趣味Web 小説 2003-10-04

界隈の常識、世間の非常識 2

宣伝は宣伝対象に手法を合わせるものであって、その逆ではないのが「一般的」だ。「テキストサイト界」とかいうコミュニティに属する人たちがどれほどマイナーな存在で、心の狭い人たちの集団であっても、その人たちを対象に宣伝をうつのであれば、その対象に合わせて宣伝すべきではないのか。自分の宣伝戦略は悪くない、宣伝する相手がおかしいのだ、という論法は、同日の日記にある「自称デザイナー」のコメントと同じだ。

Satoshi Saitouさんは私の文章を読み違えていると思う。テキストサイト界隈の文化を知らずに、界隈の住人を怒らせるような宣伝をするのはバカだ。それは私も賛同する。

問題はそこにあるのではなくて、テキストサイト界隈の住人が「アクセス厨」を侮蔑する言葉を吐くとき、「アクセス厨を軽蔑するのは人間として当然のコト」と信じているフシがあるということだ。対象に合わせて宣伝するべき、というのは宣伝する側の話。では、宣伝される側は自分の価値観を無条件に絶対視していてよいのか? それが私の問題提起なのだ。

テキストサイト界隈では、アクセス厨の言動は「信じがたい非常識」とみなされる。その傲慢さ、夜郎自大は指摘されないままでよいのか? 視野の狭さは、自分たちの価値観を「常識」とか「当然」とか言い出したときに最もまずい結果を生む。たまたま界隈のしきたりに疎い者に遭遇したとき、「生意気な野郎だ。やっちまえ!」と問答無用で叩きのめすのが正しいとは、私は思わない。

「よそ様ではどうだか知りませんが、うちの界隈では、そういうことになっているんですよ」という謙虚な認識があれば、過去のいくつかの騒動は、もっと違った展開になっていたはずだ。

正直、なんとなく微妙。「アクセス厨は侮蔑される」文化であることがわかっているのなら、あからさまな宣伝をしなければ良かったはず(例えば、結果として「趣味のWebデザイン」からのリンクを誘発した、先のわたしの書き込みは宣伝として機能している(こんなこと書くのは釈迦に説法ですが))。猛犬であることが解っていて、なおうかうかと近づいて咬まれたのなら、それは近づいた方にも非があるでしょう。

ただ、もちろんテキストサイト界の住人は犬じゃないわけで、「謙虚さがあってもいいんじゃない?」、という指摘について個人的にはそう思います。思うのですが、テキストサイト界の住人にしてみれば、それ(「宣伝は唾棄される行為」)は譲れない一線だったのだろうと思うと、極端な反応に振れてしまったというのも解らないではないのです。(面白がってやったというなら論外(それは個人的には極端に反応しかねない、譲れない一線)ですが)

そして「極端に反応するのってどうよ」という話であれば、それは「テキストサイト界の外では一般的」云々という話ではなくて、「フレーミングを避けるために」とかいったエチケット(「反論をアップする前に半日から一日ぐらい間を置きましょう」とかいった類)の話になるのでは。

私の説明が悪いのかな。私の発言意図とかなりずれた反応に困惑。もう一度書きますね。

犬についてちゃんと調べていれば、犬が人を噛むことがあるってことはわかります。ただ、ちょっと調べただけではわかりません。試しに、犬は人を噛むことがある、という記述のある文書を探してみればわかります。たいていの犬の説明にはそんなことは書いてありません。(註:犬が人を噛むという事実を知らないと仮定して探すこと)

しかしそうはいっても、無知の罪は糾弾されてよいでしょう。ただ、私がいいたいことは、テキストサイト界隈の常識を人類の常識と勘違いしている人が少なくないので、現状では無知の罪が糾弾されているのではないということです。「そんなことをするのは人間としておかしい」「いちいちいわれないとそんなこともわからないのか?」そういう非難が行われている。界隈の住人には、自分の常識が、世界の常識になってしまっている人が多いのです。

テキストサイト界隈なんてのは世界の辺境に過ぎないという認識が、一番肝心な場面でスコーンと抜けてしまう。フナニチにあるように、界隈の住人は「俺たちって変だよね!」といって笑いあっているけれど、本音では「俺は常識人」と思っているらしい。もちろん、総体としては常識人なのでしょう。けれども、ことに界隈のしきたりに関しては、「世の中の常識をふつうに当てはめればこうなるでしょ」と思うのは危険なのです。その危険に無頓着な人が多過ぎませんか?

「説明されなくても、界隈のしきたりに精通しているのが当然」という傲慢さは、界隈の常識が人間の常識とイコールであるという勘違い抜きには成立しません。界隈の常識に反する行動をとる人に対して、「人間がなってない!」と批判するのではなく、「この世界についての勉強が足りない!」と批判していたら、いくつかの騒動は、かなり違った展開を迎えていただろうと思うわけです。

私が問題にしているのは、極端な反応ではなく、批判者の根拠のとり方です。すぐに「人間として当然」とか言い出す人は、テキストサイト界隈のマイナーなことを思い出すべきなんです。自分の常識は、本当に世の中の常識なのか、疑うべきなんです。そうすれば、狭い界隈のしきたりを「知らなかった」人への対応も自ずと変わってくるでしょう。

例えば、「非常識! いい大人がよくそんな恥ずかしいことをできるものだ!」と怒るのではなく、「この界隈で成功したければ、もっとちゃんと勉強しなきゃダメだよ」と教え諭す……というように。

「そんなことくらい、なぜ説明されなきゃわからないんだ?」という怒りはたいてい、理不尽です。俺世界を一般化し過ぎている。世の中にはいろいろな思想的立場があり、常識も多様化しています。同じ価値観を共有していない人が世の中にはたくさんいるのだから、説明なしで意図が伝わる方が珍しい現象なのです。

テキストサイトがマイノリティであることを忘れてしまいがちになるのはすごく危険なことなのではないかと思われ。私も時々忘れてて、仲の良い同僚とかとネットの話をしていたりしているとき、その子がインターネットをよくする子なのにも拘らずテキストサイトのことは一切知らなかったりで、はたと気付いたり。

フナニチで問題とされているのは、あくまでも知識レベルの話。けれども、実際にはテキストサイト界隈のマイノリティであることは、その文化・しきたり(=常識)においてこそ問題なのです。知識が共有されていないことなんてのは、お互いにすぐ認識できるのだからたいした問題ではありません。価値観が共有されていないことは、なぜかお互いになかなか気づかない。そして、深刻な摩擦へと発展していくのです。

宣伝を忌避する界隈に宣伝したのだからああなってしまって、その勉強不足だった点について宣伝した側の非難は免れ得ないけど、それはそれとして、もうちょっと指摘の仕方というか、ものの言い方というものがあるよね、と。そういうことですか? (誤解してるかな)

概ねその通りです。

ただ、界隈の常識を人類普遍の常識と勘違いしている限り、半ば必然的に指摘の仕方を誤るだろう、というのが私の主張のキモです。自分の常識は界隈の常識でしかないのではないか? その疑いを忘れるべきではないということ。少なくとも、「界隈の人がみんなそういっているから、これが世の中の常識だ」なんて短絡することだけは絶対に避けたほうがよい、って話。

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