オフ報告 (2004-05-01)
オフ報告
金曜日に行われた第1回Simple公式オフ会-100万Hit突破記念オフ-の報告を。
詳細を記述するのが面倒なので、適当にキーワードを列挙する。
理想の男性と結婚する方法/スピードワゴン/ビアンカとフローラではフローラが好き/タロット占い/怒首領蜂/リストカット/PSW/IQ/遺伝する知能/スペンサー/適者生存/節約に命をかける専業主婦はキ○ガイ/レイストーム/ロズウェル事件/ネッシー/UMA/浄土真宗/オーギュスト・コント/ヘラクレイトス「万物は流転する」「同じ川には二度足を踏み入れることはできない」/方法論的社会主義/ラベリング理論/鋼の錬金術師/ウィンリィ媚びすぎ/薬で自殺する方法/ミスチルの「くるみ」のPV/プログラマ
酔ってて内容をよく憶えていない。2次会も含めて、朝の5時まで飲んでいたのだが・・。上記の話題についてこれる人は、Simpleオフ向き。次回開催は200万Hitを超えた頃を予定。
スピードワゴン
上に列挙した中に、「スピードワゴン」というキーワードがある。今の日本では、スピードワゴンは2つのものを指す。
- 漫才コンビのスピードワゴン
- 漫画「ジョジョの奇妙な冒険」のキャラクタのスピードワゴン
この2つのどちらかなのだが、どちらをイメージするかで、その人の文化的属性がわかってしまう。「スピードワゴンってさ・・・」と話をかけてみよう。どちらのスピードワゴンをイメージするかで、その人のキャラが判明する。
検索してみると、漫才コンビのスピードワゴンの方が上位の方でヒットするし、はてなダイアリーの用語でも、漫才コンビの方が上位である。(はてなダイアリー「スピードワゴン」)
私はスピードワゴンと言ったら漫才コンビの方が真っ先に出てくる。(実はスピードワゴンのファン)
他の人はどうだろうか。
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結婚と就職は同じ (2004-05-03)
結婚と就職は同じ
結婚と就職は同じである。契約の時点では、どんな仕事が待っているかわからない。
結婚の条件
小倉千加子の『結婚の条件』(朝日新聞社)を読んだ。なかなか面白いエッセイだった。(ちなみに彼女の本で一番お薦めなのは『セックス神話解体新書』)。
離婚と退職は同じだ。そこにいる以上、ある程度の我慢さえすれば食べていけるし、なにかに所属している感覚が安心感をもたらしてくれる。そこを飛び出すには勇気がいる。(p.109)
なるほど、と思う。たしかに正社員として会社に所属していれば、生活が保障される。そして、それにはある程度は我慢が必要だ。好きな仕事だけを選んでできるわけではない。結婚生活も同じようなものなのだろう。離婚するには勇気がいるので、多くの人は現状を維持し続ける。
就職とは何か
結婚も就職と同じと言われる。女性にとって結婚は永久就職であり、一生の生活保障を得るものだった。サラリーマンが気楽な稼業だった時代なら、たしかに一生の生活保障となりえただろう。
労働経済学的に言うと、正社員は「労働内容が未定のまま労働契約が先行する存在」である。正社員は就職する際に、労働条件は提示されるが、具体的に仕事の内容は提示されない。これに対し、契約社員や派遣労働者は、仕事の内容が契約時に明確になっている。正社員と契約社員の大きな差はここにある。
正社員は原則として終身雇用であり、会社側のどんな命令にも従わなければならない。どんな仕事に出くわすか、それは時代や会社の方向性次第である。
女性――とくに専業主婦――にとっては、結婚は就職と同じである。最初に契約(婚約)が先行し、結婚した後にどんな仕事が待っているかは未定である。子どもができて育児に追われるかもしれないし、夫の親が倒れて介護の役割を押し付けられるかもしれない。
同じ条件の男性(たとえば年収1000万円)と結婚しても、その後のイベント次第では、労働の内容がまるで違う。子どもを産まずに一生を過ごす主婦もいるし、介護で明け暮れてしまう主婦もいる。
結婚した場合、どんな仕事が待っているのか分からないものなのである。
蛇足かもしれないが、一つ気に入った言葉を引用したい。
十八歳の時の頭の良さで一生が決まるのではない。三十歳の時に賢いかどうかがよほど大事なのだ。(p.115)
男性も女性も、三十歳の時に賢い選択が出来るよう、今から精進しておこうではないか。
結婚と就職は同じである。契約の時点では、どんな仕事が待っているかわからない。
Yas的日常
ドラクエVとか
友人宅でPS2の「キン肉マン」をやる。声が違うのはいかがなものか。
「ドラクエV」は面白い。道具袋があり、これに「どうぐ」を入れることが出来る。道具袋には名前がつけられる。「ようじょ(幼女)」と名前をつけ、「こんぼう」を入れてみた。
「ヤスは ようじょに こんぼうを 入れた。」
と表示される。倫理的にどうなんだ。ソニー的にはOKですか。
やはり「ドラクエV」は面白い。
SPA!にパクられる?
「週刊SPA!」に、『家庭の収入と子どもの成績(2004-02-22)』がパクられているとのタレコミが。
雑誌を読んでみたが、 引いているデータが同じだけで、パクられているわけではないようだ。あれをパクりと言ってたら、何も書けなくなるだろう。
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占いの機能 (2004-05-05)
占いの機能
占いには、思考機会を提供する機能と、思考を停止させる機能がある。
タロットカードによる未来の占いは、どんなカードが出ても、それは自分の未来を暗示するカードである。
占われてみた
先日、タロット占い師の方に自分の将来について占ってもらった。過去、現在、未来がカードによって示されたのだが、過去については的中していた。まさに自分の過去そのものだった。衝撃だった。未来については、まあこれから良くなるけど、それほど幸せでもないらしい。
占いの機能
占いには、まず思考機会を提供する機能がある。理想の男性がいて、結婚するつもりだったとしよう。この時に占い師に「結婚はやめたほうがいい」と言われたら、少しは結婚について考え直すだろう。人間はなかなか客観的に、相対的に物事を見れない。自分に関係することならなおさらだ。占いは、まず第一に、思考機会を提供する役割がある。
もうひとつは、思考停止の機能である。二つの選択に迷っている場合、占いで選んでもらえば、考えるための労力を使わずにすむ。ラーメンがいいかカレーがいいか。結婚したほうがいいのかしないほうがいいのか。今の世の中複雑にこんがらがっていて、どっちを選んだとしても、それなりに幸福で、それなりに不幸だろう。
どっちを選んでも大した問題じゃない場合、占いによって選択することで、思考停止をすることができる。
占いがなぜ当たるのか
なぜ占いは当たってしまう(当たったと思い込んでしまう)のか。それは、占いの場合、結果が抽象的なため、どのようにも解釈できてしまうからである。タロットカードには幸福を暗示するカードや不幸を暗示するカードが多くある。これらのカードすべては、自分の人生の断片を暗示するものになっている。勝手に自分の人生と結びつけて、カードを解釈してしまうからだ。だから、カードの中から何枚か選びだすと、それは自分の過去を言い当てているのではないだろうか。
どんな人の過去も、幸福と不幸が入り混じっている。個人差はあれ、苦悩を抱えて今を生きている。そしてどんな人の未来も、光ばかりではなくて、暗い闇があるはずである。
だから、占いは当たってしまうのだ。良いことを暗示しても、悪いことを暗示しても、未来はやっぱり良くも悪くもあるものなのだ。未来はいいことばかりじゃないけど、そんなに悪くもない。
どんなカードが出ても、それは自分の未来を暗示するカードなのだろう。
占いには、思考機会を提供する機能と、思考を停止させる機能がある。
タロットカードによる未来の占いは、どんなカードが出ても、それは自分の未来を暗示するカードである。
Yas的日常
朝までカラオケ
友人らと朝までカラオケ。ミスチル歌い倒し。
シフクノオト
以前プレゼントしたサインつき「シフクノオト」の写真をアップしていなかった。うっかり忘れてた。
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でき婚のススメ (2004-05-08)
でき婚のススメ
子どもが欲しいならば、できちゃった結婚も一つの方法である。
でき婚の過ち
いわゆる「できちゃった結婚」をした女性の知人が、離婚をした。
「でき婚」には次の二つの過ちがある。
- 無責任にも避妊しないこと
- そんな無責任な男と結婚してしまうこと
失敗は一度だけで良い。続けて二つ目の失敗まですることはないと思う。
なぜにそのような無責任な男と結婚してしまうのか、理解に苦しむ。子どもができたからといって、急に責任感がわいてくるわけでもなかろう。「責任をとって結婚する」などと言う男性がいるが、だったらなぜはじめからちゃんとしないのか。
――というのが、今までの私の「でき婚」に対する意見だったのだが、最近は心が寛大になってきたので、別の見方が出来るようになった。
でき婚のススメ
不妊カップルは、決して少なくない。およそ10組に1組は不妊カップルと言われている。ちなみに医学的には、年齢的に妊娠可能な男女が避妊せずに普通に性行為を行っていても2年以上妊娠しない状態を「不妊」と言う。
現在では様々な不妊治療があるが、確実と言われる方法はまだない。不妊治療を受けるカップルには、大きな精神的・肉体的・経済的負担がかかる。
世の中にはどうしても子どもが欲しいと願う女性がいる。そのような女性は、できちゃった結婚が確実で良いのではないだろうか。結婚してから不妊カップルであることが分かるよりも、結婚前に分かったほうが何かと都合が良いだろう。男性側に原因がある場合、また別の男性を探せばいいのだ。
ただしこれは、よっぽど子どもが欲しい人だけが使える方法だろう。結婚はしてもしなくてもいい、だけど子どもだけは欲しいという女性ならば、「でき婚」もいいのではないだろうか。(生まれてきた子どもの教育に不安が残るが)
子どもが欲しいならば、できちゃった結婚も一つの方法である。
Yas的日常
太平洋岸にある某温泉でマターリとして過ごした。
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何が女性を社会に進出させたか (2004-05-09)
何が女性を社会に進出させたか
70年代のアメリカで女性が社会進出したのは、離婚不安と失業不安が高まったため。
専業主婦減少の理由
アメリカでは、70年代に専業主婦が減少した。その原因は2つの不安感が高まったことにある。
- 法改正による離婚不安
- オイルショックによる夫の失業不安
以上2つの不安が、専業主婦減少の原因である。要するに、不安で専業主婦なんてやってられなくなったのである。
法律の改正により、離婚がしやすくなった。女性にとってみれば、いつ離婚されてしまうかわからない夫だけに頼るわけにはいかない。自分も働いていないと、離婚時に困ってしまう。
また、いくら離婚していなくても、夫が失業してしまえば生活はたちまち立ち行かなくなってしまう。失業するかもしれない夫に頼ってはいられない。
こうしてアメリカでは専業主婦が減少していった。(同時に離婚率も上昇していった)
本当は働きたくない
「女性は働きたいのだが労働機会が社会から与えられていない」というのは、フェミニストが広めてしまった誤った思想である。本当は女性はできることなら働きたくないのだ。男性だって自ら進んで積極的に労働したいわけではなく、生活のために働いている人がほとんどである。
女性が社会に進出したのは、不安感が高まったためであり、専業ではやっていけなくなったからである。女性自身が働きたいと願っていたわけではない。
日本でも、今後は不安感が高まり、専業主婦が減ると見ている。専業主婦をやっていられなくなる社会になるだろう。今の日本では離婚は法律上しにくいが、今後変わる可能性は低くない。また、失業する可能性も高まっている。
逆に、専業主婦をやっていられるには、離婚される心配がなく夫が失業しても影響がない場合だろう。果たしてそれだけの条件を備えた男性がいるのか。
70年代のアメリカで女性が社会進出したのは、離婚不安と失業不安が高まったため。
Yas的日常
無事です
「オフ会で刺されたりしなかったか?」と尋ねられた。無事です。生きてます。
テーマ変更
テーマを変更。もう少し日常的な素の自分の思想を出して行きたいので。専業主婦については、これからは真面目に書いてみたい。
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離婚についての二つの立場 (2004-05-10)
離婚についての二つの立場
破綻主義を導入した民法改正により専業主婦が減少する。
二つの主義
離婚について、代表的な立場が二つある。
- 有責主義
- 破綻主義
の二つである。「有責主義」は日本がとっている立場で、どちらかに非がある場合に離婚が許される。夫が「離婚したい」と言っても、妻に非がなく、妻が「離婚」を拒否してしまえば、離婚はできない。
「破綻主義」は、アメリカやスウェーデンがとっている立場である。結婚と同じように自由に離婚ができる。極端な話、夫が「離婚したい」と言った場合、妻は拒否することができない。妻に何の非がなくても、夫は妻を捨てることができ、他の若い女性と再婚することが可能になる。
有責主義から破綻主義へ
日本でも、破綻主義導入の民法改正案が何度も検討されている。世界的な流れでもあるので、将来的には破綻主義にシフトしていくものと私は考えている。
アメリカで破綻主義の導入が専業主婦の減少をもたらしたように、日本でも民法改正によって専業主婦が減少するだろう。夫から一方的に離婚されるようになれば、妻も専業主婦などやってられなくなる。
これまで女性は経済力のある男性と結婚してしまえば、それで安泰だった。自分が浮気でもしなければ、離婚することはなかったからだ。夫が離婚を願っても、それを拒否することができた。しかし、今後の民法次第では、それが不可能となる。
男性が会社から一方的にリストラされるように、専業主婦も夫から一方的にリストラされる日がくる。専業主婦は大きな態度をとっていられなくなる。専業主婦になっても、夫に嫌われないよう努力することが必要になるだろう。
破綻主義を導入した民法改正により専業主婦が減少する。
Yas的日常
戸梶圭太『天才パイレーツ』を読書中。なかなか良さげ。
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専業主婦についてのかなわぬ理想 (2004-05-11)
専業主婦についてのかなわぬ理想
専業主婦になりたい女性は専業主婦になれない。専業主婦になりたくない女性は、結果的に専業主婦になってしまう。
理想と予想の不一致
岩澤美帆は『だれが「両立」を断念しているのか』(『人口問題研究第55巻4号』)で、「専業主婦は実現しにくく、実現したとしても不本意」と分析している。簡単に言うと、専業主婦になりたいと思っている人は専業主婦になれなくて、専業主婦にならずに働いていたいと思う人が、結果的に専業主婦になってしまうということである。
女性が理想とするライフコースと予想するライフコースを統計的に分析した結果であり、あくまで傾向でしかないが、興味深い分析ではある。
なぜ専業主婦になれないのか
専業主婦を理想としている人の多くが専業主婦になれない。
専業主婦になって楽をしたいと願っている人は、比較的仕事が出来ず高学歴ではない。仕事が出来て楽をさせてくれるような男性との出会いのチャンスも少ない。結婚はそこそこの男性で手を打たなければならない。
結婚相手の男性が高収入ではないため、専業主婦ではいられない。一時的に専業主婦をやっていたとしても、子どもが大きくなるにつれて生活が苦しくなり、外で働くようになってしまう。
なぜ専業主婦になってしまうのか
その一方で、専業主婦になりたくないと願っている女性は、自立した精神を持ち、仕事も出来る女性に多い。そういった女性の結婚相手は、自分よりも仕事が出来る高収入な男性である。
高収入の男性は仕事が忙しい。そのため、家の中のことは女性にまかせたがる。また、大企業であれば転勤も多い。仕事を持っていても、妻は仕事をやめて夫についていくケースが多い。
こうして仕事を持たない専業主婦にならざるを得ない状況になってしまう。
女性の場合、自分の理想どおりの将来には成り難いのだ。
専業主婦になりたい女性は専業主婦になれない。専業主婦になりたくない女性は、結果的に専業主婦になってしまう。
Yas的日常
ガスが止まった日
ガスが出ない。シャワーが浴びられない。
どうやら安全装置が働いてしまった模様。明日の早朝、復旧作業にとりかかる予定。
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人は何歳までセックスするのか (2004-05-13)
人は何歳までセックスするのか
60代でも半数以上の人が、過去1年間にセックス経験がある。
人は何歳までセックスするのか
「人は何歳までセックスするのか」という素朴な疑問を抱いている人がいたので、今日はそれに答えてみたいと思う。
上のグラフは、年代別の過去1年間のセックス経験を表すグラフである。セックス経験のない人(童貞、処女)は含まれない。もしも童貞まで含めたら、「経験なし」が特に20代で増加するだろう。
また、性器による挿入行為がなくても、性器への接触と性的興奮があれば、ここでは「セックス」と見なしている。注意されたい。
60代でもまだ現役
全体的に、多くの人が性欲旺盛である。特に個人的に驚いているのが、60代での経験割合である。60代の男性だと約7割、女性だと約5割の人が、過去1年間にセックスの経験があるのだ。
60代ともなれば、もうすっかり枯れ落ちていると思う。60代の女性と、どうやってセックスするのか、かなり疑問である。本当に興奮できるのだろうか。むしろ萎えないのか。人間の神秘である。
ちなみに「人は何歳までセックスするのか」という質問は、高校生の方からいただいた。高校生の母親や父親は40代前後だろう。高校生諸君、キミの父親や母親は、まだまだ現役なのだよ。
60代でも半数以上の人が、過去1年間にセックス経験がある。
Yas的日常
ガスが止められていた
ガスが復帰。ガスメーターが故障していて、ガスが止められていた状態だったようだ。原因は不明。
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60代女性のセックスの実態 (2004-05-16)
60代女性のセックスの実態
60代の女性でも、意外と豊かなセックスをしている。
60代女性とのセックス
先日、60代の女性の半数が過去1年間にセックスをしていると書いた。各所で
- 「どうやったって萎える」
- 「生物学的に不可能」
- 「子どもを産む年齢じゃないから、セックスなど不要」
などの意見が見受けられた。60代の女性に興奮できないのは、まったく同意である。60代のおばあちゃんに魅力を感じることは皆無である。自分が60代になれば、同年代の女性のことが好きになるかもしれないが、それでも若い女性の方が良いのではないだろうか。性の商品(AV等)でも、おばあちゃんが出演しているものは企画モノでしか存在しない。
60代女性のセックスの実態
統計的に、60代の女性がセックスにおいてどのような行為を行っているのか、見てみたい。
「過去1年間にセックスをしたことがある」と答えた方への質問で、「ふだん、その人とのセックスで次のような行為はありますか。(あてはまるものいくつでも○を)」というのが質問の内容だ。過去1年間に経験のある人だけを対象とした質問であることに注意したい。
60代の女性にしては、意外に豊かだと思う。まだセックスに奔放ではない世代の人たちですら、これだけの行為を行っている。人間の可能性は無限大だ。60代でもまだまだ色んなことができるのだ。
今の20代の女性が60代になった時は、これよりも行為が多くなるのではいだろうか。
人間の可能性は無限大。
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60代女性のセックス頻度 (2004-05-17)
60代女性のセックス頻度
60代の女性でも、定期的にセックスしている。
セックス頻度
GWから生活のリズムが狂いっぱなしで調子が悪いので、手短に。
60代の女性はどのぐらいの頻度でセックスをしているのだろうか。過去1年間のセックス経験は、「人は何歳までセックスするのか」で見たとおりだ。この過去1年間に経験のある人たちは、いったいどの程度の頻度でセックスをしているのだろうか。
以下にNHKの調査結果を示す。
あくまで過去1年間に経験のある人のみが対象であることに注意したい。
こうしてみると、意外に普通に行為を行っているように思える。
そういえば私の祖父も60代で妻を亡くしたあと、再婚しようとしていた。周囲の反対によって断念したが、さぞかし無念だったことだろう。60代でもまだまだ元気なのだということを、周りの人が理解してやらねばなるまい。真面目な話、老人の性のケアも必要だろう。
60代の女性でも、定期的にセックスしている。
Yas的雑感
60代の性について書いてきたが、別に老人が好みというわけではない。頼まれてもしたくない。
まあ歌野晶午氏の『葉桜の季節に君を想うということ』(文藝春秋)が第4回本格ミステリ大賞にも選ばれたことだし、タイミングがよかったのではいだろうか。未読の方は意味が分からないと思うが。『葉桜〜』は万人向けではないが、個人的にはヒットした作品。
生活のリズムが狂って、22時にベッドに入り、4時に起床するようになってしまった。そのせいで更新が滞っております。今日も手抜きです。
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理系と文系を区別した理由 (2004-05-18)
理系と文系を区別した理由
数学ができない人間をふるいにかけるため、明治時代の日本は理系と文系を区別した。
理系なのになぜ
「理系なのになぜ文系の内容に口を出すのか」という質問をたまに受ける。
理系/文系という人間の分類自体、私はあまり好きではない。数学のできない人が文系に分類されるだけで、決して理系の人間が文系を不得意としているわけではないと思う。(もちろん文系の人の中にも数学が得意な人もいるが)
理系と文系との間に垣根を作ってしまうこともないだろう。真面目に学問としてやっているわけじゃないので、他の領域に土足で踏み込むのも楽しいと思う。
理系と文系が区別された理由
そもそも、なぜ理系と文系が区別されるようになったのか。これは、もともと理系人間と文系人間が存在したからではない。理系向けの大学設備には予算がかかるため、明治政府は数学ができない人間をふるいにかけたかった。そのため、理系と文系の区別ができたのだ。
理系/文系の区別を、当たり前だと思っている日本人が多いので、少し説明すべきだろう。
そもそもこんな区別があるのは、発展途上国の特徴である。黒板とノートがあればすむ文系にくらべ、理系は実験設備に金がかかるので、明治時代の日本は、学生数をしぼらざるをえなかった。そこで数学の試験をし、文系/理系をふり分けることにした。入試問題が別々なので、その前の段階で文系/理系を選択しなければならない。そこで何となく、人間には二種類ある、みたいな感じになってしまう。
(橋爪大三郎『橋爪大三郎の社会学講義2』夏目書房 p.63,64)
教育の途中で文系/理系に分けられて、それぞれ異なる文化で青年時代を過ごす為、人間性の違いは出てくると思う。しかし、もともと生まれたときから文系人間/理系人間の二種類に区別されるわけではない。
二種類の人間がいるから文系/理系に分けられるのではない。教育の途中で教育側の都合により文系/理系に区別されるから、そこで人間が二種類に分けられてしまうのである。
数学ができない人間をふるいにかけるため、明治時代の日本は理系と文系を区別した。
Yas的日常
生活のリズムが狂って、不本意ながら早起きしている。毎朝5時前に起きている。
せっかくなので、無意味にご飯を炊いたり、無意味にみそ汁を作ったり、無意味に魚を焼いたり、無意味にたくあん(梅かつお風味)を食べてみたりしている。時間を無意味に使うのって素晴しい。
宣言
明日か明後日に重大発表。
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立てよ!独身! (2004-05-19)
立てよ!独身!
独身帝国
「独身帝国」という掲示板を作った。独身男女向けの匿名掲示板である。2ちゃんねるにも独身向けの板があるのだが、やたらとネガティブなので。自虐的なのは面白いのだが、もっと積極的に独身を愛しても良いのではないだろうか。そんな風に思えて仕方がない。
以下、独身帝国の総統の言葉を引用。
我々は独身である。これは敗北を意味するのか?否!始まりなのだ!既婚連邦に比べ我が帝国の国力は30分の1以下である。にも関わらず今日まで戦い抜いてこられたのは何故か!諸君!我が独身男女が正しいからだ!
既婚が社会を支配して50余年、独身男女である我々が自由を要求して、何度世間に踏みにじられたかを思い起こすがいい。
独身帝国の掲げる、人類一人一人の自由のための戦いを、神が見捨てる訳は無い。個人が個人として生きていくために、今、我々は立たねばならない。
我が忠勇なる帝国軍兵士達よ、今や既婚者の多くが離婚によって宇宙に消えた。この輝きこそ我等独身男女の正義の証しである。決定的打撃を受けた結婚制度に如何ほどの魅力が残っていようとも、それは既に形骸である。敢えて言おう、カスであると!戦いはこれからである。諸君の父も友も、世間の無思慮な圧力に屈し、結婚していった。この悲しみも怒りも忘れてはならない!我々は今、この怒りを結集し、社会に叩きつけて初めて真の勝利を得ることが出来る。この勝利こそ、独身者全てへの最大の慰めとなる。
独身よ立て!悲しみを怒りに変えて、立てよ、独身!帝国は諸君等の力を欲しているのだ。
総統の思想=帝国の思想は、
- 男女に関係なく、すべての独身者を肯定する。
- 恋人のいる・いないは無関係。いてもいいし、いなくても良い。
- 結婚は完全には否定しない。しかし、結婚してもなお独立した個人でなければ認めない。(原則的専業主婦否定)
などである。
個人が個人として生きていくことに価値をおく。家族を構成することで自分を必要以上に殺したりはしない。各個人が確固とした己を持ち、己を活かすことを重視。結婚による結びつきは1対1だが、独身はそれよりももっと広い。独身は社会的に一人ではないし、孤独などではない。少なくとも独身帝国にいれば、一人ではない。
独身は既婚に比べて劣った存在ではなく、むしろ多くの可能性を持つ存在である。それをまず肯定したいというのが、総統の基本精神である。
――と書いてはみたものの、所詮は匿名の掲示板である。この後どんな方向に進んでいくかは、掲示板への書き込み次第だ。名前を入力しない場合、「名もなき独身」となる。この匿名の利を生かし、積極的にスレを立てたりレスをつけたりすると、みんなが幸せになれる。
このサイト(Simple)の感想も、適当に独身帝国に書き込んでOK。自由に議論したり、馴れ合ったり、ののしりあったりすると良いと思う。
以上、昨日宣言した重大発表でした。結婚の発表ではありませんでした。むしろ逆ですね。
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結婚の損得(女性編) (2004-05-20)
結婚の損得(女性編)
女性が結婚した場合の損得について。
結婚の損得
「【+】結婚の損得【−】」スレ(独身帝国掲示板より)向けの話。
まず、女性が結婚し専業主婦になった場合に得られるものを列挙する。(伊田広行『シングル単位の恋愛・家族論』世界思想社 p.46より)
それぞれ得られるものには個人差があることを念頭においておきたい。得と損を比較して、得の方が大きければ、当人にとって結婚は価値がある。
- 経済的安定(金銭的自由、養ってもらう効用、夫の収入・財産力)、従属の快楽
- 性的満足
- 結婚の安定性(離婚に伴うコストの大きさ、子どもの問題など)による精神的安定性(もてない女性に有利)、社会的信用の獲得(シングル差別からの自由、一人重視、所属欲求満足)
- 家事育児介護への適正・満足度、家事労働代替商品の安価な普及、育児介護支援制度などの充実
- 嫡出の子どもを持つ満足(子育てという享楽消費、老後の安心)
- 嫌な仕事からの解放
- 結婚による交友関係の拡がり
- 夫の成功・地位に伴う階層上昇
- 結婚世帯に対する優遇策(税、社会保険、賃金、社会保障、住宅等)
- 性別役割意識の満足
- 結婚によって得る自由(時間、空間)や満足(楽しさ、知的交流)の程度
つづいて、結婚によって失うもの、結婚することで損をしてしまうもの挙げる。
- 働き続けていれば得られる収入を結婚によって失う程度、夫の収入力が低い確率、養われる屈辱
- 夫以外の者に対する性的不自由(もてる女性に不利)、夫に対する性的不満度
- 将来の恋愛可能性を失うコスト、離婚の困難性による不自由、離婚の危険性とそのコスト
- 家事育児介護の義務の苦しさ(妻・嫁役割、意識)
- 子どもに縛られるコスト、子育てに必要なエネルギーと経済的負担
- 仕事の面白さ、仕事の将来性(昇進性)、社会的やりがい等を結婚によって失う程度、自己実現欲求の不満度
- 結婚による交遊関係の狭まり、義務的関係(親戚づきあいなど)のわずらわしさ
- 夫の不成功・地位の低さに伴う階層下降
- シングルに対する優遇策
- 男女平等意識から生じる不満足
- 結婚によって失う自由(時間、空間、親の世話等)の程度や相手の性格への不満度
以上、あまりよくまとまっているとは思えないのだが、広く網羅しているので参考にはなる。
肯定も否定もせず
男性については、以前書いたことがあるので、今回は省略する。(「男が結婚すると、どれだけ損するのか」「男が結婚すると、どれだけ得するのか」を参照。)
結婚した場合、得することもあれば損することもある。結婚する場合、相手が何を失うのかを考えたほうが良い。それが思いやりというものだと思う。男も、女も。
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結婚生活は飽きる (2004-05-21)
結婚生活は飽きる
今も昔も、結婚生活は飽きるものだ。
妻といふものこそ
吉田兼好も『徒然草』で結婚を否定的にとらえている。百九十段「妻(め)といふものこそ」から一部引用する。
いかなる女なりとも、明け暮れ添ひ見んには、いと心づきなく、憎かりなん。女のための半空にこそならめ。よそながらときどき通ひ住まんこそ、年月経ても絶えぬなからひともならめ。あからさまに来て、泊り居などせんは、めづらしかりぬべし。
簡単に意味も添えたい。
どんな女だって明け暮れ同居して顔を見るなら、ひどくうとましく、イヤになるだろう。女性にとっても不安な状態だろう。別な場所に住んで、時々通ってしばらく滞在するということにすれば、年月がたっても、縁が切れないような仲となろう。不意にやってきて泊まれば、お互い新鮮な気持ちでいられるだろう。
飽きる結婚
不倫や恋人同士であれば、毎日顔を付き合わせる必要がないので、新鮮でいられるだろう。しかし結婚してしまうと、毎日会わなければならない。そのうち飽きるのではないだろうか。女性だって毎日気合を入れて化粧が出来るわけではないので、あまり可愛くない。外に男でも出来れば化粧にも力を入れるだろうけど、それはそれで結婚生活が破綻している。
結婚生活を飽きないものにするためには、兼好の言うとおり、不意に泊まりに来たりするような、突発的なイベントが大切なのではないだろうか。家に帰ると64分の1の確率で裸エプロンを着た妻が出現するのはどうだろう。はぐれメタル的な要素は、飽きさせないためには有効だ。既婚者には、ぜひ試していただきたい。(感想待ってます)
今も昔も、結婚生活は飽きるものだ。
Yas的日常
敢えて独身だけど温泉でもいってみないか
明日から熱海でマターリしてきます。独身男性ばかりです。筋肉と筋肉のぶつかりあい。
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結婚する前に考えるべきこと (2004-05-24)
結婚する前に考えるべきこと
結婚することで得られると言われているものの多くは、結婚していなくても得ることができる。
結婚が幸福だった時代の終焉
「独身帝国」(掲示板)での<結婚>に関する話題を読んでの感想。
<結婚>すると様々なメリットがあると言われる。寂しさが和らいだり、自分の老後の不安が少しはなくなるようだ。だが、もっと前提を疑ってみたい。<結婚>について考えるとき、または個人が結婚する前には、次の2つのことを疑問に持つと良いと思う。
- それは結婚によって本当に得られるものなのか
- それは結婚以外でも得られるものなのではないのか
老後が不安だから結婚して子どもを産みたいと考える人もいるだろう。だが、本当に結婚して子どもを産めば、老後の安心が得られるのだろうか。老後の安心は、結婚以外でも得られるのではないだろうか。
私達が求めているのは、本当は
- 生活の安定
- 愛情
- 精神的充足
- 自分自身の子ども
などであって、それが<結婚>によってもたらされているだけなのではないだろうか。
果たして本当に<結婚>によって生活の安定が得られるだろうか?愛情は結婚しなくても得られるのではないだろうか?
私は結婚を否定的に見ているが、それは上にあげた人間につきまとう欲求を否定しているわけではない。それらの欲求が、結婚によって満たされるとは考えていないだけだ。
今までは、結婚すれば上のような欲求が満たされることが多かった。結婚が幸福だった。しかし、もうそんな時代も終わりである。欲求が高められ、自由が与えられた私達にとって、もはや結婚は幸福を保証するものではなくなった。(私的には結婚が幸福だったのは80年代前半まで、と考えている)
結婚しなければ得られないものがあるならば、進んで結婚したほうがいいと思う。自己目的的に結婚に走る女性もいるし、独身という立場に引け目を感じて結婚する男性もいる。こうした人びとは結婚自体が目的だから、結婚するしか他に道はない。登山家は理由もなしに山に登るのだ。
結婚しなくても得られるならば、実は結婚の必要性はない。今日では、多くのものが結婚しなくても得られるようになった。婚前交渉は当たり前になった。食べるものも外部のサービスを利用できる。生活の安定は自分が働いているので問題ない。恋人がいれば愛情を感じることもできる。
このように考えていくと、結婚する意義が減る。まったくゼロにはならないのだが。
結婚することで得られると言われているものの多くは、結婚していなくても得ることができる。
Yas的日常
熱海は寒かった。
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性的嫉妬の男女差 (2004-05-25)
性的嫉妬の男女差
夫は妻を他の男性から物理的に隔離したがる。
外には男がたくさんいる
何気なくドラマ『アットホーム・ダッド』をつけていた。専業主夫(男性)が、「(働いている女性は)外で色んな男と出会う」と発言。妻の浮気を心配していたようだ。
このドラマの夫に限らず、外で妻が働くことを嫌う男性は少なからず存在する。その理由の一つは、「外で色んな男性と出会う」からであろう。
男性は自分の妻が他の男に寝取られるのを嫌がるものなのだ。
性的嫉妬の性差
浮気を
- 身体的浮気
- 感情的浮気
に分けたとき、どちらに強い嫉妬を感じるだろうか。調査によって、男女では性的嫉妬に差があることがわかった。
男性は女性よりも身体的な浮気に対して嫉妬心が強い。逆に女性は男性よりも感情的な浮気に対して嫉妬心が強い。とくに日本人女性は、身体的な浮気よりも感情的な浮気に対して強い嫉妬心を抱く傾向にあるようだ。
囲いたがる男性
男性は女性よりも相対的に身体的浮気に嫉妬心を抱く傾向にある。これはつまり、パートナーの体を誰かに奪われたくない、という気持ちが女性よりも強いことを意味する。そのため、男性は女性を独占し、専業主婦として囲いたがる。物理的に外の世界の男性と接触する機会を減らせば、妻の体は守られやすいと考えるからである。(是非はここでは問わない。)
夫は妻を他の男性から物理的に隔離したがる。
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猫の「シャー!」はヘビのマネ (2004-05-26)
猫の「シャー!」はヘビのマネ
猫が敵に対して怒りながら「シャー!」と声を発するのは、ヘビのマネをしているから……らしい。
ヘビのマネをする猫
「トリビアの泉」の源流と言える、唐沢俊一氏の『トンデモ一行知識の世界』(大和書房)に、次のような1行知識がある。
- 猫が怒るとフーッと息を吐くのは、蛇のマネをしている。
- 猫がシッポをくねくねするのもまた、蛇のマネである。
猫に聞いたわけでもないのに、どうして蛇のマネをしているのがわかるのだろうか。5年間ぐらい気になっていたのだが、つい最近この一行知識の元ネタがわかった。
防御行動としての真似
『ネコは何を思って顔を洗うのか』(沼田朗 実業之日本社)の中で、著者は動物学者モリスの『キャット・ウォッチング』を引いて、ネコの防御行動について説明をしている。
モリスは、ネコが怒った時に息を吐きながら出す「シャー!」という声はヘビのマネである、と著書の中で述べているそうだ。ヘビのマネをし、毒を持っているから噛んだら自分が死ぬと敵に思わせているらしい。現代のネコがマネをしているとは思えないが、かつてヘビと同じ地に住んでいたネコのはるか昔の祖先が、環境に適応するために身につけた習性の名残が、今のネコにも受け継がれているのだろう。
さらに、長いしっぽをくねらせるのも、敵にヘビを連想させるためらしい。また、丸くなって寝ることも、ヘビのマネをしているそうだ。原生種に近い、斑点模様のあるネコが丸くなって寝ているところを上から見ると、ヘビがとぐろを巻いている姿にそっくりなのである。
どこまで本当の話なのかわからないが。
猫が敵に対して怒りながら「シャー!」と声を発するのは、ヘビのマネをしているから……らしい。
Yas的日常
Sign
ミスチルの新曲『Sign』を購入。身を清め、正座して聴く。
僅かだって明かりが心に灯るなら
大切にしなきゃ と僕らは誓った
めぐり逢った すべてのものから送られるサイン
もう 何ひとつ見逃さない
そうやって暮らしてゆこう
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核家族の割合は増えていない (2004-05-28)
核家族の割合は増えていない
核家族の割合は、今も大正時代もあまり変わらない。
世帯構成割合の変遷
戦後になって核家族が増えたといわれる。しかし、割合で見れば、大正時代でも過半数の家族は核家族だったし、今でも割合はあまり変わっていない。
国勢調査などのデータを見ても、核家族の割合は戦後になって一時的に増えているが、75年以降には割合は減少している。(実数としては増えている)
特徴としては、
- 大正9年でも過半数が核家族だった
- 核家族の割合が最も多かったのは75年
- 最近では単独世帯が多い
といったところだろうか。
原因
核家族の割合が今と昔で変わらない理由は、時代によって異なる。
大正時代に核家族の割合が意外にも多いのは、親の寿命が短かったからである。今ほど長生きする人はいない。
戦後になって核家族が増えるが、これは多産少死(たくさん子どもを産んで、しかもその子どもが死なない)が原因だろう。長男は直系家族を構成できるが、次男や三男は家を出るしかない。都会に出てサラリーマンとなり、核家族を構成した。背景には多産少死と高度経済成長がある。
75年以降、核家族の割合が減少に転じたのは、単独世帯の増加の影響である。ひとりで暮らしているという人も、意外に多いのだ。
これから単独の世帯がますます増えるだろう。一人暮らしの人には便利な社会になるはずだ。
核家族の割合は、今も大正時代もあまり変わらない。
Yas的日常
昨日更新できなかった理由
ミスチルの新曲『Sign』を聴いていた。「めぐり逢った〜 すべてのものから送られるサイーーーン もう〜」の部分で失神。気がついたら朝だった。そんなわけで更新できず。
雑感
今後しばらくは「家族」をテーマに書いてみようと思います。
直球ばかりじゃ疲れるので、たまには変化球も投げます。
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女性は料理をしていなかった (2004-05-30)
女性は料理をしていなかった
もともと妻は料理をしていなかった。
女の人はもともと料理をしていない
どうせ結婚するなら料理の得意な女性と結婚したい、と考える男性は多い。料理のスキルが低い女性と結婚してしまうと、毎晩マズイご飯を食べさせられるからだ。
料理の不得意な女性もいるし、得意な女性もいる。そもそも女性全員が料理を担当すること自体、無理があるのである。外で対価を払えばおいしい料理が食べられるのである。何も家で料理をする必要はない。
昔は、主婦全員が料理をしているわけではなかった。
食について調べていたら、家で何品目も、栄養のバランスを考えるお母さんが登場したのは、戦後の婦人雑誌が出て以降のことなんです。
それ以前は、奥さんにはお手伝いさんがいて、奥さんは「おかみさん」としての仕事があった。当時は、一般の家庭に、家事だけでも洗濯機はないし、縫い物はしなければいけないし、掃除はしなければならなかったし、職人や商人の家だったら、もちろん仕事の手伝いがあったわけですからね。
下町に行くとお惣菜屋さんがたくさんあるのは、「昔から、おかみさんは料理をあまりしなかった」ということのあらわれなんですよ。
だから、「うちの家内はあんまり料理を作らない」だとかいう発言は、まったくの幻想から生まれてるんです。
20世紀家族
女性が主婦となり、ほぼ全員が料理をするようになったのは、20世紀になってからである。特に戦後その傾向が顕著となった。
19世紀の中産階級の家族には、下層の使用人がいて、使用人が料理をしていた。20世紀になると、家事使用人のいる家庭が稀となり、主婦自らが料理をはじめとする家事を行うようになったのである。(落合恵美子『近代家族の曲がり角』角川書店 p.27-28)
主婦全員が料理のスキルを向上させるのは無駄ではないのか、と常々思う。料理の不得意な人が時間と金を浪費し、まずい料理をつくって旦那に食べさせることはないと思う。適当に手を抜いて家庭外のサービスを利用すれば良いと思う。一家に一人、専用の飯炊き女性を置いておく必要はない。
男性もあまり女性に期待してはいけないと思っている。
もともと妻は料理をしていなかった。
Yas的日常
土曜から日曜の朝までカラオケ。大声で豪快にミスチルを唄う。
録画していた「笑いの金メダル」(テレビ朝日系)を見る。さくらんぼブービー最高。
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