2ちゃんねるが冷笑主義の受け皿になっているというのは慧眼だろうと思います。
2ちゃんねるがこれほどまで肥大化したのは、批評史上初めて冷笑主義を積極的に肯定する余地のあるメディアだったから、というネガティヴな事実もひとつの大きな要因だと思います(要するに現実で発言権がない人間の救済としての場であった、ということ)。
まさにおっしゃる通りで、これまで冷笑主義は商売にならないから、メディアで大きな位置を占めることができずにいたわけです。
宇多田ヒカルのアルバムが700万枚売れた、これは凄いぞといって盛り上がるのが既存メディアです。けれども、これは裏を返せば日本人の94%が、宇多田ヒカルのアルバムに3000円の価値を見出さなかったということを意味しています。つまり、ほとんどの人はそんなに宇多田ヒカルには興味がない、好きでもない。これはハリー・ポッターでもFF9でも何でも同様です。
「先行者」は数百万人が見たのに、「侍魂」の読者は10数万人どまりだった、というのも同じ文脈で語れますよね。圧倒的なトップであっても、せいぜいその程度なんだ、ということです。
けれども、そんなことをいっていても何の商売にもなりません。単純に多数決を取ったら、「あんなの何がいいのかわからない」が常に最大の割合を占めてしまう。それでは何も売れやしないから、あれこれ情報にバイアスをかけてきたのが既存のメディアの習い性でした。
2ちゃんねるは匿名子ばかりの、編集者のいない世界だから、非常にプリミティブな形で多数決が行われます。すると、冷笑主義になるのは当然だったともいえるでしょう。これは野蛮なことではなくて、単なる世の中の現実です。これまでは表に出てこなかっただけです。
創作者の心が打ち砕かれかねない、といった理由で上智さんはこの状況に異論を唱えていらっしゃるのかもしれませんが、私は「創作者はもっと強くなるべきだ」とも思います。世の中で比較的成功した創作物も、単純な多数決を取れば否定・無関心派の方が多い、この単純な、しかしよく考えてみれば当たり前の事実に、もう少し慣れていくべきではないかと。開いてしまったパンドラの箱は、もう閉じられることがないのですから。