趣味Web 小説 2003-01-30

怒りをぶつける

私は非常に怒りっぽい。備忘録を書くようになってからというもの、私はようやく、はっきりと自覚した。私は従来、怒らない人として知られていた。皆が怒りに燃えているとき、バカバカしいと思って冷めていることが多かったからだ。皆が怒っている対象よりも、つまらないことに怒っている皆の方が、むしろムカつくのだった。見るべきところが違うだろ、本当に怒るべき相手を間違ってるだろ、と。だが、備忘録を読み返してみてつくづく思う。何だ、自分も同じじゃないか。つまらないことに、見当違いのことに怒ってばかりだ。おかしな方角を向いてはいるが、毎日のように何かに怒っていて、その姿は実に馬鹿げている。馬鹿げていすぎる。馬鹿げていすぎる。馬鹿げていすぎる。←月曜日に「煙か土か食い物」火曜と水曜に「暗闇の中で子供」木曜(今日)に「世界は密室でできている。」を読了。仕事して、備忘録にいろいろ書いて、早く寝て、いつの間に読んだんだろう。とにかく舞城王太郎の作品。その影響。いろいろ。

私は文章を書くのが嫌いである。面倒で面倒で仕方がない。そんな私が備忘録を書き残すようになった。私はなんでもすぐに忘れてしまう。私が思い出せるのは断片的な物語だけで、私がその日そのときその世界に生きていたという実感がまるでなくなってしまう。もう中学生の頃のことは物語としてしか思い出せない。だから、物語にならなかった部分は、もうすっかり失われてしまったといっていい。物語に欠落しているものはたくさんあるけれど、とくに残念でならないのは、ふと思ったこと、考えついたこと、妄想したこと、そういった行動を伴わない瑣末な思考活動がほとんど残っていないということだ。日記でもつけておくのだったと後悔するが、実際、私は何度も何度も日記を書こうと挑戦してきた。そして敗北を重ねてきた。中学、高校の頃は記憶の喪失が非常に早く、思い出せない世界はわずか3年前まで迫ってきていた。この調子では、二十歳になる頃には昨日のことも物語としてしか思い出せなくなるのではないか、と不安でならなかった。

自分の昔の考えを読み返すのはとても楽しい。記憶喪失の津波は緩やかになり、このところあまり不安を感じなくなってきた(ひょっとするともうすっかり物語に飲み込まれたのかもしれない)のだけれど、とにかく昨年、私はまた備忘録を書きはじめた。これもすぐに行き詰まった。文章を書くのが面倒で面倒でやってられなかったのだ。文章を書くのがつらくて、その気力がわいてこなかったのだ。このあたりの苦闘の経過は、掲示板のログに残っている(HTML文書を作成するのが面倒なので掲示板に自分だけが書き込みできるようにして備忘録代わりに使っていた)。そんな私がこうして連日のように長文を書けるようになったのは、日々ふつふつと湧き上がる怒りのエネルギーを素直にぶち込む感覚をつかんだからだと思う。

この項、続く。いや、続かないかもしれないけど、私の中でこの話題はまだ全然書き終えていない。でも今日はここで放り出す。

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