アクセス数が多すぎて書きづらい記事といえばリアル知人の話題。備忘録としては忘れないうちに書いておきたいので、そろそろ人も減ってきたことだし……というわけでメモメモ。
高校時代の部活の後輩の二人が仲違いしているのを見るのは寂しい。
- マスター DS 2002年12月01日日曜日 00時41分
うーん。まあ、卒業式ですらろくに会ってないからね。卒業式の後に謝恩会が予定されていて、僕はずっとクラスで喋ってて、ギリギリに部活の方に言って、名川さんや後輩達が用意した花束をそれぞれ受け取って、誰かが買ってきたケーキも食べずに、そのままシャトルバスに乗ってしまったからね。
というか、そもそも三鷹さんと喋った記憶がほとんど無い。そういう点では、他の人と同じだと思われる。多分、3年間で喋ったのは「糊どこにあるの?」「そこ~」だけだと思う。そう考えると、友達と呼べるかも怪しいな(笑)部室は行くのイヤだったし。活動も行きたくなかったし。文化祭も近寄らなかったし。2年生の夏のときに顧問に「お前部員だったのか!?」と言われたのが今でも記憶残ってたり。
ま、そんな時の自分の経験があったからこそ、今の自分があるんだけどね。当時の自分や、周りの人たちの行動を反面教師として、今の僕が存在すると思う。そういう点では、あの殺伐とした部活にいてよかったと思うね(笑)
ま、今だからいえる話だけど、当時の部活は何もかもがイヤだった。毎日の様に続く主導権争い、暴力、絶対的な人気ヒエラルヒー…。だから、大学に入ったら、少なくなくとも暴力が無いサークルに入りたいと思ったよ。出来ることなら、権力争いが無い穏やかな場所へ行きたいと思った。そういう点では、僕は希望の場所に行きつけたと思うね。
- 山田大佐 2002年12月01日日曜日 12時05分
こんにちは。マスターにとっては教育実習以来だから2ヶ月ぶりかな?ちょっと高校時代の部活について書かれていると聞いたんで顔を出してみたんだけど…いや~まるで僕のことを書かれているみたいで正直驚いたよ。とりあえずコメントを読んだと言うことを伝えたかったので僕の紹介は不要だよ。
- 山田大佐 2002年12月03日火曜日 15時34分
前回の書き込みについては黙殺?>マスター
結構、事実誤認が酷いんでなんかリアクションがあるかとは思ったんだけど。まあ、どうでもいいや。
教育実習の打ち上げの時にいい損ねたことをひとついっておくよ。ええとね、現役時代に問題になった因縁のFAXなんだけどね。あれはどうも今でも部室にあるみたいだぞ。原版は僕から君に返したはずだからコピーだとは思うけどね。実習の時、部室には何度か行ったんで、それで聞いた話。
まあこれが慰めになるかどうかは知らないが僕らの代の作品は今でも読み継がれているらしいよ。知らない人から「皇帝!」って云われたしね(内輪ネタ)。
ともあれこれで伝えるべきことはすべて伝えたんで高校時代の負の遺産らしい僕は退散することにするよ。とりあえずは御休心くだされたく。
- マスター DS 2002年12月03日火曜日 16時53分
あ、しょうがないなあ。ちと長くなりそうだったから分けたの。
もし不快を感じたのなら謝る。でも、覚えてるかどうか分からないけど僕が先日いろいろ書いたことは、2年前にオダサガの僕の自宅で大佐に面と向って直接言ったことがある。確か久保ちゃんと来て、久保ちゃんが帰った後の会話だと思う。無論、大佐が来てることは前々から分かっていたよ。それで、ROMから引っ張り出すために改めて書いたの。冗談としてね。だから、まさか本当に出てくるとは思ってなくてちょっとビックリしちゃった。だから、そんな皮肉は言わないで。と、今言っても遅いだろうけど。
僕は後輩達に申し訳ないことをしたと思ってる。それと同時に、大佐にも裏切るようなことをしてしまった。僕はどうしても両方助けたかったし、袋小路に陥った人間関係をどうしても修復したかった。でも、思うにそれは甘い考えだった。今でも、時々タカヒロの悲痛な言葉が胸に染みるよ。「あちらを立てればこちらが立たず。どうすればいいんでしょう?」って。
僕はFAXの件で一貫して「大佐を守るため」と主張してきたけど、その考えに偽りはないし、今でもあれは大佐を守るための行動だと思っています。
でもまあいいです。今となってはね。大佐も僕もお互い関係修復に辛抱強く頑張ったと思う。でも、結局すれ違いは修正できなかった。それは残念なことだけど、仕方がないよ。人間関係にそういうことはつきものだと思ってるし、それでいいと思う。お互い、これをいい肥やしにしましょう。それで、これからの人生でそれぞれいい人間関係が築いていければ、それでいいんじゃないかな。そう思わないと悲しすぎるでしょ。
もう一人のK氏もROMしているはずなので、少し長くなりましたが書かせていただきました。
そうだ、最後に僕も言いたいことがある。精錬実習、きてくれてありがとう。心配したグレネードが教えてくれたんだ。「一応、教えておきますよ」って一言添えてね。あのときのグレネードはカッコ良かった。だから、僕も大佐の精錬に行ったし。正直、僕の交友歴で、大佐は唯一の心残りだよ。結構実習が始まる前、夢に出たんだよ。ずっと仲良く喋っている夢。でも、もうしょうがないよね。うん。それに、僕はそんな器用な人間じゃない。
あ! 三鷹さんと始めてあった時の会話か~。そういわれるとなんだかそんな場面もあったかも(???)
不思議に思ったことがひとつ。マスターがサイトでこの話題を持ち出したのは2度目のはずなのに、前回は山田大佐は何もいわなかった。当時はマスターのサイトを見ていなかったのだろうか。
さて、殺伐とした部活
を作ったのは私です。馴れあいでぐだぐだの、平和だけれど向上心のない部活の雰囲気(少なくとも私はそう思っていた)に半ばぶち切れて、それで大鉈を振るいました。で、先輩は引退してしまうし、もともとやる気の薄かった同輩はますます顔を出さなくなるし、今にして思えば無茶苦茶をやっていたなあと思います。
それでも、備忘録に記さなくても忘れえないことだから詳細は省略するけれども、失った以上のものを、私は得ました。他の人がどうだったかはわかりませんが……。そして、私が蛮勇を奮って以後の**部は、史上最大の興隆期を迎えることになります。
けれども、無理していた部分がたくさんあったということなのでしょう。私がやったことというのは、つまり同人サークルを少年ジャンプの方法論に従って運営するというものでした。私自身はすぐに責任ある立場を降りてしまいますが、高校卒業までよかれ悪しかれ部の運営に干渉しつづけました。私がいなくなると、重石が取れたということでしょう、どんどん**部は旧来の姿に復していきました。
私は自分のやりたいようにやって楽しく卒業しましたが、マスターはその陰でつらい思いをしていたわけだし、私の敷いた体制が肌にあっていた(と思う)山田大佐はその後の状況にイライラすることになったろうと思う。私がいなくなったらどんどん昔帰りが進んでしまったことから考えると、成果はたくさん、でも不満はいっぱいという状況だったのでしょう。
私が消えて以降、軋みは次第に大きくなっていき、坂道を転げ落ちるような展開となっていくわけですが……。というのもまた、私の眼から見た歴史に過ぎないといえばまったくその通り。問題を自分の責任において捉えなおすことは重要だと思うけれど、すべて自分の責任だと考えるのはむしろ傲慢といわれても仕方ないでしょう。……なんてね、こういうことをいって、すぐ身軽になろうとするんですよね、私は。卑怯ですね。
ところで、タカヒロくんの悲痛な言葉、当時も今も変わらずに思っていることがあります。私なら、そんなことで悩まないのに、バカなやつ……。世の中には優しい人が多すぎますよね。人を傷つけることを極端に恐れて、悩まないでもいいことに悩むようなバカなやつ。
私は弱い人間です。だから、他人の痛みに鈍感になったんだと思います。人を傷つけることへの怖れを、努めて頭から追い出してきたのだろうと思います。それゆえ為しえたことは少なくないけれど、時々ふと、つまらないこと(といってしまうのが私のひどいところ)を本気になって悩むことを厭わない、そんな強い人に憧れないでもありません。