悲惨な事件だったとしかいいようがありません。被害にあった方々のご冥福とご快癒をお祈りいたします。
この事件後、例によっていろいろな人が叩かれました。そうした中でも特に気になったのは、担任の先生方を責める意見でした。私は某掲示板で反論を試みました。以下は発言を順番に並べたものです。
2001/06/09(土) 03:26
先生に子どもを守る責任があったろうけど、ちゃんと責務は果たしたと思う。先生がいなかったら、もっと被害は拡大してたよ。
犯人を目の前にしながら警察へ第一報を入れた岩崎先生、子どもたちを守って倒れた先生、生徒を逃がすことに成功した先生、取り押さえた河上先生と副校長、みんな全力で職責を果たしたと思います。私は、先生の偉さを、この事件でむしろ再認識させられました。
2001/06/09(土) 12:13
先生方はよく頑張ったと思います。先生のいたクラスといなかったクラスの死者数を比べたらよくわかるよ。
2年東組は授業中に宅間が侵入。佐藤先生の素早い「逃げろ」の指示と椅子を投げての応戦が効いて死者なし。
2年西組は授業と休み時間の境目に宅間が侵入。岩崎先生とっさの「逃げなさい」と即座の110番通報で死者2名。
2年南組は休み時間に宅間が侵入。花壇にいた河上先生が教室に到着したときには最悪の5名が死亡。
河上先生が、額に切り傷を受けても宅間に立ち向かった勇気の源泉には、一つはこの教室に到着したときの衝撃もあったと思う。
1年東組と西組は教師の避難誘導が素早く、宅間侵入せず。片方は体育をやっていたが、危険を知って教室に帰さなかったらしい。
1年南組は音楽室から数人が帰ってきたところで宅間が侵入。先生は別の教室で背中を刺され重傷。逃げ遅れた児童1名が死亡。
このように、先生が教室にいたクラスは児童の死亡率が低いのです。みなさん、全力を尽くしてよく頑張ったと思います。
2001/06/09(土) 15:02
所々「逃げた先生」が話題になっていますが、不正確な議論だと思います。2年南組で死者が多かったのは、休み時間で担任がおらず「逃げろ」という大人がいなかったことが一因です。とにかく生徒を逃がすのが早かった、1年東組では負傷者すらほぼなし、2年東組もよく逃げて死者なしです。
子どもはまだ判断能力が弱く、大人の指示を必要とするのだと思います。2年西組担任岩崎先生や1年東組・西組担任は軽症で、格闘にこそ加わっていませんが、避難誘導をしていたそうです。
そうした意味で、担任の田辺先生が先に倒れた1年南組が避難し遅れ、音楽室帰りの児童1名が亡くなったのは、批判されるかもしれません。ただ2年東組の佐藤先生とともに宅間を追い、組み付いた田辺先生が、子どもが帰る前に阻止しようと一所懸命だったことは理解できます。それだけに、避難誘導を担当した先生にとって痛恨事といえます。
2001/06/09(土) 15:03
担任のいない2年南組の避難誘導が遅れたのは、2年東組・西組担任の怠慢だという意見がありましたが、時間を考えてそれは無理だったのではないかと思います。自分のクラスから宅間を撃退し、子どもたちを逃がし、通報する、ここまでやる間に、宅間は南組へ入ったわけですから……。
2年東組担任の佐藤先生は、前時が専科の音楽で空いていた1年南組担任の田辺先生とともに、すぐに宅間を追って怪我しました。(田辺先生は重傷)
2年西組担任の岩崎先生は、各種の避難誘導をしていたそうです。ここで制圧できず結局1年南組で花壇から駆け戻った2年南組担任河上先生と駆けつけた副校長が宅間を止めますが、この流れは責められません。
2001/06/09(土) 15:03
宅間が侵入したとき、教室にいなかったのは2年南組の河上先生と、1年南組の田辺先生です。しかし河上先生は宅間を制圧し、田辺先生は重傷を負いました。それで何か許されるとは先生方ご自身は全く思っていらっしゃらないでしょう。ただ、周囲はもうこれ以上、辞任せよとかいうべきではないと、私は思います。(きっと辞意を表明しても父母会が引き止めるでしょうが)
2001/06/09(土) 15:04
制圧に十数分かかったとはいえ、その相当分が先生との格闘です。先生の受傷率が生徒の受傷率と比べ非常に高いことは留意すべきだし、短い時間にやるべきことをよくやったといえるのではないでしょうか。結果論からいえば、最後の段階で殺された1年生は過失といえますが、それを責めるのはいささか酷だと思います。
先生に子どもを守る責任はありました。そして、みんな真剣に責任を果たしましたよね? 立ち向かった先生はもちろん偉い。そして手際のいい避難誘導で教室・廊下以外での死者を出さなかった先生も偉いんです。
他に、もっと評価されていいと思うのは1年東組と西組の担任。東組担任の避難誘導は非常に素早く、怪我した児童すらわずか。体育やってた西組担任の「教室へ帰らせない」判断も凄い。立ち向かった先生だけでは被害者はここまで減りません。逃げたとかいわれている先生も頑張ったと思います。
終わりに:
今回の事件では学校の警備問題がクローズアップされました。けれども広大な小学校の敷地を常時見張るのは容易ではありません。おそらく父母会・町内会の奉仕活動以外に対策はないと思います。私自身、少しでも今回の事件を何かいい方向に活かしたいと思います。 悲惨な事件だったとしかいいようがありません。被害にあった方々のご冥福とご快癒をお祈りいたします。[2001/06/18(Mon) 23:05]
朝、気持ちよく自転車をこいで駅に到着。
そして突然、不安になる経験、みなさんにはありませんか?
「あれ? いつ交差点を通ったんだっけ?」
自分の行動を忘れてしまうのって怖いですよね。私も気になった時期がありました。しばらくの間、駅に着くたびに途中の信号3つが青だったか赤だったか思い出す訓練をしたものです。そんな簡単なことが思い出せないんです。3日に2日は忘れてました。
……ほんとそういう時って、「気付いたら駅についていた」としか考えられないんですよね。[2001/06/18(Mon) 23:24]
高校からの知人に、浪人したかったという方がいました。
「勉強しないで受かっちゃったから、達成感なくて」
この話を聞いたのは数年前の3月初旬、不合格続きの私はまだ、国公立後期の結果を待つ受験生でした。やるだけやったから結果はもういいなんて、妙に悟りを開いていた時期で、不思議とその言葉が胸に沁みたのを覚えています。
申し訳ないとは思ったけれども、優越感を押さえきれなかったし、受験生活に一つの答は出たとすら思いました。勿論それはまやかしであって、いつしかその高揚感は雲散霧消してしまいましたけれども。
浪人は決して無駄ではない、多くの先人がそうおっしゃってますし、私も勝手ながら賛同します。ただ、それを活かすか活かさないかは各人の力量の見せ所。
含蓄ある人柄の方や、勉強が楽しくなったと学問に勤しむ方、スポーツ以外でも「うちこむ」ことができるって初めて知ったよと入学後は趣味にうちこんでいる方、いい経験をしたと思いますと淡々と語る塾講師(大学生というより塾講師)、皆さん全然、時を無駄にしてきたようには見えません。一方、6月頃には早くも堕落の塊のようになってしまった方もいらっしゃる。
倒錯した質問ですが、「なぜ大学へ行くのかというより、なぜ予備校へ行ったのか」……かつて浪人生だった方々の「今」を見聞きするにつれ、まずそれを訊ねたい気分になるのです。[2001/06/19(Tue) 22:03]
大学1年生の夏、私は親戚一堂の集う愛知県で葡萄園を手伝いました。
大府は暑くて本屋の少ない街でした。
祖父母は既に葡萄園を引退していて、伯父夫婦が現在の経営者です。こちらでは祖父母と伯父夫婦は別に暮らしています。やはり近所ですが。ただし注意すべきは、家を新築して旧来の家を出て行ったのが祖父母の方だということ。何をするにも気が楽でいいのだそうです。床の段差もなく将来も安心とかで。
私は基本的に祖父母の家で寝泊まりし、朝と昼と晩に昔話を聞きつつ食事をし、ほかの日中はずっと畑に出て、夜は二人のいとこの勉強を見、深夜に寝に戻るというほぼ予定通りのサイクルを通しました。
これが案外つらくないんです。かえって健康になってしまったくらいで、これは嬉しい誤算でした。
畑仕事は本当に楽しかったです。
私は世話好きですから、葡萄狩りの団体客が来るとそこそこ重宝がられました。十人集まれば一人はいるものなんですよ、徹底したサービスをお求めになる方が。
葡萄はどういうのがいいのか、いい葡萄はどの辺にあるか、取ったいい葡萄をどう食べたらよりうまいか、おみやげに買っていきたいのだが君が葡萄を選んでくれないか、などなど。
「御自由にどうぞ」の一言で満足される方がいるかと思えば、一方にはこういう方もいるんだなあと妙に感心。
葡萄狩りは基本的に「食べ放題」と「無銭での持ち帰り厳禁」が売り物です。お客さんが一つ一つ葡萄にかぶった袋(農薬除け)の下の口を開いていき、色と粒の大きさを確かめ一粒味見します。それをくり返していい葡萄を探していくのが醍醐味なんです。
普通の人ではお値段分食べれない料金設定(千六百円也)なので、こうした葡萄を吟味する時間と楽しさを省略してしまったら、葡萄狩りは損なイベントです。
けれども、お客さんに頼られると私はやっぱり嬉しくて、ここぞ腕の見せ所と、多いに張り切らせていただきました。
頑張って仕事をしていると、何の褒美でしょうか、なかなか面白いものを見ることができます。
泥棒です。
鞄の中に、こっそり葡萄を忍ばせたまま帰ろうとするお客さんがいらっしゃいます。葡萄園の出入り口には、「葡萄の無償持ち帰り厳禁/帰りに荷物を調べさせていただきます」と大看板が鎮座しているのですが……。もちろん、みなさん分かってやっているのです。
私どももみすみす葡萄をただでくれてやるわけには参りません。それとなく目をみはらせています。と、カウンターに背を向けて何かごそごそやる姿が! こういうお客さん、要チェックです。
お客さん、どうやら帰り支度をはじめたようです。私たちの方へ来ました。いよいよお帰りになるようです。(カウンターの横が出入り口)
「いかがでしたか? いっぱい食べられましたか?」声をかけると、お客さん、明らかに目を伏せました。……これはもう、検挙するしかないでしょう。
「誠に申し訳ございませんが、お荷物を拝見させていただきます」
ところが、これでも観念しない方がいらっしゃる。
「ほら、これはポット、下のは弁当箱で、それは氷が入って…」
とまあ一生懸命に鞄の左側の物を取り出しては右側に積み上げていくのですけど…。無実をアピールするつもりが、結局は右奥の不透明色のタッパーが怪しいのがばればれ。
あわれ、追加料金千三百円也。
この場合、むしろ「どうぞ」と鞄を預けてしまったほうがばれないのです。「そのタッパー、開けていいですか」とはそうそう口にできる科白ではありませんから。せっかく不透明色のタッパーを用意するなら、最後までその悪知恵に賭ける度胸が必要です。
案外、悪いことはできないものだと、少し安心した夏でした。[2001/06/20(Wed) 23:56]
カウンターが「○○99」のとき、リロードしないで入村される方がいらっしゃいます。他所のサイトではともかく、当村においては重大なマナー違反です。
99を踏まれたら、迷わずリロードしてください。
そしてできるだけキリ番申告してほしいと思います。
自分がサイトの管理人になるまで、キリ番自爆のむなしさは理解できませんでした。皆様にもなかなかご理解いただけないだろうことは重々承知しております。
しかしながら、そこをどうか堪えて、99を踏んだ方は、責任を持ってリロードしていただきたい。キリ番をとっていただきたい。
世の中から管理人の自爆という悲劇を無くすため、助役、心からのお願いでございます。[2001/06/21(Thu) 00:04]
もともと研究者たちが情報交換する仕組みとして始まったインターネット、当初WEBページに記載されたのは数字でした。その後しだいに文章や写真、動画など情報の幅が広がっていくことになります。
現在では情報革命の波に乗り、例えばかつての電話のように、研究者ばかりでなく、あらゆる業種の企業、一般の個人までがインターネットを利用し、WEBサイトを持つことができるようになりました。そんな中、WEBサイトの形態も様々な展開を見せつつあります。
企業サイトの多くは、非常に多くの人々が対象です。情報提供を中心に商品の注文・予約など、年に数回利用されるようなサービスを提供しています。一方、個人サイトの多くは一定数のリピーターを確保しようと努力しています。知名度・実用性を望めない個人サイトにとって、自然な発想かもしれません。
* * *
日記などの文章を提供する個人サイトは多くありますが、ここしばらく、コンテンツとしての文章を「テキスト」と呼ぶ「テキストサイト」が多くなってきています。10万ヒット/日の「侍魂」はいうに及ばず、私のよく読む文章メインのサイトの多くがテキストサイトです。
しかし当村の売りは「テキスト」ではなく「エッセイ」です。少し、昔懐かしの響き。にゃごろう村は、あえて「文章サイト」あるいは「エッセイサイト」を名乗ってみようかと、ふと思う。[2001/06/21(Thu) 00:25]
私は私立中学出身です。それでよかったことの上位に、まず間違いなくあがってくるのが、文化祭。
中学1年・2年と、文化祭のクラス企画は型抜きとミニゲーム(人間もぐら叩きなど)でした。文化の香りなんかちっともなかったような気がします。
型抜きとは、お祭りの夜店によくある、乾いたガム(?)と画鋲を使ったゲームです。ガムには模様が印刷(または浅い溝打ち)がされています。その模様の内側を残すように、余分を画鋲で彫刻していきます。一件簡単そうなのに、これが案外難しいんです。
私たちのクラスでは、確か一回30円で型抜きをやりました。お客さんは大抵近所の小学生(受験希望者かな?)で、十円玉三枚を出すのがふつうでした。
と、五百円玉を出したお客さんが現れたのには吃驚しました。近所の高校生のように見えましたが、さて……。
彼は、一枚目の型抜きに失敗したのに賞品をもらおうとしました。
「いいじゃねえかよ五百円払ったんだから」
「い、いけません。あの、だったら、いただいたお金で十分に、もっとできますから、まずもう一枚挑戦してください」
結局それが、大甘採点ながらも成功。
「それでは、こちらから好きな賞品をお取りになってください」
「おい、こんなもんしかねーのかよ」
それはそうです。参加賞は定価は一個三十円だけど問屋で買ったから一個十円の飴玉、成功賞品は先週までクラスメートの家にあった三十円よりは定価が高かったというガラクタなのですから。一番ましな賞品がコアラのマーチ(賞味期限切れ間近)やカラーペンセット(中古)というのですから、後は推して知るべしというものです。
「申し訳ありませんが……」
そう正直に言おうとした途端に怒るから困っちゃいます。
「馬鹿ヤロー! 金返せよ金をよ。普通型抜きってのは現金かもっと金目のもんを賞品にするもんだろ。詐欺やってんじゃねーよ」
一回で二百円ぼったくりの夜店と同じにされてはかないません。
「いや、その、そういわれましても、学校の文化祭じゃそういうの禁止なんで…」
「とっとと金返せよ、ボケ」
私は傍観者(情けない!)だったのですが、これ、どう見ても店員やってたクラスメートの勝ちでした。ひるまず「ですます調」で反撃です。
「はい、お待たせしました、440円のお返しです」
「五百円返せってんだよ」
「あの、そう言われましても、お客様は2枚挑戦されてますので……。私はしがない店番ですから、あの、先生呼んできてもいいですか?」
さすがの彼も何かに気付いたのでしょうか。440円をひったくるようにして受け取ると、一度振り返ってガンを飛ばし、そそくさと廊下の雑踏に消えて行きました。ただ、いかんせん判断が遅かった。教室が爆笑の渦に包まれたのは言うまでもありません。
彼は一体、何をしたかったのでしょうか? いまだに謎です。[2001/06/21(Thu) 23:47]
N⇒NEC
SO⇒ソニー
F⇒富士通
R⇒日本無線(JRC)
P⇒松下
ER⇒エリクソン
SH⇒シャープ
K⇒ケンウッド(J-PHONE)/京セラ(au/tu-ka)
SA⇒SANYO
T⇒東芝
PE⇒パイオニア
CA⇒カシオ
DE⇒デンソー
H⇒日立
D⇒三菱電機
そして……
ST⇒鳥取三洋
鳥取三洋は鳥取の企業ですが、関連会社が島根や千葉にもあります「鳥取三洋電機を勝手に応援するサイト」というのもあるので、興味があればどうぞ……。以上、単なる雑学でした。
ちなみに三菱電機がDなのは、米国のモトローラがMを押さえているから。日本では無名ですが、世界の携帯電話市場では三菱よりずっと大手なのです。参考までに、業界の世界ランキングはフィンランドのノキア社、米国のモトローラ、スウェーデンのエリクソンの順。なぜか北欧が強い。[2001/06/21(Thu) 23:56]
電話を掛けてきたそうだね。
君とまともに話をしたのはいつのことだろう? 卒業生とはどういう身分か、私は今になってひしひしと実感している。
例えば、この手紙を君の家のポストに投函するとしよう。私は、インターホンを押すだろうか? 期末考査シーズンにそんなことをしては迷惑だろう、そんな言い訳をして、そっと君の家を後にしはしまいか。あるいは、私は君を決して家に上げないわけだから、勝手にうかがって上がらせてもらうのは失礼だ、という理由でもかまわない。どちらにしても根本的な理由ではないからだ。
本音を単純化すれば、まず、何を話せばいいのか分からない、という問題がある。思い返してみるに、かつて友人との会話がいかに共通体験に依って立っていたことか。別々の場所に別々の生活を送るようになってしまうと、途端に話題の無さに呆然としてしまう。
大学の話を片っ端からマシンガンのように語って聞かせてもいい。だが、それで楽しいのだろうか。おそらく、お互いが独演会をするだけなら、話題は十分に存在するのだろう。しかしそこで問題なのは、それが会話と言えるのか、ということだ。一方が喋ることに通り一遍の感想を述べていくだけでは会話とは言えないし、そんなのはつまらないのだろう。それなら講義と割り切った方が楽しいのではないか。
昔も今も一貫して会話している相手は家族である。家族と私には確かに共通体験はないように思える。しかしここには一つのからくりがある。家族との会話の話題はいつだってタイムリーなのだ。そこには共通の時間体験がある。家族は私が朝あわてて朝食をかきこんで玄関を飛び出していったことや、帰りが妙に早かったり遅かったりということを現在形で感知している。一部であれ、共通体験を持っているのだ。
つまり例えば、一般のニュースとか、お互いが知っている場所で起きた事件とかなら、おそらく誰とでもかろうじて会話は成立するのだと思う。君に大学の話を語って聞かせても、あまり会話らしい会話にならないだろう。まずお互いに共通する前提知識が少な過ぎる。次にタイムラグが激しい。では、大学の話以外に何を話そうか。私はハタと困ってしまうのである。受験の話もつまらないだろうしね。
大学で友人と何を話しているのか。ただ単に最近のニュースについてお互い言いたいことを言い合っているだけのような気がする。それで見識は深まるし、当然ながら結構楽しい。だが、それらの話題はいずれもタイムリーであることに寄りかかりすぎている。例えばその会話を録音してタイムカプセルに入れておきたいか? まったくノーだ。ただ若い声が懐かしいというだけにしかなるまい。
さっきから話がドツボにはまっているが、もう少しあがいてみよう。
久しぶりに会った友人に何を話したらいいか分からない。高校までエスカレーター式にきたせいで、今まで余り重要な問題とは思っていなかった。やっとこの問題の奥深さを実感している。同窓会で昔話にばかり花が咲き、その後の人生についてはほとんど盛り上がらないというのはこういうことか。
「○○さんは二十歳で結婚してもう子供が二人いるんだってよ」
「ふーん」
なるほどここでは「ふーん」としか返しようが無い。あるいは「凄いね」と言ってみてもいいだろうが、それだってどこがどう凄いのか言っている本人からしてよく考えていない。「ふーん」と同レベルだ。
私が部活の先輩方とうまくいかなかったのは、ひょっとすると単に共通体験が少なすぎたからなのかも知れない。
私が美術部の後輩、特に中学生とうまくいかなかったのは、会話をできなかったからなのかも知れない。私は先輩の言うことに「ふーん、そうなんですか」としか答えられなかったし、後輩に対して「はい、分かりました」以上の言葉を持たせられなかった。自分の知っていることや考えを次々と表明するばかりで、相手がついてこないことを問題だとは思っていなかった。
話を会わせるために知識を入れるなんてくだらない、そうずっと思っていたが、それはどうやら間違いだったようだ。知識なんてあらかじめ入れていなくても相手の話を聞けばそれですむのか、否である。
会話はおそらく、情報のやりとりの手段としては効率が悪い。昨日の試合結果を知りたいなら、野球談義に花を咲かせるより新聞を読んだ方がずっと早い。会話の意義は、情報の伝達よりも、それに付随する精神作用にこそあるのではないだろうか。これは別に双方が明るい顔して笑いあえることばかりではなく、例えお互いむっつりした顔でボソボソ喋っているにしたって、そこに何らかの精神的充足があれば、会話としての意味はあるのだと思う。
「同居してたおじいちゃんが死んじゃったんだ」
「私は、数年前に二人ともなくしたよ。でも、いつまでもがっかりしている必要なんて無かった。おじいちゃんだってそんなことは望んじゃいないさ。さあ、すぐには無理かも知れないけど元気出して、ね」
大学で聞いた会話。静かな昼休みの教室だから、聞く気が無くても聞こえてしまう。これは、意味のある会話だと思う。うまく説明できないけれど、ここには共通体験も何らかの精神的充足もある。
結局、私はもう少し先輩の話についていく努力をしてもよかったのだ。レイアースがどうとか、やおい本がああだとか。何だあいつらオタクな話ばっかりしてたのか。
結局、私はもう少し中学生の話についていく努力をしてもよかったのだ。スピードがどうとか、安室がいいとか、パフィーが気持ち良いとか、何だあいつら音楽の話ばっかりしてたのか。後は誰が誰を好きで…というお決まりの話。
最後に…。何だかんだ言って、私が君に話すのはほとんど大学のことになるのだろう。思い出話しかできない連中を心中密かに馬鹿にしていた者として、その理由が分かった今もそう簡単には引き下がれない。なるべく新しくて、会話になりそうな話をしたい。意地を張っているだけという気もするが。まあ、実際に話してみて全然つまらなかったらごめんなさい。あんまり長いこと話してないと余計な期待が膨らむかも知れないけど、それだけは勘弁してほしい。全然大したことないんだから。
君と部の皆さんのご多幸をお祈りして手紙を終える。私一人いなくたって部活は続いていくんだよな。そうでなきゃ安心して卒業できないんだけど。[2001/06/23(Sat) 00:11]
酒見賢一「ピュタゴラスの旅」……私イチ押しの短編小説集です。
講談社から単行本と文庫が出ています。が、私が初めて注文したときにはすでに、大小ともに品切れ。以後、私は4度注文しましたが埒があきませんでした。私はどうしても諦めきれず、古本屋を回っては「さ行」の作家のコーナーを覗いたものです。
苦節4年、ついに先月末、五反田のBOOK・OFFで「ピュタゴラスの旅」に出会いました。それも2冊です。安いので、2冊とも買ってしまいました。(こういう心境、わかる人はわかってくれると思います)
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先週、何気なく新聞に目を落とすと、[集英社文庫新刊・酒見賢一「ピュタゴラスの旅」新装版]……なぜ?
* * *
みなさん、ぜひ読んでみて下さい。今なら注文すればどこでも買えます(泣) [2001/06/24(Sun) 23:14]