話が通じていないので、もう一度、整理して書き直します。
実際に法に訴えるのは、よほど圧倒的に勝つ(そしてたんまりと見返りがある)見込みのない限り、訴える側にとってもいい話ではありません。したがって、「訴えるぞ」という脅しはほとんどの場合、脅しになりません。「どうぞご自由に」と答えれば、相手はたまらずWeb上で(あるいはメールで)議論を吹っかけてくるでしょう。本気で法廷闘争に持ち込むつもりがない以上、脅しが通じなければ、議論で相手を説き伏せる以外に自分の不利益を排除する方法がないからです。
もちろん、賢い相手は話の通じやすいサーバ屋などに話を持っていきますから注意が必要です。議論の相手は自分だけだと思ってたかをくくっていると、いざとなってから慌てることになります。WWWにおける無断転載や名誉毀損といった問題を最も簡単に解決する方法は、サーバの利用規約を活用することです。それは知っておかねばなりません。(だから無法を咎められたら、基本的にはオシマイです)
ようするに私が申し上げていることは、軽々に発せられた「訴えるぞ」という脅し文句など、無視すればよいということです。ただそれだけで、お望みの議論がはじまります。あるいは逆に相手の方が折れて、問題が解消されます。しかしながら、実際に訴えられた場合にまったく勝ち目がなさそうな局面では、相手が本気かどうかによらず、素直に要求を受け入れる方が処世術としては正解に近いでしょう。とにかく、相手の脅し通り本当に裁判になるかどうか、容易に想像のつくことがほとんどなのであって、それをいちいち真に受けて怖がるのは愚かなことです。
簡単に「訴えるぞ」というバカを増やしているのは、じつはこうした簡単に「怖がる」人があまりにも多いから(というのがひとつの理由)です。もうちょっとみんなが頭を使えば、つまらない言葉のエスカレートも減るだろうにと思われてなりません。暴力に屈する人がいるから暴力が蔓延するという構図があるのです。暴力をふるう人だけを責めていても気休めにしかなりません。暴力をふるう側には(前回の更新で書いたような)「理由」があるからです。暴力が有効である限り、暴力はなくなりません。だから大切なのは、暴力に対抗する手段を、まず自分が持つことではないでしょうか。
腕力の強い人がボスになる、小学生レベルでとどまっていてはいけません。なぜ中学、高校、社会人と進むにつれて、暴力が力を失っていくのか。それは、暴力を相対的に低く見積もる価値観が、各人の中に育つからではないでしょうか。少なくとも、ガキ大将を先生が叱るから、ではないことは明らかです。「訴えてやる」問題解決への道も、同様だと思うわけです。