言ってもいいんだろうか?

純文学の世界は、よく知らない。難しいというか、暗いというか、どこかネガティブな印象を受ける。しかし、舞城王太郎の小説を読んで、イメージが変わった。こんな小説(フェラチオ一万本ノック)でも、純文学として評価されるのか、と。100年後には、教科書に載っているかもしれない。(フェラチオの意味、価値も変わるだろう)

わたしが精通を目指すのは殿方の性器しゃぶり。タテなめヨコなめ全部なめ先っちょなめ後ろなめランダムなめ。わたしはベロベロ大会一等賞だ。

(「ピコーン!」 舞城王太郎 2002 講談社 p163,164 「熊の場所」収録)

「ベロベロ大会一等賞」が、純文学として評価されるなんて、考えられなかった。

純文学もネタがつきて、未開拓の領域を模索、発掘しているんだろう。

Yas的日常 体調:普通

アイ・アム・サム

アイ・アム・サムを見た。7歳レベルの知能しかもたない父親と娘との愛情を描いた映画。父親は、愛情はあるけど教育能力がないという理由で、娘と引き離されてしまう。

泣き所が2カ所ほど。

この映画見たら、娘が欲しくなった。

巨人、5位転落を阻止

今日の広島戦に負けると、巨人は5位に転落してしまう。しかし、上原の好投でそれを阻止。危ない。


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肉体関係のないガールフレンドはあり得ない (2003-08-05)

肉体関係のないガールフレンドはあり得ない

ファブリーズのCM

「ファブリーズ」のCMを見て、気になったシーンがあった。男の子が部屋の掃除を一生懸命にしている。そこへ母親が、「ガールフレンド?」とたずねる。男の子は「違うよ」と答えた。

一見するとおかしな所は何もない。だがしかし・・・。

ガールフレンドは女友達ではない

ガールフレンド=女友達という用法が、日本では多い。しかし、あちらの国でガールフレンドと言った場合、それは肉体関係があるような、深い仲の特定の女性を指す。

だからこの場合、母親が「ガールフレンド?」と聞いたということは、深読みすれば、「この部屋でセックスするのかい?」と言ったことになる。(学校で英語を習っている男の子が、母親のセリフをどう解釈したのかは定かではない)

ここは日本だ

こんな風に意味の違いを指摘すると、多くの人が「ここは日本だから」と反論する。それは確かだが、だからといって誤解をしているのもよくはない。

また、日本で暮らしているんだから、正しい英語なんて知ったことではない、と主張する人もいる。

最後は、「日本国内」にいるかぎり、英語(外国語)は必要じゃないしな」というのが、みんなの共通の捨てゼリフである。

(略)

日本は、目下、自国を外国から閉ざして、内側に立てこもろうとしているように思える。かけ声だけは、「国際化社会を目指す」だが、実際はその逆である。この「新たな鎖国」と「文化の防衛」を、日本語というコトバの壁を強固に築くことによって達成しているのである。

(「英文法の謎を解く」 副島隆彦 ちくま新書 1995 )

どうせ使うのなら、英語での意味を理解した上で使えば良い。外国人との誤解も少なくなるだろう。

もし外国の方から、「ガールフレンドになってください」と言われたら、それは女友達という意味ではない。ただの友達でいたいなら、「Only friend!」と言わなければならない。

英語は必要

私もそうだが、大人になって、英語が出来なくて困ることが多い。今日も、会社で、英文で書かれた苦情のメールを読む機会があった。英語が読めませんでは済まない。

時間のある10代のうちに、みっちり英語を身につけておく方が、得策だ。学校の勉強のうち、これほど実用的なものはない。

Yas的日常 体調:普通

本棚を整理

書斎の本棚に本が収まりきれなくなったので、いくつかの本を段ボールに詰めた。清涼院流水とか。


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本棚の9割以上の本が眠ったまま。要らない本は古本屋へ。 (2003-08-05)

本棚の9割以上の本が眠ったまま。要らない本は古本屋へ。

本棚の本を整理

昨日から、本棚の本を整理している。つぎつぎと本を買ってしまうから、本棚に入りきらなくなってしまうのだ。

読み返すことのない、比較的古いミステリ小説を、段ボールにつめた。

9割以上の本は読み返さない

評論家の呉智英氏は、「読書家の新技術」の中で、「9割以上の本は読み返されない。古本屋に売れ」と言っている。

要らない本は、古本屋へ売る。これが意外と気づかれていなかったり、ためらわれたりしている。しかし、次のような意味で、古本屋へ売却することは、もっとなされていい。

  • 現実に、一度読んだ本の9割以上は二度と通読することはおろか、部分的な参照もしない。
  • 場所をとって困る。
  • 古本屋で新しく本を見つけたり買ったりするという新陳代謝を促す。

(「読書家の新技術」呉智英 朝日文庫 1987 p181 )

要らない本は、どんどん古本屋に売ろう。そして私が100円コーナーで買う。ブックオフで売るのがオススメだ。どんなに価値ある本でも、安く買い叩いてくれる。

Yas的日常 体調:不調

突然の雨

夕方、突然の豪雨。暑い日が続いたため、部屋の窓をあけたまま仕事に行ってしまった(人間が入れない小さな窓)。雨が部屋に入ってしまい、床が濡れてしまう。

早く帰らねば。しかし、そんな日に限って、遅くまで残業。ついていない。


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「女は男のどこを見ているか」 爆笑のトンデモ本。 (2003-08-06)

「女は男のどこを見ているか」(岩月謙司)

大学教授がこんな本を・・・

「ほぼ日刊イトイ新聞」のコラムで推薦されていた、「女は男のどこを見ているか」(岩月謙司 ちくま新書)を、読んでみた。ひさびさに価値のない本を読んでしまった。

  • 主張の根拠が示されていない。
  • 参考文献、引用文献がほとんどない。あってもアニメや映画。
  • 心理学の誤解が多い。

著者の信念を何の根拠もなく書き続け、論理性もまったくない。大学教授が書いた本とは思えない。金儲けのために、わざとやってるんだろうか?

主張のまとめ

ほとんど宗教に近い内容だ。要点を列挙しておく。

  • 赤ちゃんにベロベロバーしてウケるほうがノーベル賞をとるよりも大事 (根拠なし)
  • 女は男に智恵と勇気を求める (根拠なし)
  • 「いい女」は英雄体験をした男を好む (根拠なし)
  • この世は宇宙の法則で動いている (根拠なし)
  • 宇宙の法則とは、人を愛すること (根拠なし)

始終こんな調子で、根拠らしい根拠を提示していない。何を信じるか、どんな信念を持つかは自由だ。しかし、それを事実と混同してはいけない。信念と理論、事実は違う。この違いは重要だ。

根拠はアニメ、映画、ゲーム

根拠が示されていないと書いたが、ほんの数カ所だけ、根拠を書いている。しかし、根拠にしてはお粗末で、話にならない。「ドラえもん」や「ドラクエ」を根拠にしているのだ。根拠にしては弱すぎる。

極めつけはスターウォーズ

読んでいて椅子から転げ落ちそうになったのが、p184の、「いつも魂を清らかに保たなくてはいけない」の項。

もっとも悦び多きことは、人を愛すること、と主張しているが、その根拠は、

『スター・ウォーズ』の映画を見ているとその点が描かれています。

(略)

ヨーダは「憎しみに負けるとダークサイドに墜ちてしまう」と言います。

(「女は男のどこを見ているか」(岩月謙司 2002 ちくま新書 p185 )

根拠はこのスターウォーズだけ(笑)。しかも単なるセリフだ。さらに著者は続ける。

人は、油断すると、ダース・ベーダーのように、ダークサイドに墜ちてしまいます。映画に描かれている通りです。いつも魂を清らかに保つということを怠ると、本人も知らぬ間にダークサイドに墜ちてしまうのです。

(同上 p186)

「映画に描かれている通りです」と自信たっぷりに言われても(笑)。よっぽどスターウォーズが好きなんだな、この人。

「ノストラダムスの大予言」を必死に引用していた某宗教団体みたいだ。論理性では同レベルで、宗教の本といっても間違いはない。大学教授とは思えない。

この人、ほかにもたくさん本を出しているようだ。そして、多くの女性が購入しているらしい。うっかり信じちゃう人、多いんだろうな。

この人、わかってて、わざといい加減な事を書いていると思うけど。もしそうだったら、タチが悪い。

Yas的日常 体調:普通

眠気が

睡眠不足で、会議中睡魔に襲われる。もしかして眠っていたかもしれない。おそろしや。

過去日記一覧

過去日記一覧をリニューアル。少しは落ち着いたか。


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「ゲーム脳の恐怖」 脱力のトンデモ本 (2003-08-20)

書評:「ゲーム脳の恐怖」(森昭雄 生活人新書)

二日連続でトンデモ本に出会う

過去に話題になった、「ゲーム脳の恐怖」という本がある。ゲーム脳の脳波は痴呆の患者と酷似している。最近のキレる若者は脳に原因があり、脳の異常はゲームの影響だと論じている。

まともな脳神経学の本かな、と思って読んでみたら、トンデモ本だった。二日連続でトンデモ本を読んでしまうとは。私は運が良い。

トンデモ本とは

読者様からの質問があったので、ここでも説明する。

  • 著者が意図したものとは異なる視点から楽しめるもの
  • 著者の大ボケや、無知、カン違い、妄想などにより、常識とはかけ離れたおかしな内容になってしまった本

これらを、トンデモ本と言う。”と学会”という団体が、「トンデモ本の世界」という本を出し、ベストセラーになった。

「セブン・イレブンはユダヤの陰謀だった!」とか、「イエス・キリストは宇宙人だった!」とか、「五千円札をデザインしたのはH・R・ギーガーだった」といった内容の本である。ただし、著者が本気で自分が正しいと思い込んでいなければならない。

どこがトンデモか

どこがおかしいのか。論理に飛躍があり、一見すると正しそうだけど、ゲームが悪いことの根拠としては薄い。なんでもゲーム脳のせいにしすぎ。電車で化粧をしている女は、脳に異常があるそうな。そんなバカな。

脳のデータは面白かったが、集中力や作業能力、性格(キレやすい)との関連性は、著者の主観であり、科学的ではない。

ひとつひとつ説明していくと長くなってしまうので、省略する。トンデモ本を世に知らしめた、「と学会」の山本氏のインタビュー記事が読めるサイトがあるので、興味のある方はそちらをご覧いただきたい。

コスプレを知らない著者

それにしても著者はゲームについて無知すぎる。もうすこしゲームやその近辺の文化について勉強してはいかがか。

幕張メッセで開催されたテレビゲームショーに行くチャンスがあり、見学してきました。その会場の異様な雰囲気に私は驚き、ショックを受けてしまいました。というのも、中学生風の女の子が、左右に立派な白い羽をつけたエンジェルの格好をして、真面目な顔で歩いているのです。

(「ゲーム脳の恐怖」森昭雄 2002 生活人新書 )

そりゃ、コスプレだろう(笑)。

ゲームに限らず、アニメ、マンガ、小説、果てはビジュアル系ロックバンドのファンまで、コスプレする人は多い。(私はやったことがないが)

(コスプレを見て) このとき、私はこの子たちの将来、そして日本の未来はどうなってしまうのだろうかと心配になってしまいました。

(同上)

どうなっちゃうんだろうね(笑)。

ゲームは怖くない。ゲーム脳の根拠は薄い。

リンク

Yas的日常 体調:普通

工藤、中年の力投

最後までよく完投した。いい野球だった・・。

任天堂、来春に次世代ゲーム機発表。

発売ではなく、発表らしい。なんでも4月から6月まで、ゲームキューブの販売台数が、わずか8万台だったらしい。ほとんど売れてないってこと。任天堂も地に落ちたか・・。ゲームボーイアドバンスは絶好調なのだが。


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世界でいちばん短い小説 (2003-08-08)

史上最短のSF小説

逆説論理学

野崎昭弘の「逆説論理学」(中公新書)を読んでいる。「理づめ」の世界のパラドックスが面白い。タイム・パラドックスや、ゼノン、カントールの本格的パラドックスなどが主な内容だ。

史上最短の逆説的SF

タイムパラドックスの説明で、史上最短の逆説的SFが紹介されていた。その小説の中身全部を、引用しよう。

時間はおわった。昨日で。

(ロジャー・ディーリー作)

まるで世界一短い手紙(「?」「!」)みたいだ。SF的趣向を楽しめない人には、意味が分からないだろう。こんなに短くて小説と言えるのかどうかは疑問だが。

短い小説、ショートショートでは、SFが多い。人間のドラマよりも、論理的なおかしさ、パラドックスの面白さがSFの魅力のひとつだと思う。この史上最短のSF小説は、SFの面白さが凝縮されている。

これだけの短いテキストで、ミステリ小説、恋愛小説が書けるだろうか。書けたとして、人に語り継がれるだけの素敵な小説が書けるだろうか。

特に、史上最短のミステリ小説を読んでみたい。

Yas的日常 体調:不調

暑い

暑いので、エアコンの購入を真剣に検討。PCや本棚がある書斎(自称)には、エアコンがない。扇風機の生ぬるい風を受けながら、この日記を書いている。

涼しくなる裏技で、なんとかしのぐ。(Tシャツに水をかけてそのまま着てしまう)


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独身男性が親に「結婚しなさい」と言われたときの対処方法 (2003-08-09)

独身男性が親に「結婚しなさい」と言われたとき

帰省のはじまり

台風も過ぎ去り、帰省ラッシュが本格化するだろう。家族連れも帰省の労力が大変だが、独身男性の帰省も、決して楽ではないようだ。

ある独身男性の著名人が、「実家に帰ると親が『はやく結婚しろ』『おつきあいしている人はいないのか』と聞いてきて、不愉快になる」と言っていた。

私も実家に帰ったとき、「結婚」の話題が出る。いつも適当に受け流している。

このセリフで対抗できる

一般的な独身男性が、親に「結婚」について口うるさく言われたとき、何と言い返せば、相手は黙るのだろうか。いくつか考えてみた。

「相手がいないから・・・」
哀しそうな目をすることがポイントだ。弱者になることで、相手の良心に訴えかける。「親の顔が悪いから子の顔も悪いのだ」などと言ってはならない。
「相手がたくさんいて、一人に選べないんだ」
冗談として受け取られたら哀しい。若干、リスクの高いセリフである。
「男にしか興味がないんだ」
本気で受け取られると、親子関係にヒビが入るかもしれない。インパクトのあるセリフで、相手の動揺を誘うことができる。
「相手はいるけど、人妻なんだ」
ありえない話ではない。
「金がない」
私がよく使う。話題を日本経済の方にそらすためである。

これらのセリフを臨機応変に使えれば、たいていは撃退できるのではないだろうか。いくつか組み合わせて、たとえば、「男にしか興味がないし、しかも相手は妻子持ちだし、その相手がたくさんいて一人を選ぶことなんて出来ない」と言えば、もう結婚の話をされることはないだろう。結婚どころの騒ぎではなくなるはずだ。

Yas的日常 体調:普通

長井秀和、素敵

日本テレビ系列「エンタの神様」に、長井秀和が登場。彼の毒舌は、いつ聞いても最高だなー。


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続・独身男性が親に「結婚しなさい」と言われたときの対処方法 (2003-08-10)

続・独身男性が親に「結婚しなさい」と言われたときの対処方法

思わぬ反響

昨日、結婚の話題について書いたところ、予想よりも多い反響があった。やっぱり結婚ネタは人気がある。

「もっと真面目に書け」という読者の視線が痛いので、今回は真面目に書く。(いえ、いつも真面目に書いてますよ。半分ぐらいは。)

多くの人は結婚を望んでいる

国立人口問題研究所の調査によれば、独身男性の約9割が、「いずれ結婚するつもり」と回答している。つまり、結婚したいのに結婚していない人(結婚できない人)が多いのだ。

「はやく結婚しなさい」「結婚はまだ?」と言われて腹が立つ人がいる。その人は、「どうして結婚できないの?」と言われているような気持ちになるんだろう。「わかってるよ!」と思わず叫んでしまいたい人もいるだろう。

正直に言うと、私も数年前はそうだった。

何故、結婚できないのか?

結婚願望は相変わらず高いのに、全体の傾向として、晩婚化は進んでいる。

なぜだろうか?

以下、ほとんど社会学者の山田昌弘の受け売りであるが、結婚できない理由を、説明してみよう。

まず、結婚できない理由の多くは、男性に理由があるのではなく、女性側に理由がある。女性は結婚することで地位の上昇を達成する、上昇婚願望がある。(女性の上昇婚を、専門用語で、ハイパーガミーと言う)

高度経済成長期やバブル期は、サラリーマン化が進み、まず男性の高学歴化が進んだ。男性は終身雇用制に守られていた。女性は、誰と結婚しても上昇婚が達成できたのである。

しかし、平成になり、昔と比べて女性の高学歴化が進み、自立する人も多くなった。その結果、女性から見て、魅力ある男性が相対的に少なくなった。

くわえて、パラサイト・シングルで親に依存する女性は、海外旅行を楽しみ、ブランド品を買いあさる、優雅な生活を送っている。父親と比べて、今の男性の経済力では、もの足りないのである。

経済的理由だけが結婚の動機ではないが、現実に、フリーター男性と結婚したがる女性は少ない。(ただし、逆は真ではない)

また、恋愛が自由化され、多くの男性とつきあったため、「もっといい人がいるかもしれないシンドローム」に陥ってしまう。

結婚できないのは決して個人的な理由だけではなく、社会的な構造にも原因があるのだ。

男性が結婚できないのも、結婚は相手がいて初めて成立するものだから、女性から選ばれにくい社会構造に原因があると考えられる。

なんと言って言い返すか

親やおせっかいな親戚から、「結婚はまだ?」と言われたら、上に書いたようなことを言えばいい。(ただし、相手が人の話を聞き入れる性格じゃないとダメ)

年輩の女性は、現代の女性に対して、少なからず嫉妬心を持っている。「私らの時は苦労してきたのに、最近の若いもんときたら・・・」と思っている。そこを刺激してやれば良い。

「女性の意識が悪い。社会が悪い。厚生労働省が悪い。」

自分の事はとりあえず棚に上げて置いて、女性に責任転嫁してしまえば良い。

実際問題、親にパラサイトし、ぬるま湯に使っている女性と結婚できる男性は、数少ない。男性が結婚できないのは、女性の方に原因があるからなのだ。

念のため、繰り返して書くが、これらの主張は社会学者の山田昌弘の受け売りである。一部を除いて。(山田は、晩婚化について詳しい)

親に何か言われたら、こんな感じで適当に論点をずらしたり、責任転嫁したりして、受け流すのがベターだと思う。

Yas的日常 体調:普通

川相、世界タイ記録

巨人の川相が、犠打の世界タイ記録を達成した。511犠打である。小さい頃から見ていた選手が、こうして偉大な記録をうち立てるのを見て、素直に感動した。職人だよなぁ。

暑い

エアコンでも買おうか。暑いし。ヤフーオークションでいろいろ物色。中古品はちょっと不安。


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独身男性(無職・フリーター)が親に「就職しなさい」と言われたときの対処方法 (2003-08-11)

独身男性(無職・フリーター)が親に「就職しなさい」と言われたときの対処方法

シリーズ化の予定はないが

昨日、おとといのネタが、色んな意味で反響があったので、今日も懲りずにまた書く。

私は今のところ会社員である。しかし、今の世の中、フリーターや無職の人が多い。フリーターの定義にもよるが、数百万人のフリーターが存在する。彼らが帰省すると、親から「いつまでもプラプラしてないで、就職しなさい」と言われるそうだ。

就職したくても出来ない人にとって、「就職しなさい」と言われるのは、面白いことではない。なんとかして反論したいものだ。

若者バッシングこそが真の危機

千葉大学教授の宮本みち子が、「若者が<<社会的弱者>>に転落する」で、次のように指摘している。

就職しない、フリーターであることの原因は、若者にはない。社会の問題である。構造上の欠陥にあり、その不利益を若者が受けているだけにすぎない。若者は責任を押しつけられているのである。若者の危機が隠匿されている社会こそが真の問題なのだ。

いま、若者の社会的基盤は徐々に変貌しつつある。しかし、その事実に対する認識は遅れている。若者の直面する事態が、すぐさま社会問題とはならない。わたしたちの社会を揺るがすような危機が見過ごされ、あるいは隠蔽される傾向にある。

深刻な問題についても、親に”パラサイト”したり、労働意欲のない若者の「甘えの構造」にもっぱら原因をもとめる傾向が強く、若者をとりまく社会経済構造の変貌への気づきは弱い。

(中略)

とくに、社会の中枢にいる団塊の世代が、自分の子ども世代にあたる若者をバッシングの対象としている点に、日本の奇妙な世代間関係が凝縮されている。

(「若者が<<社会的弱者>>に転落する」 宮本みち子 洋泉社 p44)

社会構造の変化

現代は、不確実性の時代である。先行きは不透明だ。しかし、親の世代、たとえば70年代はどうだっただろう。たしかにオイルショック等の危機はあったが、それでもまだ大人への道(企業に就職すること)は存在した。将来が見えていた。レールがひかれていて、その上に乗ることが出来た。レールに乗らない人もいたが、それは少数で、「逸脱」と見なされていた。この「逸脱」が、無職・職なし(今で言うフリーター)である。

しかし、現代は、そのレールが存在しないのである。自分で探さなければならない。たとえ、見つかったとしても、自分がそれに乗れない可能性も少なくない。かくしてレールに乗れない人が、必然的に出てきてしまう。

このレールに乗れない人は、70年代から見れば、「逸脱」である。誰でもレールに乗れるわけではないのに、乗れなかったことを当人の責任にし、若者を逸脱者としてバッシングしているのである。

70年代の社会構造や価値観の中で、若者を批判しても、的はずれである。それだけではなく、若者に原因を還元してしまうことで、社会構造の危機すら見逃されてしまう可能性も高い。

フリーターが就職できないのは、自分自身に原因があるわけではない。

親に「就職しなさい」と言われたならば

とりあえず自分のことは棚にあげておいて、上に書いたようなことを言えばいい。社会に責任を転嫁し、話を逸らせば良い。

親の世代は、たいてい政治に不信感をもっている。そこを刺激してやれば良い。さらに年金の問題に話題を持っていけば、いっそう話題は逸脱してくれるだろう。

とにかく、話を大きくして、問題点を曖昧にしてしまうことが重要だ。

Yas的日常 体調:普通

ピンポン

窪塚洋介主演の「ピンポン」をDVDで見る。人間のドラマだね。面白い。

兄から電話

夜に、兄から電話がかかってきた。「結婚はまだしないのか」と聞かれる。タイムリーだ(笑)。

彼はいったい何を考えているんだろう?


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アクセスアップの方法。 サーチエンジン対策 (2003-08-12)

アクセスアップの方法

最近の「憂鬱な〜」のアクセス傾向

リニューアル後、順調にアクセス数が伸びている。

読者様からのメールで、「アクセス数が多いですね」と言われた。多くの人が読んでくれて、とても嬉しい。

もっとも、「日記才人」や「テキスト庵」では、最近になってようやくランキングに顔を出すようになった程度だ。アクセスの大半は、ブラウザから直接か、サーチエンジンからのものである。特に、サーチエンジンから飛んでくる人が多い。

トップページに時事ネタのテキストを多く書いているので、サーチエンジンの検索に引っかかりやすいのだろう。(狙ってやっている)

検索にガンガンヒットするホームページの作り方

「検索にガンガンヒットするホームページの作り方」(翔泳社)では、

  • ユーザの80パーセントが、ネットでの探し物には検索エンジンを使っている
  • 出てきた検索結果を1,2ページしか見ないという人は、70パーセント。

というデータを踏まえて、検索エンジン対策がアクセスアップのためには重要であると説明している。

個人サイトならば、あまりこだわる必要はないかもしれないが、商業サイトならば、決して無視できることではない。顧客をいかに自分のサイトに誘導するかが重要である。

アクセスアップのサーチエンジン対策

サーチエンジン対策のいくつかを、簡単に紹介しよう。詳細は本を参照して欲しい。

○タイトルに、★や■を使わない。(ダメな例:「★★しげおの部屋★★」)
目立たせようとして記号を使うと、検索エンジンの評価が下がる。(p62)
○aタグはリンク先と合わせて使う。(ダメな例:「詳細はこちらから」
「こちら」では、サーチエンジンは、その単語が重要なのかどうか分からない。(p67) (アクセシビリティの観点からも、あまり良い作り方ではない。)
○JavaScriptやFlashを使わない。(p135)
サーチエンジンは、JavaScriptやFlashの中身を読みとることはできない。
○動的ページ(CGI等)をむやみに使わない。(p143)
複雑なCGIのページは、検索エンジンで拾ってくれない可能性がある。動的な日記ページの過去ログなどが代表的か。
○フレームは使わない。(p148)
完璧に情報を収集してくれない。出来れば使わない。使ってもシンプルなものにする。

基本的な所では、こんなところだろうか。HTMLの文法に忠実に従っていれば、それほど難しくはない。

いくらアクセスがあったところで、内容が伴ってなければ、ユーザーにとって、価値は低い。サーチエンジンでこのサイトに飛んできた人のうち、何割の人が満足しているんだろう。そんなに多くはないはずだ。真面目に書いていない時も多いし。

もっと精進せねば。

Yas的日常 体調:普通

桑田、好投

良く投げた、桑田。まだ来年も行けるぞ。

バナナタルトにうってつけの日

バナナタルトを食べる。美味い。


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パンダに性教育ビデオ 本能では結合できない (2003-08-13)

パンダに性教育ビデオ 本能では結合できない

フジTV「トリビアの泉」

フジTVの「トリビアの泉」で、「中国では、パンダに性教育のビデオを見せる」というトリビアが紹介されていた。

自然とは切り離された動物園のような環境だと、生殖能力が衰えるため、ビデオで学習させないと、オスのパンダが性交してくれないそうだ。ビデオで覚えるのは、人間もパンダも同じなのか。

猿も同じ

実は猿も、切り離された人工的な環境に置かれると、性交の仕方を覚えられず、性的不能になってしまう。高等動物は、本能だけで性交できるわけではなく、学習する必要がある。猿は集団生活の中で、他の猿がセックスするのを見て、やり方を学習するのだ。

もちろん人間の場合も

人間の場合も同様で、学習しなければ、行為は難しい。性教育は必要だ。(それほど深くつっこんだ性教育が行われるとは思えないが。もっとも、情報は散乱しているので、耳をふさいでいても、勝手に入ってくるだろう)

情報が少なかった昔のあるムラ社会では、結婚する前に別の女性と練習してから、結婚していた。どんな手順でやるか、とか、どこをどうするか、とか。

ちゃんとした本に書いてあったので、情報はまあまあ正確だと思うのだが、本のタイトルを忘れてしまった。(出所が不明で申し訳ない)

結論としては

人は本能でセックスしているわけではない。学習によって可能になる。

(話はずれるが、「人は異性と寝ているわけではなく、制度と寝ているのだ」と言ったのは、たしか橋本治だったと思う。あんまり関係ないか。夏休みだから勘弁を。)

Yas的日常

F-ZERO

ゲーセンでF−ZEROやってみた。面白いけどね。もう一押し何かが欲しい。

ブックオフ

ブックオフを物色。離婚の方法などをあつかったコーナーを見ていたら、「デスマーチ」というソフトウェア工学の本を発見。これは超有名な本。100円で手に入れた。もちろん、離婚とは何にも関係ない。

掘り出し物がどこから飛び出してくるかわからないのが、ブックオフの魅力か。

半値にしかなっていない本に、「100円」のシールを貼っちゃえば、100円で買えてしまうのではないだろうか、なんて考えた。(犯罪です)


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JRは禁子ども車両を作れ! 子どもは動物以下? (2003-08-16)

JRは禁子供車両を作れ! 子どもは動物以下?

帰省中の電車の中で騒ぐ子どもたち

帰省した。電車の中で子供がうるさかった。泣く。騒ぐ。歌う。シーンと静まり返った車両の中で、たった一家族の子どもが騒いでいた。周りの客も、眉間にしわを寄せていた。舌をうつもの、セキをして親に注意するよう促す者。しかし、親は注意すらしない。

家族連れは他にもいて、親がしっかりしているのかどうかしらないが、子どもは静かだった。「電車の中では静かにしなさい」と、さとす声も聞こえる。親も立派だった。

ところが、そのうるさい子どもの家族に至っては、子どもが歌い出したら親も一緒になって歌い出す始末。なにが「アバレンジャー」だ。まったく。田舎まで、のんびり本でも読んで凄そうと思っていたのに、だいなしではないか。

特急列車の指定席だったので、席を移動することもできなかった。苦痛の2時間半を過ごすことになってしまった。たったひとつの家族の行動が、他の多くの客に迷惑をかけている。そのことに、彼らは気がついているだろうか。

ならばグリーン車に乗ればよいのか

特急の指定席ではなく、グリーン車にのれば、うるさい子どもに遭遇せずにすむだろうか。

比較文化学者の小谷野敦は、次のように述べている。

新幹線等にはグリーン車がある。ああいうのは実は、サーヴィスの良し悪しとか座席の広さなどより、マナーの悪い下等乗客の姿を見ずに済ませるための装置なのである。

(「バカのための読書術」小谷野敦 2001 ちくま新書 p174 )

しかし、たとえ少し高い料金を払い、グリーン車に乗っても、運悪くマナーの悪い客や子どもが乗ってくる可能性もある。

コラムニストの勝谷誠彦のホームページのコラム(2003/08/12)には、「グリーン車にうるさいガキが乗ってきて、みんな迷惑しているから注意した」という内容が書かれている。(「勝谷誠彦のXXな日々」)

グリーン車に乗るだけでは、やはり、解決にはならないようだ。

子ども禁止の車両を作れ

タバコが嫌いな人のための、禁煙車がある。ならば、子どもが嫌いな人のための禁子ども車があってもよいではないか。せっかくの快適な電車での旅を、たった一人のうるさい子どもによって、すべてが破壊されてしまうのだ。それを嫌がる権利はないというのか。

同じような意見を持つ人は多い。しかし、「子どもはかわいい」とか「子どもをカワイイと思わない人間は、人間じゃない」などという幻想があり、それを破壊することは勇気がいることだ。そんな意見はタブー視される。実際、ある女流作家が、禁子供車の提案を自分のエッセイに書いたら、全国の母親から怒りの手紙が殺到したそうだ。

評論家の唐沢俊一も、こうした「子供信仰」に異を表している。

動物を乗せることを禁じておいて赤ん坊には許すというのは非論理的である。犬猫はしつければ鳴き声はあげないしトイレも決まったところ以外ではやらない。赤ん坊はそれ以下の存在なのである。嫌子供権、というものを認知させるところから本当の精神の安寧は得られるのだ。

(「壁際の名言」唐沢俊一 2003 p136 )

子どもはうるさいものである

「子どもなんだから仕方ないじゃないか」とおっしゃる方もいる。しかし、実際に、数多くの人に迷惑を与えているのだ。「子どもはうるさい。迷惑だ」、まずこの現実を認めた上で、制度やシステムで対策を講じるのが、建設的だろう。

したがって、JRは、「禁子ども車両」を作るべきである。うるさい子どもを見たくない人は、その車両に乗ればよい。それだけではないか。タバコと同じ。

大人は、母親たちは、社会は、いったい何を恐れているのだろう?


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やおい作家(男X男のエロ小説作家)との接近遭遇 (2003-08-17)

やおい作家(男X男のエロ小説作家)との接近遭遇

ひょんなことで飲んで

個人で小説を書いている女性(30歳)と飲んだ。
「どんな小説を書いてるの?」
「あー、ホモ小説」
「ほも? やおい?」
「そう」

驚いた。とりたてて美人というわけではないが、ごく普通の女性だ。それが家に帰って、ホモ小説を書いているだなんて。ショタコンから芸能人まで、範囲は広いらしい。

私は尋ねた。
「たとえばどんなキャラクタを合体させてるの?」
「うーん、サザエさんのキャラだと・・・」
「サザエさんって・・ 波平Xカツオとか?」
「いや、ナカジマXカツオ」

ナカジマか! そうか、その手があったのか。約束したじゃないか!イソノ!とか言ったりするらしい。いやはや。

補足:用語の説明

ここまで読んでこられて、意味がよくわからない人も少なからずいると思うので、用語の解説を。

やおい。「やまなし、おちなし、いみなし」が語源。転じて、男同士のホモ小説やマンガを指すようになった。特に同人誌。

ショタコン:ショウタロー・コンプレックスが語源。半ズボンをはいたような、アニメやマンガに出てくる少年が好きな人のこと。ショウタローとは、鉄人28号の金田正太郎のこと。

ナカジマXカツオ キャラの攻める方と受ける方を表す。

「X(かける)」が入った場合、やおい用語ではキャラクターの「攻め(襲う方)X受け(襲われる方)」を意味する。「X」は発音しない。「蔵馬X飛影」なら「くらまひえい」と呼ぶ。

(「国際おたく大学」岡田斗司夫編 「おたくのセクシュアリティ1 ショタの研究」渡辺由美子 1998 p33)

今日は勉強になるなぁ(笑)。

私は、この手の世界(コミケなど)をよく知らない。コミケには行ったことがない。コミケの知識は、小森健太郎の「コミケ殺人事件」で手に入れた。(よく考えたら、すごいタイトルだな(笑))

彼女の未来は

彼女は、世間一般の常識から見れば、逸脱している。会社で堂々と言える趣味ではないだろう。履歴書に書けるだろうか。(書けない趣味が悪いと言っているわけではない。)

彼女は、空想の男の子同士のセックスにしか興味がないと言う。しかし、とても楽しそうで、充実した生活を送っているようだ。そして、誰にも迷惑はかけていない。

しかし、もし、10年後に夢から覚めてしまったら。

そんなことを考えると、少しだけ恐ろしくなる。

できるなら、一生夢を見ていたいものだ。

Yas的日常 体調:普通

巨人、阪神に2勝1敗

すでにトータルでは負け越しが決定しているわけだが。

もしかしたら二岡がホームラン王をとってしまうかもしれない。おそるべし、今年のセ・リーグ。


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結婚の定義。 (2003-08-18)

結婚の定義

結婚とは

同僚が結婚することになった。おめでとう。

さて、「結婚」とは何だろうか。結婚とは言うまでもなく社会的な制度の1つである。正確に言うと、「婚姻」である。法律上は「結婚」ではなく、「婚姻」と言う。

「婚姻」の根本的な意味、定義とは何だろうか。

婚姻とは

東京大学教授の上野千鶴子の定義は、次のようなものである。

婚姻は、自分の身体の性的使用権を排他的に相手に独占させるという契約。しかも終身契約ですね。

第三者が使用した場合、財産権の審判になる。でも、他人に自分の身体の使用権を完全に譲り渡すなんて、不気味ですよね。

(「家族を容れるハコ 家族を超えるハコ」 上野千鶴子 平凡社 2002 p54 )

この定義によると、結婚することは、自分の身体的自由を無くすことになる。これは女性に限ったことではなく、男性でも同じ。婚姻した相手以外の人と関係を持ってはいけないことになっている。(昔よりは甘くなった。以前は姦通罪という刑罰があり、不倫した者は投獄された)

レイプする権利

さらに、フェミニストの江原由美子(社会学者)が、恐ろしい事を言っている。現代日本の法律解釈によれば、夫は妻に性交を強要しても、強姦罪に問われることはないそうだ。つまり、合法的なレイプである。(レイプの定義にもよるが)

実際に訴える人はいないが、夫婦間でのレイプは、以外に多いのではないだろうか。

独身男性の方々は、結婚したらレイプしても罪に問われないということを、よく覚えておこう。(ただし、その後の夫婦関係がどうなっても、私は知らない

終身契約の長さ

身体の独占だけに思考が偏りすぎるが、「終身契約」にも注目したい。経済アナリストの森永卓郎が、婚姻制度を端的に「お一人様一点限り返品不可」と表現したが、まさに「返品不可」の契約なのである。

高齢化も進んだ結果、今、終身契約の契約期間は50年以上に延びています。それなのに、なぜ若い世代で結婚願望が減らないのでしょう。若い人に聞くと、「そんなにまじめに考えて結婚する人はいない」のだそうです。

(同上)

現代では、離婚に対する世間の風当たりが以前よりは暖かくなった。離婚する夫婦も年々増加し、熟年離婚が特に顕著だ。もし、離婚しにくい世の中だったら、もっと晩婚化が進み、少子化が進んだことだろう。若者も、もっと真剣に結婚を考えてしまうだろうから。

離婚の増加も、悪い面だけではない。少子化、晩婚化対策として、離婚しやすい社会を作ったらどうだろうか。

終身契約50年以上は、あまりにも重すぎる。

(くりかえしになるが)同僚が結婚することになった。おめでとう。

Yas的日常 体調:普通

席替え

会社で席替えがあった。窓際に移った。窓から見える風景が寂しかった。


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富士に登らぬバカ、二度登るバカ (2003-08-19)

富士に登らぬバカ、二度登るバカ

デスマーチ

「デスマーチ なぜソフトウェアプロジェクトは混乱するのか」(Edward Yourdon)を読んだ。「死の行進」と呼ばれるソフトウェア開発の過酷な労働環境は、昔から数多く報告されている。自殺者も後を絶たない。

幸いにして、今のプロジェクトは、5年ほど前にデスマーチに突入しかけたらしいが、なんとかやり過ごした。しかし私は、1年後にデスマーチが訪れるのではないか、と心配している。最近、上層部の動きがあやしいのだ。

富士に登らぬバカ、二度登るバカ

本の中で著者は、「富士山に一度は登ること」と助言している。ちなみに著者は外国人だ。

さらに、「日本には、『富士に登らぬバカ、二度登るバカ』ということわざがあるそうです」と述べている。

はて。『富士に登らぬバカ、二度登るバカ』なんてことわざ、日本にあっただろうか?

日本人の私が知らないのに、どうして外国人が知っているんだ?自宅の「ことわざ辞典」で調べてみたが、そんなことわざ存在しない。Googleでサーチしてみたら、1件だけヒットした。今日、この日記に書いたので、これで2件目になる。

著者の深意は、「有名な観光地で誰もが行くような所は、一度は行っておくべき。良い経験になる。でも二回も経験する必要はないよ」というところだろう。

別に、日本人のほとんどが富士山に登るわけじゃないのだが。私も富士山には登ったことがない。富士の樹海には行ってみたい。

ああ、文化認識のちがい

アメリカが日本の文化を勘違いするように、日本もまたアメリカの文化を勘違いする。言葉の文化の間違いも、よく耳にするだろう。

たとえば、どしゃぶりの雨のことを、英語では、
It rains cats and dogs.(犬と猫)
と表現する、と中学校の時に習ったが、これはもう今では通用しないらしい。(私が古い人間なのかもしれないが)

ちなみに語源は、「犬と猫が騒々しいから」ではない。昔は、下水路に野良猫や野良犬が住みついていることが多かった。どしゃぶりの大雨が降ると、下水路が水であふれ、下水口から川に向かって、犬や猫が水死体となってドバドバと出てくることから、cats and dogsと呼ばれるようになったのだ。阿鼻叫喚の地獄絵図だ。

もっとも語源なんて諸説あって、あやしいものが多いけど。

(英語に詳しい方がいたら、教えてください)

Yas的日常

野菜高騰

野菜の値段が上がっている! いつもの倍だ!

禁子ども車両

先日の「禁子ども車両」について、何人かの方からご意見をいただきました。意見は、「けしからん!」「大賛成!」の両極端にわれました。

どちらも主張としては間違ってないのです。意見や信念に間違いはありません。どんどん言いましょう。そのための「言論の自由」です。(ただし、意見に間違いはないけど、理屈、理論に間違いはあります。)


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モザイクをかける本当の理由 (2003-08-20)

モザイクをかける本当の理由

哲学的な性的興奮

哲学的な何か、あと科学とか」という面白いページがある。そのページの、「哲学的な何か(メイン)>性的興奮(2)」に、興味深い事が書かれていた。少し長いが、引用したい。

もし、この国の女性が、みんな「耳」を隠していたとしよう。

女の子たちは、「耳」というものを、本当に愛した男性にしか「見せない」という文化で教育を受けていて…

男たちは、そういう世界で、子供の頃から育ったとしたら…

間違いなく、オレらは「うぉ〜〜〜、あの子の耳みてええ!!」と思うはずだ。もし、何かの拍子に、チラッと女の子の「耳」が見えただけで、「うぉぉぉぉぉおっぉ」と心臓が破裂せんばかりに興奮することに間違いはない。

哲学的な何か、あと科学とか 「哲学的な何か(メイン)>性的興奮(2)」)

現代の日本では、「胸」に興奮する男性が少なくない。もし、胸を隠さない文化だったら、まったく興奮しないだろう。隠すから興奮するのである。

江戸時代の男色家

隠すということは、見にくくなることである。希少価値がある。少ない方が価値があるというわけだ。

江戸時代、少年に欲情する成人男性たちがいた。そして何と彼らは、少年の前髪に萌えていた。今で言えば、「前髪萌え〜」である。

十七世紀の武士社会で前髪がほとんど信仰といっていいほど讃仰の対象であった。

(『江戸藩邸物語』 氏家幹人)

前髪が少年の象徴であり、男色の人にとっては欲情の対象だったのだろう。なかなか良い前髪にお目にかかることも出来ないため、価値も高かった。人間、何に萌えるか分からないものだ。

そうするとモザイクは

隠すことで価値が高まり、それに人間が性的興奮するのである。あまりにありふれたものには、決して興奮しない。つまり、興奮させるためには隠す必要がある。

成人男性向けビデオにモザイクがかかっているのは、このためである。隠すことで、その隠された部分に興奮するよう、強制されているのだ。

すなわち、エロいからモザイクをかけるのではなく、モザイクをかけるからエロいのである。

これは重要なことだ。モザイクをはずしてはいけない。耳にモザイクをかけてはいけない。でないと性的不能な男性が増えてしまう。

性欲は本能ではない。社会によって統制されているものである。

エロいからモザイクをかけるのではなく、モザイクをかけるからエロいのである。

Yas的日常 体調:普通

川相、犠打世界記録達成

まさか胴上げするとは(笑)。家族の祝福には感動した。


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エヴァンゲリオン2発表 エヴァ2はエヴァを超えるか (2003-08-21)

エヴァンゲリオン2発表 エヴァ2はエヴァを超えるか

80年代アニメの総決算

『新世紀エヴァンゲリオン』(以下エヴァ)は、ある意味で、80年代日本アニメの完成形態である。

エヴァは、ヤマト、ガンダムに続く第三の波として、社会現象にもなった。私もビデオで見た。そして虜になった。劇場版の限定テレカを、今でも持っている。(当時2万円ぐらいの値段がついた。)

エヴァンゲリオン2発表 PS2で登場

エヴァ2のニュースが飛び込んできた。TECHSIDEからニュースを引用しよう。

エヴァ2ではエヴァンゲリオンの世界を再現し、その中でプレイヤーが自由に遊ぶという内容。物語は「時に西暦2015年。第3新東京市直上。第参使徒サキエル。」から。

2というタイトルは、「ある時庵野さんが<2>という名前をあげるよ。そう名乗るのが似合っている気がする。」と言ってくれたからつけたとか。発売は11月で開発状況は50%。ジャンルはシミュレーション。

TECHSIDE 2003/8/21 )

TVアニメではなく、メディアはPS2というゲーム機に移行した。制作も、アニメとは異なり、アルファシステムが担当する。

これまで、いくつかのエヴァゲームが登場したが、すべて番外編という位置づけだった。今回、はじめて「2」が付く。エヴァの監督である庵野が認めたのだ。

期待していいかもしれない。今までは、すべて同人誌的な内容のゲームだった。

なぜエヴァは面白い

エヴァを知らない人のために、エヴァの魅力を解説しておこう。ほとんど評論家の東浩紀の受け売りである。詳しくは『郵便的不安たち#』(朝日文庫)の中の「庵野秀明はいかにして80年代日本アニメを終わらせたか」を参照していただきたい。

エヴァには、80年代アニメの最良の要素が詰まっている。

  1. 宮崎駿的世界(破局後の世界)
  2. 神話をベースにした父親とのオイディプス的葛藤
  3. 大友的ガジェット(遺伝子操作、人工知能)
  4. メカニック描写の充実したロボットアニメ
  5. 『ガンダム』のアムロをモデルにした内向的な主人公
  6. 心理・哲学的な内面世界重視の映像
  7. 美少女・美少年キャラ。特に「やおい」を意図的に狙っている。
  8. 推理小説的な楽しみ
  9. 押井守的なメタフィクション性
  10. 過去の小説、アニメ、映画の徹底した引用、オマージュ

このように、エヴァには80年代アニメの要素が凝縮されているのである。心理描写・哲学的思想は、「哲学するアニメ」という言葉を生み出した。

私は、この哲学的要素が、エヴァの中心だと思っている。

エヴァ2はエヴァを超えるか

さて、エヴァ2である。エヴァ2はゲームだ。

90年代、ゲーム機の能力が飛躍的に向上した。プレイヤーは作品世界と相互に作用することが可能である。

ゲームは、新たな物語や作品を生み出す大きな可能性を秘めたメディアだと確信している。しかし、現実にそれを成功させたゲームは少ない。

エヴァ2はエヴァを超えるだろうか。

エヴァは、「ある意味」で80年代アニメの完成形態だった。


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映画「地獄甲子園」 メガヒット作品の条件 (2003-08-23)

映画「地獄甲子園」 メガヒット作品の条件

映画見てきた

映画やゲームに限らず、メガヒット作品には、絶対と言っていいほど含まれる4つの要素がある。

渋谷で、映画「地獄甲子園」を見てきた。都心では渋谷のみの上映で、しかもレイトショーの1日1回だけの上映だった。ひとことで言えば、「バカ」な映画。これは褒め言葉である。

地獄甲子園とは

『少林サッカー』を超える笑撃!『マトリックス』を上回るアクション!『ピンポン』以上に青春!『フィールド・オブ・ドリーム』を凌ぐ感動!

(地獄甲子園パンフレットより)

「この映画で泣くほど笑った自分が怖い」(工藤夕貴・女優)というパンフの言葉どおりの作品だった。さしづめ邦画版『少林サッカー』だろう。地獄甲子園は、まったく野球で勝負してないけど。

ヒットの条件

岡田斗司夫によると、メガ・ヒット作品には、次の4つの要素が必ずあるという。

  • SEX (性的な快感。恋愛。アクションの快感も含む)
  • 勝負 (作品の中で勝ち負けがある)
  • 知性 (知的な快感)
  • 社会性 (やってることがどの程度社会性を持っているか)

『タイタニック』しかり、『スターウォーズ』しかり。『ファイナルファンタジー』(ゲーム)も4つの要素が含まれている。。ファミコン時代は、ゲームの中に「社会性」が含まれていたが、プレステ時代には限界が見えてきた。そこでVIII(8作目)では、大量のCMを流すことで、このゲームは社会的な動きだ、すごいことなんだ、ということにして社会性を得ようとしている。(『オタキングゼミ』岡田斗司夫 1998 p85)

地獄甲子園の場合

日本で大ヒットしている映画に、4つの要素が含まれているかチェックしてみると面白い。『踊る大走査線』の場合はどうだろうか。

『地獄甲子園』の場合、まず、知性のかけらも感じられない。ただし、観客にツッコミができる能力が必要であるため、ある意味知的ではある。笑いとは実は知的な行為である。勝負性は強い。SEXの快感はないが、アクションシーンは楽しいので、まあまあ快感が得られる。

残るは社会性である。ほとんどの映画館で上映されておらず、マイナーな映画である。ほとんど社会性はない。もっと多くの人に見られてもいい映画だと思うのだが。

映画には必ず4つの要素が必要だと言うつもりはない。もしそうだったら、激しくつまらない映画ばかりになってしまうだろう。

メガヒット作品の条件は、「SEX」「勝負」「知性」「社会性」


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24時間テレビは素晴らしい。 視聴率は世界を救う。 (2003-08-23)

24時間テレビは素晴らしい。 視聴率は世界を救う。

「偽善」は「善」に勝る

日本テレビの24時間テレビは素晴らしい番組だ。多くの人が「偽善」だと批判しているが、「偽善」だからこそ道徳的であり、素晴らしいのである。

24時間テレビ。夏休みの終わり

ちょうどこれを書いている今、24時間テレビを見ている。マラソンや障害者のチャレンジやドラマなど、毎年おなじみの内容だ。たった今、あややが画面に登場した。見てて良かった。

小さい頃、この番組は夏休みの終焉を意味していた。まだ純粋に見ていたあの頃が懐かしい。

慈善事業ではない

スポンサーから資金を調達しTV番組として成立させている以上、24時間テレビは営利目的であり、慈善事業ではない。

募金をつのってはいるが、制作費も莫大である。この点は批判されていて、「番組を放送せずに、制作費をそのまま寄付した方が地球を救う」という意見がある。

たしかに、無意味なマラソンなどには多額のコストがかかっている。走るだけ無駄だろう。感動だけの「偽善」である。

「寄付」よりも「偽善」の方が道徳的である

私たちには、「寄付することは良いことだ」という思いこみがある。しかしこれは必ずしも真ではない。寄付するよりも、モノを買った方が良いという考えもあるのだ。

ヘーゲルは、『法哲学講義』の中で、次のように説いている。

金持の慈善行為は金を施すのと同じことなのだが、金を施すより、労働の対価としてだけお金を支出するほうがずっと道徳的です。

(中略)

全体の暮らしが慈善を土台とするより、産業を土台としてなりたつ社会のほうが、はるかに人間らしい共同体です。

慈善行為で金を寄付するよりも、その金でものを買ったり消費したほうが、他人の労働価値、人間の価値を認めたことになるから、その方がずっと道徳的なのである。

日々努力している企業に対価を支払う方が、人間の価値を認めることになる。

日本テレビは、番組を作らずに善意で寄付するよりも、偽善的な番組を作り制作費をかけた方が道徳的なのである。

地球は視聴率によって救われるのだ。

24時間テレビは、偽善だからこそ道徳的である。善ではなく、偽善であることが素晴らしい。


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地獄への道は善意で敷き詰められている (2003-08-24)

地獄への道は善意で敷き詰められている

善意は恐ろしい

善意で行ったことでも、悪い結果になることがある。善意を盲目的に肯定してはいけない。

「地獄への道は善意で敷き詰められている」

24時間テレビ

本を読みながら、軽く24時間テレビを見ていた。

芸能人が貯金箱にセコセコと小銭を貯めるわけがない。演出のためにわざわざ貯金箱を買って小銭を詰め込み、その小銭以上の交通費をかけて武道館まで足を運んでいるのである。見え見えの作為は、かえって潔いと思う。

そんなことより、驚くべき事実に気がついた。山田花子のマラソン中継の時、右下の小さい画面に、モー娘。の加護愛の姿が映った。その時の加護の顔が、恐ろしいほど可愛く見えたのだ。山田花子の効果だろうか。こうなると、「モー娘。における保田圭の存在意義」について、再考しなければなるまい。彼女は卒業すべきではないのだ。

善意は必ずしも良ならず

昨日この日記で、「偽善」について書いた。わずかに反響があった。

「善意でやるべきだ。善意の何が悪いのだ」という意見もあった。たしかに「善意」は重要で、それは否定しない。ただ、それを盲目的に信仰するのはどうか。善意によって、悪い結果が生み出されることもある。

地獄への道は善意で敷き詰められている

「地獄への道は善意で敷き詰められている(The road to hell is paved with good intentions.)」

レーニンが言った言葉だとか、ことわざだとか、色んな説がある。社会の事実をとらえた、絶妙な言葉だと思う。私の好きな言葉のひとつだ。

善いことが必ずしも社会にとって良いこととは限らない。えてして「善い行い」をする人は、自分が正しいと思いがちだ。近視眼的な見方しか出来ず、後々どのような結果を引き起こすか考えていない。

そして、善意の行動に対して批判することは難しい。悪いことをやっていれば批判も簡単だけど、善意の人を批判するのは心苦しいだろう。仮に批判したとしても、「善意でやっているのに何て事を言うんだ!」とかえって批判されてしまう。

善意で行動している人は、自分の信念を疑わない。自分こそ正しいと思い込んでいる人間が積極的に行動することほど、怖いモノはない。

本当に恐ろしいのは、自分を善良で正しいと勘違いしている人である。


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世界の中心で、愛をさけぶ (2003-08-25)

世界の中心で、愛をさけぶ

人気の出る小説の基本的要素

人気の出る小説の基本的要素は、次の4つ。

  • 宗教
  • ミステリー
  • 上流階級ののぞき趣味
  • セックス

最近の話題作では、貫井徳郎の『慟哭』というミステリ小説が、この4つをすべて含んでいる。

世界の中心で、愛をさけぶ

ちまたで話題の恋愛小説、『世界の中心で、愛をさけぶ』(片山恭一 小学館 2001)を読んだ。王様のブランチ(TBS)で紹介された時から気になっていた一冊だ。

読みはじめてから、最後までいっきに読んでしまった。面白い。あまり恋愛小説は読まないので、他の作品との比較は出来ないけど。

4つの要素が含まれている

『世界の中心で、愛をさけぶ』は、上にあげた4つの要素を含んでいる。

恋愛小説なので、「セックス」(性的な要素、恋愛的要素)は当然含む。

物語そのものに謎はないが、ストーリーの構成がうまく先が気になるので、「ミステリー」の要素を含んでいると言える。

小説の書き出しも、謎めいていて魅力的だ。

朝、目が覚めると泣いていた。いつものことだ。悲しいのかどうかさえ、もうわからない。涙と一緒に、感情はどこかへ流れていった。しばらく布団のなかでぼんやりしていると、母がやって来て、「そろそろ起きなさい」と言った。

「上流階級ののぞき趣味」はどうだろう。

主人公の家は、社会階層でいえば「中の上」「上の下」ぐらいである。祖父が元議員であり、昔は資産を多くもっていた。主人公の頭の良さや振る舞いも、優等生的で、「上流」である。「上流階級ののぞき趣味」(上流階級の人間の実状を描く)も含まれている。

最後に残ったのは「宗教」である。これは言いかえれば、「魂の問題」である。「幸福とは何か?」「私という存在は?」「愛とは何か?」「世界の存在とは何か?」という観念的な問いと答えのことだ。

「ぼくにとってアキのいない世界はまったくの未知で、そんなものが存在するのかどうかさえわからない」

「大丈夫よ。わたしがいなくなっても世界はありつづけるわ」

「わかるもんか」

窓の外を見た。真っ暗で何も見えなかった。

主人公と彼女との会話、主人公と祖父との会話は、ときどき観念的で、宗教的になる。ロマンチックな話が好きならば、受け入れられると思う。

情景描写、心象描写

情景の描写や、心境の表現も優れている。引用してしまうのがもったいない。これから読む人の楽しみを奪ってしまいかねない。

興味をもたれた方は、一読してみては。

『世界の中心で、愛をさけぶ』は、面白い小説の基本的要素をおさえた秀作恋愛小説である。


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「理不尽」で「意味のない」中学校の校則の意味 (2003-08-26)

理不尽な校則の意味

意味不明で理不尽な校則

中学校には、厳しい校則がある。その多くは理不尽で、合理的ではない。頭髪や服装の規定など、「意味があるのか?」と思う校則が少なくない。

私は納得がいかなかった。しかし、今振り返ってみると、理不尽で意味不明であることに意味があると思う。

世界陸上での抗議事件

先日の世界陸上で、大きなハプニングがあった。記事を引用しよう。

フライング失格に抗議、競技に大幅遅れ 世界陸上

24日にパリ郊外サンドニのフランス競技場であった陸上の世界選手権男子100メートル2次予選2組で、不正スタートで失格になった米国選手がトラック上に仰向けになるなどの抗議を繰り返し、競技の進行が大幅に遅れた。フライングの新ルールが混乱を呼んだ。

(asahi.com http://www.asahi.com/sports/update/0825/058.html

スポーツニュースでは、このアメリカの選手が、

  • 俺はなんにも悪いことをしてはいない
  • 悪いのは機械だ
  • ルールを変えるなんておかしい
  • スタートラインを超えてはいない
  • 走るためにここまで来たんだ、走らせろ

と、必死で審判団に主張。トラックの上に寝そべってしまった。

ルールだから仕方ない

この事件の日本人の感想の多くは、

  • ルールだからそれに従うべき

というものだった。「悪法も法」というわけではないが、ルールだから仕方がないという考えは、広く定着している。

規則には服従

日本人は、義務教育の中で、理不尽な規則を押しつけられる。そしていつのまにか、ルールに従うことが当然という考えが身についてしまう。

これは社会に出てから、ものすごく役に立つ。

なぜならば、大人の社会はあまりにも理不尽で無意味なことが多く、非合理的であることがほとんどだからである。理不尽なことに疑問を感じたりしていては、社会に適応できない。

無意味で理不尽な世界に突然放り出されてしまっては、どのように生きていけばいいのかわからず、途方にくれてしまう。社会に出る前に、慣れておかなければならない。

ゆえに、義務教育過程では、理不尽で意味のない校則が必要なのだ。「意味」があってはいけない。

「規則」だからという理由だけで、納得してくれる人間に育てなくてはならない。「意味がない」「理不尽」であることが重要だ。

義務教育では理不尽で意味のない規則が多い。「理不尽」「意味がない」ことが重要である。


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中高年は会社を辞めろ (2003-08-27)

中高年は会社を辞めろ

若者の失業者・フリーターを減らす方法

中高年、特に60歳以上の労働者は会社をやめるべきである。そして若者に仕事を配分すべきである。中高年の失業以上に、若者の失業が深刻だ。

若者の失業率は10パーセント以上

定義にもよるが、フリーターは400万人を超えた。若者(15〜24歳)の失業率は10パーセントを超えている。

若者が働かない・働けない原因として、社会学・経済学的には次の2つが挙げられるだろう。

  • パラサイト・シングルの増加
  • 経済社会構造の変化

パラサイト・シングル論は、親の「子どものために信仰」が強い現代日本特有の現象と言われている。思想的(イデオロギー的)な事なので、パラサイト・シングルを批判しても問題の解決にはなりにくい。

実際のところ、親にパラサイトしているからだけではなく、経済の構造が変化したために若者の失業やフリーターが増加した。これは、宮本みち子(『若者が<<社会的弱者>>に転落する』)や、玄田有史(『仕事のなかの曖昧な不安』)らが主張している。

中高年は会社を辞め、若者に仕事を与えよ

asahi.comに、面白い記事があった。民間の信用調査機関の方の意見である。

一方、60歳以上で働いている人は914万人。このなかには、年金を受給していて、無理に働かなくてもいい人が少なくないはずです。あくまで数字上の話だが、この914万人のうち1割がリタイアしただけで、若者の失業者を軽く吸収できる。世代交代を急がないと、日本は老害で立ち直れなくなります。

(asahi.com http://www.asahi.com/job/special/TKY200308080237.html

問題は、次の2点。

  • 年をとってもまだ働いている。(他に趣味がないのか)
  • 仕事の出来ない中高年の人件費が高すぎる。1人で3人分ぐらいの若者が雇える。

無意味な中高年の存在が大きい。若者に仕事を与え、職業訓練をつませなければならない。

将来を支えるのは今の若者

安易な「若者批判」では、何も変わらない。働く意志が弱くなっただけではない。無職、フリーターと言っても、

  • 積極型 (好きで無職・フリーター)
  • 消極型 (本当は嫌だが、無職・フリーター)

の2種類が存在する。そして、消極型の方が多い。働きたくても働けないのだ。

日本の将来をささえるのは、間違いなく今の若者である。その若者の職業訓練の機会を失うことが、後でおおきなダメージになる。若者が働いて納める税金や年金で、中高年の老後の生活が成り立つのだ。

中高年の労働者は、とっとと退場しよう。あなたの変わりはいくらでもいる。いやむしろ変わった方が社会のためだ。

中高年の労働者は、会社を辞めよ。若者に職を与えよ。老後は今の若者によって支えられる。

Yas的日常 体調:普通

阪神が・・・

阪神が本拠地甲子園で巨人に勝利。主審が阪神びいきだったような。


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「アミノ式」のCMは特撮ではなかった。 (2003-08-29)

「アミノ式」のCMは特撮ではなかった。

特撮ではなく実写

「燃焼系〜燃焼系〜」でおなじみのサプリメント飲料、「アミノ式」のCMは、特撮ではなく、本当に撮影している。

公式ホームページでのコメント

「アミノ式」公式ホームページで、CM画像を見ることができる。さらに、「よくある質問」に答えている。

<質問>CMのすごい技は、本当にやっているのですか?

<回答> はい。実写です。
本当に回ったり昇ったりしています。
大変練習を重ねたうえで演技していただいておりますので、絶対にマネはしないでください。

小さい子どもはマネしようとするかもしれない。でも、ふつう出来ない。

はじめてあのCMを見たときは驚いた。おそらく特撮だろうと思った。ドリフ大爆笑の安っぽい特撮の応用だと思った。

しかし、あのCMは実写だった。血と汗と涙の結晶だったのだ。

薬事法違反にはならないのか

薬事法第68条(医薬品以外で、効用、効能を宣伝してはいけない)に触れるのではないか、と思って調べていたところだった。栄養ドリンクなどは、法律スレスレの表現で逃げていることが多い。

薬事法については、また機会を改めて書くことにする。

リンク
アミノ式の明るい生活計画:アミノ式CM紹介(公式ページ)
http://www.suntory.co.jp/softdrink/aminoshiki/page4.html

「アミノ式」CMは特撮ではく、本当に運動している。


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課題図書などやめてしまえ (2003-08-29)

課題図書などやめてしまえ

大量の金が動く課題図書

夏休みの読書感想文用として、課題図書が指定される。課題図書をめぐっての汚い談合や、腹黒い画策は、数十年前から続いている。

夏休みも終わり。本屋には課題図書

小中学生の夏休みも、もう終わりである。読書感想文は書き終わっただろうか。

私が小さい頃は、適当に「あらすじ」だけをまとめて、あたりさわりのない感想を書いていた。本当に思ったことを書くと、先生がご立腹召されてしまう。

「思ったことを正直に書きなさい」と先生には言われたが、私は「世の中、ホンネとタテマエってものがあると思います」と反論していた。とても懐かしい。憎たらしい子どもだと思われたに違いない。

本屋に並んでいる課題図書を見て、そんなことを思い出した。

課題図書の構造的問題

さて。課題図書には、構造的な問題がある。毎年、6冊(だと思う)の課題図書が決められる。課題図書に選ばれた本は、確実に売れる。ゆえに、出版社や作家は、課題図書に選ばれるような作品を書きたがる。

どの出版社も課題図書を出版したい。今年の課題図書を見てみると、各出版社が1冊ずつ課題図書を出している。みんな仲良く、甘い汁を吸いましょう、という談合体質にもにた大人社会の片鱗をかいま見ることができるだろう。

作品の内容や質で選んでいるわけではないのだ。

20年以上前からの悪しき習慣

もっとも、そんなことは今にはじまったことではない。20年以上前に、山中恒が、「課題図書の存立構造」で、課題図書を批判している。

小学生向けとして毎年六点選ばれる本は、とにかく選ばれさえすれば二十万部以上の売れ行きが保証されるのであるから、作家にとっても出版社にとっても無関心でいられるはずがない。ところが毎年無数といってよいほど発行される児童書の中で六点だけ(小学生向きの場合)がヤケに売れ、読まされるということは何とも不自然な話ではないか。選定図書がズバ抜けた良書である保証はまったくない。出版社と作家のバランス(そのバランス感覚を分析すると選定者の思想が浮き彫りになってくるのであるが)を計算した上での「売書」運動にすぎないのである。

「課題図書」開設によってひきおこされた児童図書の「隆盛」がもたらしたものは何か。ユニークな書き手として知られる山中恒氏は次のように言う。

「驚異的なまでに出版点数、購買部数を増大させはしたが、児童文学の質的高揚はもたらさなかった。『課題図書』むきのテーマと『課題図書』になりやすい作家を『課題図書』をねらう出版社が追いまわすという現象を表出させただけである」(「日本読書新聞」九月二日号)

比較的テーマのはっきりした感想文を書きやすい本が、そして批評家をくすぐる適度の時事性と進歩性で味つけされた本が選定の対象となりやすく、しかも一旦「選定」されたとたん、教育委員会、学校図書館、母親の読書サークル、書店とあらゆるネットワークを通じて、飛ぶように売れるというナダレ現象が待ちかまえているとなれば、「課題図書」選定ということが児童文学を〈文学〉として質的に高めて行く契機になどなりっこないということがはっきりとしてくる。

「課題図書の存立構造(抜粋)」 山中恒)

今も昔も、構造的には変わっていないのである。

読書感想なんて無くしてしまえばよい

読書感想は不要だと思う。およそ教師や世間一般が期待する感想が求められていて、自由に感想を書くことも出来ない。思想統制以外の何ものでもない。

本を自由に選び、自由に感想を書いたとしても、今度は教師が許容できる範囲を超えてしまう。1クラス30人〜40人の子どもが、みんな別々の本の感想を書いてきても、「よく書けてますね」としか言えないではないか。

強制される読書感想は、本嫌いな子どもを作り出し、批判的に本を読むことの出来ない「思考停止」している子どもを生産するだけである。

はっきり言って不要である。

課題図書には子どもには言えない負の部分がある。


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男の結婚は、どれぐらいの損になるか (2003-08-30)

男の結婚は、どれぐらいの損になるか

損と得と

極めて常識的な考えだが、結婚しても得することばかりではない。結婚のコスト(損)とベネフィット(得)を考え、どれぐらい損をするかを知っておくことが大切である。

結婚のメリット式

『シングル単位の恋愛・家族論』(伊田広行 世界思想社 1998)p45-47に、面白いことが書かれていた。結婚のメリットを、コスト(損)とベネフィット(得)でとらえているのだ。さすが大阪経済大学の教員。

結婚のメリット式は、ベネフィット÷コストである。さて、そのコストとはなんだろうか。

  1. 妻の家事労働への不満度、妻の家事労働能力が低い確率、結婚によって失う経済的自由(消費的妻)
  2. 妻以外の者に対する性的不自由、妻に対する性的不満度
  3. 将来の恋愛可能性を失うコスト(もてる男性に不利)、離婚の困難性による不自由、離婚の危険性とそのコスト
  4. 家族扶養の義務・責任の苦しさ・重圧(夫/父/主役割、意識)
  5. 子どもに縛られるコスト、子育てに必要なエネルギーと経済的負担
  6. 結婚によって自分の家事労働能力を無駄にするコスト
  7. 結婚による義務的関係(親戚付き合い等)の煩わしさ
  8. 妻の地位の低さなど等に伴う階層下降
  9. シングルに対する優遇策
  10. 男女平等意識による不満足
  11. 結婚によって失う自由(時間、空間、親の世話等)の程度
  12. 家事労働代替商品の安価な普及

結婚にはこれらのコストがのしかかる。人によってその量は様々だ。選択する配偶者、自分の価値観などで、コストは変わるだろう。

妻以外の者に対する性的不自由

注目すべき点を、いくつか列挙する。

まずは「妻以外の者に対する性的不自由」。これは浮気の禁止である。妻以外の人とセックスできなくなってしまう。これは不自由だろう。妻で性的に満足できなかったら、もう真っ暗である。

将来の恋愛可能性を失うコスト

もてる男性に不利である。もてる男性ならば、他にいい女性がたくさんいて、たくさん恋愛をすることが可能だ。しかし、結婚してしまうとその可能性を失ってしまう。

離婚の危険性とそのコスト

伊田によると、離婚のコストとは、「子ども、財産、意識、世間体、法、それまでの努力・時間、養育コスト、失う交友関係、失う社会的地位」である。

余裕のない平凡なサラリーマンは、離婚のリスクを考慮すべき。

子どもに縛られるコスト

最近では、「育児をしないパパ」は、非難される。父親にも育児参加が求められている。結構なことだと思う。母親と一緒に育児すべきだろう。しかし、コストであることには変わりない。

また、経済的負担も忘れてはいけない。厚生省のデータを見ても、一人あたり2000万はコストとしてかかる。子どもによりよい教育を与えようと思ったら、3000万ぐらいはかかる。

家事労働代替商品の安価な普及

昔は、洗濯は妻の仕事だったが、今は洗濯機の仕事になった。家電製品の充実により、家事は飛躍的に楽な仕事になったのだ。

わざわざ妻が家事労働をする価値が、相対的に低くなる。

コストじゃなくって愛

結婚は、コストとかメリットとか、そういうものではないと言う人が多い。

一般的には、愛し合っている二人が結婚するのが普通とされている。別に愛し合っている必要はまったくないのだが、とにかくそういうことになっている。

本来、愛情だけではなく、いろんな要素がからみあって配偶者選択がなされるのだが、愛によってラッピングされているため、なかなか本質が見えにくい。

結婚という行為を、コスト(損)とベネフィット(得)という経済学的な発想でとらえることは、「愛」という曖昧なベールでごまかしてきた結婚という行為の本質を暴くという意味で積極的な意義がある。

(『シングル単位の恋愛・家族論』伊田広行 世界思想社 1998 p45-47)

ベネフィット

 ベネフィットももちろんあるが、スペースの都合上、明日アップすることにする。明日はもうちょっと深く掘り下げる予定。

 女性については書かない。理由は、

  • このサイトは独身男性向け
  • 脅迫めいたメールが届く可能性がある

の2つ。

言論の自由とは言うけれど、ホントのことを言っちゃうと抹殺されてしまう。

結婚にはさまざまなコスト(損)がかかる。現実をよく分析し、どの程度コストがかかるかを見極めなくてはいけない。


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男が結婚すると、どれだけ得するのか (2003-08-31)

男が結婚すると、どれだけ得するのか

結婚するのは得

男が結婚によって得るものは多い。「結婚しない。」と即断する前に、現実をよく見ることが重要である。

(今日は昨日の話の続き。昨日の日記を読んでいない人は、まずはそちらを先にお読みください。)

愛がなくても

たいてい、結婚生活が長く続けば、愛なんてものは冷めてしまうものである。しかしそれでも結婚生活は続く。これは、唐沢俊一の次の言葉に象徴される。

「愛がなくて結婚を続けることが罪だったら、男性のほとんどは罪人である」

(『壁際の名言』唐沢俊一 海拓舎 2003 p151)

女性もまたしかり。

なぜ結婚生活が続くのか

しかし現実には多くの人が結婚生活を維持している。その理由は、コスト(損)よりもベネフィット(得)が上回るからだと考えることができる。

男が結婚することで、どれだけ得するのかを見てみよう。昨日と同様、『シングル単位の恋愛・家族論』(伊田広行 世界思想社 1998)を参照する。

結婚によって得られるもの
  1. 妻の家事労働能力満足度、身の回りの世話や秘書的世話のメリット、経済上のメリット、家計費の節約
  2. 性的満足度(美しく魅力的な妻)
  3. 結婚の安定性(離婚の困難性)による精神的安定性(もてない男性に有利)、社会的信用の獲得(シングル差別からの自由、一人前と見られる、所属欲求満足)
  4. 権力の快楽、優越感、支配欲求、夫/父/一家の主としてのアイデンティティ満足、夫/父役割への適性・満足度
  5. 嫡出の子どもを持つ満足(子育てという享楽消費、老後の安心、家意識満足、私有財産の保護)
  6. 結婚による交遊関係の拡がり
  7. 妻の地位・財産等に伴う階層上層
  8. 結婚世帯に対する優遇策(税、社会保険、賃金、社会保障、社宅等)
  9. 性別役割意識の満足
  10. 結婚によって得る自由(時間、空間)の程度

このように見てみると、得することが多い。

損することばかり、あるいは得することばかり見ていては重要なことを見落としてしまうのだ。

注目すべき点を見ていく。

妻の家事労働能力満足度

昔と比べて家事は楽になったので、相対的に価値は下がっているが、それでも家事は重要だろう。家計費も、しっかりした人ならば節約になる。

性的満足度

これは難しい。なぜならば「美しく魅力的な妻」が少ないからだ。たいていの人はごくフツーの魅力だろう。

また、たとえ魅力的な人がいたからといって、自分が配偶者として選択されるとは限らない。

そしてもっと重要なのが、「年をとる」ということだ。見落としがちだが、一般には時間とともに魅力は落ちていく。歴史的に見ても、どの文化でも、もっとも魅力があるのは十代後半である。その人の好み(幼女好き、熟女好き等)はあっても、市場で価値があるのは十代後半だろう。四十代を超えると、一部の人を覗いて絶望的だ。

(これは私の意見ではなく、事実である。念のため。)

結婚の安定性による精神的安定

結婚する前は、一生懸命に気を遣う。しかし、結婚すればその必要はなくなる。離婚が困難であるから、維持するためのエネルギーが少なくてすむのだ。もてない男性ほど、結婚が有利になる。

社会的信用の獲得
 

いまだに、「結婚してこそ一人前」と考える人は多い。本気でそう思っている人がいる。

また、賃貸物件を借りる時など、高齢の独身男性は信用がない。

夫/父/一家の主としてのアイデンティティ満足

男とはこうあるべきだ、という自己イメージを満たすことができる。自己満足だが、重要だ。住宅ローンで家を買ったり、家族を旅行に連れて行ったりすることで、「ああ、俺も父親になったんだな」と満足することである。

吉野屋で「よーしパパ大盛り食べちゃうぞ〜」と言うおめでたい父親もこれに該当する。

子育てという享楽消費

いわゆる、「趣味としての子育て」「子どものペット化」である。悪い意味ではない。最近の日本でよく見られる。豊かになった証拠だ。

「子育ては楽しい」「子どもはかわいい」という思想は、今の日本ではごく普通だが、歴史的には珍しい。

老後の安心

セーフティネットとしての機能を果たす。国による保障が未発達であるため、家族の手によって介護が行われているという現実がある。

まとめると

ざっと見ると、こんな感じだろうか。

結婚によって得るものは多い。だからこそ、結婚生活が維持されている。

最近、熟年離婚が増えているが、これは愛情が冷めたからではない。愛はとうの昔に冷え切っている。離婚する理由は、結婚しているメリットが無くなったからである。

熟年離婚の多くは、女性からの申し出だ。男性は寝耳に水である。男性にとって結婚していることのメリットはあるのだが、女性にとってメリットがないからだろう。

「俺は結婚なんてしない!」と主張する独身男性は少なくない。しかし、結婚によって得られるメリットが大きいことも考えるべきだろう。

もっとも、私は今のところ、結婚するつもりはない。それは、上に挙げたベネフィットのうち、いくつかは私にとってはまったく得にならないからである。

この話も、またいつか機会を改めて書く。今日はスペースが無くなってきたので、このへんで。

一般に、男性が結婚によって得るものは多い。「結婚しない。」と即断する前に、現実をよく見ることが重要である。

Yas的日常 体調:好調

生サンマキターー!

今日の夕食はサンマ塩焼き。85ウマー。


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