日々是精進(5月6日付)に大泉村では進入を阻止すると息巻いているようですが,不安だからと言う理由だけでそういった行為が許されるのか?
という指摘がありますが、そうした意味では日本は信教の自由に無頓着な方が多いわけです。オウム騒ぎの際も、不安だからという理由でオウム信者が全国で受け入れ拒否にあいました。その結果、学校に通えなくなった子どもが多勢出たわけですが、「それが嫌なら脱退しろ」風の意見が平気で人々の口に上ってきたことには驚かされたものです。
結局、日本人は「最大多数の幸福のためなら個人の自由はどんどん制限しますよ」という社会を志向しているのでしょう。優しい日本人の考える理想的な社会の不自由さに、私はときに辟易します。「嫌なことをされない自由」という名の、自由の制限。
いずれにせよ、法律違反のみを取り締まる警察の慎重な行動と比較して、地方自治体のパナウェーブ研究所攻撃の無法は目に余ります。不安だというだけで人権を侵害してもよいという発想の危険さに、なぜ気付かないのでしょうか。無形の空気としても社会的制裁は必要悪かもしれませんが、自治体が公式のコメントとして人権侵害を堂々と宣言するあたり、どうかしていると思います。責任ある立場の人が衆愚に迎合するのは恐ろしいことです。