つい先日、サイトバレで移転したいやしのつえに言及したばかりなので、運命というのは面白いものだなあ、と思いました。
私の場合、ばれた相手は某知人なのですが、ばれた経緯をある程度把握できる状況でした。はてなでの質問が検索にひっかかり、そこから「***=徳保」と気付いたんですね。そして、とても嬉しそうに、「***くんというのは、徳保くんだよね?」と。もともと当サイトの読者で、このたび悪意あってカミングアウトした、というわけではありません。
知らないうちに読まれているならそれでよくて、基本的に会社とかで罰を受けるようなこと(機密の漏洩とか)はやっていないし、その意味では、過去ログを公開し続けても決定的にまずいわけではありません。けれども、やはり気楽に書き続けるためには、書いたものを放置するためには、高校文芸部関連の知人以外が読んでいる可能性を無視できる状況がほしいんです。もちろん、それは幻想でしかありません。けれども、やはり自分を騙せるかどうかは、少なくとも私にとって無視できない問題なんです。
今年の1月30日に、私はこう書いています。
私は非常に怒りっぽい。備忘録を書くようになってからというもの、私はようやく、はっきりと自覚した。私は従来、怒らない人として知られていた。皆が怒りに燃えているとき、バカバカしいと思って冷めていることが多かったからだ。皆が怒っている対象よりも、つまらないことに怒っている皆の方が、むしろムカつくのだった。見るべきところが違うだろ、本当に怒るべき相手を間違ってるだろ、と。だが、備忘録を読み返してみてつくづく思う。何だ、自分も同じじゃないか。つまらないことに、見当違いのことに怒ってばかりだ。おかしな方角を向いてはいるが、毎日のように何かに怒っていて、その姿は実に馬鹿げている。(中略)
私は文章を書くのが嫌いである。面倒で面倒で仕方がない。そんな私が備忘録を書き残すようになった。私はなんでもすぐに忘れてしまう。私が思い出せるのは断片的な物語だけで、私がその日そのときその世界に生きていたという実感がまるでなくなってしまう。もう中学生の頃のことは物語としてしか思い出せない。だから、物語にならなかった部分は、もうすっかり失われてしまったといっていい。物語に欠落しているものはたくさんあるけれど、とくに残念でならないのは、ふと思ったこと、考えついたこと、妄想したこと、そういった行動を伴わない瑣末な思考活動がほとんど残っていないということだ。日記でもつけておくのだったと後悔するが、実際、私は何度も何度も日記を書こうと挑戦してきた。そして敗北を重ねてきた。中学、高校の頃は記憶の喪失が非常に早く、思い出せない世界はわずか3年前まで迫ってきていた。この調子では、二十歳になる頃には昨日のことも物語としてしか思い出せなくなるのではないか、と不安でならなかった。
自分の昔の考えを読み返すのはとても楽しい。記憶喪失の津波は緩やかになり、このところあまり不安を感じなくなってきた(ひょっとするともうすっかり物語に飲み込まれたのかもしれない)のだけれど、とにかく昨年、私はまた備忘録を書きはじめた。これもすぐに行き詰まった。文章を書くのが面倒で面倒でやってられなかったのだ。文章を書くのがつらくて、その気力がわいてこなかったのだ。このあたりの苦闘の経過は、掲示板のログに残っている(HTML文書を作成するのが面倒なので掲示板に自分だけが書き込みできるようにして備忘録代わりに使っていた)。そんな私がこうして連日のように長文を書けるようになったのは、日々ふつふつと湧き上がる怒りのエネルギーを素直にぶち込む感覚をつかんだからだと思う。
この項、続く。いや、続かないかもしれないけど、私の中でこの話題はまだ全然書き終えていない。でも今日はここで放り出す。
あえて、ありえない仮定を持ち込まなければ、この1年余りの備忘録は書くことができませんでした。そんなもの書くな、という意見もあっていいし、いや、実際に何度もあったんですけれども、ご安心ください。サイトバレしたから、もう書けません。
私がいったん備忘録のログを削除してホッとしたのは、バレてからわずか*時間後のことで、いわば緊急避難的措置でした。けれども、問題ないところだけ残してすぐにログを復活させるつもりだったのに、作業に取り掛かったら頭を抱えてしまいました。決定的にまずい内容は、ないといえばないんです。でも、これは嫌だな、というレベルで選ぶと、大半の記事が消えます。
あの人もこの人も読んでいる、と仮定して書いても、ひょっとすると同じ文章になったかもしれない記事はたくさんあります。けれども、それを書いた自分は、そういう事態を想定していなかった。だから、やっぱり嫌なんです。これからの備忘録は、前提条件を変えて書いていくわけですが、読者には何が変わったんだかあまりわからないかもしれません。私はナチュラルメイクを心がけますので。けれども、私自身の気構えが違うのです。他人にはすっぴんに見えても、私がそうでないと知っていれば。(と、化粧しない人間が書いてみる/聞いた話を転用)
私が備忘録をこの場所で再開した理由は、だからじっぽさんの理由とはちょっと違っているように思う。私の場合は、書いてきた内容自体ではなく、執筆時の自分の心のありようだけが問題なのだから。そして備忘録以外は、読まれても問題ない記事でした。だから、ばれた直後にも、サイト自体の閉鎖は考えませんでした。公開継続が苦痛に直結する文書だけを消せばよかったのです。そして今後も、読まれてもいい記事だけ書けばいい。
……ここまで書いてきて、今回の私の対応は、じっぽさんのそれと比較して、なんというか「深みがないな」なんて思いました。