趣味Web 小説 2002-12-07

最大の障害は閲覧者の怠惰

Operaタンでへんてこりんになっていた原因は判明。要するにOperaよけを外してしまっていたのだ。外部CSSファイルを指定するときにtype属性をscreen,tvにして、指定したCSSファイルの@media screenで{}でくくってやっていたのだが、うっかり外してしまっていたのだ。ネスケ7でやたら右によってたのはpaddingの指定を忘れてたせい。ボックス周りの計算は、互換モードでも仕様通りになるのをすっかり忘れてたです。とりあえず、これでIE6とN7とOpera6.05での確認終了。あとは、WinIE5.5,5.01,MacIE5.1での確認を。Winは平日でもいいけど、Macは休日にならないとむりだにゃ~。今回の格言:ボックス周りで困ったときは、borderを出すに限る。

会社からWWWを利用する人への配慮を理由に、サイトで音楽は鳴らすなと主張するようなあまりにレベルの低いサイトはともかく……。信頼のおける記事を提供している訪問者に優しいWebサイト作りでさえ、訪問者にデザイン選択の自由があることを啓蒙しようとせず、自分の意図通りのデザインを提供することに一生懸命になっている。

このところ、アクセシビリティーやユーザビリティーを解説するサイトでは老人のWWW利用が増えるから、今のうちにデザインを改良しよう、という主張が多いけれども、それでは根本的解決にはならない。老人向けブラウザに、サイトのデザインを自動的かつ徹底的に改造して老人向けにカスタマイズするといった機能を持たせる方が、よほど理にかなっている。

あらゆるニーズにこたえうる単一のデザインなどあるわけがないのだから、サイトの製作者は特定のデザインを閲覧者に押し付けるべきではない。CSSでデザインするのは、閲覧者が製作者の提供するデザインを拒否できるようにするためだ。現状、たしかに閲覧者のスキルは低い。Webサイトを、製作者の用意したデザインで見るのが当たり前だと思っている。ひどいデザインに出くわしても、自分で何とかしようとせずに、製作者の努力を望むだけだ。

小さい文字が好きな人は自分でブラウザの設定を変えればいい。いくらなんでもこの程度は常識だと思っていたのだけれど、女子高生のやっているサイト批評サイトで「私は文字サイズ中で見て、文字が10ptより大きいサイトは基本的に読みません」といわれたときは唖然とした。なぜ女子中高生のサイトには、文字サイズ最小にすると文字が読めない場合が少ないくないのか。それは、文字サイズ中で見ても文字サイズが十分に小さいことを目指しているからだった。

なるほど、これはある意味、正しい発想だ。女子中高生の個人サイトの読者のほとんどは、やはり女子中高生。お客さんの望むデザインを、お客さんの手間をできる限り排除する形で提供しようとすれば、当然、最初から文字サイズを小さくしておくという結論が導かれる。

何度も書いているように、携帯電話でもインターネットTVでもPCでも共通に使える視覚デザインなんてありえない。だから、本来、HTML文書の見た目はユーザエージェントが決めるべきなんだ。製作者がCSSを添付して、これがお勧めですというのは勝手だけれども、それを採用するかどうかは閲覧者の自由。なのに、閲覧者自身がその自由に気付いていない。権利を行使しようとしない。

閲覧者は自分は無力だと思い込んでいる。この努力を放棄した姿勢が、結果的に女子中高生のサイトの文字を小さくし、あるいは固定幅のレイアウトを生み(文章を読みやすくするために固定幅にするんだって!!)、テーブルをレイアウトに使ってしまったり、といったことにつながっている。

だから、サイトの製作者は増長する。JavaScriptで振り分けるなどして、特定の環境での閲覧を強制する例さえ後を絶たない。自分の望み通りの視覚デザインを閲覧者に押し付けようとするのだ。もちろん、多くのサイト製作者は善意でそれを行っているのだからたちが悪い。誰もが満足するデザインはありえないのに、選択不可能な形でひとつの結論だけを提供する。たしかに、各サイトの主な閲覧者層にとっては、これは便利なことだろう。何の苦労も勉強もなしに、自分のお望みのデザインが得られるのだから。

けれども、こうした多数派万歳の状況が、製作者のお客さんのための努力が、客は客らしくただ要望をいっていればよいという怠惰が、すべて少数派への冷たさにつながっている。

この状況を打破するにはどうしたらよいか。

私は長らく、これはサイト製作者の問題だと思ってきた。正しいHTMLによる記述とCSSによるデザインの徹底がなぜ重要なのか、サイト製作者がそれを意識することが大事なのではなかろうか、と。けれども、だんだん、そういう話ではないな、と思うようになってきた。

企業サイトのほとんどはテーブルレイアウトだ。プロは、HTMLがどうこうという話をちゃんと勉強している。にもかかわらず、CSSデザインを採用しない。それはなぜか。

現状では閲覧者の側に、WWWは自分の好きなデザインで、自分にとって使いやすいデザインで利用するものだ、という意識が欠けている。だから、より多くのPC用視覚系ブラウザでまずまずの表示結果(少なくとも健常者にとっては)となることが期待できるテーブルレイアウトを採用せざるをえない。閲覧者が自分なりのデザインで利用とした場合に障害の少ないデザイン手法(それがCSSデザイン)は、どうしても採用しがたい。デザインを自ら選択する閲覧者が非常に少ない以上、ブラウザのCSS実装の不具合への対処というデメリットばかり大きいからだ。当サイトのような趣味のサイトではないから、自分で何とかできない閲覧者は無視、というわけにはいかない。

つまり、WWWのアクセシビリティー底上げの最大の障害となっているのは、閲覧者の意識なのだ。多くの健常者の閲覧者が、何のカスタマイズもせずに自分の一番お望みの表示結果を得られることを望んできたから、少数派は苦労する。誰もが少しずつ、負担を分かち合えばよいのだけれど、怠惰に慣れきった圧倒的大多数の閲覧者は、きっともう動かないのではないかと思う。

ただひとつの望みが、障害者より圧倒的に人数が多い老人の存在だ。目が悪い、マウスの操作が苦手。彼らのために、例えば俺ナイザーのような、どんなサイトも特定のレイアウト、特定の文字サイズで表示する機能をデフォルト設定で用意したブラウザが一気に大きなシェアを取ってはくれまいか。プロはこれに対応せざるを得なくなるし、不勉強なアマチュアもここでようやく目覚めるのではないか。HTMLで視覚デザインなんてできないのだ、と。デザインは閲覧者が決める、HTMLにできるのは、あくまでも見出しや段落を明示することだけだ、と。

視覚デザインを閲覧者が選ぶということが常識になれば、自然と、WWWのアクセシビリティーは向上する。HTMLが本来の使い方以外に利用されなくなってくるからだ。

……だがしかし、世の中はこの方向には進んでいない。老人は、なぜか苦労をおしてでも提供されたデザインそのままでサイトを見ようとしている。現在のブラウザでもかなりサイトの見た目を変えられるのだが、誰もそのことを教えようとしないらしい。教えられないのかもしれないが……。いずれにせよ、残念なことである。

この流れからいくと、ちょうど雑誌やテレビ番組のように、サイトの視覚デザインが読者を選ぶという状況に何の変化も生じそうにない。誰もが、ストレスなく、あらゆる情報にアクセスできるはずだったWWWの自由は、閲覧者自身のあまりの怠惰によって殺されてしまった。そしてもう二度と、生き返ることはないのかもしれない。

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