冷徹にアクセス数を稼ぐことだけに特化してサイトを運営すれば、恐らく1年半以内に100万アクセス達成できるでしょう。
私は、そうは思いません。冷徹に売り上げを稼ぐことだけに特化して身を粉にして働く営業マンが、みな成果を上げられるというものではないですよね。冷徹さが足りないんじゃないのか? という疑問もあるでしょうが、私はそういう問題ではないと思います。アニメのキャプチャでアクセス向上という例があげられていますが、そもそもどのシーンをキャプチャするのか、というところにセンスが問われますよね。作品選びだって難しいですよ。市場調査をやればある程度絞り込めるでしょうが、そうして選んだ作品というのはしばしばライバルも多かったりしますしね。
きっと、ここまで根気よく読んでくれた人の内、8割くらいは「そこまで割り切ってサイト運営なんてできない」か「不愉快だ! ふざけんな!」と思ったことでしょう。私もこの考えに行き着いた時、ここまで徹底したサイト運営を思いつけてしまうことが怖かったです。
何が怖いのでしょうか。私は多勢の支持を得るサイトを作ることは、公益にかなうと思います。犯罪に手を染めるわけじゃなし、お客さんの需要を満たすことで何らかの成功を目指すのは資本主義経済の基本でしょう。趣味は趣味なりに、近代的な合理主義を持ち込むことを考えるのが、むしろ自然だと思います。
個人ホームページは、あくまでも自己表現の場であって、決してゲームなどではありません。
というのはどうなんでしょうか。ゲームでもいいんじゃないですか。趣味のお店を売り上げ倍増ゲームのつもりで経営したって、それでお店のサービスがよくなって人気が出るなら閲覧者には何の問題もないわけでしょう。これは趣味の話ではないけれど、街の八百屋さんがスーパーの進出に屈していった構図というのは、まさにそれなわけです。
売り上げ倍増のためには、当然のようにお客さんのニーズをいかに満たすか、真剣に考えなければなりません。とすれば、売り上げ倍増ゲームという利己的な動機の良し悪しに関わらず、お客さんには利益がもたらされることになります。雪印食品の廃業などを見ての通り、客の利益にならない裏技なんてのは、利益は小さく(金額ではなく割合に注目すべきです)リスクばかり大きいのが現実です。だから、基本的にゲームだからダメというものではないと思います。
ゲームだということ自体が不快、という見方もあるでしょう。でも民間の企業組織がみな、儲けを追求するためにお客さんへのサービスを頑張っているだけだからといって、そんなに不快感を感じますか。まあ不快に思うのも勝手なので、別にいいわけですけれども。ただ、企業はたしかに「私たちは儲けのためにやってます」と面と向かってお客さんにいうことはありませんよね。でも株主には儲けが増えるよう頑張りますというに決まっています。でまあ、株主とお客さんは同じ人物だったりするわけで。
そして非常に奇妙に感じるのが、自己表現とゲームが対立する概念とされていること。ゲームとしてのサイト運営は、雄弁な自己表現となりうるのではないでしょうか。
というわけで、私は説得力を感じませんでした。遥かな道しるべによれば実体験あっての意見ということのようですが、自分がこうなったから他人もそうなるだろう、というのは単純過ぎるように思います。自分をふつうの人と思いたがる方は多いのですが、愉快な神父さんの記事と同様、ほとんどの人はたとえ一生懸命真似しようと努力ても、さしたるアクセス向上につながらないのではないでしょうか。