ところで「猿丸幻視行」は近所の古書店でたくさん買った内の一冊で、後で確認すると50円の値札がついていた。一ヶ月で増刷がかかった第二刷で、定価は980円だった。乱歩賞の受賞作は私が生まれてから20数年で7割以上も値上がったことになる。規定枚数は当時と変わらない。本が売れなくなったということなのか。両親が幼いころ、書籍の値段が高かったことはよく知られる。蔵書を増やせば家財が消えたという。その後、好景気でインフレの時代に書籍の値段は長く微増にとどまり、父が20代の頃はバカ安になっていた。それで父は、読みもしない本をたくさん買ったらしい。
祖父母に聞くと、案外と昔の人も本を読んでいない。日課のように本を読むのはインテリゲンチャであって、庶民には字も読めない人がごろごろしていた。なるほど文盲は少なかったが、漢字は自分の名前しか読み書きできないなんて、珍しくもなかった。何せ小学校さえまともに通っていない人がたくさんいたのだ。それで本にも新聞にも振り仮名がたくさんあった。それはともかくとして、日本人はみなよく本を読んだなどというのは、60~70年代の夢物語だったのではないかと思われてならない。
父は80年代にも本を買い続け、そのいくらかは読んだらしい。だが、小説をさっぱり読まなくなった元文学少女の母にとうとう「本を買うのはいいけれども、置き場についても考えなさい」と叱られた。近所に図書館が建ってしまったのだ。自転車で5分の場所に図書館があるというのに、なぜ読みもしない本を買う必要があるというのだろうか。その指摘はもっともなのだった。会社帰りの手持ち無沙汰に本を買うのがパターンだった父は、これですっかり本を買わなくなった。と同時に、いっそう本を読まなくなった。新聞だけが父の御供となった。そして90年代、書籍の値段は高騰していくことになる。