趣味Web 小説 2003-04-04

千人祈:情報戦略の欠如

怒るトトロさん

翌4月3日の更新に対するコメントで、トトロさんは別に僕は怒ってませんしとおっしゃっている。もちろんこれは、「怒っています」という意味です。しかしながら、自分では本当に怒ってなどいないつもりなのでしょう。「怒り」という感情への嫌悪感、忌避感が、現実を見る目を曇らせているのです。

トトロさんはまた、批判の応酬についてサイト上での喧嘩ってとっても無益だと思うともおっしゃっています。意見交換は、批判中心の方向へ流れるととっても無益なものとなる、という珍説。批判=喧嘩というのもどうかと思いますが。けれども、トトロさんのような発想の方はけっこう多い。これだから、人と人との対話は難しい。

余談:無名の一般人の意見は無視されているか?

有名人のコメントと違って一般人の意見は誰にも注目されない……だなんて、いまだにそんなことを本気で思っている人々がこんなに多勢いるとは驚きです(嘘)。理性的な意見よりも多数派の意見に添った報道が中立公平かつ客観的などとされている昨今、一般人の適当な思いつきの集合体こそが世の中を覆い尽くしていることはあまりに明らかではないでしょうか。有名人の意見は、多くの場合、単に庶民代表として適当に選ばれているに過ぎません。中東問題専門家の意見よりも藤原紀香の意見の方が大きく取り上げられているのはなぜでしょうか? すべては商売のための大衆迎合なのです。もちろんテレビ記者も新聞記者も庶民の一角だから、迎合しているという自覚さえないのかもしれません。本気で官僚どもはみんなバカだと思っている記者も少なくないのでしょう。

いずれにせよ1億人の声をいちいち拾い上げることは不可能です。しかし新聞でもテレビでもことあるごとに街角から声を拾い、素人代表と目されるコメンテータを表舞台に召還して躍らせるなど、取りうる策は(商売に支障ない範囲で)できる限り実行しています。これだけ配慮されていながら、なお庶民の声の掬い上げが足りないというのは贅沢です。どうせ投書欄ばかりの新聞なんて買う気ないくせに、勝手なことばかりいうものです。

余談:政治家は私利私欲だけで動いているか?

ここで私はふと、政治家について思う。旧社会党は、政権を担うと同時に自衛隊を合憲と認めました。このとき党の滅亡を覚悟しない議員はいなかったことでしょう。そしてその予想は、間もなく現実のものとなりました。あるいは、消費税のために倒れた内閣は竹下内閣、細川内閣、橋本内閣……と枚挙に暇がありません。今後も税率アップのたびに内閣が倒れることでしょう。とくに橋本内閣は、選挙前に増税を施行するという信じられないことをやりました。そして増税案に賛成した自民党議員は、各地でバタバタ討ち死にしていくことになるのです。

私利私欲だけで政治家をやっているのなら、それこそ庶民に媚びた政治をやればいい。何でもかんでも世論調査のとおりに施策を進めればいい。まあ庶民の要求は矛盾しまくっているので話はそうそう簡単ではないわけですが、それでも、もう少し大衆に迎合したっていいように思う。なぜ政治家は悪名を背負い、議員バッジさえ失うことを覚悟して自分の信じる道を進む(ことがある)のか。

みな(それなりに)まじめに頑張っていて、本当に頑張っていて、それなのに先に待っているのは不幸だったりするのです。世の中そういう風にできている、私はそう思います。

大人気ないおはらさん

おはらさんの書いていることも、正直いってよくある意見の一典型に過ぎない。実際そうであるからこそ、千人祈という企画には賛同者が多勢いるのでしょう。

ゴーマニズム宣言からそのまま文章をコピペしてきたみたいなテキストをさも自分の意見かのように発表して悦に浸るのって恥ずかしいよ? いや、おせっかいでゴメンね? もしかしたら君は羞恥の概念が僕とは違うのかも。

似てもいない意見を似ていると断言するのは無知ゆえでしょうが、意見の受け売り自体を批判するにいたっては唖然とする他ない。独自の意見なるものが存在しうるか、という問題はこれまでに散々哲学者の議論してきたところですけれども、素人にもいえることがひとつ。人の意見はみな、過去に発表された様々な価値観や情報のつぎはぎからできています。新しい科学理論も含め、みんなそうです。また、そうであるからこそ、言葉が意味を持つわけです。

千人祈という言葉の力を信じた運動もどき(私には千人祈というイベントは事実上、運動の一種だとしか考えられない/当人が運動だと思わなくても、やっぱりそれは運動なのだ)をやっている人が、言葉の存在理由を打ち消すような発言を自身満々で繰り出している。こうした矛盾はよくあるものですが、今回はどうしても気になったので指摘しました。

さらに、おはらさんは自分は推測で暴言を吐くくせに、他人に推測されると(暴言ではない単なる推測であるにもかかわらず)それがたまたま間違いだったことに気を大きくし、批判とごたまぜにして中傷の言葉を書き連ねます。こんなことをしていながら、自分を子どもの悪を懲らしめる正義の味方(大人)の立場に擬しているのだから、恥を知らない人は困ったものだといいたくもなります。

運動もどきをやりたがる方々はなぜ、往々にして批判に大人気ない反応を返すのでしょうか。それほど自分の正義に自信がないのなら、黙っていてほしい。もちろん、私におはらさんを黙らせる力はありません。けれども、「おはらさんが黙りますように」と祈るのは自由でしょう。

補記:情報戦略の欠如を正義とみなす二人

あかのさんはトトロさんが毎日にリークしたのではないか。と書いたことについて、4/3 追記 このような事実はない、とこのと。失礼な更新をしてしまいすみませんでした。としているのですが、これには異論があります。もし私が千人祈を主催するならば、絶対に毎日新聞と朝日新聞に一報を入れます。この2紙は、こうした運動もどきを取り上げてくれる可能性がかなり高いからです。無名の人々の言葉を広く社会に伝えることを考えるならば、マスメディアの利用を狙うのは当然です。それをトトロさんがやっていなかったことは、「所詮、本気で言葉を伝えようという気概なんかなかったということだね」と批判の対象にこそなれ、決して誉められたことではありません。

トトロさんは覚悟と責任だなんてことをいって、偉そうにしている場合ではありません。たくさんの「声・想い」が集まれば注目してもらうこともできるのではないか?そしてその通りにメディアの方にも注目していただいてるわけです。などという外部(=賛同者以外)に向けた自発的な広報活動を放棄したやる気の足りない姿をさらけ出していながら、よくそれで人に説教する余裕があるものだと思います。

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