新春かくし芸大会は、今年もマチャアキが50点、中山秀征は49点で終った。毎年これで納得させられてしまうのは演出の問題だろうと思うのだけれど、うまく騙してくれているのでまあいいのか。視聴者はマチャアキと中山秀征がほぼ同格の芸を見せてくれていることに気付いてはいるのだろうし……。
ふと気付いたことをメモメモ。
雨上がり決死隊らの局部を隠す「かくし」芸、つぶやきシローの最近テレビに出ていない(テレビ界から隠されている)ことをネタにした「かくし」芸、石塚英彦の太っていて小さなテレビから出てこれない貞子という「かくし」芸あたりは、非常にわかりやすい形でネタの構造が示されている。けれども、40周年記念特別オープニング演目と題されたモーニング娘。の40回連続長縄跳びは、いったいどこがどうかくし芸だったのか気付かない視聴者が3割程度はいたのではなかろうか。
モーニング娘。はちっとも芸に成功せず、とうとう番組の最後(マチャアキの50点が出て、当軍の勝利が報じられた後!!)になって特設会場から本会場へと姿を現す。そして最後にビシッと
などといいつつ、いとも簡単に40回連続の長縄跳びに成功してみせる。かくしてようやく、かくし芸大会が始まるよ! ということで爆竹が弾け、お祝いの飾りがババーンと登場する。一見、3時間かけた大掛かりなコントと思われる。しかし、そう単純に捉えるのは少しばかり甘いのではなかろうか。
東野圭吾「名探偵の掟」を読まれた方ならピンとくるだろう。警察が名探偵に先んじて真犯人を検挙してはならないのが探偵小説のセオリーだ。間違っても警察は真犯人を検挙してはならないのである。この役割を守るため、警察はどうしたらよいか。そう、探偵に先んじて事件の真相を突き止めねばならないのである。でなければ、おちおち適当な犯人をでっち上げてなぞいられない。まさか真犯人ではあるまいな、と恐れおののくことになろう。そして遠からず、不安は現実のものとなってしまうのだ。
モーニング娘。の演目とはつまり、本当は簡単にできる40回連続長縄跳びをいかに隠すか、という「かくし」芸だったのである。