趣味Web 小説 2003-05-20

訴えてやる!

  1. magicink today/5月11日付
  2. Longhorn.NET/該当記事なし
  3. こせきの日記/5月17日付
  4. 幻燈稗史/5月20日付

もちろん、法に訴えても裁判という形で公正は担保されるはずだから、訴えることが脅しになるとは限らないはずなのだが、現実には訴えられることそのものが不利益になる場合というのはつねにある。

だから、法に訴える、と軽々に口にするのはよくない、とおっしゃりたいようなのだけれども、私は意見を異にします。なぜ法に訴えるぞ、という脅しが人気を博すようになったかといえば、伝統的な道徳観念が価値の多様化とともに力を失いつつあり、その一方で新しい価値観からある種の無法が堂々と行われるようになりつつあるという状況があるから(というのがひとつの理由)です。話し合いの前提条件、つまり議論の結果をどのような観点から整理し、評価していくかというルールを決めることさえ困難な局面が増えつつあるのです。

法に訴えることで、議論の評価軸を法解釈の問題、あるいは法律とどう向き合うのが社会にとって最善か、という問題に収斂させることができますが、混乱した現場を整理するのに、これ以上の方法はないのが実際のところでしょう。訴えることが脅しになるのは、実際のところ勝ち目がないことを自覚しているからであって、であれば話し合いと称する欺瞞を演じることなくさっさと身を引いてしまった方がよいのではありませんか。理のない者が相手をやりこめることに成功すれば、ろくな結果が待っていないことは目に見えています。

裁判が利益になるのは「バッチリ勝てる」人だけで、そうでもなければ誰が勝っても三方一両損あるいは三方大損にしかなりません。「訴えてやる」という言葉をわけもなく怖れるのではなく、よくよく状況を見て相手の言葉を値踏みするしたたかさを養うことが大切ではないでしょうか。「訴えてやる!」「わかりました、続きは法廷で話し合いましょう」「え!?」となるケースは少なくないはずです。

「訴えてやる」だなんて軽々にいうな、と主張すること自体はよいとしても、それだけいって満ち足りては何の利益にもなりません。「訴えてやる」という人はどうせ後を絶たないのです。したがって大切なのは、訴えることが脅しになるとは限らないと、よく認識することです。私はそこに1項の処世術を付け加えます。「訴えることが脅しになるケースでは、素直に逃げる方がよい」

さて、今回の話題の発端となっているケースについてですが、私ならこう対応するでしょう。

ところで、Longhorn.NETの管理人氏、日記ではこんなことを書いています。

それにしても最近Longhornの最新版リークされないですね。MS怒っちゃったかな~。そんな固いこと言わずに漏らしてくれればいいのに・・・。いくらでもテストするよ~。なんて・・・。まぁMSも最近、リークには神経を尖らせてきたのは事実だけど、Appleみたいな秘密主義になっちゃぁ困る・・・。彼らは少しでも情報を漏らすと、首だからなぁ~。だから毎年のMacWorldまで誰も新製品のことを知らないんですよね~。MSはでかい組織だからそこまでは出来ないと思うけど、お願いだから秘密主義だけはやめてね、MSさん!

ところが、Build 4008のレビュー記事が3分の1回しか完成しないうちにBuild 4015が登場しているのはどういうことでしょうか。サイドバーに関しては次回詳しく解説するが、ぶちゃけ使いにくい…といいっ放しにしている問題は? それでももちろん、自分に対する不当な発言に対して不満を表明するのは自由です。しかしながら、このような状況では、些細な発言に対して法的手段に訴えるといっても、かえって笑われることも多いでしょう。相当数の方々には効果抜群なのかもしれませんが。

おまけ情報。Longhorn.NETで疑問点とされている3Dインターフェースですが、じつはLonghornのインターフェースには3種のモードが用意されているのです。(参考:グラフィックス機能を大幅に強化した次期デスクトップOS「Longhorn」を初披露

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