私なら「人民に対する、人民による、人民のための政治」とでも訳すところ。「人民の」という訳文はやはり不適切だと思う。
もし「人民に対する」の意味でないとしたら、言葉通りに訳してはいけないということになる。しかしそれはアメリカ人にとってわかりにくい表現ということにならないだろうか。一つ目の演説の「of the people」にあたると思われる「The people’s government」で人民を統治の対象とみなすのは少し無理がある
というのは詭弁。あたると思われる
という仮定が間違っているのではないか。リンカーンが念頭においていたであろう先行の演説は、「人民による」と「人民のための」という2項目についてのみ言及しているように読める。リンカーンは先行演説を参考にしつつ、「人民に対する」の1項目を追加したのだ、と考えた方が無理がない。
統治する権利をもっているのは誰?
の答えは「人民による」で十分であり、「人民の」では意味が近すぎる。「人民に対する」とした方が、3項目のバランスが取れている。
以上は素人考えですが、katokt説よりは通説(私がこの件についてお話を伺ったことのある英語教師3人はみな「人民に対する」説でした/詳細は伺ったことがありません/いずれも日本人に多い「ofの訳し方への誤解」というテーマの中で触れられました)を採用したいところ。
引用は元より恣意的なものだが、自説の補強のための引用があまりに行き過ぎると、当然こうした批判が出てくる。人の目は見たいものを見るので、村上さんはおそらく、適切な引用をしたつもりでいるのだろう。
ところで藤永さんは、原典に後から当たることができたから、村上さんを批判することができた。引用元が印刷物だったからよかった。サーバから削除されてしまえば原典を参照することがほぼ不可能となるWWWにおいては、引用の不適切の指摘は困難を極めることになろう。