趣味Web 小説 2003-12-16

靴の値段

東京へ出てからしばらく、1足しか靴を持っていなかった。靴を洗うときはサンダルを履くのだ。

最初の靴は案外早くにヘタってしまったので、前の靴を買ったのは昨年のことだったと思う。その靴が、ろくに歩いてもいないのに、もう磨り減った。通勤の朝夕でせいぜい 4km に満たない程度を1年で、弱い靴はダメになってしまうということを知った。たぶん私はこういうことを繰り返していて、いつも前のときのことを忘れて驚いているのだ。今回は、こうして記録しておくことにする。

前回は西友で特売品を買ったので、今回は PARCO で買ってみようと考えた。私は迷子になりやすいので、ちゃんと1階のカウンターで靴屋の場所を訊ねた。受付嬢はいつも暇そうにしていて、仕事らしい仕事をしているのを見たことがない(単に PARCO は高いので私が滅多に近づかないということでもあるのだけれど)。まあ、つまらない質問でも邪魔にはならないだろう。

というわけで靴屋についたのだが、なんだか居心地が悪かった。まずは値段を気にせず、目に留まったものをいくつか記憶する。とくに考えやこだわりがあるわけではない。それでも、あまりにもたくさんの商品があるので、嫌でも選ばないわけにはいかないのだった。土台、こういうのは苦手である。どの靴も、誰かが一生懸命作ったものだろう。とくにこだわりもないのに、足のサイズやら用途やらといったまともな理由以外で選択しなければならないのは、どうにも苦痛である。

ものの3分で店内を一周した。客はまばらで、店員の方が多い。こんなことで大丈夫なのだろうか。そう思って棚を見ると、違和感の原因と対峙することになった。

だいたい私は、ガラス製の棚に1足ずつ丁寧に見栄えよく飾られた靴には、とても似合わない人間である。人がどう思うにせよ、私自身は、そう思う。気後れがするのだ。金持ちの真似事などしても、子供の背伸びでしかないように感じる。実際、そうではないのか。息が詰まるような思いがする。足早になった。ふと気付くと、これを求めようかと思った靴の前にいた。値段は……

0が一つ多いんじゃないのかなあ。

しばしポカンとして、ふらふらと店を出た。

駅前広場を挟んで向側が西友だ。とことこ歩く寒空の下、だんだん元気が沸いてきた。西友にはたくさんの買い物客がいて、今日も紳士靴の特売をやっていた。特売台の上に靴が山積み。こんなに売れるのだろうか? 色と足のサイズと用途だけで選ぶ。1足しか持たないのだから、通勤と日常用のどちらにも使える中途半端なデザインがいい。というと、特売棚にはたいてい1種類しかない。こういう選び方が、私には向いている。

1900円也……悪くない、と思った。

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