趣味Web 小説 2003-05-11

母の日

今日は母の日だそうですね。いやー、そういえば母の日だからといって何かしたってのは小学生の頃以来一度もない気がする。あ、そういえば大学時代に父が「今日は母の日だから外で食べるぞ。**もこい」みたいな話で、ついていったというそれくらい。GWにちょっとだけ実家に顔を出したんだけれども、「夏休みにも帰ってくるんだよ、寝てるだけでもいいから」とかいうのが母の見送りの言葉で、なんというか夏休みは顔を出すのもやめようかと思った。申し訳ありませんと謝りつつ。

べつに会社の寮にいたって、同僚と飲みに行くとかそんな用事しかないから親孝行した方がいいんだろうけれども、私と弟が家を出てたった1年とちょっとでこんなに母が弱気になってしまうと、正直ガックリくる。昔からとても体が弱いし、まあ平均まで生きることもないだろうから私も親孝行するなら今のうちだろうと思うのだけれども、どうにもこうにも実家に寄り付きたくない気分なのだ。

長年忙しく働いてきた父が秋には定年を迎えて、毎日家でごろごろするようになるので、そうなったら母も元のように元気になるだろうか。弟が家から通えそうもない大学ばかり受験することはとっくの昔に気付いていたわけで、私が遠くの大学に通えばよかったのかもなあとも思う。急に二人ともいなくなってしまうのがいけないんだ、という発想。まあ人生をやり直すわけにはいかないので、これからどうしようということを考えるだけなんだけれども、空元気でもいいから母には強がってほしいと思うのです。

実家にいた頃は、毎日何かしら家事を手伝っていた。ただ飯喰らいなんだからそんなのは当たり前だという話で、それもそうだと私は納得していた。私は万事にドンくさいので、「お前はほんとうに世の中でやっていけるのか心配だよ」だなんてよくいっていた。それが今ではどうだ、実家に帰っても私のすることが何にもない。風呂掃除でもしようかというと、「いや、お前は休んでなさい」てな話だ。あれほどバカにしていた「子どもをダメにする親」をそのままやってしまっている。


弟は家事手伝い必須とか、小遣いが少ないとか、テレビゲームには時間制限だとか、そういったもろもろの母の教育方針に始終「冷たい」「鬼婆」とかそんなことばっかりいっていて、大学生で暇はアホみたいにあるくせに全然実家に帰らない。たまに電話をかけてくると金の無心だというのだが、まああれも可哀想だよなあと思わないでもない。私が変人なので、ふつうの人間である弟はいつも割を食ってきた。「お兄ちゃんはそんなこといわなかった」「お兄ちゃんはそんなことしなかった」

でまあ弟は厳しい母に文句ばかりいっていたが、もうちょっと家に帰ったらいいと思うのだった。まるで召し使いのようにふるまう母の姿に何を思うか。あのバカたれが。(でも私より勉強も運動もずっとできるし、なぜかアレルギー体質も遺伝しなかった。しかも変人一家に生まれたというのにふつうの人間だ。わが弟ながら、神秘的存在ではある。いろいろ才能があるので、いろんな不幸も我慢してほしい)


母は結婚するまで実家にいて、それで結婚後もしょっちゅう実家へ帰った。それはべつに父と喧嘩したとかではない。父が仕事で忙しかったということと、母の性格の問題だと思う。母は自分の実家に帰る日数の倍の日数、父の実家へ行っていた。父の実家はぶどう農家で、夏場がとにかく忙しいのだ。で、毎年夏になるとこれを手伝っていた。私が産まれてからも、毎年夏休みは父の実家へいった。いや、夏休みに限らず長期休暇のたびに両親のそれぞれの実家へいったものだった。

で、父は仕事が忙しいのでほとんどいつも千葉県で留守番。それで新幹線には数十回も乗った。小学校の修学旅行で新幹線を利用したのだが、初めて乗るというクラスメートが多く、わいわいはしゃいでいたのを呆れ顔で眺めていたような記憶がある。

母は父の実家が忙しいときに手伝いにきて、馬車馬のように働いて帰っていくのだから、姑(つまり私の父方の祖母)と仲の悪いことはなかった。かといって、仲がよいというわけでもない。ただ、私と弟が父方の祖父母に懐き、母方の祖父母を嫌ったことには悩んだこともあるようだった。このあたりははっきりと何かエピソードがあるという話ではない。


まとまりのない回想になってしまった。これも備忘録。

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