趣味Web 小説 2003-12-04

儀礼的無関心

リンクも好き勝手にできないなんて! という理由で、やる気をなくしてしまう人の方が重要だと思うのだけれど。

反論されて泣くのが反則であるように、アクセスが集中したのに耐えられなくて消してしまうというのも一種の反則だと思う。もちろん、それでも消すのは勝手だけれど、それをいうなら、消されて残念がるのも勝手ということになる。弱者の抵抗としてのサイト消しは、当人にとっては単なる逃避行動かもしれないけれど、この手のことはリンクした側の精神にボディーブローのように効いてくる。

だったらリンクしなければいいじゃないか、というのはまったく一方的な意見であって、リンクの自由に依拠した楽しいサイト、需要のあるサイト、面白いサイトはたくさんある……ということを忘れないでほしい。サイト全体を賭けた話に対して、たかがリンクひとつの配慮もできないのか、という見方もあるだろうけれど、この手のことは一事が万事だ。リンクひとつのことが、結局はサイトの寿命を縮めていく。

それはともかくとして。

「リンクしなくても大手サイトは存続しうるが、リンクされた結果、小さなサイトは死んでしまう……だから、リンクしない選択を」という論旨の展開は、弱いサイトに肩入れし過ぎて状況を見誤っていると思う。儀礼的無関心の推進もまた、多くのサイトを殺すだろう。

結果としては、誰も幸せになっていないとは近視眼的に過ぎる。例えば、国民全員の行動を随時監視していれば犯罪はほとんど起きなくなるだろう。小悪を徹底的に排除しようとすれば、自由を制限するしかない。だが、それゆえに不都合も大いに生じることはいうまでもない。犯罪さえなくなればいい、というものではないだろう。マイナーなサイトが、大きなアクセスでつぶれてしまう……それは、WWWにおいてありうるリスクだ。それ自体は残念なことだといっていい。しかし、だからといって儀礼的無関心なるものが正解となりえるか? 目先の問題を解決できればいいのか。

ノーリスクの追求は、大きな利益の逸失につながる。私はそれを危惧する。基本的に、リンクの自由が「正論」とされている状況を、私は護持したい。

追記 12月7日

ううむ、出遅れたつもりでいたけれど、結果的にはむしろ早い方だったか。

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