趣味Web 小説 2003-04-06

チェンバレンの教訓とイラク戦争

半可通な知識を誇る者は、チェンバレンの宥和政策を批判するが、イギリスがナチスドイツに抵抗できるだけの軍事力を整備したのは彼といふことを失念してゐるか意図的に無視してゐるのは何故だらうと私は訝しく思ふ。

たしかにチェンバレンが首相となった当時、イギリス軍はナチスドイツに十分対抗できるだけの軍事力を有しておらず、宥和政策は時間稼ぎの側面もあったといえます。しかしそうすると、チェンバレン以前のイギリス内閣がなぜドイツの軍備増強を許してきたのか、イギリス軍の強化を怠ってきたのか、という問題(注:いずれも最大の要因は世界恐慌です)が浮かび上がります。結局、宥和政策とその後の悲劇から得られる教訓は、「理性的な国家が世界最強であるべきだ」ということです。例えていうならば、暴力団と警察の実力が拮抗してしまったら世の中ヤバイぞ、と。それは一昔前の南米暗黒史を見ての通りです。

問題は、「どのような国家が力を持っているのが理想的か」ということなのですが、理想と現実を両睨みの民主主義国家アメリカは、まずまず悪くないと思います。フランスは伝統的に独立独歩の気風がひどい国です。国連重視を唱えるのは、大国が超大国に対抗するのに都合がいいからに過ぎません。また議会が大統領の足をひっぱるアメリカと異なり、ことあるごとに国内の意見をガッチリ統一するのがかの国の特徴であり、無視はできないが強大でもないという現在の状況は、決して悪くありません。共産党独裁の中国は論外、いまだ共産党時代の影を引きずるロシアも論外、というように考えていくと、アメリカという選択肢は順当ではないかという気がしてきます。

いずれにせよ、チェンバレンが自ら望んで宥和政策をとったわけではなく、他に選択肢がなかったので致し方なく宥和政策をとったということはもっと注目されていいでしょう。今、アメリカには力があるわけで、ならば当然イラクを叩かないわけにはいかないのかもしれません。かもといっているのは、イラクが果たしてナチスドイツのような危険な国家なのかどうか、いささか怪しい感じもあるからです。しかし歴史を振り返れば、フセイン政権は何かというと戦争をはじめる傾向があり、アルカーイダとのつながりを噂する声も絶えませんでした。中枢同時テロ事件で危険に敏感になったアメリカにとっては、どうしても叩かねばならない敵となったのでしょう。

さて、それではなぜ大量破壊兵器が本当に存在するのかどうかさえ怪しいイラクが、現に原子炉を堂々と稼動し、核兵器開発に向けて動き始めた北朝鮮よりも先に攻撃されるのでしょうか。私が思うに、重要なのは大量破壊兵器云々ではなく、暴発の危険性なのではないでしょうか。なぜアメリカの持つ大量破壊兵器は問題とされないか、という問題と同じです。この20年余り戦争ばかりしてきたイラクと、50年間なりを潜めている北朝鮮では危険度が全然違うわけです。北朝鮮が核開発を停止すれば、おそらく北朝鮮への軍事作戦はないだろうと思います。

これもまあ、半可通の予想に過ぎませんけれども。

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