大規模ネタオフとFlash mobsの最大の違いは、マスメディアに「インターネット発のムーブメント」として、詳細がきちんと紹介されているかどうか、という一点に尽きる。残念ながら、一部の大規模ネタオフは既報のフラッシュ・モブのいずれをも遥に凌駕する規模で開催されているにもかかわらず、継続的に記事に採用するのは2ちゃんねる系雑誌やネットランナーのようなニッチメディアに限られている。
米国発のblogが海を越えて世界中へ伝播している一方で、日本の日記サイト文化がユーザ数の割にマイナーであり続け、海外へ影響を及ぼすどころか日本人の間でさえ重要視されずにきた理由も同じだ。新しい文化をマスメディアが(意図せざるところにせよ結果的に)バックアップして盛り立て、グローバルスタンダードへと押し上げること、そして自国文化を外国へ輸出することにかけては、米国は超一流だ。ぼやぼやしていると、何でもかんでも米国が発祥の地と認定されてしまうのである。
別にそれでもいいじゃん、というのが日本人の生き方なのかもしれない。まあ、それならそれでも、たしかに私個人は困らないのだけれど。ただ、米国一流のハッタリを真に受けて恐れ入ってしまうのは、どうもつまらないと思う。サーカスのエキシビジョンマジックを見ているわけであるまいし、騙されて喜んでいても虚しいような気がする。してやられてから怒ってもしょうがないのであって、大規模ネタオフがフラッシュ・モブの模倣と誤解される理由について、関係者(?)は今一度考えてみてはどうか。
blogはWeb日記であり、MTはtDiaryに匹敵する優れたツールのひとつだ。フラッシュ・モブはネタオフの一種であり、日本におけるその第1回は、参加者数わずか9人に終わった。実態を見つめるなら、要はそういうことではないのか。(念のために申し添えるなら、日本におけるフラッシュ・モブの参加者数は、次回は2桁以上になると私は予想している)