◆こんばんは、リニューアル作業お疲れ様です。
徳保さんが【痴漢論議】でも「パナウェーブ研究所」を引き合いに出されていたので、今回はそれに就いて幾つか御聞きします。
@徳保さんは過去の備忘録で、一見怪しい「白装束の集団」だからと言って「パナウェーブ研究所」に対して過剰に周りが反応するのはおかしいと言われていますよね。
でも「皆して同じ白装束でさえなければあそこまでの被害は避けられた筈だ」と言う「パナウェーブ研究所」の【近隣住民対策の不備】にまで言及されていないのは何故ですか?
オウムの経験から民衆は「1人の教祖を仰ぎ、周囲を拒絶しながら同じ奇抜なファッションで集団生活する組織」に過剰な反応するだろうなんて言う事は少し考えれば誰にでも予測出来るのですから、こゆさんが痴漢被害にあった時の服装を咎める前に、「少数派贔屓の徳保さん」なら彼等の為にも【パナウェーブの服装の不備】を憤るのが先でしょう。
徳保さんは「パナウェーブには千乃代表を守る為」と言う理由があったと言われるかもしれませんけれど、こゆさんには「記録的猛暑だったので薄着をしていた」や「彼氏が気に入ってくれた服装」だったって理由があったかもしれませんよね。
服装が原因で災難にあった(と徳保さんが感じた)両者がいて、何故「パナウェーブ」はOKで「こゆさん」はNGなのでしょうか?
その理由を是非御聞かせ願えれば幸いです。
A徳保さんは、【痴漢論議】では「犯罪に巻き込まれる事」や「防犯の不備を責められる事」が嫌ならば事前に対策を万全にするべきだと言われましたよね。
ならば、万が一「パナウェーブ研究所」が事件を起こした時に、世間から「あんな怪しい連中を受け入れるからだ」と責められないように、近隣の住民が「パナウェーブ研究所」の受け入れを拒絶したり立ち入り調査を決行する事は全く当然の行為なのではないのでしょうか。
そうする事は、今後何年も「パナウェーブ研究所」を交代で監視するよりも【簡単で確実な防犯】な訳ですし、「公益のためには、法の適用はしばしば曖昧なものとなります。」と言われ実行される徳保さんなら尚更、近隣住人側の行動に同意されて構わないのではと思うのです。
何故、こゆさんには【「防犯の不備を責められる事」をもっと避けろ】と言われながら、パナウェーブ研究所近隣の住人には同じ事を言われないのでしょうか。
徳保さんが両者を分ける必然的な根拠を教えて頂ければ嬉しいです。
B徳保さんが以前「イラク戦争」へ言及された時に
>私はエゴを肯定する人間である。私がイラク攻撃に賛成する理由は、露悪的に書けば「遠い国の小さな(注:あえてこう書く)戦争により将来の大きな悲劇(そのときは日本もただではすまないかもしれない)を予防できる(かもしれない)以上、私には今回のイラク攻撃に反対する理由がない」ということになる。究極的には私も単に我が身の安全を祈っているだけであり、そのために何が最も有効な方法かを考えた場合に、イラク攻撃賛成という結論に至ったということだ
と仰られていますが、この理屈に従うなら【近隣住民が我が身の安全の為に「パナウェーブ研究所」を槍玉に挙げるエゴイスティックな行為】は、徳保さんの倫理観に対して何ら間違ってはいないと思うのですがどうでしょうか。
もしも、また途中で「意見が変わった」と言われるのでしたら、今現在は【「我が身の安全」のエゴ優先】なのか【少数派の人権優先】なのか、徳保さんの立場を明確にして頂けると助かります。
(宜しければ、その理由も是非後学の為に伺わせて頂きたいです。)
◆それでは、いつも長文で御手数をお掛けしてすいませんが、御返事お待ちしています。
追記:備忘録の更新は暫くされないのでしょうか。
徳保さんとは読書傾向が近い為に過去何冊か購入時の参考とさせて頂いていましたので、これからもそう言う記述がある時を個人的に楽しみとさせて頂きます。
(掲示板の議論で御手間を割いて貰っている人間が言える事でもありませんけれど、本当に閲覧者とは勝手な物ですね。これに就きましては甚だ恥じ入るばかりです。)
あのですね、私は自分でもよくわからない基準にしたがって物事の好き嫌いを決めているわけです。パナウェーブとそれをいじめる住民を見比べた場合、私はパナウェーブに同情したわけです。痴漢の考えることを読み解いてみせた(結果的にハズレでしたけれども)評論家とそれに対して「はぁ?」といったこゆさんを見比べた場合、私は評論家に同情しました。直感的な問題ですよ、これは。それから、モノをいうのに理屈をくっつけるのは私の性格であって、単にそれだけのことです。
ただですね、理屈のひとつひとつは、私自身が考えていることに基づいています。しかし私は一貫しない人間ですから、その理屈をいつもどんな場合にも当てはめるというわけではない。私は好き嫌いの話に理屈を持ち込んでいるだけです。私は理屈を持ち込まないと話しができないのです。……とまあ、これくらい単純化して話せば私のいうことも理解できますか?
備忘録はそのうちにまた書きます。「FGH」の石橋さんが「機械」をはじめるまでに1年以上の間があったように思いますが、まあ私はそれほど間を開けることはないでしょう。
以前私は「批判者の存在は私の自由を拡大する」みたいなことを書きましたが、認識が少し間違っていましたね。私が好き勝手書くには、バランスをとるために批判者の紹介が必要だ、ということなのですが、私の誤りは批判者に再反論したことです。国会審議が制限時間付きなのは人智の結晶です。痴漢論議の発端となった文章はこゆさん批判の一端でしかなかったわけで、批判に引きずられて、ろくに興味のない話ばかり延々と続けたのはまったくバカバカしいことだったと思います。
備忘録再開は来月の予定ですが、その青写真を描いておきましょう。批判者のサイトは逐次紹介しますが、基本的に再反論はしないということになるでしょう。書きたいことを書きっ放しでおしまい、ということです。閲覧者は批判者のサイトも読んで、参考にされたらよいだろう、ということです。
掲示板はログをとった上で、いったん整理します。その後の掲示板運営ですが、読んだ記事から順に消して、レスはつけないことにしようと思います。記事を消したら、「読みました」の合図になるということですね。私は昔から掲示板に書き込みが多いと面倒くさいと公言してきたのですが、ここしばらくは「じつにまったく、その通りだ」と思ってきたわけで、レスをつけない掲示板というのは私にとってはひとつ理想的ではあります。
私は「荒らし」認定されてしまっているのでしょうか?それとも、うやむやなまま終わらせる戦法でしょうか?高見の見物している人にとって「めんどくせーから、けむにまいちゃえ」というような内容かもしれませんが、当事者にとっては一歩も譲りたくない内容なのです。こちらも論理的にする努力をしますので、そちらも考える努力をしてください。以下、繰り返しになる部分もありますが、お読みください。
鍵の話を、別の視点から展開します。
まず、家に鍵をかけるという事は、勝手に入られたくないという意思表示をするのに最低限必要な行為であるとします。では、女性が性犯罪に遭いたくないという意思表示をするのに最低限必要な行為とは、何でしょう?私は、服を着ている事になると考えます。無施錠でドアを半開きにしたまま外出した状態=服を着ずに股を開いたまま寝ている状態に例えられるでしょうか。どちらにしても、これを守っていない女性を見たことも聞いた事もないので、「無施錠だから責められるのと同じ事」という論理を性犯罪被害者にそのまま適用することはできません。女性は多くの男性と同じく、無防備な状態ではありません。責められる理由などひとつもありません。
泥棒に入られた家にしても、「窓に鉄格子がはまっていない」「サムターン錠は危険だ」「玄関が死角になっている」などと、探せば落ち度はいくらでも沸いてきます。満員電車に乗る女性にしても、探せば常に何らかの落ち度があります。しかし、ここまで厳しく被害者を責め立てるのは、性犯罪関連でしか思いつきません。最近になって性犯罪を特別視して被害者保護をしているのではなく、昔が性犯罪を特別視して被害者に偏見を持ち、過剰に被害者の落ち度追及をしていたのでしょう。
泥棒に入られた被害者を、第三者が「どうせ防犯対策も盗る物もない、ブルーシートで出来ているような家の住人」と勝手に断定し、「どうせ無防備だったのだろう、自業自得だ」と思っているとしましょう。被害者が「違う、ドアも鍵もある一軒家に住んでいる」と言った所で、「窓が無防備だ」「盗られる物など、最初から無かったのだろう、狂言だ」などと理由を後付けし、あくまでも被害者の落ち度を追及します。現実に、こういう事が起きていますか?泥棒などの被害者には、このような一方的な偏見は持たないでしょう。そこが泥棒と性犯罪が違う点です。性犯罪では、最初に「どうせ被害者に落ち度がある」という偏見があり、偏見を正当化する為に、理由を後付けするのです。偏見が無ければ、最低限の意思表示をしている事は見てわかるので、被害者を責めるべき理由がありません。
当然痴漢も被害者に偏見を抱き、自分を正当化します。被害者は訴えても損をするので、逃げたり耐えたりする道を選ぶ。すると「訴えないという事は、痴漢されたいんだろ?」と勝手に妄想し、自分を正当化する。周りは訴えない被害者までも悪者にする。落ち度の追及は被害者にとって向かい風になり、痴漢にとって追い風になります。周りが被害者を責めれば責めるほど、痴漢は自分を正当化できるのです。良かれと思って忠告(及び叱咤)しているのかもしれませんが、全く逆効果です。
泥棒に入られたら、現場に残された指紋や足跡・壊された窓や鍵などの証拠を元に、犯人を探します。しかし、痴漢は泥棒と違い、よっぽどのことがない限り証拠が残らないので、犯行があったかどうかの立証すら難しい。犯罪の質から、全く違います。女性が不愉快に感じたら痴漢認定、というほど甘くありません。「制限速度」のような守られるべき範囲が明確ではなく、証拠を残す事も困難なので、例えば執拗に手の甲をお尻にくっつけてくる、お尻に股間を押し付けてくる、自分の性器を触らせたり見せたりするなどの行為が、犯罪になるかどうかも曖昧です。無自覚な男性が無意識に手の甲を押し当てているだけかもしれませんので。
痴漢は、痴漢ではないが無関心な男性に紛れる事ができるから多発するものだと思います。痴漢かどうか判断つかない人が減れば、自然と痴漢が目立つ存在になります。「捕まえるべき犯罪者」が明確になり、被害者への偏見が無くなれば、それだけ検挙率も上がります。女性側に不自由を強いるより、ずっと効果的です。
次に、乗る車両などに注意し、被害を避けるという手段についてお話します。混雑した場所を避ければ、自分は被害に遭わずにすみます。しかし、痴漢の被害者は減りません。自分がいなければ、他の手ごろな女性を襲うのみです。これは、痴漢問題の解決に繋がりますか?全ての女性を混雑する場所から遠ざけない限り、女性側の対応だけでは痴漢被害は減らず、ただ自分だけ逃げているに過ぎません。痴漢が活動しにくいようにしないと、根本的に全く解決しません。あなたの提案する女性側の対策など、「した方がマシ」ですらありません。
「私は痴漢ではない」「痴漢が一番悪い」という事は、どちらも痴漢でない男性にとって、当たり前すぎて言う必要すら無いと思われるかもしれません。しかし、当たり前であると言いつつ、一方では痴漢と痴漢でない男性の境界線が曖昧であったり、被害者を無根拠な理由で責めたり、痴漢行為自体を無かった事にするなどします。痴漢でない男性にとって当たり前の事でも、被害者にとっては「で、どっちなのよ」と疑問に思う事なのです。まず、当たり前の事から始めましょう。被害者にとっては当たり前ですらないので。逆に、女性にとって当たり前である「性犯罪の被害になど遭いたくない」という事も、当たり前の事として理解してください。
長くなりましたが、これでとくほさんの主張に対して一通り反論できましたでしょうか。落ち度として判断されやすい事を先に忠告してあげるのと、被害者の落ち度を並べ立てて被害を被害者が悪いと言うのとは、表裏一体です。とくほさんは、時々前者のみを取り上げて正当化しようとしますが、自分で後者も実践してらっしゃる事でも実証済みですね。本気で痴漢の被害を減らそうと思ってらっしゃるのでしたら、するべきでない対策を提案するよりも、今一度、ゆっくり考えてみてください。
いや、あなたの考え方はそれはそれでいいんじゃありませんか。痴漢に間違われる人の対策不十分が責められるのはたいへんよいことだと思いますよ。男性がみなオフピーク通勤を心がけるのは、もし実現できればたいへん効果的でしょうね。
しかし警視庁のアドバイスが「対症療法に過ぎないから無意味」と切り捨てるのも極端ではないのですか。防犯ブザーの利用などは、みなが実践したらそれなりに効果的だろうと思います。
ちゃんと考えていますか?自分のプライドを守る事しか考えていないように見えます。
私は痴漢被害に遭い始めてから10年以上、ずっと考えてきたのですよ。
あなたはそういう被害者まで一まとめにしてバカと公言したのですよ。
人の事をバカと公言した以上、自分がその人よりも優れている証拠(=反論をすべて封じる論理)を提示するか、前言の撤回か、どちらかの手段をとらないと、私は納得しません。痴漢問題について、自分はあなたよりも知識や考察が劣っていませんので、「バカ」と言われる意味がわかりません。
防犯ブザーの話に反論するのを忘れていました。
防犯ブザー鳴らす→被害者が恥ずかしい思いをする。これでおしまいです。
前述の通り、被害者には、探せばいくらでも落ち度があります。とくほさんの持論の通り、それを責める事が正しいというのであれば、ブザーを鳴らす事によって自分が痴漢の被害に遭っている事を宣言する→自分に落ち度がある事を宣言する事に等しいですね。痴漢はそこで手をよけて、無かった事にする。それだけの事です。
ブザーを鳴らす事を有効な手段とするには、痴漢に遭っている事が恥ずかしくない、という事が必要です。それには、被害者の落ち度を探さない・責めないという事が必要です。自分に落ち度がないのに被害に遭っているのであれば、堂々と宣言できますね。なぜ自分の手を汚さない方法しか提示しないのでしょうかね。部外者を決め込むなら首つっこまなければいいのに。
対症療法には、その場を逃げる効果はありますが、問題自体を解決する力を持ちません。それを他人だけに押し付け、自分は絶対に安全な場所で、のほほんとしている。ただ自分以外を苦しめたいだけで、解決する気など最初からないのですか?それでしたら、あなたは外道ですね。解決する気はあったが、自分の提示する案が足りなかったというのであれば、あなたがバカだったという事ですね。
痴漢を擁護するような対応をする人がいる限り、何をしても無駄です。「あなたの考え方はそれはそれでいいんじゃありませんか」といいながら邪魔するような発言を撤回しない。私の存在がこの掲示板の管理者であるあなたにとって不愉快かもしれませんが、あなたのような存在は痴漢被害について真剣に考えている人々にとって不愉快なのです。
もう何度目かのお願いになりますが、そろそろお引き取りください。
こんばんわ。40過ぎの男性です。私も経過をみて一言。えー、こじれて話が飛んでますが、正しい物の見方をしようと思います。
388の回答でもおっしゃられた、
:「できる限りの対策をしていて、それでも被害にあってしまった場合と、他人の善性に期待して無防備にしていて被害にあう場合では、社会の見る目が違ってくるのです。」
ここについて。会社で無防備で被害を受けた女性を知っていますが、だからといって、同僚たちがそれを知っても私と同様彼女が「悪かった」などと微塵も感じないでしょう。一般社会の目と徳保さんの視点を同じにして頂くのは勘弁してもらいたい。そして誰も善性など期待していない。善性もくそも、痴漢はしてはいけないのが当然である。相手の気持を考えたら出来ないでしょう?それでもするような、他人の気持を無視する奴など、初めから誰にもどうしようもない。「防備できれば”したほうがいい”」それは間違いないが、そんなくだらない人間の為に自分の容姿を変えて一日過ごすのが結構な苦痛だと、あなたにはわからんのかも知れません。
:「それは悪者を正当化する話ではないのです。世の中には残念ながら、悪いやつがいます。それは認めざるをえない。だから、無防備にしている人は馬鹿なのです。被害に遭うことは予想できるのに、対策をしていないからです。」
ここもそう。あくどい奴はいくらでもいるでしょうし、出来るだけそれの対応が出来れば言うことはないです。ただ、対策を取らなくても、それは本人の「自由」であり、無防備が「バカ」にはならない。「バカ」呼ばわりってのはなんだと思うが。
【露出の多い服買って、デートで彼氏に見せたいから街に出る。】
【夜に一人でどうしても外で星を眺めたくなって散歩する。】
こんなのは、いたって普通の人間らしい情動だし、こういう気持は大切にして欲しい。
【犯罪防止することのみを考えて、一日中そんなバカな事はしない。】
そんな事ばかり考えてる人間こそ、私から言わせれば”可哀想だ”。あなたが無防備な人間をバカだと思うのは勝手です。ただ、あなたの頭の中で「バカ」だと思っている事は、実は世の中の正確な認識では、「
バカ」という事ではありません。「自由」ですよ。
人間は気持があって行動します。【オシャレしたい】【人に見せたい】【静かな夜に散歩したい】【すぐ漫画が読みたい】・・そういった気持を自重出来ない・しない者を「バカ」呼ばわりするあなたの人間味のない冷めた理論が、賛同を得られる訳がなく、またそういう現実性のない「合理的な考え方のみ」では正しいとは言えないでしょう。
みなさんが心に引っかかるのはそういうトコだと思いますよ。ナツさんの意見も回りくどかったですが、本質はしっかり踏まえていると感じました。
付け足しで。
頭の中だけで世界を作らず、もっと外の世界をみて、人を知って下さい。それがあなたにとっての、一番正しい事です。
よくある意見ですよね。まあ、ようはバランス感覚の問題なんじゃありませんか。kurihara souzi さんだって、例えば夜になるとキョンシーがうようよ徘徊する町に暮らしていたら、【静かな夜に散歩したい】【すぐ漫画が読みたい】といった気持ちを優先させようとは思わないでしょう?台風の日に仕事でもないのに外出するのも馬鹿げていると思いませんか?防犯・防災は窮屈なものです。被害確率の低下が微々たるものの場合、「割にあわない」と考える人がいてもおかしくはありません。人によって結論が違うのは当然です。私はかなり防犯を重視しますから、kurihara souzi さんが「これくらいのことは自由にやって当然」だと思うことでも、「これくらいのことを自重できない人はバカだ」と思う。それだけのことだと思います。
No.381では回答ありがとうございました。
ただ、既出の意見でお茶を濁されているようにも見受けられます。
ナツさんの提示する例や鍵の話は繰り返しになるので省略しましょう。
性犯罪被害者が他の犯罪被害者とは区別されて扱われているという例を挙げたことについては無視されているようですが、無施錠の例をまた持ち出されているところから、性犯罪をあくまで特別視しないとの回答と判断させていただきます。また最終段落は、犯罪の解決より被害者追求による防犯意識向上を優先する発言であると判断させていただきます。
これらについてはおそらく今後も翻心はないものと思われますので、別の質問をさせてください。
徳保さんが性犯罪被害者の防犯意識を高めるために忠告する、という行動を取るのは理解できます。しかし、何故その手段として「威圧・恫喝」という方法を選んだのでしょうか?痴漢論議の経過を見ての通り、性犯罪の被害は弱い方へ弱い方へと押し寄せていきます。弱者に対しては、恫喝することが最も効果的な忠告になるとお考えなのでしょうか?
徳保さんは多少なりと子どもを指導する立場に立った経験がありますね。その徳保さんが、困難な立場にいる人を恫喝する姿を見て私は混乱するのです。
また、徳保さんは忠告をする一方で忠告を無視することも勧めます。性犯罪被害者には、徳保さんの忠告を無視できる心の強さを持ってほしいと言いたいのでしょうか。その真意が掴めません。
>どの忠告も無碍にすれば誰かが怒ります。怒るのを止めたければ
>忠告の誤りを証明するしかない。ようするに、忠告者とその賛同
>者が怒ることを覚悟するなら、忠告を無視するのは自由です。
これは、忠告の内容が(誤りを明確に証明できないけれど)バカバカしいものだと判断が付く場合の例ですね。
しかし、誤りを指摘されなければ、忠告者はまた別の場所でトラブルを引き起こします。ただ、無視するだけなのは無責任ではないでしょうか?そもそも、忠告者を怒らせないためだけにバカな忠告に従うことこそ危険なことではないでしょうか?
対処方法の説明がまるで他人事のようです。
徳保さんの理想が、空想的、非現実的なものであろうと非難されることはないでしょう。性犯罪被害者が強い心を持てるようになることは、多くの人が望んでいることだと思います。
それでも、徳保さんがあえて人を傷つけるような手段を選択したことは理解できません。それが何故なのか教えていただけないでしょうか。
1.私の文章は「できる限りの対策をしていて、それでも被害にあってしまった場合と、他人の善性に期待して無防備にしていて被害にあう場合では、社会の見る目が違ってくるのです。それは悪者を正当化する話ではないのです。世の中には残念ながら、悪いやつがいます。それは認めざるをえない。だから、無防備にしている人は馬鹿なのです。被害に遭うことは予想できるのに、対策をしていないからです。」とか「世の中から少しでも犯罪を減らすにはどうしたらいいか。まず、悪い人間を育てないことです。そして、不幸にも悪いことをするようになった人間を捕まえることです。最後に、各人が自分が被害者となることがないよう、できる限りの対策をすることです。悪党を責めるばかりで、自分の無防備を正当化するのはどうかと思います。」といったものです。これを「威圧・恫喝」と考える人がいてもかまいませんが、私は「ふつうに書いた」との認識です。相手が痴漢の被害者だとこの程度の文章でも「威圧・恫喝」と考える人がいるようですが、相手が例えば政治家なら、こんな文章は批判としてはむしろ「ていねい」といってもいいくらいでしょう。私は「痴漢の被害者にはもっともっとていねいな言葉で、傷つけないよう細心の注意を払うべし」という意見には与しません。先日のテレビ番組で、スタジオに集まった芸能人が平然と詐欺の被害者を罵倒していましたが、誰もフォローしない。それでその後、番組に抗議の声が集まったとの話もない。多数派の認識の柔軟さには驚かされるばかりです。詐欺の被害者といえど、それでもやはり被害者は被害者だろうに。
私は政治家のあんまりひどいいわれように、オウムやパナウェーブのあんまりひどいあつかわれように、ムッとします。私にいわせれば、多数派は触れ幅が大き過ぎるのです。ある人には気持ち悪いほど優しく、またある人には鬼のように冷たい。もっと平等に、公平に扱ったらどうか、と思うわけです。
2.「これは、忠告の内容が(誤りを明確に証明できないけれど)バカバカしいものだと判断が付く場合の例ですね。」……違います。
先般の米英によるイラク攻撃、日本はこれを支持すべきかどうか?小泉首相は支持に回りましたが、朝日は当然、これをくさしました。産経は万歳して喜んだ。首相の判断が逆なら、朝日は万歳、産経は猛反発したでしょう。朝日と産経、両方の意見を聞くことは論理的に不可能です。で、どっちつかずなら、それもそれで批判される。つまり、どっちつかずという選択肢も含めて、いずれかの選択をしなければなりません。そのとき、自説を却下された側は怒り、批判を展開します。小泉首相は、どんな判断をしても批判を免れなかったということです。
ただ、批判の多い少ないという違いはあります。イラク攻撃反対派が国民の過半数でしたから、首相は支持の少ない意見を採用したことになります。だから当然、批判は多かった。
忠告を全部聞くのはそもそも不可能です。ある忠告を受け入れることは、他のいくつかの忠告を無碍にすることを意味します。それは致し方ない選択ですが、しかしだからといって、無碍にした忠告の支持者が批判を止めるというものではありません。忠告の誤りを証明できない限り、相手を黙らせることは不可能です。それは諦めねばなりません。忠告の誤りを証明しないまま無碍にし、批判も回避するなんて手はありません。もしそれがあるとすれば、忠告者にとってそれほど理不尽な話もないでしょう。
3.バカバカしい忠告、というのがあるとしましょう。展開者さんは、忠告者に「バカバカしさ」を教えるべきだとおっしゃる。私も同意します。ただ、本当に「バカバカしい」のか?という留保をつけます。ある人にとっては「バカバカしい」意見でも、発言者にとっては「まったく正しい」というのはよくあることです。単なる事実認識の問題ならともかく、価値判断の問題だった場合、コトは簡単ではなくなります。
4.「忠告者を怒らせない」利益が「忠告を聞く」不利益を上回るなら、忠告を聞けばいいでしょう。逆なら、忠告者が怒るのは我慢して、忠告を無碍にするしかありません。忠告者を説得できる自信があるのなら、その方向性を試みるのも一興でしょう。ただ、説得に成功することは稀だと思います。誤りを証明できるなら簡単ですが、そんなケースは滅多にないでしょう。
ご回答ありがとうございます。要旨は、徳保さんは性犯罪被害者であろうと誰であろうと同じ態度で臨むということですね。確かに、誰に対しても平等に接することは徳保さんの公正さを担保してくれます。それはひとつの生き方として正しいものだと思います。
しかし、徳保さんの言葉は性犯罪被害者の誰の耳にも届きませんでした。
【忠告】とは、まごころをもって他人の過失・欠点を指摘して戒めさとすこと、ですね。徳保さんの場合、この最も大切な部分「まごころ」が相手に伝わっていないのです。ただ単に他人の過失をあげつらうことは忠告ではありません。徳保さんは言葉を伝える努力を怠っているのです。
伝わらない言葉など、ただの音声、文字の羅列にすぎません。
今回もいろいろな例を挙げていただきましたが、言いたいことが散漫になるだけであまり有益ではないようです。さらに私まで横道に逸れてしまうのも何ですが、気になった部分だけ指摘させていただきます。
テレビ番組で詐欺の被害者を罵倒する芸能人がいた、とのことですがそれは全く下品な番組ですね。しかし、それはこゆさんが見たテレビ番組中で、評論家が痴漢被害者に見当違いな言葉を投げかけた演出と同じものではないのですか?何故、今回徳保さんの反応は違うのでしょう。
また、政治家や宗教家と性犯罪被害者を同列に扱われているようですが、これは本当にそんなことを考えているのですか?政治家は選挙を経て権力を得た人間です。周囲の厳しい目があるのは当然のことではないですか。宗教家は社会と異なる価値観の下に行動するため、世間からの風当たりは厳しい。ただし彼らには帰依する存在があります。
性犯罪被害者は、立候補したのでも入信したのでもありません。どうして同じように扱うことができるのでしょう。
小泉首相の例も負っている責任が違いすぎますね。それに多少なりと批判を回避する手段は存在しました。解散総選挙です。またこの段は首相が新聞社の意見を採用して政策決定しているようにも読めるので、さらにおかしなことになっています。
後段、忠告者の批判を回避するには誤りを証明すること、と書きながら価値判断の問題に変わっていますね。誤認している事実を正しても忠告者は怒り出すかもしれないのですか?それでは最初から解決方法など存在しなかったのではないですか。
徳保さんは何もかもを同列に扱い、誰に対しても同じように接します。
それは一見公正であるように見えて、実は判断すること、思考することを放棄していることに他なりません。説明する努力をせず相手の理解力に頼るだけで、どれほどのことが伝わるのでしょうか。
考えるだけなら自由です。誰も徳保さんの思想を制限することはできません。
しかし、もし誰かに意見するのであれば、弱者を責める現実の痛みの存在を十分に理解してから発言をしていただけませんか。
徳保さんの信念ではなく、怠惰が人を傷つけるのです。
1.私は批判すべきは批判する、といっているだけです。「やった方がマシなこと」をやらないのは、私にとっては批判すべきことです。「やった方がマシだ」という部分が反証されない限りは。
2.やった方が「マシ」という程度のことを、やらなかったからといって批判するのはおかしい、という意見はそれはそれでかまいません。私は賛成しない、というだけのことです。
3.「やった方がマシなこと」をするかしないかの判断は個々人に任せられています。「しない」場合に、「すべき派」の人間に「**しないのは愚かな判断だ」と批判されるのは当然です。一方、「やってもやらないでもいい派」「すべきでない派」が、「すべき派」による「しない人」批判を問題視するのも、当然のことでしょう。
◆こんにちは。
徳保さんに「セカンド・レイプ」の概念を理解して貰うのを諦めた代わりに、不躾ながら新しい提案をさせて頂きたいと思い、失礼ながら今一度スレッドを立てさせて頂きます。
今回は色々な方の意見を伺いたかったので、(私が【痴漢論議】でスレッドを立てさせて貰うのは最後に致しますから)申し訳ありませんが是非お願いします。
◆千差万別に様々な考え方をする人が入り混じる社会において、各々個人が別々のルールで好き勝手に行動を始めれば収拾が付かなくなってしまう為に【その時点で一番多くの人にとって説得力のある「社会ルール」を一旦選択する】と言う基本ラインを決めたのが「民主主義社会の基本理念」ですよね。
ですから、自分の考えを「社会のスタンダード」にしたい人は必死に持説の補強を図って、民衆に対する説得力を高める努力をする訳です。
遥か以前は【性犯罪の防犯】に対して、徳保さんも薦める「性犯罪被害者の落ち度も追求する」と言うルールが一般的主流派として認められていましたが、それはどうも違うんじゃないかと考えた(当時は少数派だった)人達が行動を起こし、様々な仮説や現場での意見を反映した新しいルールである「セカンド・レイプ」と言う概念を作り出し、世間に対する必死の説得工作と様々なデータを元にした実績を引っ提げて、近年になってとうとうそれを世論の多数派として定着させるに至った訳ですよね。
しかし、徳保さんはどう考えても「性犯罪被害者の落ち度も追求する」と言う過去の方法が根本的に間違っているとは思えなくて、そのルールを捨てられない。
そこで私が常々違和感を感じていたのは、徳保さんが【「セカンド・レイプ」推進派】の人達がして来たような努力を、「性犯罪被害者の落ち度も追求する」と言うルールを広めもう一度世間に認めさせる為に全く何もせず、いつまでもダラダラ不満ばかり言っておられたからですよ。
温故知新的な発想に最初は驚き注目しましたが、それなのに徳保さんはマイノリティである事に胡坐を掻いて、いつまで経っても「性犯罪被害者の落ち度も追求する」と言うルールの素晴らしさを教えてくれない。
私は本当に【性犯罪の防犯効率や検挙率】が上がるのであれば、いつでも「性犯罪被害者の落ち度も追求する」と言うルールに鞍替えします。
でも、それが「セカンド・レイプ」概念よりも必ず性犯罪の検挙率に効果がありそうでなければ、到底今すぐは無理です。
徳保さんが「性犯罪被害者の弱さ」が駄目だと言われるなら、「教育の現場」や「家庭問題」の改革から始めるのも良いでしょう。
弱者の存在までも認める民主主義が駄目だと言われるならば、徳保さんを党首とする一党独裁の「ファシズム政党」を立ち上げ、その政治理念の説得力で政権を奪取されるのも手段です。
社会が1番効率良く動くような素晴らしい法案やシステムを沢山掲げ実証出来れば、どんな事でも100%不可能ではない筈です。
性犯罪被害者にばかり努力を押し付け、その実何もしてこなかったのは徳保さんあなたの方です。
多くの経験に従った積み重ねがある「現在のスタンダード」に一朝一夕で太刀打ちするのは中々難しいでしょう。
でも、出版や放送業界、政治団体に対して様々なアプローチを試み日々努力する事を忘れなければ、少しずつでも仲間や共感者を増やせる筈です。
取敢えず、徳保さんが得意とされるインターネットから始められるのでも構いません。
一見旧態依然とした徳保さんの主張には最初は反対者も多いでしょうが、そんな事は幾等でも事前に予測出来るのですから、優れたシンクタンクを組んで民衆の反感を買わないような様々な事前対抗処置を取り、明日からでも、今日今直ぐにでも、是非行動を起こして下さい。
努力をせず不満だけ溢しているような人の話を、徳保さんと同じように民衆も支持しません。
これからどの様な素晴らしい世界を築き上げて下さるのか、私は一日千秋の思いで必ず待っていますから。
◆努力を嫌う人を否定される徳保さんならば、必ずその日は来るでしょう。
その成果を毎日の更新と共に楽しみにしていますよ。
私はいつでも【努力の人・徳保さん】を応援しています。
私は思いつく限りの説明をしてきたのですが、西国さんは納得されなかった。それだけの話です。共産党や社民党が、いつまでたっても少数派なのと同じことです。お互いに「これだけ説明しているのになぜわからない?」「だって、あんたのいっていることはメチャクチャだ」といいあう。
私はやった方がマシなことをやらない人にいい顔する気にはなれない。そうでなければ「やった方がマシなこと」をやる人が増えるとは思えない。けれども、いい顔してくれないなら「泣き寝入りを選ぶ」ので、結局、防犯のためには「やった方がマシなこと」をやらないのを責めない方がいい、という反論に納得される方が多い。たぶん、「どうせマシという程度でしょ」ということで、「やった方がマシなこと」の実践者はなかなか増えないでしょう。そして私は、それを苦々しく思い続ける。
◆こんにちは。
迅速な回答をしていただいて本当にありがとうございます。
それから、些かスレッドが長くなってしまったと思いましたので、甚だ勝手ながら今回から新規に立てさせて頂きました。
@最初に、徳保さんのこだわる【鍵問題】ですが、【「鍵を掛けなかったから」泥棒被害にあったんだ】と言う主張に対する正しい反対意見は【「鍵を掛けていたから」泥棒被害があったんだ】と言う主張ですよね。
私の知る限りそんな奇抜な主張をしている人を全く見聞した事がありませんので、少なくとも泥棒対策で「鍵」を締めてさえいれば【「鍵を掛けなかったから」泥棒被害にあったんだ】【「鍵を掛けていたから」泥棒被害があったんだ】と言う双方の意見からは100%身をかわせるでしょう。
でも【電車痴漢の被害者の場合】はどうでしょうか。
No,361の@で言わせて頂いたように、被害者がどんな行動を取っても根拠の無い誹謗からは逃れられません。
なのにそれを同じ例として上げるのは、建設的な議論をする上で妥当ではないと申し上げているのです。
ですから、申し訳ないですけれど、次回には是非「譬え話」に【「A」と「B」と言う全く正反対の意見がぶつかっている「誰もが簡単に出来る犯罪予防の意見」】を元に【根拠の無い理由で犯罪被害者を直接非難して構わない】事例を出して頂きたい。
謹んで、重ねて申し上げます。
A次に、
徳保さんは、【多数派は、防犯の不備を咎めることを、とくに被害経験のある人に対しては避けるらしい】と言われましたが、最初からその事で私は徳保さんに疑問を抱いている訳ではありません。
解り辛くて申し訳ありませんでしたが、私が言っている意見は一貫して【犯罪被害者が事前にどう行動していても見る側の偏見次第で「馬鹿」と貶める事が出来る慎重な問題で、特別な不備すらないその被害者を直接一方的に非難する行為は、防犯にすら役立たないし、更に卑劣ではあっても忠告ではない】と言う物です。
徳保さん御自身もNo.360のEで【「どうせ被害者が誘ったんだよ」と言ったような性犯罪被害者を馬鹿にした意見は「批判されるべき」】で、且つNo.360のDでは【「女は痴漢にあいたくなければ男の手の届く範囲に絶対に入るべきではない、それを徹底出来ない女は馬鹿呼ばわりされても当然だ」と言う意見は「極端」だから駄目だ】と言われていますよね。
でも、【犯罪被害者が事前に取りようが無い勝手な防犯対策を持ち出して、それをネタに犯罪被害者を馬鹿と呼ぶ】と言う点では、前記の2つの意見と徳保さんの意見は何処も違いが無いのですよ?(「どうせ被害者が誘ったんだよ」と言う言葉を吐く人にも、「女が誘わなければ男は痴漢にならない」と言う勝手な防犯理論がある訳ですから。)
ですから、私が問題としていない【徳保さんが仮定する「多数派vs少数派論」】から脱却した御意見を今一度聞かせて頂ければ幸いです。
◆今回も長文で失礼いたしました。
御返答御待ちしています。
追記:横からになってしまいますが、魚茶さんとの【地雷論議】の中でも上記の@と同じ事をされていますよね。
【地雷を踏むのが嫌なら「足元を注意するべきだ」】と言う意見の反対にあるのは当然【「地雷を踏むのが嫌なら「足元に注意を向けてはいけない」】と言う意見ですよ。
そんな理不尽な意見をやはり私は聞いた事がないですので、それなら当然「足元を注意していれば」100%の確率で【地雷被害者】は第三者からの勝手な批判を受けずに済むのですから、どちらに転んでも心無い批判の矢面に立たされる【電車痴漢被害者】との例としては相応しくないでしょう。
敢えて、こゆさんと徳保さんとの関係を【地雷論議】を題材に譬えさせて頂くと、【「地雷を踏む被害者は皆、足元を注意しなかったから駄目なのだ」などと言う「必要な畑の拡張作業の際に踏んでしまった人」や「何処からも支給されないので、水を汲むのに仕方なく多少危険な水源地帯へ向かったら不運にも地雷を踏んだ人」の存在を考えない短絡的な批判を聞いた地雷被害者が、「そんなのは被害者の現場状況を考慮していない甚だ無責任な発言だ」と憤っているのを見た徳保さんが、わざわざその被害者宅の軒先に「地雷を踏んだのは、注意力の無いお前が馬鹿だ」と書いた手紙を置いて来る】と言った所でしょう。
当然、私はそんな行為は【被害者に対する嫌がらせ】でしかないと捉えます。
横レス失礼します。
@の答えは、「鍵をかけていたから、留守と思われた」で良いでしょう。論理は同じになりますね。地雷の話は、直ぐに思い付きませんが、「足元だけを見ていては駄目だ」といった忠告は有りうるでしょう。
Aは、私も徳保さんの意見を聞きたいです。特に、こゆさんが「痴漢対策をされていない」思った根拠です。
こゆさんが評論家の意見に対して「経験上」的外れだと感じている場合、徳保さんがこゆさんに「馬鹿」というのはおかしくないですか?
私は男ですが、自分が女性であったらと想像した場合、痴漢にあったら、おそらく「乗る車両を変える」「服装を変えてみる」程度のことはさすがにすると思うのです。
(「警察の資料」「他人からの忠告」の有無に関係なく)
それでも、「防犯をしないのは馬鹿だ」といえるのはなぜですか?
追記:私は過去の「痴漢議論」も知りませんので、こういう議論があること自体は考えさせられることが多かったので有意義だと思いますが。皆さんそういう意識で、議論しているのかな、と若干疑問に思ったりもします。感情的になりすぎていないかと。
◆横ヤリさんはじめまして。
御説を聞かせて頂きましたが「鍵をかけていたから、留守と思われた」は、一体@の何に対して同じ論理なのでしょうか。
長いログを読まれるのは大変だとは思いますが、次からは徳保さんが【4〜6月のtopics】として【痴漢論議】と言う場所にまとめられている文章と、出来れば今回の論争の一端を担っていた【アドレナリンショック】(http://www.pluto.dti.ne.jp/~momoneko/)と言うサイトさんにまとめて掲載されている【痴漢論議総集編】を読まれて話の流れを把握した上で(最低でもここのBBSのNo.358以降を熟読されてから)会話に参加して頂けると嬉しいです。
◆徳保さん、ナツさん、勝手に仕切ってすいません。
問題がある部分があれば削除/訂正しますので、勝手とは思いますがその時は指摘して頂けると助かります。
横ヤリです。
わかりにくくてすみません。あまり長文を書くことにも慣れていないので、説明不足ですね。
@で、同じ論理だと思っているのは、
1.「鍵をかけていたから」→「留守だと思われて」→「泥棒に入られる」
2.「地味な格好をしていたから」→「通報しないと思われて」→「痴漢被害あう」
です。
泥棒に入られないために、1.のことを実践していて、他人に忠告する人がいるかもしれませんね。
「ピッキングされやすい鍵をかけていたから」とかでもいいですよ。
「そんな奇抜な人はいない」、「双方の意見から100%かわせる」ことはないのではないですか?
西国さんが、求めている事例になりましたか?
◆こんばんは、横ヤリさん。
泥棒に入られない為に【「鍵をかけていたから」→「留守だと思われて」→「泥棒に入られる」】と言う考えから理論を実践して【絶対に鍵を掛けない】と言う方も、その防犯対策法を発表されている方も、私は過去に見聞した経験が全く無かったのでNo.372の@で例に挙げさせて貰ったのです。
それから、横ヤリさんは「ピッキングされやすい鍵を掛けていたから」何だと言われるのですか?
残念ながら、横ヤリさんの御意見からは今の所余り真意を汲み取れませんでしたので、申し訳ありませんが次の機会にはもう少し論点をまとめて頂けると助かります。
追記:横ヤリさんの言われる「そういう意識」と言う物が具体的に何を指しているのか少し把握しかねているのですが、ここで【痴漢論議】に参加されている方は各々違う立場と理由で書き込みをされていると思いますよ。
(敢えて言わせて頂けるなら、それをある程度読み取ってから会話に参加して貰えたら嬉しかったです。)
1.まず確認。無施錠「だから」泥棒に入られた、というのはおかしい。無施錠は泥棒に入られる「危険が大きい」からやめるべき、が正解。
2.アメリカのイラク攻撃に日本は支持表明すべきか否か?どのような選択も批判を受けます。批判者の少ない選択肢、多い選択肢はありますが、誰方も批判されない選択肢はありません。
3.上記のような例なら、納得されるのでしょうか。例話というのは、複数の事象の一面を見比べたときに共通点があるので、一方を他方の説明に援用しようというものです。私の文脈において、鍵の話は十分機能していると思います。「西国さんが興味をもち語ろうとする切り口」の説明には不適切だとは認めますけれども。
4.マル2の論点について。(「どうせ被害者が誘ったんだよ」と言う言葉を吐く人にも、「女が誘わなければ男は痴漢にならない」と言う勝手な防犯理論がある訳ですから。)……なるほど、納得。では回答。
5.私はそれでもやっぱり、発言者が多数派か少数派か、というだけの問題だと思います。根拠のない忠告を一律に禁ずるなら、西国さんの意見は筋が通っています。けれども、西国さんは「世間一般に認められた考え」ならば根拠のない忠告にも文句をいわないはずです。「命を粗末にしてはいけない」という忠告を聞かない人を、人はしばしばバカにする。政治家の秘書が死んだりすると、「たかがセンセイを守るために死ぬなんてバカだね」とか、遠くから嘲笑する人がいくらでもいる。「命を粗末にしてはいけない」なんてのはひとつの価値観に過ぎないわけで、根拠なんてありません。悲しむ人がいるから。どうしてそれがいけないの?命は尊いものだから。あなたはそう考える、というだけの話でしょ?というように、ある種の価値観の体系の中でしか正当化できない忠告です。
6.西国さんは、「正しさを証明可能な忠告ならば」ちゃんと根拠を持つべき、とおっしゃるかもしれません。けれども、横断歩道では左右をよく確認しなさい、という忠告をする際に、本当に左右を確認した方が事故にあいにくいのか、証明する必要があるでしょうか。そんなのは確認した方がいいに決まっている?証拠を出すまでもなく?鍵問題のように?ではこんな例はどうですか。「流れ」に沿っていれば少々の速度制限超過は「むしろ安全運転のために必要だ」という忠告について、どう判断します?なんだか当たり前のようにいわれていますけれども、これは本当なんでしょうかね。歩行者の飛び出しへの対応など、いろいろ考えた場合に、ひょっとしたらウソかもしれないと思いませんか。でも、実際には制限速度を守ってトロトロ走っている車の運転手を「邪魔だ」「かえって事故の元」などと、「根拠もなく」批判する人は多い。根拠があるなら、出してみろ、という話です。個人的経験の域を出ない根拠ばかりではないのですかね。
7.結局、多数派が納得すれば根拠なんかあってもなくてもいいことになっている。なのに少数派が同じことをやると、「やめろ」ということになる。「事実に反する意見」ではなく「少数意見」が「偏見」呼ばわりされているのです。不公平な話です。
8.私は、少数派にも「根拠なく忠告する権利」を認めるべきだと考えます。もちろん、多数派の忠告と同様、その内容を批判するのも自由です。少数派の忠告には風当たりが強いのは当然です。けれども、少数派だからといって「根拠なしにいうな」ではおかしいといっているのです。多数派だって根拠なんかないのだから。例え相手が少数派であれ、黙らせようとするなら「忠告の誤りを証明する」手続きが必要だ、ということです。どれほど多くの人が「極端だ」「無理がある」と思う忠告でも、その誤りを証明できない限りは黙らせられない。「極端だ」「ふつうだ」「無理だ」「可能だ」そんな水掛け論で人を黙らせるのはおかしいということ。
9.結局、多数派がやる「嫌がらせ」はOKなのに、少数派のやる「嫌がらせ」はNGなんです、現状は。多数派の気持ち悪いところは「嫌がらせ」だからよくない、と少数派に対していうところ。多数派は自分たちのやっている「嫌がらせ」は「嫌がらせ」と認識していない。人はいろんな場面で、多数派に立ったり少数派に立ったりします。常に少数派、常に多数派という人はそうそういないでしょうに、なかなかこの多数派の「嫌がらせ」を「嫌がらせ」と認識できない。私もそうですが。
横ヤリです。
前スレで、徳保さんの言う「価値観の違い」という意味を理解した上で、西国さんは新スレッドまで立てて【「鍵問題」は例が違う】と言っていると思っていました。
こう考えれば同じ例になりますねという、つもりで書いただけです。
西国さんが、「それを同じ例として上げるのは、建設的な議論をする上で妥当ではないと申し上げているのです。」というので、「絶対鍵をかけない」と言う人がいると「仮定すれば」同じ例になるので、十分妥当で、「建設的な議論」ができると思ったのです。
多数派・少数派の関係も同じでしょう。
「鍵をかけていたから」「泥棒に入られる」などと言うひとがいれば、間違いなく少数派でしょう。
「挑発的な格好だから」「痴漢にあう」も、少数派みたいですし。
「ピッキングされやすい鍵」は、「服装」を程度の問題と捕らえても同じ例ですよという意味で書いています。
で、むしろ、西国さんは妥当な例があったら、何を提示されるのか知りたいのですが。
「他に同様の例がないなら」、「性犯罪は特別」という結論に持っていきたいだけなのですか?
もしそうなら、私はその点では徳保さんの考えを支持するので、「性犯罪は特別」論には賛同できません。
とか、書いていたら、徳保さんの回答がでてますね。
基本的に「防犯」の話は賛成です。あまりに賛同者がいないので、あえて書いておきます。
ただ、一般論として、「防犯をたいしてしていない被害者」に、「防犯の不備を忠告する」のは正しいと思うのですが、
「防犯をしている被害者」に対しても、同じことがいえるのか。
こゆさんのようなに「防犯をしているかどうかわからない被害者」に対してはどうか。
徳保さんは、その辺りはどう考えていますか?
◆横ヤリさん、こんばんは。
御返事が遅れてしまい大変すいませんでした。
徳保さんの【セカンド・レイプ的発言】に端を発する今回の【痴漢論議】ですが、極論すると【@徳保さんが自覚されてセカンド・レイプ的発言をしているのかどうか?】と詮索している方と【A自覚が無くてもあなたの行動はセカンド・レイプなので止めて欲しい】と訴えている痴漢被害者の方と、【B徳保さんのその場逃れの奇論】を楽しみに来る方達が徳保さんと討論していたのですけれど(私は@の立場でした)、横ヤリさんが【セカンド・レイプ問題】や【性犯罪抑止】に対してどう言った立場・御意見を持ってこの【痴漢論議】に参加されているのか些か判断しかねていましたので、取敢えずは当初の目的だった@の討論を優先させて頂きました。
◆今回の徳保さんの行動を、勝手ながら私なりに別の例に譬えさせて頂くと(ナツさんの掲示板でも書かせて頂いた説ですが)
徳保さんは、その日たまたまイライラして誰かに当り散らしたかったので、夜の道路を「嫌がらせ」に時速20kmでトロトロ運転して渋滞を作って遊んでいました。
帰宅を急いでいた他のドライバーさん達は当然イライラして「また【珍走団】かよ!」と怒るのですが、徳保さんは心の中では【カッコイイ炎のライダー】のつもりだったので(やっている事は【珍走団】と何も変わらないのですが)「馬鹿やろう!人をそんな名前で呼ぶんじゃねぇ!」と反抗します。
そんな反論をされても徳保さんの行動は【珍走団】その物だったので、当然皆は「では、何故君はそんな行動をしているのか?」と尋ねます。
しかし、そんな事を訊かれても特に理由が無かった徳保さんは「あ…安全運転だよ。お前等がスピードを出し過ぎない様に体を張っているんだ」とその場逃れの答えを返します。
でも、そんな珍説は聞いた事がない上に、家路を急ぐ皆にとって邪魔で【迷惑】なので「周りと極端にスピードが違うと追突したりして逆に危ないだろう」と更に尋ねます。
だけど徳保さんは「どっちが危ないかなんてデータは無い」とか「速度を落とすと道路も傷まないし、人も轢かない。良い事ずくめだ」と詭弁を言います。
徳保さんは車を違法改造している訳ではありませんし、その「嫌がらせ」が法律に触れる訳ではありませんから、皆ほとほとと困ってしまいました。(でも彼の奇抜なキャラクターは関係ないギャラリーには少し受けたりしました。)
と言うだけの話だったんだと思います。
頭の悪い私は、徳保さんのその【珍走行為】を見て「単なる嫌がらせの詭弁」なのか「本当に世間の事件・事故の多さを憂いている変な人」なのか決定的な判断に迷っていましたので、ここで徳保さんと長々とした討論をしてしまったのです。
でも、昨晩の徳保さんからの御答で、彼が「単なる嫌がらせの詭弁」を繰り返していた事が解りましたので、もう気持ち的には幾らか落ち着きました。(これからは多分言葉遊び的な討論が、尚更増えて行きそうな予感はしますが。)
横ヤリさんがそれでも私と【セカンド・レイプ問題】について議論されたいならば落ち着いてお付き合いさせて頂きます。(徳保さんの御好意次第、ですけれど。)
これからの「趣味のwebデザイン」が、【珍走団】の更なる詭弁ショーになるのか、徳保さんの新たな輝かしいステージになるのかは私には判りかねますが、私個人としては自分に迷惑が掛からない限り「社会的に少し問題のある奇抜な人」としてこれからも更新を楽しみにさせて頂くつもりです。(自分や周囲に【迷惑】を掛けられた時は当然そんな悠長な事は言いませんけれど。)
それでは、今回はこの辺にて失礼します。
横ヤリです。
西国さん、もう意味がないのでこれ以降は書き込みません。
徳保さん、勝手にいろいろ書いて申し訳ありませんでした。もう最後にします。
西国さんへ。
私には、西国さんが何か主張したいこと、意見として言いたいことがあるのに、「鍵問題」では、100対0の忠告だから、その例では私の主張したいことがいえない、
だから、もっと自分の主張したいことに即した他の事例を出してください、と書き込んでいるように見えました。
徳保さんは自分の主張をするために「鍵問題」を出されていますね。
西国さんも主張したいことがあるのであれば、西国さん自身が自分の主張にあう事例を出せばいいのに。
西国さんの主張にあう事例を徳保さんが一生懸命探さなければならない理由がわからないので、
そもそもの「鍵問題」でも、「鍵をかけないほうがいい」と言う人がいると「仮定すれば」100対0ではなくなるので、
西国さんの言いたいことを言ってくださいと、催促しているだけですね。
徳保さんも(親切にも)回答で別の例を出されていますし、西国さん自身も自分の主張のために事例をあげて、説明されているので、
もうこれ以上は意味がないと思いますので、もうやめましょう。
後半の珍走団の例?は、これまでの経緯が西国さんにはそう見えたということですか?
後半、西国さんが(感情的に?)「レッテル貼り」に終始されたのは残念なことです。
こちらで言う事ではないのかも知れないですが、一つだけ、西国さんに質問があります。
(答えなくて良いです。考えてくださいね。答えられても、こちらは答えません。)
「挑発していると思われないよう地味な格好をした女性」が痴漢被害にあっていた場合(あっていなくても良いですが)、
あなたは「地味な格好は通報しないと思われるから、やめたほうがいい」と忠告しますか?しませんか?
する場合、あなたが3人目の忠告者だった場合、その人は「自分は批判されている(ばかだなーと思われている)」と感じるかも知れない。その行為は「嫌がらせ」ですか?
しない場合、、、は、言動が一致していますが、私はそちらのほうが冷たい人間に思います。
というわけで、私の立場はもはやどうでもよいのですが、あえて言えば私はBの立場ですね。
徳保さんのような特異な方は、見たことがないので非常に興味深いです。
防犯については「無施錠な人に鍵をかけなさいと忠告する」「おとなしく見られる服装を避けるように忠告する」は同じだし、一般論として(不特定多数に)防犯をしましょうという(呼びかける)のも正しいと思います。
ただ、こゆさんに対して徳保さんが行ったことは、「施錠しているかどうかわからない被害者に、鍵をかけなさいと忠告する」行為になるような気がするのです。
泥棒に入られた家の3割は無施錠だそうですが、残り7割は鍵をかけているわけですよね。
3割の無施錠の人に対して鍵をかけなさいと忠告するのは、正しいと思うのですが、きちんと施錠している人に対して「鍵をかけなさい」は、あまりにナンセンスです(私はこれが「セカンドレイプ的発言」だと思っている)。
私は、その辺りの矛盾を徳保さんがどのように解決されているのか疑問でした。
#またこれもスルーされるかな。
Re:No.395
私は、「わからない」なら「忠告する」を正解とします。「**した方がいい」「してますよ」「そうですか」という流れに問題があるとは思いません。
Re:No.392
西国さんの例え話は、状況をよく説明していると思います。西国さんが「詭弁」とおっしゃる「どっちが危ないかなんてデータは無い」とか「速度を落とすと道路も傷まないし、人も轢かない。良い事ずくめだ」といった意見を私が「一理ある」と思っていることまで含めて。私は「それを詭弁と受け取る人がいても驚かない」といっただけなのですが、西国さんは100%の詭弁だと考えていらっしゃるようですね。
ところで、私は制限速度を超える「流れ」の存在こそが責められるべきであって、制限速度を守ること自体は悪いことだと思いません。ただ、法定速度が時速30km以上の追い越し禁止の道で、時速20km以下で走行するのは迷惑だと思います。私の「迷惑」の基準はそのあたりにありますが、人によってそれは異なるでしょう。
ナツさんがホームページで完璧にまとめてくださっていたので、ここはこのまま放置しようかと思ったのですが、少しだけ。
>1
私は地雷原に行った事がないのでよく知りませんが、地雷って目で見て判るほど甘いものじゃないと認識しております。
地雷が無知な子供を殺すアイテムというなら判りますが、地雷のターゲットはきっと敵の兵隊さんですよね。百戦錬磨の兵隊さんが、子供が見て判る程度のトラップに引っかかるわけもなく。よって、地雷は見えないものと思われます。
それでもなお、親が子供に注意するでしょう。それは別に悪くないですよ。親心ってものです。地雷で足を失った子供に「アンタが足元に注意しないからよっこのバカ!」とは言わないでしょうし。
とくほさんが被害者に対してする「忠告」と表現している事は、遠くの安全な国に住んでいる親でもない赤の他人が、大した知識もなく地雷被害者を馬鹿だのアホだのと罵るのと同じ事では?極悪ですね。
>2
文章のつながり、おかしくないですか?そういうわけってどういうわけなのでしょう。なんにせよ、先頭車両で痴漢に遭った場合のみ被害者が責められるべき、というのは、全路線の先頭車両が痴漢公認でない限り、おかしな論理です。
>3
痴漢ごときに払える税金はないから、女性だけ損をしろ、という事ですか?痴漢が犯罪である限り、努力すべきは警察と世論でしょう。今、とくほさんの推奨する方法の全く逆の方向で、努力してますね。よいことです。
>4
断固反対されるような酷い話をした覚えがないのですが。世論に沿った、既出の話を繰り返しているだけです。とくほさんのお言葉、そっくりそのままお返しします。
1.なぜ地雷の多い地域でも人々の生活が成り立っているのかといいますと、まず紛争が終われば地雷はもう増えない。避難先から帰ってきた人々は、自宅の周辺、畑、道路などを順次チェックし、「安全だとわかっている場所」を増やしていきます。そうして判明した安全な場所だけを歩いていれば、(基本的に)地雷を踏むことはありません。けれども、ここが大丈夫ならあそこも大丈夫だろう、といって油断すると踏まなくてもいい地雷を踏むことになる。畑を不用意に拡張したり、危険な脇道を通ったり。どこにも地雷がないならそれが一番いいのだけれども、実際にはあるのであって、みなできる限りの注意を払った方がいい。油断するのはバカです。注意していたのに、安全なはずの場所で地雷を踏んでしまった人と、油断して安全の確認されていない場所へ足を踏み入れて被害にあった人が、同様に扱われるべきなのでしょうか。魚茶さんはどちらにも同じように同情すべきだとお考えのようですが、私はそうは考えません。
2.警視庁は無条件に先頭車両を例に出しているわけではない、ということ。理由があって先頭車両をあげているのだから、その理由にあてはまらない先頭車両が除外されるのは当然でしょう。そういうわけだから、魚茶さんの読み方は乱暴なんですよ。それから、痴漢公認とかいう誤読はいい加減にしなさい。
3.もう一度説明しましょうか。なぜ警察の人員も予算も魚茶さんの希望を達成するには不十分な状態にあるのか?国民が、そのような予算配分をよしとする政治家を選出しているからです。結局、責任は国民にあります。さて、魚茶さんは痴漢取り締まりのために警察力を増強しようと主張する政治家を政界に送り出す努力を、少しでもやっていらっしゃいますか。世論が「努力すべき」などと、他人事のようにおっしゃっていますが。
4.酷い話でなければ断固反対されない、とお考えですか。私はあなたとは意見が違います。歩み寄りの余地はないので、お引き取りください、と申し上げているのです。今後はご自分でサイトを作って、そちらで書きたいことを書いてください。
油断してなければ引っかからない場所にトラップしかけるほどアホゥじゃないと思いますが。地雷にも金がかかっているのですから。
「電車の先頭や最後尾の車両は痴漢が出没しやすいと言われています。」=どの路線かなどの条件無しに、例外なく無条件に例に出していますね。そして先頭車両が痴漢多発だと主張しつつ、しかし先頭車両への重点的なパトロールなどを実行していない=危険だと認識している先頭車両への黙認ですね。現在の警察は、とくほさんのような中傷はしないようですから、実益も実害もないですので文句ありませんが、とくほさんのようにそれに便乗して暴言を吐くのは、とても有害です。
「私の希望(一案であって、本気で熱望しているわけではないのですが)を実現するには予算が足りない」というお話ですが、電車は一日中満員であるわけではなく、一日のうちほんのわずかな時間だけです。そのわずかな時間に、ちょっと立っているだけで良いので、そんなに不可能な事ではないと思います。警察でなくとも駅員さんが声をかけるだけでも、効果が期待できますし。税金の問題ではなく、ただ、やる気がないだけです。何度も言いますが、やらないからといって、少なくとも現在は被害者のせいにすることもなく、この件に関しては実益も実害もないですので、警察や駅員さんに対して文句を言うつもりはございません。むしろ「痴漢は犯罪です」のポスターだけでも、感激したぐらいです。
私が努力していないと仰いますが、私は自衛の努力をしています。家賃相場の高い都心に住めばラッシュと逆方向になるので、被害に遭う確率が格段に違う。更に時差出勤もしておりますので、現在の被害はほぼゼロです。ただ、これを全ての女性に勧めることは、とてもできません。金銭も時間もかかりますので。自分でも、なぜ痴漢から身を守る為だけにここまで犠牲を払わなければいけないのか、疑問に思うぐらいです。これでも私に更なる努力が必要ですか?あなたは暴言を吐くだけなのに?
そもそも、できる範囲の自衛とは、何でしょう?「全ての男を性犯罪者と思い、危うきに近寄らない事」という結論に達します。しかし、その言葉を真に受けて「たまたまお尻の辺りに手があっただけでも、痴漢扱いしておしのける」「道を聞いてるだけなのに逃げ出す」という行為をすると、「俺を痴漢扱いするんじゃない」と叩かれます。自衛しないと被害に遭い心無い第三者に叩かれ、自衛しても叩かれる。それが、とくほさんの仰る「被害者への暴言」が公認されていた時代の被害者の生きる世界です。自衛だけをした所で、被害者の苦痛はなくなりません。
私は、とくほさんの意見に一言申したいので、ここに書き込んでおります。とくほさん以外は、こんな事を恥ずかしげもなく公言する方が目に入りませんので、ここで書くのが一番有効な手段です。でも他の方も懇切丁寧に書いてくださっているのに理解されないので、「価値観が違う」の一言に尽きるのかと本気で思います。
そういうズレた方、今でも表に出さないだけで、たくさんいると思います。どんな立場・職業でも。(最近も何やら問題になったような・・・。)しかし、そのズレた価値観を口にすると、たちまち叩かれる。とくほさんも、現在そういう状況ですね。そろそろ自分がズレている事を自覚し、自分の発言に注意してください。
1.一時のキャンペーンとしてなら可能かもしれませんね。この日は山手線、この日は埼京線……といった日替わりの活動を痴漢撲滅キャンペーン期間中(例えば1ヶ月間とか)やっていく、というくらいなら。でもひょっとしたら私は悲観的過ぎるのであって、やればできる話かもしれない。警察幹部に指導するのは自治体首長だから、警察に痴漢対策を頑張らせるような人を当選させることです。
2.私は魚茶さんが警察力強化のための努力をしているのか、という点には疑問を呈しましたが、魚茶さんの自衛策については何も申し上げていない。私がいってもいないことを怒られても困ります。
3.「できる範囲」の判断は人それぞれです。極端な意見は常にあるので、どこまで頑張っても「努力が足りない」という人はいるでしょう。逆にほとんど何もしなくても「あなたは十分頑張っている」という人もいる。0か100かという問題ではないのです。魚茶さんは通常では困難なレベルまで頑張っていらっしゃるようですから、批判は滅多にないでしょう。でも0でもないと思います。そういうものなんじゃありませんか。
4.「ふつう」からずれたことをいうのも、それを叩くのも、叩かれてまた反発するのも自由です。みんな好きにしたらいい。
5.私は魚茶さんに対応するのはもう飽き飽きしているので、魚茶さんはどうかよそで発言なさってください。
みんな好きにしたらいいのに、私にはよそに行けとおっしゃる。元々、発言に一貫性のない人だとは思っておりましたが、ここまでされると、ちゃんと読み直してから発言して欲しいと思う今日この頃です。
とくほさんの大好きな鍵の話。家に住んでいる限り、鍵をかける意味のない人などいませんよね。性別などに関わり無く。家に住む人に対して等しく言える忠告であり、等しく守るべきことであります。平等ですね。
でも、先頭車両に乗ると危険だという事は、男性には意味がないですよね。先頭車両で痴漢冤罪に遭った人に「おまえが無防備に先頭車両に乗ってたからだバカ」と言う事が世の常識だというならば、話は変わってきますが。現状では、とくほさん曰く、乗る車両や混み具合に気をつけなければいけないのは、一方的に女性だけなのです。不公平ですね。女性に人権はないとでも言うのでしょうか?
女性だけが被害に遭う現状がおかしいのに、その現状を直す努力をするわけではなく、憂さ晴らしのように被害者に暴言を吐くのみ。それは人としておかしいのではないですか?毎日汗水たらしてパトロールなどの対応に追われている人が、根拠のある「忠告」をしてくださったというのなら、こんなに食いつきません。何もしないくせに、何も知らないくせに、無根拠に偉そうにしてる人に言われるから、心底不愉快なのです。とくほさんは自分を被害者より上の立場だと思っていませんか?被害者より不勉強なのに、なぜほくほさんの方が上の立場だと勘違いできるのか、不思議でなりません。無知なら無知で、大人しく黙っていればいいのです。害にしかなりませんから。
それにしても、とくほさん曰く「女性が防犯すれば良い」だと思っていたので自分の鉄壁ぶりを披露したのに、どうしても選挙に行かせたいのですね。選挙管理委員会の方ですか?
で、とくほさんは何してくれるのでしょう?言う事は自由かもしれないですが、人を傷つけるほどの暴言を吐いたからには、それなりの責任があるのではないですかね?これだけ偉そうな事を仰るのですから、さぞかし素晴らしい事をしてくださると、期待しております。
みんな自由なのだから、私があなたによそへ行ってください、というのも自由です。そんな簡単なことがなぜわかりませんか。あなたの発言は削除しました。削除されたくなければ、私に消されない場所で発言なさることです。
横レスになってしまいますが・・・
徳穂さんは、「みんな自由なのだから」と言っているし、魚茶さんがここで発言することを拒否出来ないはずではないでしょうか?
それと、発言を削除する理由が、私には理解できません。管理者だからと言って、そう簡単に削除していいものでしょうか?「みんな自由」でしたよね?
私も横槍となってしまいます。申し訳ありません。
「みんな自由」と「私があなたによそへ行ってください、というのも自由」はこの場合成り立たないと思います。
それは言う側と言われる側が対等の立場ではないからです。
HPの主催者に「余所へ行って下さい」というのがどれほど大きな影響力を持つか。到底立場が同じとは言えませんよね。
つまり、徳保さんはHP管理人という絶対的強者という立場にあり、その上で「よそへ行って下さい」という
立ち入り禁止ともとれる発言をしておきながら
それを「発言の自由」の元に対等な権利を有するもの同士の会話であるかのように見せているわけです。
徳保さんの言葉を借りるなら、こうなります。
つまり、「貴方は卑怯だ」と。
ん?削除されていないですね。(深海人さん、ラマ坊さん、ありがとうございます。)
最近意図的に挑発してまいりましたが、予想以上にキレていただいたようで。自分より下だと思っている人に偉そうに「忠告」される不快感、実感されたようですね。自分がされたくない事は人にしないようにする。子供の頃に習いませんでしたか?(と私が言うのも矛盾だらけですが。)優位に立つ根拠が悉く覆されたので、「管理者」という優位に立つ事にした、と判断します。間違ってないですよ。最終手段ですね。
そもそも、削除されるような犯罪的な事を書き込んだ覚えはないのですが。私が犯罪を薦めるような発言などをしたわけでもなく削除される=とくほさん完全降伏という事でしょうか。いっそ、痴漢議論全てを無かった事にするか、「ほくと」などに名前変えて、とくほさんを批判する側になるというのはどうでしょう?
内容に関してのレスがないので、反論無しと判断し、進めます。(どう判断するのも、みんなの勝手。とくほさん談。)
前回の自分の書き込みで、「そういえば女性にはガイドラインがあるのに、男性には無いのはなぜだ?」と思い、男性用ガイドラインを作成しました。思えば「ここまでしたら痴漢」というガイドラインも私は見たことないですのでそれも交えて。女性側の努力で痴漢を摘発しようとすると、痴漢冤罪も増えると思われますので、痴漢冤罪を防ぐガイドラインという事にしてみました。
1.手の甲だろうが太ももだろうが、女性の体に密着させたままにしておくと、痴漢と誤認されかねません。
女性に自分の手や下肢などが密着してしまった場合、速やかに離しましょう。
両手を常に他人に見えるようにするのも効果的です。
2.女性の胸元に新聞で隠すと、新聞の下で起こっていることを他人が認知できません。
痴漢と訴えられる可能性があるので、避けましょう。
3.周りに痴漢がいると、自分が痴漢だと誤認される恐れがあるので、
車内では常に周りの男性の行動に気をつけましょう。
4.先頭車両などの混んでいる車両では痴漢が多発するので、誤認を避ける為に、他の車両を利用しましょう。
・・・・で、以上をひとつでも守らない人は、痴漢と誤認されても自分の防犯意識が低いせいだと罵られる、と。
一度あたりの被害度で比べると、痴漢されるよりも痴漢で捕まる方が、ダメージが大きいでしょう。(頻度も計算に入れると、良い勝負だと思いますが。)もしこのガイドラインが一般化されたら、今まで他人事だった「痴漢問題」の被害者になるかもしれないという恐怖感から、男性側も気を使ってくれるようになるでしょう。女性側の防犯よりも確実に効果的だと思います。しかし、電鉄会社が、お得意様である男性に不自由を強いる事は、しないでしょう。言うまでもなく、実現不能ですね。効果の大小よりも、自分が不自由にならない対策を推奨するような方々のお言葉には、反感を感じることはあっても、感謝したり尊敬したりなどするわけないですね。
話が横道に逸れるかもしれまんが、ちと言わせて頂きます。
なにやら「削除」という言葉をチラつかせておりましたが、結局発言を一向に削除しない徳保さんの行動に疑問を持ちました。
忙しくてそんな暇が無いのかもしれませんが、「削除」という圧力を掛けてただ黙らせたかっただけはないか?削除すると後々面倒だから、管理者という立場を利用して議論を切り上げようとしただけではないか?そう思いました。
Re:No.397
私のいいたいことがちゃんと伝わっているようですね。
Re:No.396
「以上をひとつでも守らない人は、痴漢と誤認されても自分の防犯意識が低いせいだと罵られる」という可能性はあるでしょう。批判しない人も多いでしょうが、批判する人もいていいんじゃないですか。
Re:390,391
この掲示板は私が設置したものなので、私に利用者よりも大きな自由があるのは当然です。私は気に入らない書き込みを消すことができますし、パスワードも設置できますし、特定ドメインからの書き込みを禁止することもできます。私は私の価値観に基づき、自由にふるまいます。これに対し、他人が批判するのもまた自由です。
人を殺すのは自由だけれども、それを許さないのも自由であり、「許さない派」が法治国家をつくり、殺人者を裁くのも自由だということです。もちろん殺人者が「許さない派」の「横暴」を批判するのも自由だけれども、ろくなことにはならないでしょう。
ところで私がネットマナー系サイトの主張を苦々しく思うのは、管理人の価値観を「正しい」とし、管理人の判断に対する批判を「間違い」とするからです。管理人にとって、管理人の判断は「正しい」のでしょう。しかし他の人が管理人の価値観に賛同しなければならないわけではない。……まあ、管理人の価値観に賛同すべき、という意見はあっていいですよ。私は賛同しないし、批判する、というだけのことです。
◆こんにちは、徳保さん。
いつもその興味深い論説には色々な発見や驚きをさせて頂いてます。
特に昨晩の御返事には徳保さんの人となりが深く現れていた気がして、頷かされる事多数ありました。
@事前に言わせて頂きますが、本当にすいませんでした。
私は、徳保さんが「自覚」しながら【多数派の人間がしている嫌がらせは世間に認められているのだから、自分のする嫌がらせも認めろ】と声高に仰っている可能性を、低く見積もり過ぎていました。
(他の方達が色々な場所で散々指摘されてきた推論と同様に、徳保さんが「無自覚」なんだと思っていたのです。)
【女性なら誰もが当事者となる可能性が極めて高い犯罪の被害者に対する「嫌がらせ」】を無自覚にされると「うっとおしい」と思っていた私は、もし徳保さんが「無自覚」にされているのなら、それを旨く指摘出来れば【犯罪被害者に対する、社会的にも相手にも無意味な「嫌がらせ」】をされる事を徳保さんが控えて下さるのではないかと思っていたのですが、「自覚」された上での「嫌がらせ」であるなら全く状況が違いましたね。
こちらの推察力が甘かった事、それ故に議論を冗長な形にしてしまった事を重ねてお詫びします。
以前より、徳保さんが御自分の主張を【被害者の為】⇒【世の防犯の為】⇒【少数派の権利の為】⇒等々…頻繁にすり替えられているのを何故かと考えていたのですが、少数派である徳保さんが【多数派の人間がしている「嫌がらせ」は世間に認められているのだから、自分のする「嫌がらせ」も認めろ】などと言う意見をストレートに出すと世間(多数派)の反感を徒に買うので、それを避ける為に「自覚」して実行されていた【方便/詭弁】だと思えば(「主張の内容」は兎も角として、その「行動」には)すんなり納得出来ます。
そして、確かに、以前に徳保さんが言われた【「馬鹿」と人に言うのは犯罪ではない】が【法を犯さない限り「嫌がらせ」も犯罪ではない】と言うのも理解しました。
更に、少数派を完全に打ちのめす様な「即効性の高い打開策」を多数派から提出されない限りは(他人事である限り、かもしれませんが)、【被害者の人権】などと言う物よりも断固として(【言論の自由】を元に)【法を犯してない「嫌がらせ」をする権利】を守ると主張する徳保さんの立場も了解させて貰いました。
私は【落ち度の無い犯罪被害者に対する「嫌がらせ」】を好しとしませんが、(市民運動家でもありませんし)法を犯されていない限り徳保さんの【「嫌がらせ」をする権利】にまで干渉する事はほぼ不可能でしょう。(身近な人間にそんな嫌がらせをされたなら当然対応は変わるでしょうけれど。)
多くの人が気を付けて注視している間は、流石に徳保さんも露骨にその【落ち度の無い犯罪被害者に対する「嫌がらせ」をする権利】を行使されるとは思いませんので、私もその「僅かばかりのセイフティ役」になる事にします。
それにしても、徳保さんが「たろたま騒動」において何度も口に出されていた【人が心の中に飼う鬼】の片鱗を今回見せて頂けた気がしています。
Aそれでは、前置き(むしろ向こうが本題だったかもしれませんけれど)が長くなりましたが、今回も徳保さんの主張に対する疑問を幾つかさせて頂きます。
【多数派は自分達のしている「嫌がらせ」を認識していない】と徳保さんは言われますが、【加害者側が「嫌がらせ」を認識しているかどうか】に必ずしも人数は関係ないと思いますよ。
確かに、偉そうな御題目を掲げて平気で少数派を差別している人は世間によく見受けられますし、そうでなくとも自分が多数派であるが為に自らを顧みないお気楽な人もいるでしょう。
でも、だからと言って、自分の行動が「嫌がらせ」なのかを認識出来ない人などは、それこそ単なる「御目出度い人」だけじゃないでしょうか。
ある程度自分を解っている人は、【賛同者の人数の多さで「自分が嫌がらせをしているかどうかの認識」を変える】のではなく、どんな時も【自らの判断と責任で「嫌がらせ」をする物】ですから。
(【賛同者の数で「嫌がらせ」の認識を変えられる】徳保さんは、多少「ヘタレ」な印象を周りに与えているかもしれませんよ。)
今後、もし徳保さんが多数派を笠にして「嫌がらせ」される時は、後になって【自分の行動が相手に対する「嫌がらせ」だったとは思わなかった…】と気付くような迂闊な事がないと良いですね。(老婆心までに。)
Bそれから、徳保さんは【世間は「多数派のする嫌がらせはOK・少数派のする嫌がらせはNG」と判断する】と言われますが、それも極論だと思います。
殆どの場合、それは【その「嫌がらせ」が自分にとって迷惑かどうか】で判断される物だからです。
例えば、「世界を破滅させる事を教義とする様な新興宗教」があるとします。
そして、その団体が【法律に触れない「奇妙な行動」】をしていたとしましょう。(これが新興宗教側からの「嫌がらせ」開始ですね。)
当然、そんな物騒な団体が居れば「近隣の住民」は自らの生活を守る為に【自衛】に立ち上がります。
そうなれば、往々にして行き過ぎた行動の幾つかが相手に対する「嫌がらせ」になるかもしれません。(これが近隣住民側からの「嫌がらせ」です。)
そんな時、第三者がその【嫌がらせ合戦】にどう判定を下すかと言えば、その両陣営の人数の差ではなく【どっちの「嫌がらせ」が自分にとって「迷惑」か】ですよ。
もし、本当にその「新興宗教団体」が世界の破滅を望んでいるのなら、自分の生活を守りたい人はそんな【迷惑な「嫌がらせ」】の拡大を阻む為に「近隣の住民」を支持しますし、世界の破滅を望んでいる人やその「近隣住民」に反感を持っている人は自らの判断でその「新興宗教団体」を支持するでしょう。
しかし、その時たとえ一時は多数の支持を受けたとしても、「近隣住民」の【対・新興宗教団体抗議行動】が過剰に暴走して周囲の人に【迷惑】となる行動が目立って来たなら、逆に「近隣住人」に拒絶反応を示す人が増えてくるのは何らおかしな事でもないと思います。
今回、徳保さんのされた「嫌がらせ」に多くの人が「NG」を出したのは、「痴漢被害にあった人」にとっても「性犯罪のセカンドレイプを防ぎたいと思っている人」にとっても「痴漢犯罪の撲滅を願う人」にとっても甚だ【迷惑】だったからに過ぎません。
ですから、徳保さんが嫌がらせをした相手が、多くの人にとって更に【徳保さん以上に迷惑な存在】であったなら、結果は全くの逆となっていたでしょうね。
殆どの人にとって何ら迷惑を被っていない女性を相手に【その他の多くの人にとっても甚だ迷惑な「嫌がらせ」】をした事が徳保さんの敗因なのですから、次からはもう少し「嫌がらせ」のやり方に注意すれば多数派の支持を受けられるかもしれません。
そんな馬鹿げた「嫌がらせ」を、私が支持するかどうかまでは判りませんけれど。
◆それでは、今回も長文にて失礼しました。
今後の徳保さんの言動を楽しみに拝見しています。
追記:勝手ながら、横ヤリさんとの議論と分ける為に再度スレッドを立てさせて頂きました。
徳保さん、及びこのBBSを利用されている方、本当に申し訳ありません
横ヤリさんへ。
そちらとの討論は、後程引き続き前のスレッドでさせて頂きます。
1.「やればマシなことをやらない人はバカだと思うし、そういう」というのは、私にとっては「正しいこと」だから堂々とやっているのです。これを「嫌がらせ」と見る意見があることには驚きませんが、私は「嫌がらせ」をしようとしているわけではありません。
小泉首相は公約を守れなかったことを「たいしたことではない」といった。なぜなら、「構造改革路線はぶれていない」からだ、と。たしかに靖国神社の参拝日は2日ずれただけだったし、国債発行額も予定の1割増にとどめた。それらは最低限の政治的譲歩に過ぎず、政策の根幹は変わっていないのだから、「字句通りの公約実現」ができなかったことは「たいしたことではない」という意味です。しかし首相は集中砲火を浴びました。小泉は国民にウソをついても「たいしたことはない」という政治家だ、と。私はこの小泉叩きを「嫌がらせ」だと思いました。なるほど、ウソをついたといえばそうかもしれないが、反対意見にまったく譲歩しなかったら「独裁」といって批判されたでしょう。国債を公約にとらわれずに大量発行すべきだと主張した報道機関は非常に多く、終戦記念日の靖国訪問をやめるよう主張した報道も多かった。それはもちろん、「そうした報道が商売になるから=読者の支持があるから」です。そうして公約破りを迫った人々が、首相のギリギリの譲歩を公約違反だといって叩く。けれども、人々は「嫌がらせ」のつもりで首相を攻撃したわけではありません。「許せない」という怒り、「この発言を見過ごしては社会のためにならない」という公憤、「こうした発言は首相のためにならない」という衷心、そうしたいろいろな考えから、小泉発言への批判は「正しいこと」とされたのでした。
小泉発言批判を「嫌がらせ」だったといっても、賛同しない人が多いでしょう。「嫌がらせ」だという認識が受け入れられるようなら、あんなに盛り上がりはしなかったのではないかと思います。
首相の靖国参拝、これは中韓の政権から見れば「嫌がらせ」です。政権中枢がどう考えていようと、これを見過ごせば国内から突き上げがある。しかし国内事情に配慮するあまり日本への礼をひどく失すると、重要な経済的パートナーである日本との関係がおかしくなり、苦境に立たされます。一方、日本の政権にとって見れば、靖国参拝への反発は「嫌がらせ」でしかない。半世紀以上の昔の話を、とっくに国家賠償は決着しているのにしつこく持ち出されるばかりでなく、戦没者の追悼という国防政策の根幹をなす問題にまで口を出されてはたまらない。いい加減にしろ、ということになる。どちらも「嫌がらせ」でやっているわけではないのですが、結果的に相手にとっては「嫌がらせ」となるわけです。例えば、こうしたケースもある。
「流れ」に添った制限速度超過、という例を以前のレスでとりあげましたが、そこでは法令を遵守する人が批判されるという理不尽な状況があります。安全運転を心がけ、法定速度をいつも守る人にいわせれば、「流れ」が制限速度を超過していることがそもそも問題なのであって、自分は何も悪くない。「流れ」に沿って制限速度を超過しないのは「邪魔だ」「かえって事故の元」などと非難される筋合いはない、ということになるでしょう。「嫌がらせ」としか思えない。……ところが、避難する側は、トロトロ走って道をふさいでいる車にイライラしていて、追い越し禁止がずっと続くうちにとうとうぶち切れるところまでいったりする。法定速度を守っている車こそ、彼にとっては「嫌がらせ」なのです。
多数派と少数派、どちらの方が自分のやっている「嫌がらせ」に気づきやすいかといえば少数派に決まっています。多数派はしばしば身の回りの人間の同意を得たところで自説の正しさに確信を抱いてしまい、ある種の人々から見れば自分たちのやっていることが「嫌がらせ」だということに気付きにくい。これに対し少数派は、知り合いの数人の意見を聞いただけで「嫌がらせ」認定を受けてしまうことになるのです。
2.何をもって「嫌がらせ」とするか、というのは難しい問題です。先述の通り、私は「やればマシなことをやらない人はバカだと思うし、そういう」のは「嫌がらせ」ではない、と考えています。しかしそれを「嫌がらせ」と考える人がいてもおかしくはない、との立場です。
3.何をもって「迷惑」とするか。これも難しい。
4.オウム信者の住民票受付拒否を多くの住民は支持しましたが、私は大反対でした。法律と人権の恣意的な運用こそが、私にとっては恐ろしいことだったからです。26日の最高裁判決は、私の心配を解消するものでした。オウム信者の受け入れ拒否は認められない、との最高裁の初判断です。これには救われる思いがしました。
同じ事象を見ている、同じ立場の第3者であっても、「自分にとって迷惑なのは何か」という判断は、価値観次第でまったく異なります。私はオウム信者受け入れ拒否に反対、大半の住民は受け入れ拒否万歳です。私は「世界制服を目指す教団」は好きになれませんが、教団の信者の信教の自由や居住権などの基本的人権を侵害しようとする住民はもっと嫌いです。「教団信者は殺せ」というところまでいったら、さすがに過激な住民グループは支持を失うでしょうが、とにかく現在は、「この程度の人権侵害ならやってもいい」というのが多数派なので、受け入れ拒否が許されてきたわけです。
多数派だから「嫌がらせ」もOKなんですよ、やっぱり。何を迷惑と考えるか、その基準は人それぞれなんです。たまたま多数派に属する「迷惑感覚」を持っていればいいのですが、少数派に属する「迷惑感覚」の持ち主は、多数派のせいで世の中に「迷惑なこと」がどんどん増えていくことになります。自分が味方する側が、毎回多数決で敗れてしまうわけですからね。「迷惑」の基準は万人共通ではありません。多数派は往々にして、自分の基準が万人共通の基準だと思い込みがちで、他の基準を持っている人がいることに気付かない。あるいは他の基準の持ち主を狂人あつかいさえする。多数派はそれでも困りませんから、のん気なのです。けれども、少数派は悲惨です。
5.ところで私は[世間は「多数派のする嫌がらせはOK・少数派のする嫌がらせはNG」と判断する]ではなく[多数派がやる「嫌がらせ」はOKなのに、少数派のやる「嫌がらせ」はNGなんです]と書いています。「世間」という言葉は西国さんと現場さんだけが使っており、今回、私は使っていません。私は「世間=多数派」との認識です。
多数派はたいてい、「どの意見が多数派なのかを見極めて、その意見に与する」のではありません。自分の思うままに選択した結果、多数派となります。だからむしろやっかいなんです。自説の正しさを疑う必然性が何もありませんからね。反対意見は少数派だから、最終的には数の論理で「おかしい(=ふつうじゃない)のはあいつらの方だ」といえてしまいますし。
多数派はほとんどの場合、(いろいろな意味で)勝ちます。そして「正しさ」を確信しつつ「嫌がらせ」だってなんだってやるのです。多数派が多数派であり続ける限り。反オウムの住民票受付拒否運動を繰り広げてきた市民団体に「嫌がらせというのは戦術として下策ではありませんか?」なんて訊ねようものなら、「嫌がらせとはなんだ、嫌がらせとは!ふざけたことをいうと許さんぞ」と怒り出す人も少なくないでしょう。そして「流れ」の速い道で法定速度を守るドライバーは非難され続けるのです。多数派の前では、基本的人権も法律も霞むというわけですよ。私の無断転載が許されたように。
私は実際に性犯罪専門の部署におります、現役の警察官です。
友人に勧められて、こちらと、アドレナリンショックを読ませていただきました。
現場の意見としましては、正直申し上げて、徳保さんのように、第三者が無責任にする忠告というものが、非常に迷惑だと感じています。
被害者に対しても、できるだけ被害にあったことは他の人に漏らさないようにした方が傷つかずにすむ、といった説明をいたしております。
第三者からの「チャラい服装をしていたからうんぬん」などといった忠告で告訴を取り下げる被害者も少なくありません。
忠告などというのははむしろ告訴取り下げなどにつながり、性犯罪を野放しにするだけのものと私は感じます。
ナツさんが示したように服装との相関は否定されておりますし、また先頭車両の件につきましても、現場で相関は感じません。忠告などというのは無意味、むしろ害のあるものだと感じています。第三者からのセカンドレイプほど警察にとって迷惑なことはありません。私どもは被害者に対して、忠告など行いませんし被害状況を尋ねるのも大変気を遣うものです。
服装に関してあえて申し上げるのならば、清楚できっちりしたスーツ姿の女性、もしくは女子高生が多いかと思います。
痴漢の常習犯からも、絶対に警察に告発するような人間を第一のターゲットにするということをききます。痴漢することが目的であって、相手の容姿などはあまり考慮されていないようです。痴漢は、自分が捕まるという意識があまりないようです。私服での捜査で痴漢の動きを見ておりますとドアの近くの人をねらうとかいったこともなく、とにかく自分のことを告発しなさそうな人間のいる場所に向かって移動していく場合が多いです。
服装との相関が徳保さんの前提とまるで反対である(と私は感じています)ならば、第三者の忠告からは被害者が傷つくだけのものしか生まれないのです。
性犯罪を特別視しないとのことですが、我々警察でも、性犯罪については被害者の名前は公表することはありませんしそのようにマスコミ各社にも協力いただいております。これは世間からのセカンドレイプを防ぐため、というのが目下の理由であります。捜査中も、被害者からの聴取には女性捜査官を当てるなど、特別な配慮を払っており、これは一般の犯罪捜査とは一線を画すものです。
徳保さんの意見は、現場の人間としてはこの人は高みの見物を決め込んでいる人間なのだな、と思いました。
そのような人間の目が、セカンドレイプの温床となると感じています。
言葉遊びもよろしいですが、第三者の無責任な意見が社会の害悪になることもあるということを心にとめていただきたく思います。徳保さんのご意見は被害者にも、捜査する私どもにも、なんの役にも立たないどころか、できればそのような忠告などは、しないでもらいたい、というものであります。
徳保さんは満員電車などには乗られないのでしょうか。実際の満員電車においては、女性男性にかかわらず電車のどこに立つかなど選ぶことのできない状況であります。
私は理系出身の人間ですので、なかなか論理的にものが言えずに感想程度のものになってしまいましたが、徳保さんだけではなくここをごらんになっていらっしゃる人々にも、現場の人間がどのように考えているか伝わったらよいな、と思う次第であります。
>痴漢の常習犯からも、絶対に警察に告発するような人間
痴漢の常習犯からも、絶対に警察に告発しないような人間、の誤りです。
初歩的ミスすみません。
私どもの被害者への対応は年々変化していっております。
現実的な問題として、性犯罪は特殊な犯罪として扱われていること、そのような潮流であることを理解していただきたいです。
徳保さんが主張する性犯罪の相対化は時代を逆行するものであり、私ども警察としては到底受け入れられないものです。これからなおいっそう被害者へのセカンドレイプを防止しながら性犯罪を防止、検挙していく方針であります。
徳保さんは現実主義を貫くとのことで、私どもの現実を知っていただければと思います。
あなたは卑怯だ。まず勤務先と本名と連絡先を提示しなさい。
話はそれから伺います。
横レスで失礼いたします。
現場さんが現職警察官であるかどうかは甚だ疑わしいものですが、書かれている内容にはなるほどと思えるものがあります。おそらく、警察内の実情もこのようなものではないかと感じられる文章でした。
書かれている内容が真実であるならば、やはり第三者が性犯罪被害者に対して追求することは問題であると思われます。
徳保さんは以前に、忠告の内容が誤りかどうか証明できないのに無碍にすることは問題だと述べられておりました。きちんとした反証ができないならば、現場さんの忠告には従っておいた方が得策ではないでしょうか?
現場さんが本物の警察官であれ、偽物であれ本名を提示するのは不可能なことでしょう。しかしそれで話が終わってしまうのは残念なことです。
そこで第三者である私がこの意見を引き取りたいと思います。
現場さんの意見で服装や先頭車両の話題については特に目新しい物は見受けられませんが、警察は性犯罪被害者を他の犯罪被害者と区別して扱っている、というのは新材料です。性犯罪被害者には女性捜査官が応対するというのは報道でもよく取り上げられることであり、また事件報道で被害者名が明らかにされないのも、性犯罪に特有のことのようです。
警察も性犯罪を特殊な犯罪として扱っているならば、一般市民である我々もそれを前提にして対策を考えるべきではないでしょうか。
第三者からの落ち度の追求により、性犯罪被害者が犯罪を通報できなくなってしまうのであれば問題です。当事者の協力のない犯罪対策が上手くいくはずはありません。これは防犯対策の前提となることです。
徳保さんも防犯対策の必要は認めておられます。ならば、性犯罪被害者が助けを求めやすくなり、また警察が有効な防犯対策を立てるためにも、社会の不必要な圧力は除かれるべきではないでしょうか。
徳保さんは、被害者が被害を警察に通報することを必要だと考えますか?
それを妨げても、被害者を追求し本人の防犯意識を高める方がよいと考えますか?どちらにウェイトを置いているか回答いただけないでしょうか。
上記は警察の公式見解がどのようなものであれ判断は可能のはずです。
意見を言うときに名の名乗れというのですか。
名を名乗れと言うからには、まずあなたの方から、職業、本名、連絡先を名乗るべきだと親御さんに習いませんでしたか?私が卑怯云々よりも、あなたの礼儀知らずの方が大人として恥ずかしいと思いますが。
別にあなたと言葉遊びなぞする気はございません。議論する気もございません。
実際の現状がどのようになっているのかと言うことをお話ししたかったまでです。あなたのレスポンスは要りません。様々な人に、現状が伝えられればと思い書き込みをさせていただいた次第です。当初からあなたとロジック遊びをする気はございませんでした。
最初の投稿の結びの通り、「感想」程度のものであったのです。
実際私の所属などを証すことなどできません。それこそ、鍵をかけていない家が泥棒にねらわれやすい云々と同じで、無防備にするわけがないでしょう。
とにかく、現状と、あなたの理解は全く異なっていると言うことだけ申し上げたかったばかりです。
あなたの理解は結局あなたの中にしかない空虚なものなのだな、と思いました。議論のための議論なぞ、私は結構ですので、これからも存分になされればいいと思います。ただ現場の人間からみると、迷惑だなあと思うばかりですが。夏は害虫も多いですしね。
現場さんへ。あなたの発言は追って削除いたします。
1.ナツさんの簡易まとめの冒頭で、私が服装云々については誤りを認めていることは書かれているというのに、あなたはそれさえも読んでいない。
2.警視庁のアドバイスは何のために公開されているのか?あなたはその内容を簡単に切り捨て、そのうえ警察を代表するような主語を不用意に用いている。
私情にまかせて適当なことを書くなら、警察の名を出すべきではありません。あなたは警察を代表するかのような文章で「迷惑」などと述べています。警察を代表したいなら組織の一員としての身分を明らかにすべきです。
展開点さんへ。
1.忠告者とその賛同者は、忠告が無碍にされると怒る、問題視する、と私は述べています。しかし忠告を無碍にするのは自由です。なぜか?世の中には無数の忠告があり、その中には相反する忠告、実行不可能な忠告、非効率な忠告などが無数にあり、すべて受け入れることは不可能だからです。しかし「ある人にとって」バカみたいな忠告であっても、「忠告者とその賛同者にとっては」意義のある忠告なのですから、どの忠告も無碍にすれば誰かが怒ります。怒るのを止めたければ忠告の誤りを証明するしかない。ようするに、忠告者とその賛同者が怒ることを覚悟するなら、忠告を無視するのは自由です。
2.防犯の不備に対する注意をセカンドレイプなどと呼び忌避するのはおかしい、と私は考えます。ナツさんがなぜか例にあげた「本当は望んでいたんだろう?」など、ナンセンスです。防犯の不備を注意する、批判することと関係ない発言ではありませんか。「(例えば西武池袋線上り電車で)先頭車両に乗るのは避けた方がいい」といい、他の車両でも被害にあうことはあるなどといった意見に対して「とくに危険な車両に乗り続ける必要はない」と反論し、これを結局無視してしまう人には「もっと防犯意識を強くもとうよ」と批判する、そうしたことが「本当は望んでいたんだろう?」といった馬鹿げた中傷となぜ同列におかれるのか?私には理解しがたい。
3.結局、防犯の不備を批判されると「本当は望んでいたんだろう?」といった発言と同等に傷つく人が少なくないということなのでしょうが、困った話だと思います。無施錠と泥棒の例で書けば、私がいいたいのは、『(無施錠「だから」泥棒に入られるわけではない、無施錠「だから」泥棒に入られていいわけではない、しかし)無施錠は「危険なので」今後は気をつけなさい』という話です。わざわざ危険なことをするのは馬鹿げている。この程度の批判で傷ついてしまうというのはどういうことなのか。私は「弱さの全肯定」に賛成しません。もう少し強くなるべきだといいたい。そうすれば「妨げ」は解消され、防犯意識も向上します。
空想的、非現実的……そういった批判は甘受します。私は、防犯の不備を注意されるから「警察にいかない」という人を「正しい」とは思えないのです。だって弱いんだから仕方ないじゃないか、という下向きの発想には賛同しません。
話題と随分ずれますが以前徳保さんは「サイトを丸ごとダウンロードしてから内容を読む」とききました。
それはどのようなソフトウェアを使用しているのですか?
よろしければ教えてください。
Windowsなら「gethtmlw」を使います。
http://hp.vector.co.jp/authors/VA014425/gethtmlw.html
Macintoshなら「波乗野郎」を使います。
http://www.bug.co.jp/nami-nori/
どんなサイトもダウンロードしてから読むというわけではなく、5サイト程度はアンテナ経由で日々拝読しています。
ところで、ダウンロードしたファイルは読んだところから順次消しています。そうしないとどこまで読んだかわからなくなってしまうことが多いからです。ダウンロードしたけれど、いくつか読んでつまらなかったので残りも消す、といったこともやっています。なので、特別に気に入ったサイトでもない限りは、ダウンロードしたファイルを7日以上保持していません。寝てる間にダウンロードすることに慣れると、毎日毎日、とても読みきれない量のファイルを入手することになります。パンクしないよう、あふれる情報とうまく付き合っていってください。
返信ありがとうございます。
活用させていただきます。
◆はじめまして。
以前より徳保さんの【痴漢論議】を興味深く読ませて頂いていましたが、一連の徳保さんの発言の中に(多くの閲覧者さん達が不快に感じていたと思われる箇所で)幾つか旨く理解しかねる点がありましたので、不躾とは思いつつ質問を書き込ませて貰います。
まず最初に、私は【簡単に防犯対策になりうる(明確な根拠があるか、もしくは市井一般で広く認知されている)事前予防法があって、それを普段余程の理由がない限りは心掛ける事】を否定しない…と言う立場です。
当然、徳保さんが何度も繰り返し言及されている【防犯用に作られてほぼ100%の人が常識として玄関に設置している「鍵」を、わざわざ理由も無く敢えて使わない人の行動が、他人から「油断」だと指摘される事は犯罪抑止の見地から妥当である】と言う意見も十分に理解出来ます。
(そして、玄関の鍵を掛けなかった事が原因で何度も繰り返し泥棒に入られた人が居れば、余程ズレた人でない限りそう言った第三者からの指摘を、たとえ不本意でも多分幾らかは本人も受け止めると考えています。)
しかし、それを踏まえた上でも、徳保さんの言われる【「性犯罪被害者への指摘」理論(?)】は、やはり御門違いでズレていると感じました。
◆理由は幾つかあるのですが、
@【「痴漢」は、加害者個人の性的嗜好を特定する事がほぼ不可能で、加えてどんなタイミングで行われるのか予測が甚だ難しい犯罪】と徳保さんは理解されていると思われるのに、それでも何故か【「痴漢」に会う被害者は大抵事前の防犯意識が低いので、それを責め立てるのは一向に構わない】と感じておられる点。
A最初は【根拠さえあれば、痴漢被害者の落ち度を責めてもいい】と言う主張をしていたのに、「徳保さんの発言にはその肝心の根拠すら無いにも拘らず、それでも痴漢被害者を責めるのは問題がある」と言及されれば、一転して【根拠が無く他人を責めても構わないし、それを聞き入れない人間を馬鹿と呼ぶのも勝手】と論点をズラして開き直るのは、人と真面目に議論をする姿勢としては問題があるのでは…と言う点。
B【やらないよりやった方がマシなら、やった方がいいに決まっている】と言う事と、【やった方がマシかどうか殆どの人に分からない(根拠すら無く多分に偏見に満ちた)意見でも、労力を割いて実行しろ】と言う事の違いを徳保さんは解っているのだろうか…と言う点。
(【何処の誰だかも分からず接点すら無い人間による、根拠も無くほぼ個人の偏見だけに基いた勝手な意見を事前にことごとく予測して、それに万事対処する】なんて、大変に難しいと思いませんか?)
C独り言で誰にも聞こえないように話すとか、仲間内において身内の女性に対しての発言ならば兎も角(それでも問題はあると思いますけれど)、今回の【痴漢論議】が多くの人の知る所となった今でも徳保さんが【女性の社会進出が著しい昨今に於いて、男性と接触する機会の多い女性の立場から客観的に見て、現実に行動が安易で効果の高い痴漢対策を提案する】事よりも尚【根拠の薄い対策法らしき物を適当に羅列して、被害者を誹謗した事への言い訳にする】事に終始しているのは何故か…と言う点。
D徳保さんは、【女は、痴漢にあいたくなければ男の手の届く範囲に絶対入るべきではない】【それを徹底出来ない女は馬鹿呼ばわりされても当然だ 】と、考えているのかな…と言う点。
E【性犯罪は、事前にある程度予防策を取っていたとしても出会ってしまう確率が甚だ高い上に、性に過剰な偏見を持った第三者が(面識の如何に拘らず)謂れもなく「どうせ被害者が誘ったんだよ」と誹謗して被害者を何度も傷付けてしまう事がある犯罪なので、根拠の無い(薄い)被害者側の事前対応の不足な点を殊更論ってまで被害者を責めるのは極力控えた方が人道的見地から見ても優しい】と言う意見には、徳保さんはやはり反対されるのかな…と言う点。
◆他にも沢山の疑問点があるのですが、ここまでで既に大変な長文となってしまいましたので、今回はこれで失礼します。
願わくば、こちらの拙い疑問に明確な御答えを頂ければ幸いです。
尚、私の思い違いしている箇所がありましたら謝罪して訂正させて頂きますので、その都度指摘して貰えますでしょうか。
それでは、いきなりの訪問大変すいませんでした。
1.「防犯の不備」があれば、批判されて当然です。不備のある人の多寡は関係ない。
2.私の考えが変わったのです。
3.たいていの忠告には根拠がない。ないけれども、「これはやった方がマシだ」と思っている人は、それをしない人をバカにします。その人が多数派であれ、少数派であれ。日蓮は元寇に慌てふためく幕府をバカにしたでしょう。日蓮は直感から予言しただけで根拠もへったくれもなかったのですが、自分の忠告を封殺した幕府を批判し続けました。
世の中には無数の忠告があります。矛盾する忠告も多い。当然、聞く忠告、無視する忠告を選別しなければなりません。どの忠告であれ、無視すれば忠告者とその賛同者から批判されます。その忠告の誤りを証明できない限り、それは覚悟するしかない。
痴漢の動機は多種多様ですが、傾向はあります。ですから、「被害確率を下げる」という観点からは、いくつかの対策が浮かび上がります。万事に対処することは不可能ですが、だからといってあらゆる対策に何の意味もないわけではない。だったらやればいいのに、と私は思うけれども、そう思わない人もいる。労力と効果がつりあわない、とか。私は「やればいいのに派」だから、やらない人はバカだと思う。そういうことです。
4.行動が安易で効果の高い痴漢対策は、ないのでしょう。だからといって、やればマシなことさえ何かと難癖つけてやろうとしない人が少なくない。決定打でなければやる気にならないならそれでもいいけれど、私はそうした方々に批判的です。
5.私はそんな極端なことを主張しているわけではない。効果が小さいとしても、やれることはやったらどうか、といっているだけです。
6.「どうせ被害者が誘ったんだよ」といった誹謗は批判されるべき。防犯の不備も批判されるべき。それぞれに対処すべき問題です。
◆こんにちは、徳保さん。
お返事の方、本当にありがとうございました。
ですが、私の拙い文章では伝わらない部分が相当に多かったみたいで、まだこちらの言わんとする事を殆ど理解して頂けなかった様ですので、失礼ながら再度書き込ませて貰います。
@例えば、【異性にアピールする様な派手な服装をしている女性は、その分痴漢の興味も引き易いので痴漢行為にあう確率は高い筈だ】と考ている「A」と言う人が居るとします。
そして、違う場所に【いや、痴漢は捕まる事を何より恐れているだろうから、地味目の大人しそうに見える服装をしている女性を狙う筈だ】と考えている「B」と言う人が居るとします。
また「A」は、【1番端の車両は、乗っている乗客数が比較的少ないので、人目を余り気にしないで構わない分だけ痴漢の行動が大胆になり、より痴漢被害が多い筈だ】と考えているとしましょう。
それに対して「B」は、【中央部の混雑している車両だと、他人に紛れての犯行が可能になる分だけ、絶対に痴漢被害が多い筈だ。前後の乗務員からも離れている訳だし】と考えています。
更に「A」は、【乗り降りの隙を突いたり、他の乗客の死角に紛れての犯行が出来るので、ドア付近は痴漢の恰好の狙い場所の筈だ】とも思っていたりします。
しかし「B」は、【唯一壁があり、そこに背中を預ける事で自分の死角を少なくし、尚且つ怪しい人物が近寄って来たと感じた時に直ぐ最寄り駅で降りられるドア付近は、絶対に一番の痴漢回避ポイントな筈だ】と確信していたりします。
もしも、この両者が、各々自分が危険だと勝手に判断した場所で過去に痴漢にあった経験のある女性に対して「だから防犯意識の低い女は馬鹿なんだ!自業自得だ!」と誹謗中傷を始めれば、過去に電車内で痴漢被害にあった事のある女性はほぼ全てその批判の対象になってしまいます。
当然この場合、痴漢被害者が犯行当時に「どんな服装をして」「何処に車内の立ち位置を確保していても」、その落ち度に関係なく見ず知らずの誰かから一方的に責められてしまうのです。
ですから、【世間一般に深く浸透している事前防衛策を被害者があからさまに無視していた時(「人通りが少なく過去にも痴漢が多発している夜道を大した用事も無いのに一人歩きする」とか「人気のない終電車内で泥酔して寝てしまう」とか)に柔らかく注意を促す】か、【被害者が納得出来る様な正確なデータを元に親身になってアドバイスをする】とかで無いのなら、【被害者がどう対処しようと偏見さえあれば誹謗出来てしまう事で(徳保さんのように自説の逆の可能性を全く考慮に入れず、一方的に上の立場から)やり込めようとする】行為は、被害者へ対する無意味な二次被害拡大を防ぐ為にももう少し自粛する事が出来ない物なのでしょうか。
A徳保さんは時々「面識の無い性被害者を第三者が誹謗する」事の譬えに「似ていながらも実は事情が全く違う問題」を出される事がありますが、それは建設的な議論を行う時は止めた方が良いのでは…と言う事。
【泥棒対策の為に玄関に設置してある「鍵」を、防犯を考えればまず第一に活用するようにする】と言う考えは、「鍵」自体がどの家庭にも大抵100%備え付けてあって、尚且つ泥棒対策の話題が家庭や井戸端、TV番組で上がった時には最初に議論される事が多い事情を踏まえても、まず間違いないと思います。
でも、徳保さんが【電車痴漢犯罪の予防策】に上げている事の多くは、誰もが「鍵」のように防犯に対して最初に思い浮かべる程に浸透している案では無いですよね?
それに、【幾つかの情報と自身の経験に照らし合わせて、自らが憂える日本の将来の為に、我が身を顧みず敢えて幕府に元寇の危険を事前に忠告した日蓮の行動】は、徳保さんが力説するまでも無く(たとえ、歴史が彼の正しさを証明しなくても)スケール大きく男気に溢れていて私も凄く感銘を受けます。(そうでなくても、自国の将来を考え他国からの危険に備えようと行動するのは、今も昔も国民にとって当たり前の事なんですけどね。)
そして、そんな一途な彼の行動を封殺した幕府の対応に(後に自説が証明されたのなら尚更)日蓮が繰り返し批判しようと思うのはこちらも当然と思いますし、その事で日蓮に同情的になる人は【痴漢論議】で徳保さんの論敵に当る方にも多いでしょう。
では、徳保さんがこゆさんに対して「痴漢被害の対応の拙さについて」非難した時、日蓮のように【相手の将来を真剣に憂いて、「事前に」自らの考える痴漢対策方を取るように直接注意したが聞き入れて貰えず、結局それが元で相手が痴漢被害にあってしまった】と言う事情があってされたのでしょうか。(こゆさんが痴漢被害にあったのは、まだ徳保さんと知り合う以前ですよね?)
以上の事を踏まえて、今後相手と建設的な討論をする気があるのでしたら、譬え話には【「真剣に身を心配してくれた人から事前に直接された自説の忠告を無視した訳では無く」更に「世間一般に認知された防犯対策を忘れた訳ではない」のに不幸にも犯罪と出会ってしまった被害者に対して、赤の他人が特に際立った論拠もなく突然中傷しても、何故か多くの人を納得させたり賛同を集めたりした】と言う事例を(私には過去にそんな経験をした事も見聞きした記憶もありませんが)是非提示して下さいませんか?
B徳保さんが言われる「世の中には無数の忠告があります。矛盾する忠告も多い。当然、聞く忠告、無視する忠告を選別しなければなりません。どの忠告であれ、無視すれば忠告者とその賛同者から批判されます。その忠告の誤りを証明できない限り、それは覚悟するしかない。」って意見は、大抵は「政治関係者とかプロのスポーツプレイヤーとかタレントとかのように、国民の代弁者であったり期待を背負ったりする代価でお金を稼いでいる人」か「事前の忠告が届く距離に居た、比較的近しい人」に対してなら当てはまる事ですね。
(それですら「主張に根拠が薄い時は本人に面と向かってではなく遠慮して陰で話される場合が多い」のに、敢えて自分と無関係な【犯罪被害者】に対して聞こえる様に当てこするなんて行動を当然とされるのは如何な物でしょうか。)
しかも、徳保さんが批判された相手は、その肝心の【事前の忠告】すらされていない方なんですよね?
ましてやその相手が二次被害を受け易い【性犯罪の被害者】ならば、当然世間からも被害者本人からも非難の声が上がるのは何処も筋が違っていないと思うのですけれど。
唯一その「世の中には無数の忠告があります〜」と言う徳保さんの意見を【際立った落ち度の無い犯罪被害者】に対してでも「かろうじて」説得力を持たせられるのは、【発言者が事前に被害者へ真摯に何度も自説を注意していた場合】位ですよ。(それでも、明確にその説が変だったりしたならば、その発言者が容赦なく相手や周りから逆批判されるのは世の常でしょうね。)
◆前回のような誤解を減らす為に曖昧な記述を減らそうと試みた結果、今回更なる長文となってしまいましたが、再度こちらの疑問に明確なお返事を頂けると幸いです。
他にも色々と旨く把握出来ない徳保さんの発言はあるのですけれど、それは次の機会にでもさせて貰います。
御手数をお掛けして大変すいません。
1.いろいろな忠告者がいるので、何をやっても誰かから批判されることになるのは不思議ではありません。忠告内容の世間での支持率に応じて批判者は増減しますが、なかなか100対0にはなりません。賛同者の多い忠告にも、明確な証明がなされない限り少数の反対者がいます。賛同者の多寡を基準に発言の自由を云々する発想には首肯いたしません。
逆の「可能性」なら誰だって考慮しているでしょう。けれども可能性の高低はあるのですから、「選択の余地」が存在するのです。マシな方を選ばないのは愚かだ、という考えがある限り、お互いに「自分の意見に従う方がマシだ」と言い争うことになります。可能性の話なのになぜ結論では一方を勝たせようとするのかといえば、各々の意見が背反なので、両方を選ぶことはできないからです。
2.真剣ならば、「根拠のない支持者の少ない意見」に基づく批判もOKとは面白い意見ですね。ただ、真剣とはまた曖昧な基準ですよね。私は確信という言葉を何度も使ってきましたが。「真剣ならこんな言い方はできないはずだ」みたいな意見も、所詮はひとつの価値観の押し付けに過ぎず、真剣にもいろいろな形、程度がある。西国さんが「真剣」の基準をどうお考えになっているのかは私の知るところではありませんが、私とは意見が一致しそうにない。
さて話を発端に戻すと、私は評論家の意見の支持者という立場でした。評論家が「痴漢は挑発的な服装を痴漢の容認と勘違いする」と分析したのに対して、こゆさんは「勘違いする痴漢はひどい」と怒るばかりで、この情報を自らの防犯に役立てようとする発言が一言もなかった。ひどいひどいといっていれば痴漢はいなくなるかといったらそうではない。だから勘違いする痴漢がいるなら、勘違いされないように気をつけたらいいだろう、と私は考える。結局、評論家の発言は資料から否定されたわけだけれども、こゆさん自身は否定する根拠を持っていなかった。
とにかくここで注意していただきたいのは、まず評論家による啓発があり、こゆさんがこれを無視したという構図です。そこで評論家の支持者である私が批判した。つまり私の批判の前に、評論家による「だから挑発的な服装はやめた方がよい」という提言があるということです。また、忠告を無視したことへの批判は、「その後、不幸になった」という段階を経る前にも行われます。「勉強しなさい」「嫌だ」「入試に落ちてもしらないよ」というように。落ちてからはじめて批判し始める人は珍しいでしょう。日蓮の例をここでも持ち出せば、彼は元寇以前にもずっと幕府を批判し続けました。
そもそも私の批判のポイントは、私が正しいと思っていた忠告がないがしろにされたことにある。「今後は」露出の多い服装はなるべく避けよう、とかそういった展開になれば満足だった。たまたまこゆさんは被害経験者だったわけだけれども、それは私の本筋には関係ない。だから私は「防犯」の話ばかりしているのだし、「危険な状態を維持すること」を問題にしているのです。
ところで、論拠がないとか中傷だとかというのは、ようするに論拠を認めない人から見れば中傷だという話に過ぎない。鍵と防犯だって論拠はいささか乏しい(ほとんどの人はひとつも資料をあげられない)というのに、なんとなく確信があって鍵をかけないことを「批判」する。これが「批判」なのか「中傷」なのかは、西国さんの意見では多数派かどうかで決まってしまうらしい。とすると、多数派であれば根拠はいらないということになる。
西国さんの優先度は「真剣さ>支持者の多寡>根拠」。私は「確信>根拠」とするので、「こうした方がマシだ」と確信する人は、自説に根拠があろうとなかろうと、意見を聞かない人をバカだと思うし、バカだといいたければいえばいい、と考える。これは多数がただ多数派であるというだけで根拠もなくやっていることをトレースしているだけで、それは多数派だからやっていいのだ、という話には賛同しない。
ある事象について、「これをやるのはバカだ」「これをやらないのはバカだ」という両方の勢力があるのは当然であって、人はいずれかを選ばなければならない。一方からは賞賛され、他方からは批判される。多数意見に従えば批判は少ない。少ない、ということで満足したらどうか。少数派の批判者に対しては「根拠」だの「支持者の多寡」だのといった価値観を持ち出して「批判すべからず」といい、多数派にそれをいわないのはどうしたわけか。私が鍵の例にこだわるのもそれゆえです。みな、根拠もなしに鍵をかけない人を批判する。調べれば根拠があるかもしれない。でもほとんどの人は調べずに批判しているでしょう?鍵をかけないのは「際立った落ち度」だと証明できる人ばかりが批判者となっているわけではないですよね?私はそんな状況を肯定するけれども、だから翻って、少数派にも同様の批判の自由があるといっている。
3.西国さんの価値観(ここではそれが多数派の価値観を代表するものだということにしましょう)によれば、七面倒くさい条件を満たさなければ「説得力がない」そうですね。西国さんによれば、「真剣」さが伝わるか、私の批判が多数派の価値観を代表していれば問題なかったようですが、いずれもダメだった。しかし私は、何をもって「説得力がない」とするか、というその基準となっている価値観に異を唱えているのです。逆批判への再反論のテーマは、そこにあります。
「真剣さ」という基準を私は西国さんほど評価しないし、その忠告が一般的かどうかは単に批判者の多寡の問題に過ぎないと考える。相手の意見の誤りを証明する根拠があれば勝ちだが、お互いに根拠がない限りは多数派が「説得力を感じない」からといって「批判すべからず」というのはおかしいといっている。
4.批判なんてのは、いくらされたっていいんですよ。何をやっても批判する人はいるのです。世の中にはいろんな価値観の持ち主がいますから。ただ、ある種の価値観が偏在しているのは事実であって、それに反する言動はとくに多くの批判を受けます。ただそれは、たまたまある種の価値観の持ち主がある空間において多いか少ないかという問題に過ぎません。テロリストはどれほど批判が多くても信念に基づいて凶行におよびます。じつは多数派がやっていることも、それと同じです。たまたま批判が少ないだけなんです。
よいとか悪いとかの批判というのは価値観の違いでしかない。少数派の価値観に基づく言動が多数派の集中砲火を浴びるのは当然であって、それはそれでいいのではありませんか。「ましてやその相手が二次被害を受け易い【性犯罪の被害者】ならば、当然世間からも被害者本人からも非難の声が上がるのは何処も筋が違っていないと思うのですけれど。」これについて、私は性犯罪の被害者を特別視しないといっている。するかしないかは価値観の問題であって、「こんなに違いがある」「これだけしか違わない」いずれの判断もありうる。西国さんの価値観では「こんなに違いがある」なのでしょう。私はそう思わない。「無関係な【犯罪被害者】」という言い方だって、私は無関係とは思わない。みな声をかけあって社会安全の向上に努めるべきだという考えに基づけば、電車内を走り回る子どもを注意するのと同様に、防犯意識の足りない人を批判するのは「正しいこと」になる。その人も私も社会の構成員なのだから、その意味で無関係ではない。「無関係」かどうかの判断は、価値観の問題に帰着します。
西国さんと私とでは、このように世の中のあらゆる事象に対する判断が大小さまざまなレベルで異なっており、その結果、結論も異なっているのです。西国さんの意見は、西国さんの価値観において正しい。筋も通っている。私の価値観をものさしにすれば、筋が通らない。それだけの話ですから、西国さんが西国さんの価値観でもって自説の筋が通っていることを説明しても、私の考えは変わりません。前提となっている価値観の違いが、いかんともしがたいからです。痴漢論議においては、彼我の差が大きすぎるのです。歩み寄るには遠すぎます。
◆こんばんは。
今回も御返事ありがとうございました。
何度も徳保さんのこだわりを聞かせて頂いて嬉しく思います。
徳保さんに習って私の優先順位を示させて頂くなら、徳保さんと私の1番の相違点は
◆私が【被害者を極力は傷付けない(被害者を二次災害から防ぐ)ように心掛ける>自分の適当な言葉遊びで被害者をなじる行為の自由】なのに対して
◆徳保さんが【被害者を極力は傷付けない(被害者を二次災害から防ぐ)ように心掛ける<自分の適当な言葉遊びで被害者をなじる行為の自由】である事です。
徳保さんが【「独自の痴漢対策方法」を考える事】は否定しません。それを【慎重に提案される事】も然りです。更に、【御自身で実証なさろうとする事】も(法律や被害者の人権等に触れなければ)自由でしょう。そして、それは徳保さんが言われるような【多数派の考えか、少数派の考えか】では、私は反対しません。唯一反応するのは【ビールを片手に野球観戦している親父が贔屓チームの監督の失策をなじるような気軽さで「性犯罪の被害者」を揶揄する行為】があった時だけです。
徳保さんは【「こうした方がマシだ」と確信する人は、自説に根拠があろうとなかろうと、意見を聞かない人をバカだと思うし、バカだといいたければいえばいい、と考える。これは多数がただ多数派であるというだけで根拠もなくやっていることをトレースしているだけで、それは多数派だからやっていいのだ、という話には賛同しない。】と言われますが、【多数派はたとえ多数派であったとしても、データも根拠も無く被害者を「馬鹿」とは呼ばない】のですよ。(少なくとも、大人しそうな服装をして痴漢被害にあった女性を私は「馬鹿」とは呼びません。)
ましてや【相手が「性犯罪被害者」であるなら、データや根拠があっても「馬鹿」とは言いません。その根拠ある防犯対策方法を「被害者が傷付かないように考慮しながら」提案する】位です。
私は、徳保さんの意見が少数派だから疑問を投げ掛けているのではありません。
徳保さんが独自の痴漢対策方法を考えられる事、そしてそれを提案する事にも全く反対しません。
徳保さんが、何故【「性犯罪被害者」の二次被害を防ぐ事】よりも【「性犯罪被害者」を馬鹿にする事で得られるカタルシス】を優先されるのかが知りたいのです。
◆御手数ですが、今回も是非御返事お待ちしています。
今回は簡単に。説明不足の補足を中心に。
1.何をバカと思うか、バカといってよいと思うか、その点で価値判断の相違があるのです。私がバカだと思わないものをバカ呼ばわりする人々はたくさんいて、それでもそれが多数派であれば許されている。バカということ自体が問題なのではなく、多数派がバカだと思わないものをバカだということが問題だ、という話なのです。私はバカというのも、それを批判するのも自由、そんなのは自由じゃないというのも自由でいいと思います。バカというくらいで名誉毀損になるわけではなく、ならば少数派だけが「いうべからず」では納得できない、と私はいう。それが私の立場です。私は基本的に、「バカというな」の反論はしません。「それはバカではない」という反論はしますが。でもまあ反論すれば通じるというものではなく、たいてい物別れに終わるわけです。
私は「やれば少しはマシな防犯対策をやらない人」は、それが既に被害経験のある人であれ、そうでない人であれバカだと思うし、そういう。多数派は、防犯の不備を咎めることを、とくに被害経験のある人に対しては避けるらしい。そういう人はいてもいい。ただ、私とは意見が違う、ということ。
2.私が「やればマシなことをやらないのはバカ」というのを「適当な言葉遊びで被害者をなじる行為」と判断するのはあなたの見方であって、私は単に「正しいことをいっていると思っている」のです。やればマシならやるのが正しいのです。やらないのはバカなのです。そしてバカにバカというのは正しいのです。私はそう思います。
3.二次被害云々ですが、私は性犯罪の被害者を特別視しないと申し上げている。無施錠で泥棒の被害にあった人に「バカだねー」というのと同一視します、ということ。鍵をかけなかった「から」被害にあったというわけではない、鍵をかけなかった「から」自業自得だというわけではない、悪いのは全部泥棒だ、でも鍵をかけなかったのは「バカだ」ということです。被害者が傷つくからいけないとかいうなら、無施錠で泥棒の被害にあった人にバカというのも非難しなければ、おかしいのではありませんか。……この矛盾を解消するのが性犯罪被害者の特別視ですが、私は賛同しないわけです、それは。
御無沙汰しております。痴漢騒動?楽しく拝見させて頂きました。
世間様に同情されるように振る舞うことは有効であると、多くの人がお考えのようですし、そのように振る舞わせて頂きますと。
わたしがレイプされたのは結構幼い頃のことでして、それ以降も学生時代というものが長かったわけなのですが、教師がよく発する言葉でそれ以降、どうしても気になって堪らなくなった言葉が御座居ました。
「最近変質者が出るから気を付けて帰るんですよ」
無論、これは当時、女に対してのみ発せられた言葉ではありません。所謂社会的弱者であるところの小学生に対して発せられた言葉では御座居ますが、高校ともなればその言葉はほぼ女にのみ掛かってきます。ここで気になったのが、「何故男に対しては変質者にならないようにとは言わないのか」ということです。
恐らく徳保さんが切り捨てたように、犯罪者は罰せられて当然であり、また多くの普通の人間は犯罪者にならないものであるとの思い込みがあるためだろうとは存じます。わざわざ言わずとも、「犯罪者になってはならないことは自明の理」だからこそ、教師も言わないのでしょう。
ですが、それを言わなくて生まれる誤解が何かと申しますと、「言われる側の被害者が気を付けないことが犯罪の原因である」という被害者意識です。今となれば、教師の言葉は被害を拡大させないために必要なものだと理解できますが、それでも尚、ならば男は悪くないのか、と思いたくなるものなのです。
ここで誤解なきよう言わせて頂きますと、わたしは「被害者側に気を付けろと言うこと」自体を「あってはならないこと」などと言うつもりではないということです。寧ろその言葉は、後続者を出さないために、わたしのような人間を作らないために、なくてはならないものだと思っております。何一つ言いもしない人間は、それこそ被害者側に対し何の心配もしていないということすら考えられます。
ただ、その言葉を有効にするためには、つまり被害者側に被害者にならぬようにとその言葉を受け入れやすくさせるためには、同時に「加害者側に加害者にならないように」と言うことが肝心となってくるので御座居ます。徳保さんの場合は特に男性ですし、「ならないよう気を付けます」という言葉もありましょうか。
自分が加害者にならない、ということは一般の男性にとって自明のことかもしれませんが、それでも被害に遭った女が怖いのは、別段犯罪者然とした犯罪者ではなく、男性一般なのです。女性にとって、男性が犯罪者にならないということは、そして性犯罪に於て犯罪者が完全に悪いということは、全く自明のことではないのです。
だからこそ、そのあなたがたにとって自明であるらしい言葉は、わたしたちに大きく影響致します。たかがその言葉の有無で効果を上げられるか否かということを考えれば、徳保さんは言うべきだったのです。徳保さんは完全に「犯罪者が悪いのは当り前」と切り捨ててらっしゃいましたが、言うべくもないことでも、効果を上げるためには徳保さんは言うべきだったと存じます。
あくまで方法として非常に手際の悪いやり方であった、ということです。たかが言葉遣いや手順で相手の御機嫌を取る方法はわたしとしても好むところでは御座居ませんが、それでも目的を達するためには或る程度手段を選ばなければならなかったかと存じます。
防犯意識を高めるという目的を達するつもりがなかった、と仰言られるのでしたらそれも構わないのですが、もしそうでなかった場合、淡々とただ論を説き続けた、それが徳保さんの敗着であったと見えます。
……本当は、元々目的がそれではなかったのだろうとは、思いますが。
何故女にとって、犯罪者が完全に悪いということが、自身で叫びながらも当り前に受け取れないのかと言えば、徳保さんが仰言ったように「例えば被害者の服装を責める人間が多いと思える」現実のせいです。社会的弱者が受ける実際の痛みがあるにも拘わらず、表に出る責めたいという人間の数が比例しないことも存じ上げておりますが、ならばそれでその痛みが消えるかというとそうでもなく、だからこそこゆさんもあのような日記を書いたのでしょうし、徳保さんもそれを論点としたのでしょう。この台詞から見ても、徳保さんとこゆさんは共に弱者を責める現実の痛みの存在を感じていることから始まっていた、ここまでは合っておりますでしょうか(こゆさん側はわかり得ませんが)。
にも関わらず、こゆさんは同じ口で、鬱病患者に対し、敢えてにしろ辛辣に責めていた。今度は加害者と被害者だったら被害者側に分類されるだろう病気の弱者を責めていた。こゆさんの文章は、憶えている限り、大半が自分の自明には寛容で、他人の自明には厳格に見えました。弱者側に居ないときには、こちらにわかりやすいよう取り繕うべきと言い、弱者側に居るときには、こちらの理屈を理解しろと言う。
個人的に言えば特に、鬱病患者に対する態度が気になりました。お洒落をする女性と同様に堂々と自分らしく自己表現すれば気持ち悪いと言われ、そうせずに弱者は強者に阿って哀れみを誘うべき「可哀相な存在」で在れ、とでも言われている気分になる、多分にこの面では強者に属するのであろうこゆさんにとっての自明が見え隠れしていた。性犯罪の影響からか鬱病に近く陥ったわたしとしては、あれは非常に哀しい内容というか痴漢の話から見れば矛盾した意見に見えたものですが、所詮は自分の感じたことのある痛みしかわからないのが人間というものなのだろう、とわたしだったらそこで諦めていたと思います。
お訊きしたいのは、次の一点です。
そこで諦められなかったほどの痛みが、徳保さんの中にあったのでしょうか?
それが始まりに、わたしには見えたのですが。こゆさんにされたことをこゆさんに返そうとした、と根本はそれだけの単純な構造に見えるのですが。まぁ……あなたは被害者然と振る舞い世間の同情を惹く方法が存在することを弱者には説きながらも、恐らく自分では一番重要なところでその方法を取りはしないのではないかと思います。しないからこそ他人には説くのでしょう。隠そうとさえ今しているのかもしれません。そうだとしたら頑張ってください、としか言えないのですが。
答えたくなかったら無視してくださって構いません。勘違いでしたら笑い飛ばしてやってくださいまし。では失礼致しました。
P.S.こゆさんへ
諦めるはずだった言葉をこんなところで出してしまう格好悪さには、こゆさんに対して謝るしかありません。
こんな遅くにこそこそと批判するような真似をして、申し訳御座居ませんでした。
つまり、あなたも「犯罪者に気をつけろ」と同時に「犯罪者になるな」と注意されることを望んでいるのですか。
そうでないなら自己中心的にすぎますね。
それはともかく、日本が、犯罪に無防備でも問題ないユートピアだとお考えでしょうか。
または、そう望み、そうだとして行動するのが当たり前と思いますか。
私はレイプほどではありませんが、性犯罪にあったことがあります。
犯罪は、どこにでもあるのです。身を守らなければならない。
身を守れない人間は、馬鹿です。悪いのです。
犯罪者の「悪い」と、被害者の「悪い」は全く異質のものではありますが。
まあ、それがときどきごっちゃになるのがいけないのではないでしょうか。
pass 0000
>とんぼ様
初めまして。日月と申します。
当り前です。言われることを望みます。そうであっても自己中心的ですが(にっこり)。わたしは自分が犯罪に遭いたくありません。ですから犯罪を否定し、自分が犯罪者にならないことを誓いたいです。あくまで自己中な考えですよ。
それはともかく、後半の部分に関しては、そう読めたのならそのままでいてくださいまし面白いから(笑顔)。
とでも言いたいような気もしますが、ひとつ御忠告申し上げます。仮にわたしがあなたの意見に賛成だったとしても反対だったとしても「関係なく」、下のように言うことができ、そして言ったとします。
「御免なさい!夏場でもTシャツなんか着て首や腕を出して御免なさい!膝丈のキュロットなんか履いて脚を見せてしまって御免なさい!真っ昼間っから住宅街なんて歩いてしまって御免なさい!(泣)」
するとどうなるか。わたしの立場もかなりアレとは思いますが、それ以上にあなたのお立場がどうなるか、おわかりの上で発言なさっているのでしたら構わないのですが、多少心配になりましたので。
ネタなのだとしたら笑うところでしょうが、徳保さんを莫迦にしてらっしゃるようで腹が立ちますね。本気なのだとしたら上記で終わりですが、ネタなのだとしたら、正々堂々となさったらどうですか、と付け加えさせて頂きます。
では失礼致します。
被害者はたくさんいるけど加害者はちょっとしかいないわけで、加害者になってはいけないというのは当たり前すぎてバカバカしくて書く気になれません。犯罪自体は痴漢が100%悪いに決まっているということは何度も書いているわけで、屋上屋を架すアイデアとしか思えないわけです。痴漢に同情する意見なんてのは基本的に読むことがないし(痴漢の思いそうなことを解説する意見は見かけますが)、痴漢ほど無邪気にけなして問題ないタイプの犯罪者もそうはいません。にもかかわらず「男性一般=痴漢予備軍(危険度高)」という判断が出てくる、男性よ加害者になるなかれと書いたらウケがよかったろうというあたり、いささか肩身の狭い思いがします。
その先の論点は、よくわからない。そういうものかな、とは思いましたけれども。また何か思うことがあったら追記しますが、あまり期待なさらないでください。
>被害者はたくさんいるけど加害者はちょっとしかいないわけで
とありますが、私が中高生のころには、「男は殆どが痴漢だ」と確信していました。
私は全盛期(中高生の頃)、週平均8人ほどの痴漢に襲われておりました。
左と尻をカバンでブロック、右を右腕でブロックしても、お股や胸に手が伸びてくる。
電車に乗る際にスカートを捲られ、行列してる皆さんに下着を披露してしまう。
つり革持っていたら、手をベロンと舐められる。
道で歩いていたら、すれ違った人にお股をパンと叩かれる。
月に一度は、電車内で臭い棒を見せられる。
道で車椅子の人に助けを求められ、近寄ったら襲われた、等・・
男性に襲われる事はあっても、助けられた事は一度もありません。OLさんに助けられた事は数回ありますが。
「性犯罪に遭う事は恥ずべき事、自省すべし」という風潮から、周りの人に相談することもできず、被害者=私、加害者=周り中の男、という図式が出来上がりました。
自分の感覚は極端すぎるかもしれませんが、それでも、そこのところがそもそも食い違ってしまっていると思うのです。だから、かみあわない。
自衛だって、出来ることはしていますよ。世間の言うように、地味目な服装を心がけ、危険な所には近寄らない。ヘンな人にはついていかない。その程度のことは心がけます。
でも、「善良な市民」に迷惑かけずに、四方八方から伸びてくる手をすべてブロックするのは不可能ですね。
電車に乗らないと学校に行けませんね。女はラッシュ時電車に乗るなというのは人権侵害ですね。
身障者に助けを求められたら助けろと学校に教わりましたね。(もう絶対助けませんが。男にゃ道も教えない。)
道を歩くときに常に胸とお股をガードしてたら、相当ヘンな人ですね。
電車でヘンなモノを見せられないように目を閉じていたら、余計に危ないですね。
「セーラー服が萌える」「OLスタイルに萌える」「パンツスタイルに萌える」「小学生に萌える」・・
最強の自衛策は、死ぬことでしょうか?引きこもってても押し入られるかもしれないし。
目の前でオナニーしてる人をどうやってつかまえましょう?触られたりしたら、発狂モノです。
これでも、女性側に非がありますか?
「犯罪者が悪いのは当たり前、被害者も自衛すれば」というのは、「自分は性犯罪者ではないから、当事者同士で何とかしてくれ」と言ってるように、見えてしまうのです。
第三者である「まっとうな男性」に、助けなさいとまで言うつもりはないのですが、せめて、八方塞りな人に止めを刺す発言は止めて欲しいと思うのです。
犯罪者で無いと仰るあなたが、なぜセカンドレイプという犯罪行為の肩を持つのでしょう?
論点ずれました。失礼しました。
自衛はできる範囲ですればいい、ということは何度か書いています。電車の先頭車両問題だって、先頭車両に載っている人が「みな」警視庁のアドバイスを知っていて、それでも自分なりの確信があって先頭車両を利用している……とは思えない。少なからぬ人が「なんとなく」「警視庁のアドバイスを知らずに」先頭車両を利用しているのではないでしょうか。いまだに玄関に鍵をかけない人がけっこういるように、いつの時代にも「可能な防犯活動」をやらない人が(割合としては少ないにせよ人数としては)たくさんいます。
で、そうした人はしばしば、「こういうことをすると危険だ」といった解説に対して、「そんなことに誘発されて犯行に及ぶ犯人が悪い」ということをいって、それだけで終わってしまう。意見としてはまさに正論ではあるけれども、しかしそれはそれとして、できる防犯はやらないといけない。犯人がいなければ防犯も不要だけれども、犯人は実際にいるのであって、ならば、できる防犯はしたほうがいい。……という話を、私はしてきたわけです。
例えば警視庁のアドバイスに書かれていることというのはそれほど無茶な話ではないわけで、全部は無理でも可能な範囲でやったらいいのではありませんか。無理なものは、こういう理由で無理です、と自分で認識できていればいいのではありませんか。
すみません、途中乱入なのでよくわからないのですが、
いつから先頭車両は痴漢公認車両になったのですか?
それはどこの路線の話ですか?山手線でも?
自衛はできる範囲ですればいいと仰りますが、
「できる範囲の自衛」の範囲は、人によって認識が違ったり、
無限に拡大したりするものだと思います。
とくほさんの仰る「できる範囲」とは、どの程度なのでしょう。
露出の多い格好をしない?電車に乗らない?家に引きこもる?
女を止める?人間を止める?生きてるのを止める?
一通りの防御法は、実践済みです。どれも効果なかったですが。
女性の人権を侵害せずに、効果のある自衛方法など、思いつきません。
効果の無い自衛を実践して、得られるものは何ですか?
無理なものを自分で認識できたとして、それが何になりますか?
痴漢被害はいっこうになくならないですね。
とくほさんがよく仰る「露出の多い格好をするのは危険」というのを忠実に守ると、
どうしても「大人しそうでで通報しないタイプ」になるような気がします。痴漢のターゲットになりますね。
むしろバリバリのコギャル(死語?)の方が、痴漢が敬遠するように思います。
あなたがもし女性だとして(男性のままでもいいのですが)、痴漢を捕まえられますか?
自分のプライバシーは、つつぬけです。乗る駅、降りる駅、顔、下手すりゃ自宅や学校・職場まで。
襲われてから警察に行ったのでは、遅いですね。
そんな状況で、声をあげることができますか?声をあげること=無防備ではないですか?
声を上げたところで、加害者に否定されたらそれまでです。
否定の余地がないほどに触られるまで、汁かけられるなどの証拠が残るまで、我慢しますか?
そこまでできたら、それは痴漢摘発のプロですね。いくらくれますか?いくらならやりますか?
先頭車両だけに痴漢がいるわけではないので、別車両に乗れば解決するほど甘くありません。
始発駅まで行って座席に座っても、どちらかが降りる時に被害に遭うかもしれない。
痴漢から逃げて車両を変えたところで、乗れる所は出入り口付近。痴漢密集地帯ですね。
次の電車を待って・・などしていたら、いつまでたっても目的地に着きません。
女だけフレックスにする法律、作れると思いますか?
私の被害は、実は殆どが10年以上前のものです。最近は満員電車に乗れない体質になったので。
今は、こんなに酷くないかもしれませんね。おかげさまで、世論がだいぶ変わりましたから。
私が被害に遭った時代は、とくほさんの仰る世界が実現していたのではないかと思います。
派手な格好をすると襲われると無邪気に信じて大人しい格好をし、更に被害に遭う。
痴漢に遭うのは自分に隙があるのだという風潮から、声を上げることなどできない。
「加害者はちょっとしかいない」と周り中が信じ、ありのままを相談したところで
「自意識過剰だ」「そんなことはありえない」「被害妄想だ」という返事しか返ってこない。
自分の信じている常識の範囲を超えていることは、全て被害者の妄想ということになる。
被害者は無数にいても、誰も通報しない世界。それが理想ですか?
そんな時代を過ごしてきた人々が、何事も無かったように社会人生活を送っていたりします。
とても強い精神力だと思いませんか?(腹いせにダンナや父親を苛めたりする人も、いそうですが・・・・)
大抵の人々は、責めるばかりで褒めてはくれませんが。
とくほさんは、表面的な被害者を減らすのと実際の被害者を減らすのと、どちらが理想なのですか?
よくわからないのなら、もう少し勉強なさってください。それから、質問が多すぎます。もう少し重要な質問を絞り込んでいただきたい。私の方でいくつか選んで回答いたします。
1.痴漢公認車両などありえません。警視庁によれば先頭車両は痴漢にあう危険性が高い。よって先頭車両が他の車両よりも安全だといえる理由がない限り、利用すべきではないと申しているのです。先頭車両さえ利用しなければ痴漢にあわない、などといっているのではない。先頭車両を利用する「から」痴漢にあう、といっているわけでもない。とくに危険が大きいと発表されている車両をわざわざ利用する必要はないといっているのです。
2.防犯効果の有無は被害者に体感できるレベルのものばかりではありません。とくに痴漢の対策は被害確率をいくらか低下させるという程度のものばかりです。したがって例えば、週に1度の被害が10日に1度の被害になる、といった話なのです(注:この数字は適当)。この場合には、被害者本人には効果がまったく感じられないでしょう。しかし無意味ではないわけです。それらの「やった方がマシなこと」の一覧は警視庁が示している通りなので、できる範囲で実践なさったらよいでしょう。
3.「できる範囲」が人によって異なるのは当然であって、私個人の基準など示しても意味がないと申し上げる。そもそも実行しやすさは項目毎に人それぞれなのであって、私がこれだけはできないということが、他の人にはたやすかったり、逆に他の人には実行困難なことが私には簡単だったりします。つまり可不可の線引きを行うには、実際にはあらゆる項目を列挙してそれぞれについて可か不可かを述べる他ない。あらゆる項目とは何か?まず、そこから話をする必要があります。あなたがいくつか項目を挙げて、それについて可か不可かを述べるなら簡単ですが、あくまでもそれは私にとって、という話だということは留意していただきたい。
4.「露出の多い格好をするのは危険」というのを忠実に守ると、どうしても「大人しそうで通報しないタイプ」となりそうである、という話ですが、前者は被害確率にほとんど関係ないようなので、後者にならないよう注力なさればよいでしょう。決着した話をくりかえすのはお互いに時間の無駄なので、ログを読んでください。
5.痴漢などしない男性が過半数だ、というのは単なる事実であると思います。
6.痴漢被害者に対して「自意識過剰だ」「そんなことはありえない」「被害妄想だ」と私は口にしたことがないし、同様の男性も一定数いるでしょう。(これはさすがに過半数とはいいがたい)
7.ドアに鍵をかけていなくて泥棒に入られた場合、警察官は当然、被害者に「今度からちゃんと鍵をかけましょうね」と注意します。鍵をかけたって、窓を割って入ってくる過半数の泥棒に対しては無意味です。破りにくい窓(金網入りなど)、破っても侵入できない窓(金属製の格子がついているなど)、雨戸つきの窓といった対策が必要ですが、それをやったところで今度はピッキングがある、サムターン回しがある。ちっとも決定打になんかならない。それでも警察官は、まず「鍵をかけなさい」といいます。それが泥棒よけの第一歩だからです。
さて、犯罪の追及と防犯の不備の追及は別問題です。無施錠で泥棒に入られた場合、必ずしも無施錠「だから」泥棒に入られたとはいえません。ピッキングの腕のある泥棒で、施錠されていても関係なかったかもしれない。けれども、無施錠は注意されます。なぜか?危険だからです。わざわざ危険の大きな状態にする必要がないからです。だから注意される。一方、無施錠「だから」泥棒に入っていいなんて話はありえない。被害者の防犯の不備にかかわらず、泥棒は厳しく糾弾されなければならない。それは当然のことです。
痴漢の場合も同様で、被害者が危険の大きな状態を維持してしまった場合、それは確かに防犯の不備ではあるけれども、それが理由で痴漢の被害にあったということはできません。そこに必然的な因果関係はないからです。また、危険の大きな状態だからといって痴漢行為をしていいという話には絶対にならないわけで、常に痴漢行為は厳しく糾弾されなければなりません。しかし被害者がわざわざ危険な状態を維持する必要はないわけですから、防犯の不備は注意されるべきです。例えば、先頭車両は避けた方がいい、といったことです。
よろしいですか、先頭車両で痴漢被害にあったとしましょう。それで「先頭車両は避けた方がいい」と注意を促された。これは決して「あなたは先頭車両に乗っていたから痴漢の被害を受けたのだ」という話でもなければ、「先頭車両なら痴漢をやってもいい」という話でもありません。「先頭車両は比較的危険だから、なるべく利用するのはおやめなさい(先頭車両を利用するのは馬鹿げている)」という字句通りの話なのです。
例えば、警視庁のアドバイスを無碍に扱う人がいます。「こんなことでは痴漢は防げない」などといって。たしかに防げない。けれども、少しでも被害にあいにくくする役には立ちます。やらないよりやった方がマシなら、やるべきなのです。やるべきことをやらないので注意されるというだけの話であって、それを怖れて被害届を出せないという状況はどうか克服していただきたい。私はそう願います。
例えば、被害にあったら防犯ブザーを鳴らせ、というアドバイスがあります。痴漢に気付いていない周りの乗客は、ブザーを鳴らす被害者をうるさそうに眺めるかもしれない。けれども、その視線に耐える強さを、どうか養ってほしい。他人の目が痴漢の凶行を止めます。これ難度の比較的高い防犯方法だと思います。「うるさいなあ」という視線に耐えるのは簡単ではないかもしれない。
しかし少なくとも、防犯ブザーは買っておいた方がいい。そもそもブザーがなければ音は鳴らせませんから。警察官には「周囲の視線が怖くて鳴らせなかった」と説明したらよいでしょう。何か勇気づけられるような、よいアドバイスがもらえるかもしれません。ただ、そもそもブザーを持っていなければ話にならない。だから、できるところまでやっておくべきなのです。
私が申し上げているのは、ごく簡単にいえば、「できる限りのことをやろう」という話です。やれば少しはマシなのに、「効果が少ない」などとアドバイスの不十分に気をとられてやろうとしない、そうした不作為を批判しているのです。やるだけやってもしばしば不幸は避けられませんが、だからといって「やらないでいい」とはならないのではありませんか。
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/kouhoushi/no1/koramu/koramu2.htm
質問が多いのは、もちろん全てに答えて欲しいからです。
とくほさんに、自分でも考えて欲しかったからです。
警視庁のサイトも見ました。で、警察は何をしてくれるのでしょうか?(あ、また質問してしまった。)
なぜそんなに警視庁の名に弱いのでしょうか。警視庁の言う事は何でも正しいのでしょうかね。
警視庁のサイトによると、女性だけが乗る時間も車両も(服装は・・警視庁サイトには書いてすらなかったですねw)制限されるという事ですよね。先頭車両うんぬんは、単純に、路線に拠ると思われます。渋谷などのターミナル駅に終点を持つ電車に限るのならば、先頭車両=一番混んでいる車両という事になるので「先頭車両危険説」にも納得しますが、電車全体に当てはめるのは乱暴すぎです。でも、乗る時間だけは、女性全員が厳密に守れば痴漢被害は激減するでしょう。でも、乗る時間をずらす=会社や学校の始業・終業の時間がずれるわけではなく、自分の時間や給料を犠牲にすることになります。その分女性だけ乗車料金を割引して貰ったり、女性だけフレックスにするなどの対応がない限り、忠告を守ろうが守るまいが、どっちにしろ女性だけが不利益を被る形になります。悪いのは言うまでもなく痴漢なのですよね。なぜ女性ばかりにあーだこーだ言うばかりで、痴漢を積極的に取り締まろうとしないのでしょう?楽で手っ取り早いからだと思いますが。
本当に先頭車両が危険だとして、警察は「危険だから女性は乗らないように」と言うだけですか?
痴漢は悪い事で、悪い事を取り締まるのが警察のお仕事ですよね。だったら、全ての駅のホームや電車の両端に警察官を配備して、「痴漢被害に遭っている方はいらっしゃいますか?」などと声をかけるだけで、的外れな忠告よりもよっぽど効果が期待ができます。同時に痴漢の実態の勉強にもなるでしょう。でも、実際は、せいぜい話を聞いてくれる程度です。何で何もしない人の、効果の期待できない忠告を、なぜ聞かなければいけないのでしょう?なぜ聞かなかったからと言って叱られなければいけないのでしょう?何もしないなら、いっそ黙ってて欲しいですね。高見の見物してらっしゃる方々には。
一生のうちに1度や2度しか遭わないであろう被害なら、忠告で防げると思います。被害者側も不勉強ですから。でも、実際は毎日のように痴漢と戦いながら、毎日を過ごしているのです。そんな勉強熱心な被害者に、勉強する気もない人が忠告したり暴言を吐いたりして、効果あると思いますか?地雷密集地帯で地雷を踏んでしまった人に、地雷のない所から「ほら、足元見ないで歩くからこうなるんだよ。自業自得だ。」と言うようなものです。そんな忠告、聞くだけ時間とエネルギーの無駄です。
「痴漢は男性全体の責任なのだから、男性全体で何とかしなさいよ」などと言ってるわけではありません。何もしたくない人は、何もしなければいいのです。具体的に何か活動してらっしゃる方の忠告は、敬意を払ってお聞きしますが。
1.私は、地雷密集地帯だからこそ「足元に注意しなさい」と繰り返し述べる必要があると考えます。なぜ子どもが被害にあいやすいのか?ついつい注意を怠ることが多いからです。慢心することが多いからです。安全が確認されているはずの場所で不幸にも被害にあう方は、もちろん少なくない。どうしても必要な畑の拡張作業の際に、細心の注意を払っていたにもかかわらず不幸にあう方もいる。被害者がみな、不注意や慢心から不幸にあうわけではない。けれども、足元には注意してもし過ぎることはない。誰しも勝手知ったる道では気が緩みがちで、ついつい考えごとなどしながら歩いてしまう。だからお互いに「足元に注意なさいよ」と声をかけあうのだし、「気をつけているから平気だよ」などといって街の外で遊ぼうとする子どもは叱られるのです。わかりきっていても、です。誰の言葉であれ、「足元に気をつけなさい」というのは、それ自体は有効な言葉なのです。
2.警視庁のアドバイスに異を唱えるのはよいのですが、「なるほど、警視庁のアドバイスよりもあなたの意見の方が説得力がある」と他人が認めるかどうか、が問題です。先頭車両の件が路線によって事情が異なるのは当然です。だからこの路線では先頭車両以外の方が危険だ、という確信があるのなら、先頭車両を利用なさったらいい。警視庁が先頭車両が危険な理由をあげているのはそういうわけであって、逆にいえば先頭車両がその危険な理由を満たさない場合には、危険ではないということになる。乱暴なのは魚茶さんの読み方なのです。
3.魚茶さんの提案を実現するには、警察の人員と予算が足りません。痴漢防止キャンペーンなどで一時的に一部路線で実施するのが限界でしょう。警察に多くを求めるならば、国民も税金を多く払う必要があります。税金を警察に中心的につぎ込む議員を当選させる必要があります。魚茶さんはそのために具体的に何か活動してらっしゃるのでしょうか。していなくてもいいのですが、結局、そうした不作為がいつまでたっても警察が十分に痴漢を取り締まることができない根本的原因となっているのです。
4.以上で、だいたい私の思想的立場はおわかりになったでしょう。魚茶さんは、ちゃんと考えればみなが自分の考えに賛成するはずだ、というお考えなのかもしれませんが、現実にはそうではない。そろそろ、私の言葉を待たずとも、質問した時点で私の言葉を想像できるようになっていらっしゃるでしょう。これ以上、何かおっしゃりたいことがあるならば、どこかよそで書いてください。
5.もし続きがあるならば、新しくスレッドを立ててください。ただし、私はその発言への対応を保証しません。それはまあ、いつだってそうなのですが。
初めて書き込みさえていただきます。
さて6月9日早朝の「痴漢論議06それから」で
>なぜ鍵をかけないのはよくないのか。それは、犯罪を誘発するからだろう。無用心は犯罪を誘う。割れ窓理論にも関連?
というようなことを書かれていましたが、これは割れ窓理論の解釈を間違っていると思いますよ。
割れ窓≠無用心
割れ窓=犯罪を「場」が容認しているかのような雰囲気
です。
高度に市民の防犯意識が発達しているにもかかわらず犯罪が増加し続けていたNYで効果をあげたわけですから、いまさら「防犯意識の向上」なんていう使い古された理論のわけがないじゃないですか。
>みんなが防犯に努めれば泥棒にならずにすむ人が増えるだろう、という話
を信じつづけていたらいまのNYはなかったでしょうね。
まあ理論が現実に効果を挙げるまでは上記のような「自衛至上主義」を信じてる人が絶対的多数派だったわけですから、損得勘定からいっても「多数派に従ったほうが得だ」とはやっぱり思えないですよね。
最後に、被害者の落ち度を責める、被害者に隙がなければ・・・という考え方、社会(多数派?)の雰囲気の方こそ「割れ窓」ではないでしょうか。
補足です。
厳密には
割れ窓=軽い犯罪行為
でしたね。で、軽い犯罪行為が「犯罪を「場」が容認している雰囲気」を作り出す・・・と。
で無用心を責める行為はむしろこのような「雰囲気」を作りだす効果のほうが高いのでは?というのが私の意見です。
私の母方の実家では、10数年前まで鍵をかけていませんでした。それで何度も何度も泥棒に入られた。それでもたいした被害はないからということで鍵をかけなかった。とうとう鍵をかけるようになったのは、駐在さんが若い人に変わって、この人にひどく叱られたからです。で、鍵をかけるようになってからというもの、泥棒の被害にあっていない。それまではカモにされていたんですね。
何度も書いている通り、被害者の落ち度を責めることと犯罪の正当化は全くの別問題と考えています。どれほど被害者に落ち度があろうとも、それによって犯罪者が減刑されることがあってはならないと考えています。ところがバウさんのように、被害者の落ち度を責めることが犯罪の容認につながると考える方があまりに多い。つまり被害者の落ち度と犯罪の正当化がリンクしている人が多いわけで、私はそこに問題があると思っている。
相変わらず日本人は外国で置き引き被害にあいやすいそうですね。同じ人が何度も同じ手口でやられたり。犯人が悪いのは当然ですが、被害者もちゃんと気をつけるべきです。こうした意見と割れ窓理論は矛盾しません。自衛するのは当然であって、自衛せずに被害にあった人は責められる。しかしその一方で、軽微な犯罪、被害者に落ち度のある犯罪もしっかり取り締まればいい。ちゃんと両立するのです。被害者に落ち度がある→だからこの犯罪者は許そう……そういう考え方をする人がいることが問題なのであって、自衛の不十分な人を責めることには意味があります。
都内には5000店以上のコンビニがありますが、コンビニ強盗はたったの64件しか発生していません(平成14年)。このうち2回以上被害にあったのが5店、3回も被害にあったのが1店あります。警察が繰り返し被害にあった店を調べた結果、防犯対策の不備と、最初の被害の後で改善がなかった事実を明らかにしています。(産経新聞6月11日付30面)
警察が頑張ればそれでいいのかというと、決してそうではないと私は考えます。コンビニ強盗についていえば、平成10年に激増して以降増加の一途をたどってきたものが、警視庁の指導が効を奏して14年には前年の98件から約3割減りました。検挙率は50%から30%へと低下したので、防犯の取り組みが成果をあげたケースといえます。
バウさんのように被害者の落ち度の追及を犯罪の容認とリンクさせて考えるのがおかしいのであって、被害者の落ち度の追求は正しい、それなしに十分な防犯意識の向上はありえないと私は考えています。
自衛が防犯の役に立たないというようなことを書いたつもりはないのですが、誤解されるような文章だったとしたら私の筆力不足ですね、すみません。
>被害者の落ち度を責めることと犯罪の正当化は全くの別問題と考えています。
同感です、私もそう考えております。決してリンクさせて考えてはおりません。
>被害者に落ち度がある→だからこの犯罪者は許そう……そういう考え方をする人がいることが問題なのであって
というよりも
被害者に落ち度がある→だから俺の犯罪にも許される余地がある
という考え方をする「加害者」がいることが問題なのでは?そしてそう考えることで被害者に対する良心の呵責が希薄になることが問題なのでは?
コンビニを例に出されていますが、痴漢の被害者のような個人の無防備を責める行為とコンビニのような会社組織の無防備を責める行為とは同じ次元では語れないと思うのですが…
自分の落ち度をいくら責められることになっても痴漢被害を訴え出る「強い」人が増え、加害者(含予備軍)側も被害者の落ち度と犯罪行為が別問題で正当化される余地が全くないことをきちんと認識する。
・・・これはこれでかなり理想論のような気がしますが
もし実現可能であるなら応援しますよ。
>「今度からは性犯罪から身を守る痴漢対策に書〜中略〜お願いしますよ」といった説教
というのが徳保さんのおっしゃりたかった「被害者を責める」ということ、なのですか。なんだ、最初からそう言っていただければ良かったのに。
でもだとすると「責める」という言い方はいくらなんでも使い方違いますよね?
辞書を調べられてから、とりあえず「責める」という言葉だけでも早く撤回されたほうが宜しいかと。
個人は無責任でも何となく許されるが、組織ではそうもいかない、といった発想は嫌いです。組織も個人の集まりであり、だから無責任な日本人の作る組織は、下の人間が上司の悪口をいうだけで責任を果たしたような顔をしている。そんな状況が経営陣の足元までを満たしているわけです。部長でさえ役員に責任転嫁していたりして。
理想論というのは、なるほどそうかもしれませんね。
最後の「責める」について。これなんですがね、3度やってきた被害者に3度同じことをいえば、十分に非難として機能するものと思います。どれほど穏やかな口調を維持しても、言外に「何度も同じことをいわせるな」というニュアンスがにじんでくるからです。3度繰り返したという事実、ただそれだけで。もし被害者が「先頭車両でなくとも被害にあったことはある」などと反発したなら、「被害にあいにくい、ということです」と前置きした上で、もう一度最初からくりかえす。それでいいたいことは伝わるでしょう。「できる限りの対策をしてください。わざわざ被害にあいやすいことをしないでください。決定的な対策でないからといって、やらないでいいというわけではありません」それは、いわないでも伝わるでしょう。仕事で被害者と向き合う人の場合いろいろ制約も多いわけで、いくらか言い方も慎重にした方がいいだろうとは思います。
まあ私のような立場の人間にいわせれば、ようするに「わざわざ危険なことをする人はバカ」という話になるのですが。
実は自分もオーバーライトセプテンバーの中川さんと同じ事を考えていました。
メディア属性がちょっと分からないのですが、PCと携帯で別々のCSSをリンクさせる事ができるってことでしょうか?
また、携帯では表示させたくない要素を消してしまう事はできるのでしょうか?
うーむ。。。
また自分で少し調べてみるので、時間がある時に教えてくれると嬉しいです。
<link rel="stylesheet" type="text/css" media="screen" href="xxx.css"><!-- PC向けスタイル -->
<link rel="stylesheet" type="text/css" media="handheld" href="zzz.css"><!-- 携帯端末向けスタイル -->
上記のように併記すれば、PCと携帯で別々のスタイルが適用される筈です。
言葉いじりはそんなに楽しいですか?大人のすることじゃないないと思います。みっともない。言葉の奴隷じゃないですか..
私のどの発言に対するご意見でしょうか?花子っちさんの発言は対象が不明瞭なのでレスがつけられません。もし私に感想を伝えたいだけで、とくにレスを求めていないのであれば、そのように明記していただけると有り難いです。
3日の備忘録の引用で紹介されているセキスイハイムのページを見てきました。
泥棒の侵入方法のグラフにある、無締り34%というのが、鍵をかけないために
泥棒に入られた割合でしょう。
そうすると、残りの66%は、鍵をかけたにもかかわらず泥棒に入られたわけです。
つまり、鍵をかけた場合の方が多く泥棒に入られているということが、データから
読み取れます。
まあ、これは少し牽強付会が過ぎるかもしれないので、きちんと項目別にデータを
確認してみると、ガラス破り55%というのが最も多い泥棒の侵入方法だというのが
わかります。
そこで、このデータが正しいと仮定した場合に、泥棒の侵入を防ぐ効果的な方法は
ガラスを破られないようにすることで、そういった対策をしないで泥棒に入られても
同情の余地は無いということです。――などということも、言えなくはないですね。
なんというか、たとえ事実をもとにしたとしても、自分の好きなように意見をつくる
ことが出来るわけで。それに、事実にしても、ある程度は操作することが出来るし。
特に、統計データは意見に合わせて作ることも可能ですね。
ある事実を説明するために、また別の事実が必要になって……まるで言葉のようなものなんですよね。
セキスイのデータをどう読むかといいますと、まず鍵をかけずに外出する人は30%もいないだろう、と。回数としてはありえますが、外出している時間を基準として考えたら、まずありえないような気がする。もちろん、この意見に保証はありませんよ。でも、そんな風に考える人が多いんじゃないかな。
だから、泥棒の被害にあった家の34%が無施錠だったと聞くと、「なるほど、鍵をかけないと泥棒に入られやすいんだね」と思うわけです。たぶん。仮に無施錠率(外出時間基準)が10%だったとしましょうか。すると、無施錠の場合は施錠した場合に比較して4.6倍も被害に遭いやすい、ということになります。10%とかいうのは適当ですけど、何となくそれっぽい数字だと思いませんか。でもそのあたり、いちいち事実を先に調べるのはアレなんで、結局は少ない事実とたくさんの憶測、というセットになってしまうんですよね。
ガラス破りの件ですが、たしかにそういう話は結構有名です。両親が家を建てたのは数年前ですが、「最近の常識として」1階のガラス窓は全部針金(?)入りで、しかも金属の柵(?)が窓の内側か外側に必ずついています。庭に出るガラス扉は外出時にはシャッターを下ろすことで完全に封鎖するという按配。両親は火事のときに助けてもらえなさそうだからそんなのは嫌だといったのですが、泥棒よけのために今はこれが常識という話だったので、渋々従ったという経緯があったような(突然記憶が曖昧に)。
いつも楽しく拝見しています。 さて世間の見方で自分が感じていることを……「中年オヤヂはスケベ」 これには勝てません。
職場のセクハラ談義でも、若い女性社員と風采の上がらない中間管理職という構図になっています。 事務員さんと若手営業マンというシチュエーションは、まずありません。 経理のオバサンなどは服装を誉められただけで舞い上がっている。 私ら同年代の者が誉めると「どこ見てんのよ、スケベ」と言われる始末。 理屈は通じません(阿吽(あうん)の呼吸みたいなものはありますけれど)
婦女子は養い難し。 昔の人が言った言葉です。 とはいえ歳を取ってみると自分が中年オヤヂと言っていた立場になってしまったわけで、少しは理解できるようになりました……もう遅い(笑
>不幸な目にあった人の非
仏教で言う因果応報、または輪廻(りんね)と言われることもありますが、主観世界では日本人の価値観形成の基礎になっているようです。 会社のQCサークルでは、かつて「全責任全自己」というスローガンもありました。 生産性議論でも末端では「士気」、つまり精神論になりがちです。
リスクを減らすのは工場だけでなく、社会生活でも求められるシーンはあるように思います。 そのあたりの危機管理論を期待しています。
>「中年オヤヂはスケベ」
うーん、これは・・・。「これだからオバサンは!」とかもありそうだなあ。年齢って厳しい・・・。理屈が通じないのは確かかもしれません(笑)。
>不幸な目にあった人の非
辛い思いをした人に、このあたりを変えてみればいいんじゃないかなあ、というと怒られてしまうことが多いので(経験上。一般的にはどうかなあ。単に私の言い方がへたくそな可能性が)、なかなか難しいのかなと思います。痴漢騒ぎに限ったことではありません。
「これが原因」ということと、「これが悪い」ことは別問題なので、そのあたりを意識して話さないと難しいのかなと。
たとえば、いじめられてる子がいるとして、何故いじめられてるのかという原因はどこかにあるわけです。
(それは、ただ単にいじめっ子の勘に触るキャラだ、とかそういう理解不能な理不尽なものも含めて)
もちろん、原因があるからいじめてOK!ということはない訳で、原因があることとそれが悪いこととは別問題です。だから、被害者側を責めるのは間違いです。
しかし、そこで思考停止してもどうにもならないので、いじめてる側をなんとかして黙らせるとか、原因分析をして、その状況と上手に付き合っていくとかするわけです。黙らせられないのであれば、上手に付き合うしかないのですが、上手に付き合いなよというと世間の悪い常識に屈するべきだというの?という感じになって・・・うーん。付き合い方にも色々あるのになあ、と途方にくれてみたりして。
話が滅茶苦茶になってきましたが、非を探すひとつの原因は、どうしようもないよね、では埒があかないからなのかなあ、とか。自分が同じ目にあったときに、なにか手立てがあるはずだと信じたい・・・のかもしれません。物事には何かしらわかりやすい原因があるんじゃないかと思いたいのかも。危険に対して、なんら手を打てないまま運に任せて生きていくことになるため、そんなのは不安だ、ということ・・・なのかなと思います。
もちろん個々の事件にはそれなりのそこに至るまでの要因があるのですが、それは千差万別なので、もっとわかりやすい、共通した原因が欲しいのかなあと。
(無茶いうな、という気がしますけど)
1.
強烈な個性があれば別ですけれども、そうでもないと個人の資質よりも様々な外部条件から論評されてしまうということがありますね。でもそれはしょうがないと思います。ある人が本当はどんな人か、なんてことはそう簡単にはわかりませんが、しかし何らかの判断を迫られるわけですから。判断のつかない場合は黙る、というルールが常識となると、世の中みんなだんまりになって困ったことになりますよね。スケベかどうかわかんなくても、とりあえず中年のおじさんはスケベということにしておくと丸くおさまるというのが社会に蓄積された知恵なんでしょう(ひどい話です笑)。
2.
なんで被害者の非が責められるのか、という問題については、いちおう防犯意識向上という観点から説明がつくと思います。備忘録の方に書きました。ただ、防ぎようのない犯罪もあるわけですよね。オウムの毒ガスとか。やっぱりさすがにそれは被害者は批難されません。だから、どんな場合でも被害者が責められるわけではない。BSさんの意見は、その点がちょっと極端だったと思います。
3.
世の中にはよくわからない(したがって正しいのかどうかもわからない)常識がたくさんあります。常識に反抗してみるのは別にいいのですが、それでいろいろよくないことが起きたり、常識による圧力があった場合に、怒っても仕方ないとは思っています。意味がなくても怒るときは怒るのですが、意味のなさは自覚しておいた方がいいと思う。わけのわかんない常識ほど、単に多数派だというのが拠り所になっているので、反対者に強い圧力がかかるということがあるかもしれない。反常識でもいいんですが、そのリスクというか、反常識の割の合わなさは計算に入れておいた方がいいと思う。でも計算できない人が多いというか、頭に血がのぼるとそれどころじゃなくなってしまうんですよね。
4.
危機管理……怒らないこと。まずはこれに尽きると思います。それができれば苦労しないわけですが。
こんにちは、はじめて書き込ませていただきます
痴漢についての御意見についてひと言申しあげたく思い書き込ませていただきます
女性の格好をなおせという論調は明らかにおかしいとわたしも思います
何故なら女性で痴漢されることを経験するのは成人した女性であるとはかぎらないからです
わたし自身もそうですがわたしの周りの女性には性的な対象になりうる成熟以前に痴漢を経験している人間が多くいます
明らかに身体能力の劣る子どもに口止めをして痴漢行為に及ぶ変態は少なからずいます
子どもに挑発的な格好をするなも何もないとはおもいませんか?
変態は所詮、己の欲望を果たすことのみに忠実であり
他者の権利を省みることをしない下劣な人間であるとわたしは断じます
被害者の服装でリスクの重い軽いについて言及されるのは問題のすりかえのようにわたしには思えました
力のあるものからないものへの一方的な蹂躙をわたしは憎みます
はじめてでありながら
感情的になり語気の荒い書き込みになってしまったことをお詫びいたします
お目よごしでございました
しつれいいたします
「被害者の服装でリスクの重い軽いについて…」とおっしゃってますが、徳保さんがおっしゃっている「リスク」とは「痴漢被害に遭うリスク」ではなく、「(チャラい格好をしていた場合に)チャラチャラした格好してるからだよ、と他人に言われるリスク」ですよ。「女性の服装をなおせ」とは徳保さんは言っていないと思いますが、そう読めたとしても「直せば痴漢に遭わなくなる」という意味ではなく「直せば、あんたもチャラい服着てるからだよ、と言われずにすむ」というただそれだけの話です。
また「子どもに口止めをして痴漢行為に及ぶ」のは痴漢というより児童虐待(性的虐待)に当たるもので、徳保さん達が議論しているものとは別の問題ではないでしょうか。
徳保さんの論を読んでどうしても感情的になってしまうのであれば、「痴漢」部分を「スカート内を盗撮」と置き換えてみると、徳保さんのおっしゃる意味がわかるかもしれません。「盗撮」であれば服装で対策が可能ですから。
ももさんがあまりにずれた話をなさっているのでつい口を出してしまいました。失礼しました。
わかりやすい反論は「横レス失礼します」さんがしてくださったので、私はわかりにくい反論をしてみましょうか。
あなたがどう思うか、ということは今回の件にあまり関係ないのです。周囲がどう思うか、世間の多数派の認識がどこにあるのか、それが問題なのです。多数派は、単に多数派であるというだけで強大です。個人的な経験に基づく反論、私はこう思うというだけの反論では、多数派に勝てません。多数派がぐうの音も出ないほどの、圧倒的な論証なしには勝てないのです。例えば、アドレナリンショックで提示された資料には、十分な力があると考えます。これくらいのものを出してこなければならないわけです。相手はただ思ったことを垂れ流しているに過ぎないわけですが、同じレベルで反論してもしょうがないのです。
しょうがないとわかっているなら、勝てない反論をするのも意味があるのではありませんか。それで気分も少しはすっきりするでしょう。しかし「なぜ私の方が正しいのに、あいつは理解しないんだ?」と本気で怒ってしまうのは、むなしいことだと思います。
調べた所、東京駅構内などで女性警官が対応する痴漢被害相談所が設置されるなど、警察も被害者側にたった対応をし始めてきています。服装で差別といった対応はセカンドレイプの一種であってそういった認識で女性団体や警察は動いています。末端の派出所では行き届かない所もあるでしょうが、そういうケースは女性団体や相談所などにも一報を入れて派出所に適切な対処をするよう求める事も可能でしょう。
依然として被害者に対する社会の目は厳しいものですが、それを認識するに留めるばかりでなく、上記のような組織を有効に利用していくことが被害者の負担を減らす、一番よい方法だと思います。
というところで今確認したところ、こゆさんの全ログが消えました。うーん、後味が悪い結果になってしまった……
こういった問題を話し合うのは意味のあることだと思うのですが、なにぶんナイーブな問題でもあるので・・・難しいところですね。
個人的には、電車での痴漢に関しては服装はあまり関係ないのではないかな、と思うのですが(友人等からの話ですから統計データではありませんけれど)。まあ言う人はどんな服装でも何か言うわけで、さらに短めのスカートとかはいてれば余計に何か言われる材料になっちゃうというのも、経験上は事実のように思います。たいよーさんの言われるように、そんな被害にあわれた方は、女性団体や相談所を尋ねるのがいいかもしれませんね。
以下、ちょっと話がそれます。
電車の痴漢に限って言えば、逆にジーンズのパンツとかはいてるほうが、痴漢認定がしにくくて辛い、という面もあったりします。たまたま手が当たってるのか、作為的なのか微妙なところがありますから、どうなのよコレ、と思っているだけで反撃できないという辛さが・・・。
その点スカートですと、中に手を入れられた時点で作為認定完了、安全ピン発動、とか出来るのですけれど。しかしこれも「・・・?」と思った時点では何も出来ないあたりがまた微妙というか・・・。手を入れられるのを待たなきゃならんのかい、というジレンマ。
この話は「こんな服装だから痴漢が発生する?」という話とはあまり関係がありませんけれども、スカートはいてたほうが痴漢認定がしやすいため、発覚もしやすいのかなあ、という事も考えられます。これもあいかわらず統計データは(略)。
まあ、世間様は色んなことを言うわけで。たとえば夜道で女性が前を歩いていて、急に走り出されて嫌な思いをした男性は結構いるかと思います。俺疑われてんのか、みたいな。さぞ気分が悪かろうと思います。
でもまあ、女性側からすれば、自己防衛のために走るのはやむなしでしょう、となる訳で。世間がどう言おうとも、自己防衛はしないとならないわけです。その結果、ひどい女だなあ、と言われてみたり、かといって走らないで素直に歩いていて被害にあうと、なんで注意しなかったんだと言われてみたり。いや、ほんと、まともに全部とりあおうとすると大変なことになります。
ただ、そういう意見がある、ということを認識するのは有意義なことかと思います。不意打ちでセカンドレイプにあったとき、自己防衛するために。
すいません、長々と横槍を入れてしまいました。
ログが消えましたか。うーん。
> ただ、そういう意見がある、ということを認識するのは有意義なことかと思います。不意打ちでセカンドレイプにあったとき、自己防衛するために。
私もそれだけ書けばよかったのかな、と思わないでもないです。
(ゆりさんへのレスから)
徳保さんは「最初から」多数派の正しさに疑問を呈してなどいません。防犯と泥棒の関係のように相関がある例を持ち出して被害者が対策するように書いている。最初に痴漢についての相関の曖昧さを指摘したのは私ですよ。徳保さんも内心はそう思っていたかもしれませんが、最初の文章でそう解釈するのは無理です。最初の文章は多数派を是とし、被害者の無防備を責める内容になっています。
それから、徳保さんは「世間の支援が違う」といったから、ゆりさんが「世間はあてにならない」と言ったのですよ。それを徳保さんは「冷たい目を受け流せるよう、リスクを認識すべき」と答えている。しかし、テレビの中の発言や一般論は例え、こゆさんがどんな服を着ようとも防ぐ事はできませんよ。じゃあ、そもそも心構えをするだけで服装なんてどのように着ようがどうでもいい話じゃないですか。指摘と回答がずれてますよ。
で、いいたいのはBBSなどのやりとりを通して文章の内容を発展・洗練させていくのはいいけど、発展させたものを元々の意見であったかのように書くことや、質問と回答をずらして答えたりするのは止めてほしいということです。
失礼しました。「最初から」の件は私の手落ちです。「最初の文章でそう解釈するのは無理」ですね。痴漢を電車内と路上でしっかり区別してこなかったので、いろいろごっちゃになっています。単に痴漢としか書いていないものが、電車内、路上、あるいはその両方という3通りの解釈のいずれかとなっていて、一貫していません。だもので「いずれかの解釈で統一すると」明らかな矛盾が生じます。あと、書き始めた当初の時点では自分の考えもはっきり認識できていなかったのは事実です。意見交換の意義は、相手の意見を知ることだけでなく、自分の意見を知ることでもあるのだなあと思います。
「世間はあてにならない」の解釈は保留します。慌てて「誤読でした」というだけの確証をもてません。
テレビ発言の件は、あれでいいのです。予想通りの言葉であれば、「聞き流すことができる」あるいは、「落ち着いて反論できる」というのが主旨だからです。リスクを認識するというのは、ひどいことを「いわれる可能性」に思いを致すことをさしています。つまり、リスクを考えた結果、「自分は」ひどいことをいわれたくないならば服装を変えればいいし、そうした(誤解含みの)風潮に負けたくないと思うならばひどいことをいう人がいることを予想した上で着たい服を着ればいい。
で、私は先に「世間の支援」と書いたけれども、痴漢問題についていえばたしかに世間は支援をしてくれない。むしろ、マイナスの方向へ作用する。そのマイナスを少しでも軽減するにはどうしたらいいか、というのが実際的な話になってくるので、またここでズレが出てくる。ん〜、とすると、これはあれかな。「支援」というプラスの言葉を使った私が誤解の発信源なんでしょうね。世間の「反応」と書けばよかった。
はじめまして。いつもいろいろと考えさせてくれるトピックを提供してくださり、ありがとうございます。
もう徳保さんの頭の中では過去に分類されているのかもしれませんが、すこし発言させてください。5/25の備忘録の件です。
>相手の意見が経験則と(中略)確率の問題について何ら傍証を挙げることに成功していない。
とおっしゃいますが、これは要するに「男性は衆人監視の電車内であろうがいともた易く理性を蒸発させるような程度のイキモノである」ってことに賛成されるわけですか?それはちょっと嫌ですね。というか、こゆさんがご覧になった番組でどういう風に「痴漢行為に及ぶ心理」が「間接的に裏付けられていた」のか、あの文面からは私にはまったく推し量ることはできませんが。徳保さんもその「似非討論番組」を見ていらしたのでしょうか。
>「服装は関係ないんだ」というデータがない以上
そんなデータは集まりようもありません。痴漢として捕まった以上、(冤罪でない限り)「自分の罪状に対する印象を少しでも良いものにしたい」と考えるのは当然のことでしょう。「誘うような格好をしていたから」「つい出来心で」なんて口から出るのは当たり前です。それが取調記録なりに載り、統計として処理されたり、タプロイド紙なんかに載れば、「服装が…」というのがあたかも有意の結果として人々の記憶のどこかに引っ掛かることもあるでしょう。そして「ああ、俺もムムッと来たことあるな、そう言えば」という記憶と結びつくのはた易いことだと思います。このことを以って「感覚的・経験的に実態を推測」している(=世間の見方)と捉えているとおっしゃっているのであれば、ぜひご再考いただきたいです。
万引という犯罪も、「つい魔が差して」が言い訳によく使われますが、じゃあ万引(窃盗ですね)された店やスーパーに対して「警備が万全でなかったから」「いかにも取ってくれ、って感じで商品が並んでたから」ってのも立派な抗弁として通用するってことでしょうか。飛躍しているとおっしゃるかもしれませんが、徳保さんが余談で書かれている自衛隊の話よりは構造的にずっと近いと思います。
徳保さんは、ご自分が仮にスーパーで働いていて万引犯を捕まえたら、「魔が差したんだ」と言って泣かれたら信じて「もう二度としないように」って諭して釈放される、寛大な方なのでしょうね。万引犯のほとんどは常習犯です。たとえ捕まったのが初めてだとしても。そして私服警備員や防止システムを入れても、万引被害はゼロにはなりません。突破する気があれば、やれるからです。
では窃盗という犯罪は「警備が手薄だったから」という理由で減刑されるのでしょうか。損害賠償請求(民事)においてはありうるかもしれませんが。
>その後の世間の支援に違いがあるのです。
これには同意します。しかし、その後の世間様の「目」が同情を含んだものかそれとも侮蔑を含んだものかどうかと、痴漢に会う会わないの確率の問題はそれこそ切り離して論議すべきものだと思います。
それとこゆさんは、世間のものの見方に対して怒ってらっしゃるとは思いますが、「世間の同情」を集めたいわけではないと思います。徳保さんが「こゆさんは痴漢に対してというよりは、世間の反応に対して怒っている」とおっしゃるのは、その通りだと私も思います。しかし「露出度の高い服装をしていたら痴漢されて当然」という世間様と、「あんなにおとなしい格好していたのに痴漢に遭って可哀想に」という世間様はまったく同じものの裏表です。前者に怒っているこゆさんが、なんで後者の支持を得たいと思っていると徳保さんが考えられるのか、そこが分かりません。それゆえに痴漢に遭ったことのある女性(私含む)にとって、「服装で自己防衛するのが対策(傘)となりうる」という徳保さんの主張が納得できないものとなっているのではないでしょうか。
>どんなファッションも勝手(中略)リスクも背負うべきです。(BBSレス)
横になりますが、「世間の目が厳しい」服装を選択して負うリスクの中に「痴漢に会う」までを包含されているのに驚きました。いったい混雑した電車の中で痴漢に遭った人のどれくらいが、そこまでのリスクを負わなければならない服装をしていたのか知りたいところです。服装で負えるリスクと言えばせいぜい「カタギじゃない」「バカにしか見えない」「普通の職業に就きにくい」くらいが限度と思うのですが。
初めての投稿というのに、こんなに長くなってしまって失礼しました。これからもご活躍を期待しています。
上から順に。まず最初の話題。私の記述は「ムムッと思う人が多いのが露出の多い服装だ、というのは事実です。といってもムムッと思う人のほとんどは痴漢行為なんかしないで、仏頂面を決め込みます。」というもの。一部の人はそもそも無関心だし、関心を持っても、ほとんどの場合、表情にさえ出さないと書いているのです。私の文章から「男性は衆人監視の電車内であろうがいともた易く理性を蒸発させるような程度のイキモノである」という解釈を導くのは、いささか無理がありませんか。あなたの偏見を私の意見と勘違いされては困りますよ。
私は問題の討論番組、みていません。しかし、こゆさんが反応された意見は、非常にありふれたものです。「露出の多い服装にムムッと思う人は多い→つい魔が差して痴漢行為に及んだという言い訳が本当ならば狙われやすいのは露出の多い服装の方だろう→露出の多い服装をしていて痴漢被害にあっても、あまり同情できない、なぜならその格好が危険なことは容易に想像がつくからだ」……ね、自分の経験を起点として間接的に服装と被害確率を論証していますでしょう。
似た例をあげます。殺人事件の被害に遭いやすいのは、冷たい人か、優しい人か?実際に殺人を犯したことのある人は滅多にいないけれども、冷たい人の方が殺されやすいだろう、という説に賛同する人は多いでしょう。それはなぜか。誰かを殺したい、あるいはこんな人はいなくなればいいのに、と自分が強く願う対象は、経験的に、冷たい人の方が多いという事実があるからです。ちゃんと統計を取ってみたら、実際には性格と被害確率には何の関係もないかもしれませんけれども、みんながそう思うという現実はあります。だから、冷たい人が殺されたら「やっぱりね、ざまーみろ」と思う人は少なくない。
この手の自分の経験から何事かを類推するという論理展開は、よくみかけます。本当のところはどうなのか、全然証明になんかなっていないわけですが、だからといって無視できるわけじゃありません。賛同者が多ければ、それが真実であろうとなかろうと一定の力を持つからです。
さて、服装と被害確率の相関データですが、私はそういうの、あるはずだと思っています。警察が被害者から事情聴取する際に、被害当時の服装について必ず聞いているはずだからです。というわけで、調べました。Google検索「痴漢服装」の結果、兵庫県警と岐阜県警が痴漢被害と露出の多い服装には関係があると明言しています。
http://www.police.pref.hyogo.jp/seikatu/seikatu/chikan/chikan/
http://www.pref.gifu.jp/s18879/chikan/
一点、注意してください。痴漢といえば電車ばかりが有名ですが、ここでは人気の少ない路上で発生するタイプの痴漢も込みの話となっています。電車内の痴漢に話を限定すれば、話が変わってきます。警視庁の解説に服装のことはまったく出てきません。
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/kouhoushi/no1/koramu/koramu2.htm
おまけ:とくに資料として信頼できるわけではありません(統計的資料によらず管理人たぶんこう思うという意見が一般論として紹介されている)が痴漢対策情報のサイトとしては日本有数だと思います。このサイトでは、電車内の痴漢についてはむしろ派手な格好の方が被害に遭いにくいという経験談が出ています。しかし路上の痴漢対策を考えると、やはり派手な格好はまずいという……。まあその辺は読んでみてください。
http://shinjuku.cool.ne.jp/kouichi22/taisaku.top.htm
さて、続きいきましょう。えーとですね、私は被害者にも非があるということは、「加害者を正当化するものではない」と繰り返し述べています。警備が手薄で泥棒にやられたという場合、警察は被害者にも注意を促します。しかし、警備が手薄だったことは、犯人が情状酌量される材料とはなりえません。警備が手薄「だから」泥棒に入っていい、なんて理屈は絶対に通らないからです。とはいうものの、警備手薄のまま何回も何回も泥棒に入られた場合、だんだん検挙率は低下していくでしょう。被害者自身に防犯意識が欠如しては、警察もやる気がそがれるというものです。
痴漢も同じことで、被害者の服装がどうあれ、加害者は減刑なんかされません。けれども、被害者がチャラい格好をしていた場合には、「あんたも、もうちょっと服装に気をつけなさいよ」と愚痴られるかもしれません。わざわざ犯罪者を増やすようなことをしないでよね、という意味です。実際には服装と被害確率には何の関係もないかもしれない、と私は何度も書いています。正直いって、ほとんど関係ないと思っています。けれども、世間はそう見るということなんですよ。
だから、だから私はこういわざるをえない。被害にあったときに社会からあたたかい支援がほしいのなら、愚痴や嫌味をいわれたくないのなら、世間様を味方につけられる服装を心掛けた方がいい、と。わざわざチャラい格好をするならば、いざというときにみなに冷たくされることも覚悟しなきゃいけない、と。
どんな服装であれ、被害確率はほぼ同じかもしれない。けれども、その後が違うのです。被害にあった後が。犯人の方は同じですよ。どんな服装の相手を狙おうとも、等しく冷たいところへぶち込まれます。どの服装なら刑が軽くて、なんてことはありません。でも、被害者はそうはいかないのです。
私がここでいっているのは、理想論ではなくて処世術です。
> 前者に怒っているこゆさんが、なんで後者の支持を得たいと思っていると
ある種の理想をいえば、どんな服装であれ等しく被害者は大切にケアされるべきですよ。でも、それは現状では夢の世界の話です。だったら、当面の自己防衛策としては、ちゃんと同情を集められるよう注意しておいた方がいいでしょう。あるいは、あえてチャラい格好をするのなら、被害にあった後の冷たい扱いはリスクとして想定しておかねばならないのです。あらかじめ認識していれば、いざという場面でもショックは最小限ですむでしょう。ちゃんと反論することさえできるかもしれません。
最後の論点、リスクの話。えーと、それはゆりさんの誤読です。ここまで読んでいただいたなら気付いてくださっていると思いますが。私は被害にあった後の話をしています。被害にあった後で、「そんな格好して……あんたも責任あるよ(もちろんだからといって犯人の刑は全然軽くならないけどね)」といわれるのは悔しいでしょう。悔しいでしょうけれども、それはいわれるとわかっている言葉なのです。世間様の、予想通りの反応なのです。だから、あえてチャラい格好をするのなら、そのリスクは認識すべきだといっているのです。
長文のレスをありがとうございました。しかし、なにかうまく流されてしまっているような感が否めないのですが…
まず、BBSのたいよーさんへのレス(No.307)ですが、これはたいよーさんの「痴漢に対処するために女性のファッションを変えるのは…」という段落に対してのレスですよね。ですので徳保さんの「どんなファッションでも勝手だけれど、世間の目が厳しいとわかっている服装を選択するからには、リスクも背負うべきなのです。リスクなしで自由だけ拡大というムシのいい話はありません。」というレスは、世間の目の厳しさのことだけを述べているようには、私には読めません(頭が足りないだけと言われればそれまでですが…)。何よりももしこのレスが、「世間に対する処世術」ということならば、それはたいよーさんの「最後の論点」についてのレスとは言えないと思うのですが。
同様の感想を、私の書いた「服装は関係ないというデータは集まらないだろう」という段落に対しても感じました。提示いただいたHPを見ましたが、それは単に「ある」と言ってるだけです。「痴漢はそんな服装が好き」とか。データとしての有意性はまったくないと思いますが。それとも「警察が言ってるからにはきっとそうなんだ」ってことですか?
もし電車の痴漢について(いわゆる外での痴漢はここでは除きます、もともとこゆさんが言及されたのが電車の痴漢なので)、本当に「服装と被害確率の相関」を調べるならば、被害者の服装を調べて「チャラい」かどうか分類するだけでなく、「そのとき同じ車両にいた他の女性たち」の服装と比較しない限り客観性のあるデータは出てこないと思いますが、いかがでしょうか。私はそう思ったから、「データは出てこないだろう、出てきても……」というニュアンスでああいう文を書いたのですが。
>被害にあったときに社会からあたたかい支援がほしいのなら、愚痴や嫌味をいわれ
>たくないのなら、世間様を味方につけられる服装を心掛けた方がいい、と。
>わざわざチャラい格好をするならば、いざというときにみなに冷たくされることも
>覚悟しなきゃいけない、と。
徳保さんの主張は、結局はこれに尽きるのですよね。そしてこれを処世術とおっしゃるのも分かります。どこに行ってもよく聞く言葉ですから。
不快を承知で、仮定の質問をさせてください。徳保さんの恋人、またはお姉さんか妹さん(実際にいらっしゃるかどうか知りませんが)が、電車で痴漢に遭ってしまったとします。
そのとききっと徳保さんご自身、その女性の家族や親友はみんな、そのことを聞いたら深く憤るでしょうし、「可哀想に」と思うでしょう。たとえその被害者の方が挑発的な格好をしていようが、きっと彼女を護る側につくと思います。それは当たり前のことです。
で、もう少し遠い人、例えば職場の同僚や親戚、学校の友達やなんかだったらどうでしょう。「ひどい」と言う人もいるでしょうし、家族同様に憤る人もいるでしょう。でも中には「痴漢に遭うなんて、どうせミニスカートでもはいてたんじゃないの」なんて言う人もいるでしょう。興味のない人は「ふーん」で終わるでしょうし。
もう少し遠い人。例えば近所の方々、職場の同僚だけど部署やフロアの違う人、つきあいのなくなった同級生、むかしバイトしてた店、なんかでその噂が流れてきたらどうでしょうね。常識のある人や、自分もそういう被害に遭った人は「そっとしといたげなよ」て言うだろうし、ある人は「へー、痴漢ねー。案外冤罪じゃないの?」なんてことを何の根拠もなく言ったりするわけです。
これ以上関係の遠い人に、電車の痴漢の一件が伝わるためには、例えばなにか特殊な理由(犯人が高名な人物だったとか)があって、マスコミを経由しないかぎりは流れないでしょう。
で、徳保さんのおっしゃる「服装をちゃんとしていたら、暖かい目で見てくれる世間」って、どのレベルのことを指してらっしゃるのでしょうか。家族や親しい人々は違いますよね。大体のところ、面識はなくはないけど決して親しくはないレベル以上の遠さとすると(これが私の「世間」認識です)、実際問題、そんな人々の誰が、「○○さんが痴漢に遭ったとき、これこれこういう服装をしていた」なんて知ってるはずもない。せいぜい「そう言えばさ、先週の土曜日に結構派手な服着てたわよ」とか「あーそう言えば、よくミニスカートとかはいてるものねー彼女」みたいな、思いっきり不確かで狭い情報(とも言えない)を垂れ流すのが関の山。たとえ実際にはミニスカートは週に一回着ればいいところだったとしても、その「派手」は他の人から見たら全然派手じゃなかったりしても、です。ああ、毎日モンペでもはいてすっぴんで満員電車に乗ってれば、みなさん等しくおっしゃってくださるかも。「あんな地味な子でも痴漢に遭うのね、最近は」って。ただこれが暖かい目なのかどうかは個人の判断によりけりでしょうが。
ただ一点、徳保さんのおっしゃる「世間」に合致するかな、ってのがあります。それは事情聴取する警察です。化粧っ気のない、見るからにおとなしそうな女性と「チャラい」格好の気の強そうな女性がそれぞれ被害者として現れたとき、両者の取り扱いが違うかもしれない、というのは容易に想像できます。
で、何が言いたかったかと言うと、「世間なんてあてになりません」というただそれだけです。近所の覚えをよくしたいのなら、服装よりも普段の挨拶や勤め先や家族仲のほうが重要でしょう。ちょっとくらい派手な格好してたって、「あの子ほんとにいまどき珍しいくらいの親孝行なのよ〜」とか言って擁護してくれるかもしれません(苦笑)。
最後に。一番めの段落についての反論は、つまり「痴漢する男と自分を一緒にするな」ということですね。一緒には(当たり前ですが)していません。「露出の多い服装に魔が差す」ことを肯定されている(信じている)以上、そして「魔が差す」という言葉が「その気もないのについその時だけ何故かふらふらと」という意味である以上、男性が「衆人監視の電車内でいともた易く理性を蒸発させる」可能性があり、そしてそれは誰に起こるか分からない(だって魔が差すんですから)=誰にでも起こりうる(生物学的に?)という意味だと解釈したのですが。
ここまで書いてきて、私はやっぱりすごく不思議な気分がしています。パナウェーブの一件なんかでも、徳保さんはどちらかと言うと、多数派の陥りがちな罠に警鐘を鳴らすタイプだと思っていました。けれど痴漢被害ということに関しては、まったく世の中の多数派と同じなのですね。
長文、失礼しました。今後の備忘録も楽しみにしております。仮定の質問の下りでご不快を覚えられたら、申しわけありません。
追伸:徳保さんのおっしゃる「チャラい」服装(=世間から冷たく見られる服装)ってどんな程度のものですか?興味があります。
たいよーさんへのレスですが、これは私の回答がずれています。私は本音をいえば服装を気をつけても(電車内の)痴漢被害は防げないというのが頭にあったので、たいよーさんの発言を誤読したのです。たいよーさんは痴漢被害自体を予防する話をされていたわけですね。
服装は関係ないというデータの件ですが、私は被害者当人の服装を見るだけで十分だと思います。だから警察には(統計資料として整理されてはいないにせよ)データがあると思う。で、防犯記事はそうしたデータに基づいているのではないか、と予想しているわけです。
世間の範囲について。案外、中傷の声は耳に聞こえる距離で生じます。例えばこゆさんは、それをテレビ番組の中に発見してしまったわけです。そして怒った。こゆさんが、例えば私のように趣味的に怒るタイプの方なら、これでまたネタになったといって面白がるかもしれません。しかし実際にはそうではないようです。だったら「ふーん」といって流せる余裕を持った方がいい。そのためには、(世間様に冷たくいわれる)リスクの認識が必要だと説明したのです。予想していれば、実際にひどいことをいわれた際にも怒りはいくらか少なくてすむでしょう。
ところで、「痴漢する男と自分を一緒にするな」ってのは違います。ほとんどの人はいつまでたっても魔が差さないのです。しかし、その前段階の気持ちは理解できる(と思う)場合が多いといっているのですよ。実際の痴漢は常習犯が多いので、現実と世間の見方は食い違ってくるのです。
そして多数派云々について。私は最初から、服装と痴漢被害に関連がある証拠はない、という書き方をしています。そのうえで、処世術として多数派に合わせた方が生きやすいと書いている。いつも通りの発言だと思います。「ボクの終戦工作」以来、何度もくりかえしてきたアレです。無自覚なマイノリティーが無体なことをいうのはいかがなものか、と。とはいえ、痴漢の被害にあったことのある女性は48%(http://www.gender.go.jp/yoron/bouryoku/bouryoku.html)だそうですから、いい加減に誤解がなくなってもよさそうなものです。(あるいは、誤解でないならちゃんとした統計がほしい)
追伸について。難しい質問につき、おこたえいたしかねます。さまざまな服装をチャラ度の数直線状に並べたグラフをどなたかが作成してくださったなら、このあたり、と指差すこともできるでしょうが……質問者によるそうした準備なしにはおこたえできません。
(痴漢の言い訳)
>で、そういうイメージがある以上は、逆にそれを利用した方がいい。
という言い方だったので納得いかなかったのですが、
>世間の目が厳しいとわかっている服装を選択するからには、リスクも背負うべきなのです。
という言い方なら、話はわかります。特に異論はありません。付け加えるなら、服装と被害確率の相関に関する根拠が曖昧であることを世間に対して指摘していくことに意義はあろうかと思います。こゆさんによるとコートを着ていても痴漢に遭うようですし。
>私がいちいちこゆさんの意見に反論したのは、「はっ?」という書き方にムッとしたからです。
徳保さんがムッとしていたのは
>「電波」とか「困ったチャン」とかに絡まれやすいのは、単に類は友を呼ぶという話なんではなかろうか。
>不幸自慢する人が多くて困るよ、という不幸自慢。
>悪党を責めるばかりで、自分の無防備を正当化するのはどうかと思います。
の部分でわかります。こゆさんが持ち出した理屈によって彼女自身批判されるという、皮肉ですね。しかし、批判された当事者でもない徳保さんがきつい皮肉を浴びせたことに関しては正直、困惑してます。そこまで言うか!というように。だから、私の提示した解釈というのはこういう風にみれば好意的に読むことが出来ますよ、ってことでもあるのです。
>愚痴を書くにも書きようがあるんじゃないですか。
文章が感情にまかせた暴論であるのも事実ですが、痴漢に遭ったりして同情の余地があると私は思っています。誰でもそういうむちゃくちゃな愚痴をいう時ってあるよな!暴論なのは明らかだから、徳保さんもきつく当たらなくても!というような。それに徳保さんは初手が違っているから続きも全部ダメだと切り捨てているけど、見当違いにせよ、痴漢に憤りをぶつけてやりたいという気持ちは文章から伝わってくるのです。痴漢に対しての憤りの念をぶつけるということが文章の目的なら、目的は果たされていると思います。私からみると、論理性云々という方が表面的な話に思えます。むろん筋が通った文章に越したことはないので、徳保さんの指摘は有益なことです。しかし、こゆさんの事情を考慮に入れてないように見える徳保さんの反論もまた私には首をひねるものです。
>もし初手が正しいとすれば、なんて話には興味ないし、つきあいきれません。
それは残念。
それなら、それ以外の話で私の立場をまとめると、
1.徳保さんの文章はこゆさんを皮肉る箇所があり、疑問に思う。
2.こゆさんの文章が書かれた経緯を考えると、徳保さんの指摘は枝葉の部分に対してなされていると考える。
私が徳保さんにいいたいことは「徳保さんの話の筋は通っているけど、痴漢されたわけだから、痴漢に対して文句をつけたっていいじゃないか!討論番組は実はあんまり関係ないんじゃないの?」ってことです。メールで絡まれ、相手サイトで祭りになったり、しつこく愚痴られたり、痴漢に遭ったり、そういう嫌なことに対して愚痴るくらいはよいと思うのですよ。相手のサイトを荒らすとか、繰り返し同じことを愚痴るとか、痴漢に怪我をさせるとかじゃないのだから。それを「不幸自慢」とか、「電波」だとか、「自分の無防備を正当化している」とか、言い過ぎじゃないかと思います。何が徳保さんをここまでいわせるのだろう?
(補足)
私がこゆさんの文章に痴漢への憤りをみるのは元々こゆさんが文章を書いた動機が痴漢に遭ったことだったというのが大きいです。他にも色々指摘できる箇所はあるけど、徳保さんの興味のない範疇の話なので略します。
私はムッとしたから、わざわざ反論を考えていろいろ書いたんであって、ムッとしなければ「よくある意見」に過ぎないのでスルーするだけです。私だって自分と違う意見に対して全部反論するほど暇ではないので、読んでいてとくにイライラさせられたもの、ムッとしたものについてだけ反論を書くわけです。
まあ、ムッとするかどうかは私の気分次第でもあり、必ずしも暴論の程度と私の怒り具合は対応しないので、「なんでこの程度の記事に怒るんだ?あっちの記事の方がどうみてもひどいのに」と自分でも驚く場合が少なくありません。
といった話はともかくとして、愚痴くらい自由にいわせておけ、みたいな意見は多いのですが、愚痴に怒るのも反論するのも自由だと思います。私だってWWWにある無数の愚痴のごく一部にしか怒らないし、反論もしません。私は自分の興味の範囲内であれこれ書いているだけです。多くの人は「愚痴には決して反論しない」のが正しいかのような物言いをなさいますが、愚痴に共感する意見はしばしばあるわけで、そういうのはヘンだなあと思いますね。賛成だけが許されるというのは、おかしな話です。
ところで、こゆさんの「事情」の件ですが、内閣の調査では女性の痴漢被害の経験率は60%だそうです。たいていの女性が痴漢の被害にあったことがある。むしろ私はそれを踏まえて書いています。これほど痴漢被害は身近な問題なのだから、理想論(服装によらず被害者はていねいに扱われるべき)ばかりいっていてもしょうがない、と。
それから、討論番組はたしかに枝葉なのでしょうが、つまらない形で引き合いに出されて「はっ?」とかいわれてしまう「おっさん」をかわいそうだという人はいないのでしょうか。討論番組が枝葉なら、そもそも枝葉を持ち出したのはこゆさんです。そして私はその枝葉の扱われようにムッとしたわけです。だから私の反論は枝葉の部分に集中している。だから話の筋は通っているというか、私はそもそもたいよーさんの指摘されているこゆさんの話の本筋は相手にするつもりがないわけです。
他のテキストへの言及について。日記の更新でムッとしたので、他のテキストにもいちいち反論したくなったということです。でもひとつだけ、共感したものがあって、備忘録の更新ではそれを一番上の記事で紹介しました。
>愚痴くらい自由にいわせておけ、みたいな意見は多いのですが、愚痴に怒るのも反論するのも自由だと思います。
もちろん自由です。しかし、感情にまかせて書いた文章に「論理的に矛盾がある」と指摘するのは容易いことです。矛盾を指摘するだけなら、まだしも徳保さんは皮肉まで言っている。そのように相手を過剰に攻撃するからにはそれなりの反発があることは覚悟すべきではないですか?こゆさんのテキストを5つ文中リンクし、そのうち4つは批判意見のみ。皮肉つきで。ひどいと思うけどなあ。「こゆさんのテキストが愚痴であると認識していることを明記する」あるいは「皮肉を言わない」のいずれかがなされていれば私は何も言わなかったでしょう。そうでない以上、徳保さんは「こゆさんのテキストが愚痴であることをきちんと認識していないのではないか、だから厳しく批判するのではないか」と考えるのも私にとっては自然なことだったのです。しかし、愚痴に対しても怒るのも反論するのも自由というのが徳保さんの立場というのはわかりました。
>賛成だけが許されるというのは、おかしな話です。
許す許さないの問題ではなく、「勝つとわかりきっている勝負に勝って相手をいたぶるのはしのびない」、というある種の美学の問題です。また、平常の精神状態であれば決して書かれることのない種類の文章であり、感情をじかに伝わる種類の文章だと考えているからです。そもそも論理的ではないものに理屈を求めても仕方なかろうと。念のため言いますが、異論のある箇所を指摘し、正すのはよいと思うのですが、「叩く」のは野暮だと思うのです。野暮を承知でやるのもいいですが、周りから「野暮だね」といわれることは覚悟して欲しいと思います。
>つまらない形で引き合いに出されて「はっ?」とかいわれてしまう「おっさん」をかわいそうだという人はいないのでしょうか。
ところで、討論番組では加害者側の非、被害者側の非、加害者が悪いのは議論の前提条件であることが全体としてバランスよく論じられます。しかし、意見を述べる個々の人をみると、加害者側の非しか述べない人、被害者側の非しか述べない人などバランスの偏った人がいます。中には敢えて露悪的に言ってギャラリーからブーイングされる人も居ます。しかし、出演料をもらっている立場にたって考えると、ブーイングを浴びて目立つことは重要です。無難な意見ばかり述べる人ばかりいてはテレビとしてつまらないから。「おっさん」にしても個人的に話をするときにそんな態度はとらないだろうし、ブーイングを浴びることはむしろ「おいしい」ことなのです。「おっさん」はそのような誤解を受けるのは十分わかっていて、むしろある程度誤解を生む発言をわざとしているのです。「おっさん」が誤解を受けるのは仕事上のリスクであり、背負うべきものなのです。だから、こゆさんが誤解したのもある意味当然のこと。もちろん徳保さんがこゆさんの誤解を正したのは有益だったと思います。やり方には異論がありましたが。
後、こゆさんの事情と「本筋と枝葉」の件についての徳保さんなりの立場は理解できました。
もちろん「野暮だね」というのはみなさんの自由なので、どんどんいえばいいんじゃないですか。私はそれに反論したければするし、面倒になれば放置するし、目障りだと思えば(可能ならば)消してしまうこともありえます。
また私の書き方はどぎついので、おとなしく書くより反発があるのも当然でしょう。
>私はそれに反論したければするし、面倒になれば放置するし、目障りだと思えば(可能ならば)消してしまうこともありえます。
了解しました。もし放置されたり、消されてしまえば悲しく思うでしょうが、催促したり、徳保さんに抗議のメールを送りつけるようなことはしませんよ。徳保さんをわずらわせるのは本意で無いので。
ところでムッとするのは自由だけど、それは相手に関係ない、個人的事情で客観性もないわけだから、ある程度表現上配慮したら?というのはやっぱりダメですかね?←しつこい!
まあ、レスは期待しないことにします。(笑)
>私としては、可能性があってもなくてもいい話です。
「いかがですか」というから答えたのになあ。「検査しました。もう大丈夫です。」のくだりについては続いて「感染者は出ていないので、潜伏期間を過ぎれば安全宣言を出せます」とか、そういう言葉が出てくるのかな、と思っておりました。それを補強する根拠を示す事はできません。でも、それも私の勝手な解釈ですね。正直、わかりません。それ以上は重低音さんに聞くしかないですね。
私の意図がうまく伝わらなかったようで、申し訳ない。疑問形だからといって答えを求めているというわけではないのです。しかしこれは私の文章の問題です。
気になった点を指摘したいと思います。
>それでも知事は会見で何かいわざるをえないわけで、なるべく早期に安全宣言を出せるようにしたい、という発言となるのです。
ご存知のことと思いますが、安全宣言を出すための判断基準は最大潜伏期間10日間を過ぎたかどうかという点にあります。早期に安全宣言を出したいと思っても、基本的には潜伏期間を過ぎるのを待つしかない。だから、待っていることしかできない行政側が努力して期間がどうなるものではないし、その意味で安全宣言を早期に云々といった発言はそもそもおかしいといえます。本件の安全宣言は安全だと判断できるから出すべきもので、判断材料がそろっていたのに行動を起こさないという、遅れはありえても、早くするというのは言葉が過ぎるというものでしょう。
知事が会見で何かをいわざるを得ないとするなら、このまま感染者が出なければいついつまでに安全宣言を出すことができるという旨を話せばいいのです。
「早期に」という言葉は早くこの問題を片付けたいという大阪府の本音であり、それが思わず会見上の言葉として出てしまったというところではないでしょうか?該当記事を読みましたが、「早期云々」は全体の趣旨とは関係なかったし。
言いがかりというか、大阪府のボケに対してツッコミを入れるというところかと。
該当する産経の記事は以下の通り。
http://www.sankei.co.jp/news/030520/evening/e21nat002.htm
10日で安全宣言が出せるのは、十分な調査と消毒の徹底が前提となります。SARSに感染しても、当人が検査を受けなければその存在は世に知られません。とくに初期症状は静かに現れるために、SARSかどうかの判断には当人が病院へ向かうまでの1〜2日、検査体制の整った病院で検査が行われ、結果が出るまでに1〜2日かかります。こうした隠れ感染者の問題がありますから、例えばベトナムが制圧宣言を出すまでには、最後の感染者出現から約1ヶ月の猶予を必要としました。
つまり、大阪府のいう早期というのは、最短の10日間で安全宣言を出したいということなのです。現時点で感染拡大が「ない」ということを証明し、現場の徹底消毒によって今後新たな感染拡大も「ない」と証明すること、以上2点を保証しなければ、最短10日での安全宣言は不可能なのです。何もせずにボーっと待っているのでは、1年経っても安全宣言は出せません。
行政には待つことしかできない、というのは大いなる誤解なのです。
>行政には待つことしかできない、というのは大いなる誤解なのです。
これは徳保さんの誤解ですよ。私の文章は20日の産経を踏まえて書かれています。
>これまで、医師が利用した施設に対して消毒や従業員らの健康調査が行われ、現時点で必要な措置はほぼ終了。感染の「疑い例」は見つかっていない。
つまり、20日の時点ではやることはやってしまって基本的に大阪府には待つしかなかったわけです。言葉たらずは認めますが、自明だと思っていた点をつかれて落胆しております。いくらなんでも何もせずにボーッと待っているしかないと私が思っていると解釈されるとは…ため息です。わざわざ「基本的に」と断わりを入れ、該当記事をリンクして議論の前提を設定したのになあ。
>大阪府のいう早期というのは、最短の10日間で安全宣言を出したいということなのです。
これについてもそれはそうなんでしょうが、「基本的に」待つしかない身でそれを言うのは滑稽だし、いうべきでないと言っているのですよ。知事の全体の主旨に異論が有る訳ではないということも念のため書いておきます。私が言いたかったのは次のような事です。徳保さんはいいがかり呼ばわりしているけど、表現としておかしく感じてそれを笑い者にしているだけ。漢字の読み間違えとか、読んでてつっかえたりするのを笑っているのと同じ。それだけのことに過ぎないのになあ。ということです。大いなる誤解は勘弁してほしいです。
なるほど、それで21日付で記事が書かれたわけですか。大阪府知事が「早期に」といったのは、施設名公表の段階だったと思っていたわけですが、それは勘違いですか。新聞記事の方には20日の会見で「早期に」という発言があったという記述はないのですが。「早期に」発言が施設名公表の段階ならば、別段おかしくはないと思いますがいかがですか。
ところで、これは今気づいたことですが、20日の段階では利用者方面に闇が広がっていました。つまり、当面できることは全部やったとはいえ、いつ利用者方面から感染者が出るかわからなかったといえます。利用者には検査を受けることが勧められましたが、みんなちゃんと検査を受けることなど望むべくもありません。
大阪府が、各施設の安全宣言という表現にとどめたのは、賢いと思いますね。大阪府全域での安全宣言なんて、おいそれと出せるものではありません。
あと、これは正直いって感覚の問題でしょうが、私はそもそも「早期に」といってもいいんじゃないかと思います。検査も消毒も完璧にやるなんてことはできないわけで、
> 大阪知事は、会見の初っ端に「検査しました。もう大丈夫です。」と言うべきでした。
という「重低音」の記述の方がよっぽどおかしい。検査したから大丈夫といえないから10日待つわけですよ。無事に10日たつことを願う気持ちが「早期に」と出たのだとすれば、むしろそれには共感できるというのが私の感覚。あと、現時点でできることはすべてやりました、という話は会見の中でちゃんと発表されているわけで、むしろ問題はマスコミの取り上げ方、会見の要約の仕方にあるんじゃないですかね。
>> 大阪知事は、会見の初っ端に「検査しました。もう大丈夫です。」と言うべきでした。
>という「重低音」の記述の方がよっぽどおかしい。検査したから大丈夫といえないから10日待つわけですよ。
よっぽどかどうかは別にして確かにおかしい記述でしたね。
>あと、現時点でできることはすべてやりました、という話は会見の中でちゃんと発表されているわけで、むしろ問題はマスコミの取り上げ方、会見の要約の仕方にあるんじゃないですかね。
なるほど、重低音さんのソースがなんなのかわかりませんが、会見をちゃんと聞けば私の感想も変わるかもしれませんね。
>「早期に」発言が施設名公表の段階ならば、別段おかしくはないと思いますがいかがですか。
重低音での該当テキストは21日付で書かれたものです。徳保さんの考えはどうあれ、私はその可能性は無いと思っているとだけ申し上げます。
私としては、可能性があってもなくてもいい話です。私はてっきりたいよーさんは重低音の管理人さんなのかと思っていましたが、そうではないのですね。とすると、たいよーさんの提示された記事の内容なども重低音の方はご存じなかったんじゃないかという気さえしてきます。
> 大阪知事は、会見の初っ端に「検査しました。もう大丈夫です。」と言うべきでした。
という記述がその根拠。これはあまりにもヘン。
どうも、ご無沙汰してます。
向山洋一 さん(?)の本ってのは、大学時代に授業(なんとか教育方法とかの類の授業)でけっこう読まされたんですけど、「クラス全員跳び箱が飛べるようにさせる指導」のを1時間くらいでやってたのって、向山洋一さんでしたっけ?
気になって眠れないので、徳保さん覚えてたら教えてください。
跳び箱は、向山さんの一番有名な教育実践です。よくご存じですね〜。ところで、たいていの大学では向山さんに批判的らしいのですが、しろくまさんのところではそうではなかったのでしょうか。私の出身大学では、向山さんが授業を持っていたのですが、それでも反向山の先生が少なくなかったと記憶しています。
向山さんの教育実践は凄いのですが、いかんせん向山さんのキャラクターのアクが強すぎて、敵ばっかり多いのは残念なことです。学生運動にはまった方(なのに左翼方面に向かわなかったのだからよくわからない)だけに……。
お、やっぱり跳び箱!そうでしたか。徳保さん流石ですね。
実は私、相当な運動音痴で、縦に置いてある跳び箱は
とうとう中学卒業まで一度も飛べたことがありませんでした。
(ついでに逆上がりもできませんでした)なもんで、
大学で向山さんの本を読むって時に「私もこの先生に出会っていれば
跳べたのだろうか」と思ってワクワクしたのですが・・・・・。
あんまりはっきり覚えてないんですが、本に書いてあった指導法は
けっこう私も教わる側で経験してきたやり方だったので
「こんなんウソだぁ、私はこれでも跳べなかったぞ!」と、授業(毎回、課題図書を読んできて
討論する、という形式)で大騒ぎしたような気がします。
でもま、今になって思うのは、私が跳べなかったのは、心因的なものが
大きかっただろうと。そんで、そのあたりのメンタル面をうまく
誘導してくれる教師がいたんならよかったのかなと思います。
もう、私の運動音痴はすごいもので、バレーボールのサーブがろくに出来ないまま
高校2年になったのですが、普通体育教師は私とは折り合いが悪いのに
高校2年時の体育教師が、3つの高校の合同ディベート大会に出た
私を「おめ、オモロイな、俺ぁ、一生忘れん」(茨城弁)と
わりと私を気に入ってくれて、その教師がひとつだけアドバイスをくれたら、
次の瞬間から難なくサーブもできるようになっちゃいました。
まあ、何が言いたいのかというと、教育ってオモロイもんだなあ、などと。もう引退したので
アレですが・・・・。
因みに大学のその授業ではわりと向山支持派が多かったですね。私が珍しく、一年間真面目に通った授業です。木曜の朝でした。大抵二日酔いで、でも勢いよく討論に参加してたので、後輩や教授には印象強かったようです。
教育技術法則化運動の起点は跳び箱実践です。どんな教師でも、たった2つのポイントからなる指導法を知るだけで子どもを跳ばせられるようになる、という事実を引っさげて、向山氏は教育技術の法則化の重要性を提起しました。「跳び箱を跳ばせる方法が教師の常識とならなかったのはなぜか」と。かつて島小には校長の斉藤喜博氏の教員指導のもと、跳び箱を跳ばせることのできる教師が大勢いたといわれます。ところが、斎藤氏らはこれについて「教育の本質を知る教師なら可能なことだ」というばかりで、跳び箱指導法をついに公開しませんでした。向山氏は自身の指導法公開により、全国から新米の未熟な教師でも跳び箱指導に成功できたというデータを集め、教育技術は法則化し、公開されるべきだとの主張を展開することになります。
ところが、結果的にはこれは十分にうまくいくことがありませんでした。なぜか。
1.先行実践を忠実に追試せず、我流を織り交ぜる教師が後を絶たない。
2.逆に杓子定規に追試するものだから実態にそぐわない。
3.結局、法則化された教育技術の利用にも、教師の技量次第が深くかかわってくる。
で、滅多やたらな法則化をやめて、成功した教師である向山氏の授業をじっくり研究していこうということになりました。とりあえず、多くの教育技術を知っているに越したことはないのですが、使いこなすのはそう簡単ではないぞ、と。跳び箱指導もそうなんで、あれはかなり簡単なものなのでちゃんとやればうまくいきますけれども、どうでもいいところに我流を混ぜる教師はそれでもうまくいきません。
それからもちろん、メンタル面のケアも教師の技量のうちですよね。まあ、あれですよ。大学にも跳び箱はあると思うので、授業中でも放課後でもいいんですが、向山支持派は実践で授業をやってみたらいいんです。向山氏は口先ペラペラで相手をいいくるめて、実践結果をないがしろにする教育界を痛烈に批判した人でもあるわけで。「いや、それで跳べるようにはならなかった」という人がいたら「じゃあ、俺が跳ばしちゃる」と。
とくに難しい、まずふつうの教師には不可能といわれるのが、討論の授業の実践です。やってみればわかりますが、さあ討論しましょう、なんていきなりいっても全然ダメですね。一部の賢い生徒だけが参加する授業になってしまいます。学力選抜される高校以上ならともかく、義務教育の公立小中学校で討論の授業を実践するのは名人芸なんです。
とか書いていたら、出勤時刻なんでもうこの辺で。はてなアンテナは嫌ですよね、更新時刻を1〜2時間後ろへずらすものだから、あたかも私が出勤してから更新してるみたいなことになっていて。あれはどうにかならないんですかねー。
気になった点その2。
「痴漢の言い訳」を受けての徳保さんの文章はこゆさんと全くかみ合ってないように思います。こゆさんの文章は私憤であると述べているように感情にまかせて描かれているため文章の構成上問題があり、そこのところを徳保さんが誤解したのではないかと思うのですが。(私はそういう文章を直した方がいいといいたいのではありません。読み手はそこのところをしっかり踏まえる必要があるといいたいのです。)
題名が「痴漢の言い訳」であることからわかるように、この文章は痴漢に遭って腹を立てた、こゆさんが討論番組などの意見から彼女が推測した痴漢の言い分を論破するという内容です。従って、こゆさんは最初から「悪者自身が自分を正当化する話」に対して反論することを目的としているのであり、「悪者を正当化する話ではない」という徳保さんとはそもそもかみ合っていないことになります。徳保さんの例えでいうなら、イラクが「クウェートはスキがあるから攻撃したんだ、俺は悪くない」と言うのをクウェートが批判したというのがこゆさんの話でしょう。
>当たり前ですが、わざわざ危ない格好をしている必要もないだろうと思う人がたくさんいるのも当然のことなのです。
ちなみに痴漢がターゲットにするのは「おとなしそうな人」だそうで、また、その対策もピーク時を避けるとか、普通列車にするとか、ドア付近に寄らないとか、そういうことだそうです。危ない服装をすることと痴漢に遭遇することってどれくらい相関があるのでしょうか?痴漢に関する限り、服装について批判することは少ない可能性について論じているだけで痴漢予防の根本的議論にはなりえないように思えます。そういう意味ではこゆさんの意見も痴漢の実態に関係の無い話ではあるのですが。
私の知る限り、討論番組で「痴漢を正当化」する意見は出ません。痴漢は悪いに決まっている、というのが常に話の前提となっています。出てくるのは、被害者に同情が集まるのはどういうケースか、という話なのです。「チャラい格好をしていた人が被害にあっても仕方ない。自ら犯罪を引き寄せているんだからね(でももちろん、犯人は逮捕するべきですよ、それは当然です)」というように。括弧の中は言葉にされませんが、それは議論の前提条件だから、あえて繰り返されないというだけの話に過ぎません。つまり、「痴漢の言い訳」という感想を持ったこと自体が、こゆさんの勘違い、思い込みであるという点を、まず押さえていただきたい。
その上で、討論番組などで「チャラい格好をしている人には同情しがたい」という意見が出るのは、故あることだ、と書いているのです。こゆさんが怒っても、討論番組からその手の意見はなくならない、と。
最後に。服装と被害確率の相関は不明です。こういうことは統計を取らなければなんともいえません。つまり、私はこう思うという話をしても、あんまり説得力を持たないということです。ただ、とりあえず服装次第で世間の見る目が違ってくるのだから、同情されやすい格好をしておいた方が得だと私は思います。これは痴漢ではなくて世間の問題なので、痴漢に対して怒っても仕方ないことです。
実際には、たいよーさんがおっしゃるように、ピーク時を避けるといったことが痴漢そのものの被害を避けるための対策になるのでしょう。しかしピーク時に電車に乗ったので痴漢に遭いました、という話に同情しない人はまずいません。みな、乗らざるをえない事情を推察するからです。チャラい格好をせざるをえない事情については理解されませんが、ドア付近に寄らざるをえないとか、普通列車に乗らざるをえないとか、そういった事情には社会の理解があります。したがって、それらの要件が重なって痴漢の被害にあったとしても、たいていの方が同情してくれるわけです。
こゆさんが当該の記事で怒っているのは、記事タイトルが「痴漢の言い訳」となっているのは勘違いであると喝破すれば、そのじつ、世間様の反応であることは容易に読み取れます。チャラい格好は世間の目が冷たいのです。それが現実です。服装なんて、被害確率には関係ないかもしれませんよ。でも、現に世間様の目はそうなっていて、これは簡単には覆せないのです。だから私は、逆にそれを利用して、世間の同情を集めやすいよう注意して行動した方がいいと述べているのです。対策のやり方は明らかなのに、それをせずにわざわざチャラい格好をしておきながら、「なぜ世間の目は冷たいんだ?」といってもしょうがないのです。
私が徳保さんの解釈に疑問を抱いたのは次のような点からです。末尾の文章の
>ごちゃごちゃ語って自分の犯罪を正当化させようとしないで、とっとと常識身につけてね。と涙を浮かべつつ笑顔で言ってやりたい・・・。
これは痴漢に対して言っているのですよ。
また、
>TVの似非討論番組で「露出度の高い姿で電車に乗ってくる女も悪い。 被害者側にも非がある。」と言われると「はぁ?」と言ってしまいますよ。
こゆさん自身、上のように書いていて「被害者側にも非がある」というのですから、こゆさん自身が討論番組では「加害者側にも非があるのは自明」としていることに気付いていたでしょう。
繰り返しになりますが、痴漢の言い分という題名からも討論番組とは関係ないことを示していると思います。
>「痴漢の言い訳」という感想を持ったこと自体が、こゆさんの勘違い、思い込みであるという点を、まず押さえていただきたい。
これについてはどうですかね。討論番組の被害者批判の部分を痴漢の言い分として採用してもそれほどおかしくはないと思いますが。むしろ討論番組での批判意見自体を痴漢の言い分として採用した事を、徳保さんが勝手に「こゆさんが加害者の非を前提としている事を無視し、悪人を正当化する意見が番組にあると考えているとみなし、その意見が痴漢の言い分であるという感想を持った」としたのは、徳保さんの勘違いではないでしょうか。上の引用でも触れましたが、こゆさんは討論番組では加害者にも非があると考えている節があるのになんでそれを無視するのですか?こゆさんは女性ですから、徳保さんにいわれるまでもなく、世間の目くらい分かっていると思うけどな。
> これは痴漢に対して言っているのですよ。
いや、何もいっていない痴漢が、なんで討論番組に出てきた人の言葉に対する反論を受けなければならないのでしょう?討論番組に出てきた人がいっているのは、世間の痴漢事件に対する見方のひとつです。
一方の非を述べることは、他方の正当化につながるわけではない、という点にご注意ください。ここが重要です。どれほど被害者の非をあげつらっても痴漢は正当化されません。討論番組における某氏の発言は、痴漢を正当化するものではないが、しかし被害者にも非があるという世間の見方を示しています。そこがわかっていない(痴漢を正当化していると勘違いしている)から、おかしな発言につながってくるのだろうと思います。
>いや、何もいっていない痴漢が、なんで討論番組に出てきた人の言葉に対する反論を受けなければならないのでしょう?
それはこゆさんが討論番組の批判意見を痴漢の言い分だと考えているからでしょう。
番組の批判意見を痴漢を正当化していると勘違いしているという徳保さんの主張はわかりました。では、逆に徳保さんにお聞きしたいのは勘違いの上で意見を痴漢の言い分として採用したという事実を無視して、それ以降に書かれたこゆさんの文章を痴漢の言い分に対するものとせずに、あくまで世間の目に対する反論だとしてどうして採用できるのですか?こゆさんが番組の批判意見に反論するつもりでいたなら、別の議論の展開をしたかもしれませんよ。
つまり、意見を番組の批判的意見とするか、痴漢の言い分とするか、あるいは「番組の意見に被害者にも非があるとあった」というように自分の文章に書いておきながら、加害者にも非があることを認識できないで、悪人を正当化する意見として受け取っているかで議論の展開は異なります。犯罪者が被害者を批判しているのか、周りが被害者を批判しているのか、といった立場によっても異なりますし。徳保さんがそれらを考慮していないのは問題だと思います。ダブルスタンダードを許容する人だということは知っていますが、それを許容しない人間も多いことをご理解ください。(別の意味で私もダブルスタンダードなのかもしれません)
だから、あくまで勘違いでその勘違いが問題だと徳保さんは言いますが、その主張自体が徳保さんがこゆさんの文章を世間の目に対する反論としてとったため起こっただけで、そのように解釈しないのなら勘違いは勘違いとして受け取ってどうしていけないのかと思うわけです。私の考えでは痴漢の常習者は別として衝動的な痴漢の言い分としてはありそう、ただし、痴漢自身がそれをもって自分自身を正当化しているのかというとそうでもない気がする。悪いと知りつつ思わずやってしまったというような……まあ、痴漢の考えることは私にはわかりません。わからない以上、ひとまずそれを痴漢の言い分というか、自分自身を正当化した言い分として正しいと仮定すると、こゆさんの論旨も受け入れることが出来ると思うのですよ。
>一方の非を述べることは、他方の正当化につながるわけではない、という点にもご注意ください。それでも痴漢が悪いに決まっている、という前提がある以上、どれほど被害者の非をあげつらっても痴漢は正当化されません。
そのとおりですよね。だからこそ、
>悪党を責めるばかりで、自分の無防備を正当化するのはどうかと思います。
という文章が納得いかないのですよ。こゆさん、自分の無防備を正当化してます?具体的な部分をご指摘ください。悪党を責めているのは文章から読み取れたのですが、そんな記述なかったように思いますが。それとも一方の非を述べることが他方の正当化につながることを、こゆさんが是としていると思ってるからですか?ちなみに「番組の意見に被害者にも非があるとあった」というように自分の文章に書いておきながら、加害者にも非があることを認識できないでいるほど、こゆさんが愚かだとはとても思えないので、悪人を正当化していると勘違い云々という考えには私は同意できません。
で、これは感想ですが、こゆさんも露出の多い服を着ている女性も世間の目をわかってないわけではないと思うし、危ない服装は避けた方が無難だということもわかっているとは思うのですよ。じゃあ、どうして討論番組の意見を「はっ?」と受け取るのかといえば、「おっさん」が被害者を「悪い」というからむかつくのであって「よく痴漢に遭う女性」が被害者に露出を抑えた服に「した方がいいよ」といえば実際にそうするかは別として意見としてはそれなりに受け入れられると思うのですよ。彼女なり、カミサンなりの愚痴を分析して理路整然と対応策を述べても、女の人の満足って得られないでしょう。逆にさらに相手を怒らせることになったりして。長い長い愚痴を聞いてあげて、その苦労をねぎらいつつ、こうした方がいいかもというふうにアドバイスすれば結構意見というのは通りやすいものです。だから、こゆさんがある意見に対してむかついているということがその意見を否定するということを意味してはいないと思うのです。その辺の解釈が徳保さんと違うのだと思う。
しかし、痴漢に毎日遭うわけでもないのに痴漢に対処するだけのために女性のファッションをかえるという話も結構むちゃくちゃだと思うなあ。徳保さんもあんまり実際的じゃないと思っているんじゃないですか?
最後の論点について。私は、みなリスクとうまく付き合ってほしいと思っています。降水確率30%……傘を持っていくか→雨降らない→なんでだよ!といって怒るのはヘン。降水確率はあくまでも30%なのだから。予想通りの事態なのに、「なぜ?」をカマトトぶられても困る。どんなファッションでも勝手だけれど、世間の目が厳しいとわかっている服装を選択するからには、リスクも背負うべきなのです。リスクなしで自由だけ拡大というムシのいい話はありません。私がいいたいのは、そういうことなんですよ。
感想について。私がいちいちこゆさんの意見に反論したのは、「はっ?」という書き方にムッとしたからです。たいよーさんが想像するように、こゆさんがいろいろな考え方についてわかっていながらそう書いたのなら、なおのこと見過ごせませんね。私は、こゆさんの書きように怒ったから反論を試みたのです。愚痴を書くにも書きようがあるんじゃないですか。まあ私のような変人に反論されるというリスクを気にしないならともかく。
勘違い(?)について。私が指摘したいことの第一は「見当違い」そのものです。その指摘を起点として、こゆさんの意見をひっくり返してみせる、というのが今回の私の話の組み立てなのです。初手が違っているから続きも全部ダメだ、と。もし初手が正しいとすれば、なんて話には興味ないし、つきあいきれません。
こんにちは。20日の備忘録についてです。
法に訴えることは、合法なのですが、何々しないと訴えるなどと言うと強要罪になることもあるそうです。
だから、訴えると言ったせいで、訴えられることも無いとも言えないわけですね。
「訴えるぞ」という人のほとんどは訴えないので、しかもそのことは容易に推測されるので、「訴えるぞ」といった人が強要罪に問われることはほとんどないでしょう。「ないとはいえない」という程度の話にもかかわらず、「訴えるぞ」という人に対して安易にそうした話を持ち出して反論される方が少なくないことには驚かされます。安易に「訴えるぞ」という方への皮肉ならわかりますが、けっこう本気でそういうことをおっしゃっているようなので、私はこっそり「同じ穴の狢」とつぶやきます。
豺狼の路について言及して下さいませんか。
あの数々の批評についてご意見伺いたいです。
少しだけ、感想を書きました。けれども期待外れかもしれませんね。私は「豺狼の路」を楽しく読んでいますが、とくにこれといって意見したいことはありません。
もう少し、具体的にお題を出していただければ、何か書けるかもしれません。「豺狼の路」のいついつの記事にこういう記述があるが、徳保はこれに賛成か反対か。その理由も含めて解説してほしい、というような感じで。
徳保さん、初めまして。
「熱く焼けた鉄板の上で」というHPの管理人のまがみと申します。
「サイト評価」のページでリンクしていただいていましたが、
HPにかける時間が確実に取れなくなったことから
正式に更新停止としましたので、
リンクの取り消しをお願いにあがりました。
(載せていただいていたのに報告が遅れて申し訳ありません)
このページから来ていただいた方も多く、感謝しています。短い間でしたが、本当にありがとうございました。
徳保さんの今後の活躍を楽しみにしています。
最近では「夢、覚えていますか」の感想など、たいへん興味深く拝見した記憶がございます。一風変わった、独特なサイト批評系コンテンツとして独自の地位を築いていらしただけに、更新停止は残念です。これまで、いろいろ楽しませていただきました。こちらこそ、これまで本当にどうもありがとうございました。
リンク集は、更新いたしました。
こんばんは、ご無沙汰しております。
先日、メールでお伝えさせて頂いたように、批評専門サイトを設立致しました。
そのお知らせに来ました。
よろしくお願いします。
遅くなりましたが、リンク集に追加させていただきました。
楽しくサイト運営を継続されることを願っております。