趣味Web 小説 2003-05-11

パナウェーブ問題:愚かさへの用心

メールで情報をくださった方に感謝。2chの感想スレッド、続きがあったんですね。ダークマターでも新スレ情報がないんで、もう終わったのかと思ってました。それで、メールをくださった方の希望はNAmTdZ7xさんの「挑戦」を受けて立ってくださいというもの。う~ん、申し訳ありませんが、勝ち目のないものをですねー(以下略)。

と、いただいたメールより短い文面でおしまいにするのも申し訳ないような気がしないでもないので、屁理屈こねます。

ここでちょっと徳保氏に思ったこと。「衆愚」って、何を意味する言葉だろう。また、この言葉を使う人間は、どういう立場や考え方でこの言葉を使ってるのだろう。仮に一介の民衆の一人である人間が衆愚という言葉遣いをしているなら、少し笑ってしまう。

おっしゃる通り、これは笑うのが正解です。私の好きなフレーズなので、これからもよく使うと思います。少しづつ笑ってください。

責任ある立場の人間とて、所詮民衆の一人。矢面に立たされるのは嫌だから、民衆側につくのは感情的にありうることと俺は理解できる。

私も理解できます。けれども、私は批判します。理解と賛同は異なります。

普通の人が嫌がることをしてはいけないというのが、「常識」というものだと俺は思う。それを否定するなら、非常識と言われても仕方ないような気がするのだが、これは俺がおかしいのか。

おかしくありません。けれども、私は非常識を排除する考え方を批判します。非常識だから、社会から排除してよいのか、ということです。暴力団は理解できる、だから罪を犯してさえ街からむやみに排除しない。少なくとも暴力団幹部相手に「うちの街にこないでほしい」なんて交渉はしない。白装束は理解できない、だから現状程度の触法行為(いずれもほとんどは罰金刑程度)でさえ街から排除する。

非常識を理由として、違法行為の程度と比較して不当に自由を奪われてよいのか? これが私の疑問なのです。私は、違法行為を取り締まることにはまったく反対していません。しかし、地方自治体による無法な居住権侵害が許されるのはおかしいと主張しているのです。

行政が住民の声をハイハイ聞いているなどとは俺は思えない。比喩は悪いが、ただ聞いているだけなら、俺の好きな発泡酒が増税されるわけないからだ! 住民と行政の利点が一致したから、そうした行動になったのではないかと俺は思う。

じつにおっしゃる通り。パナウェーブ攻撃は世の中のほとんどの方が喜ぶので、それで行政があえて住民の期待に応えない理由がないのでしょう。私がいっているのは所詮は理屈、奇麗事に過ぎないという意見が多くありますが、反論の言葉はありません。でも私は、奇麗事をいう人間もいなきゃいかんだろうと思います。(奇麗事に過ぎない、という批判とセットで)

パナウェーブ攻撃が許されるのは、あまりにもパナウェーブの味方が少なすぎるからに過ぎず、実質的には朝鮮人差別と話は同じです。朝鮮総連がいろいろ悪いことをやってる(北朝鮮への不正送金は事実/拉致に関与した人間もいるという噂も絶えませんね)らしい、だからうちに街に朝鮮総連の支部が建設されるのは阻止するぞ、みたいな。それがエスカレートして、朝鮮総連の人間がうちの街へ入ることも許さないぞ、というのと白装束迫害は本質的には同じ構図なんです。

朝鮮総連についてそこまで過激な話がない(せいぜいが万景峰号の寄港禁止まで)のは、ようするに朝鮮総連は人間扱いしなきゃダメだという層が一定数いるから。もし理解者がどんどん減少していったら、拉致関与疑惑はきつい。総連と無関係な在日朝鮮人はOKだが、総連の朝鮮人は街から出て行けとなります。それは杞憂の世界です。けれども、これは単なる数の問題なんです。あまりにも少数派だから、パナウェーブは迫害されているのです。パナウェーブと千野正法は約3000人の集団です。1億人対3000人なら、3000人の人権は踏みにじられる、というのがパナウェーブ問題が伝える日本の現実だということです。

無法を絶対に禁ずるというのは、なるほど奇麗事です。でも、それをいう人間がいないのも異常です。私の無断転載に、著作権違反という批判があったのは大変よいことでした。こういう場合には当然、無断転載していいのだ、などと考える人が出てくるのは本当によくないと思います。違法行為、無法なやり方というのは、何かしらの形で批判されてしかるべきです。

地方自治体によるパナウェーブ攻撃は、圧倒的な世論の支持の元、無法であれなんであれ(良識的な節度を保ちつつ)実行されてしまいます。それはもう本当にどうしようもない現実であって、またそうでなくては世の中うまく回りません。しかし私はやはり、パナウェーブのような連中を攻撃するのは一点の曇りもない正義だという発想を批判し続けます。

無法は無法であるという認識があればこそ、物事がエスカレートすることなく、良識的な範囲内に収まっていくのです。現在でも、パナウェーブの連中はぶっ殺せとはいわれていません。人間はそんなにバカじゃない、といいたいけれども、人類の歴史は、人間がどれほどバカかということを示しています。用心を怠ってはならないと、私は考える次第です。

余談。私は朝日新聞が嫌いですが、朝日よ消えてなくなれとは思いません。今回は役に立ちませんでしたが、産経的発想が暴走しかけたとき、私はやっぱり朝日の影響力を頼らざるをえません。頼るといっても祈るだけですが、まあ、読売・産経と朝日・毎日の二大派閥が拮抗しているのが望ましいと思います。キャスティングボードを握っているのはもちろん、日経と中日。(このあたりは適当な放言です/と書けば何でも許されるというものではありませんが)

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