趣味Web 小説 2003-04-07

千人祈:売名行為

よくわかりませんが、あかのさんにとっては何かが終わったそうですね。

ここにあった書き込みはすべて削除させていただきました(終わりましたので)。noiさんありがとうございました。

たしかに管理者の自由なんだろうけれども、こうやって都合の悪い書き込み、気に入らない書き込みをどんどん消していく人は、自分の信用もどんどん消していっているということになぜ気付かないのでしょうか。相手の意見よりも、自分の意見の方がより説得力があったと信じるならば、両者の意見を消さずに残しておくことで自説の補強とすることができます。逆に自分が相手の意見に感服したならば、自説は取り下げても相手の意見はそのまま残して今後の向上に役立てることが自分のためになるのです。

もちろん、単なる宣伝広告とか、まったくどうしようもないものは消してもいいでしょう。しかし、今回の件は果たしてそういった性質のものだったのでしょうか。まがりなりにも意見交換の形をとりつつ、議論めいたことをやっていたのではありませんか。

あかのさんが終わりましたと思うのはいいのですが、こうやっていらざることをするものだから、私はメモを残しておきたくなるわけです。また消されてしまうといけないので、ひとつの意見を引用します。

kou 『トトロ氏がリークしたという一文は、私の目から見ても「悪意がある」という印象を受けました。赤ではないにしろ、ボールドにして強調してるんですから。なぜそんなことをわざわざ強調しなくてはいけないんでしょうか?「千人祈」がマスコミによって世間に広く知られるならば、それこそこの企画の趣旨に叶うことになると思います。マスコミに知られるのが悪いと思われてるのでしょうか?その理由を考えるに、赤野氏が嫉妬しているという意見にも頷けますし、今回のおはら氏の言動も理解できるものがあります。』

私はこのkouさんの意見に同意したい。あかのさんの主張を読むと、結局のところおはらさんを謝らせる根拠は、赤字問題にまつわる事実誤認のようです。「見間違えた」ことの謝罪はいただきましたが、「見間違えたことによって生まれた曲解に対する誹謗中傷、罵倒」の謝罪は一切受け取っておりません。というのですが、そんな大げさな話なのかどうか。こうした言動は必ず自分自身に跳ね返ります。事実誤認の訂正だけで我慢すればいいものを、その影響まで責任を取らせようとするのはやり過ぎです。あかのさんには十分な反論機会が用意されていたではありませんか。

そもそもあかのさんがリークなどという言葉を使ったことに問題があるのです。事実誤認を抜きにしても、いわれのない悪意を先に放ったのはあかのさんなのです。おはらさんはそれに対してカチンときました。そして反撃する際に勇み足をやったのです。

掲示板にも書きましたが、おはらさんの反撃が質の低いものだったことは事実です。しかし、備忘録4月4日付の補記に書いた通り、そもそもあかのさんは情報戦略に対する認識を誤っています。それゆえあかのさんはリークなどという言葉遣いをして千人祈の関係者を怒らせ、頭に血がのぼったトトロさんとおはらさんからズレた反論を引き出してしまいました。こうした流れを見失ってはいけません。

売名行為が必要以上に嫌われる昨今ですが、無名の一般人の意見を広く世に伝えようとするということは、すなわち無名の一般人を精一杯広報して千人祈の名を売るということに他なりません。売名行為をやろうとしている集団に対して、「あんたたちのやっていることは売名行為だ」といっても虚しいのです。相手は平和な世界を作りたいという目的のために、あえて売名行為の成功を望んでいるのであって、対案を示すことのできない人間が売名行為自体を批判しても意味がありません。もし私がトトロさんが毎日新聞社に千人祈の情報を提供したと確信したのなら、「さすがマスコミを知っているトトロさんは凄い!」と賞賛したでしょう。

あかのさんがリークなどというから、トトロさんは見境なく「そんなことはしていない」といった反応を返しました。本来なら、「それをやらなかったのは手落ちだった」とでもいうべきところです。もしトトロさんが落ち着いてそう発言していれば、あかのさんもその段階で我に返ったのかもしれません。おはらさんもその点は同じで、リークという言葉に惑わされず、落ち着いて意見していればよかったのです。だから、トトロさんとおはらさんを全面的に擁護することはできません。とはいえ相手を非難することにばかり熱心なあかのさんの言説は、どうかと思います。

たしかにあかのさんは反省の弁を述べています。しかしそれらは何ら具体性を伴なわない、おはら氏は僕のことを「脳内で言葉遊びをしている子供」だとおっしゃいました。それは同意します。といったものばかりです。私の意見を紹介するのはけっこうですが、自説への批判についてはどう考えているのでしょうか。

ひょっとすると、千人祈の関係者も、「千人祈の成功=売名行為の成功」という構図に無自覚で、あかのさんと同じ「売名行為→唾棄すべきこと」という発想でしかなかったのかもしれません。もしそうだったのならば(というか、実際そうだったのでしょうが)、今後は自分たちのやっていることが何なのか、もっとよく自覚された方がよいのではないかと思います。今後も「所詮は売名行為」といった批判は出るでしょう。そのときもちろん、「売名行為でーす!」などと答えてはならない。それが難しいところなのだけれども、躍起になってそれを否定して回れば自らの首を締めることになります。

売名行為という言葉の語感が悪すぎるので、堂々とそれを認めることはできず、さりとて売名行為ではないといっては大嘘になります。それは千人祈の成功を願っていないということと同義だからです。となれば、批判を受け流し、ときに黙殺することが必要となります。これはなかなかガキには真似のできないことです。だからこそ批判の矢面に立つのは、リアル社会を知る大人のおはらさん、トトロさんなのです。

今回はとんだポカミスをやりましたが、この先は大丈夫でしょう。間もなく本も出るそうですね。インタビューも含め、取材がまた増えるかと思います。と同時に批判も激増するのかもしれません。この先の正念場で、おはらさんたちが見事に難局を切り抜けられることを期待しております。

補記

私は千人祈のような運動(千人祈が広義の運動であることは明白)には賛同しません。だから、「私は賛同しない、その理由はこうこうである」という批判はします。参加者は頭が悪い、とまで書くかもしれません。けれども、「何が何でもやめろ」「絶対にするべきでない」というほどはっきり反対する理由は、ありません。私から見て苦々しいものであっても、悪事ではないからです。

参考

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