趣味Web 小説 2003-12-16

デフォルト設定に引きずられる人々

「MTとはてなで書いてるんですけど、その二つで書く内容がずいぶん変わってくるんですよ。MTは一つの記事を書くのに気合いがいるので、簡単に追加できない。はてなは逆に、一行コメントでも簡単に書ける。内藤さんが「Yeah!参加者はトラックバックして」と言っていたが、ただそれだけのためにエントリーをMTに投稿するというのはつらい。しかし、はてななら「今から行ってきます」も可能。そんなふうに、ツールごとに特性、使い分けが出てくると面白い。DoBlogさんならこういうことを表現するのにいい、とか、ココログならこう使うのに便利、とかいった特色が出てきて、使い分けが可能になれば、いろいろなサービスが出てきても面白いことになると思います」

はてなと DoBlog とココログは例として適当だけれども、MT まで引き合いに出すのはどうか。MT はユーザがかなり自由にカスタマイズできる。当サイトではコメントも TrackBack も拒否しているし、続きを読むとかそういった機能も排している。例えば、こういった使い方もあるということ。MT ははてなのようにもできるし、DoBlog やココログのようにもカスタマイズできる。

ただ、現実問題として MT をデフォルト状態にほとんど手を加えずに使用している人が多いのは事実で、プラグインを導入しても、それは結局「デフォルト状態+プラグイン」といった感じであることが多い。見た目をどうこうするなんてのは、カスタマイズの内にも入らないような話なんだけれども、それで満足している人が多い。勿体無いというか、不思議な話だ。

私が MT を選んだのは冷麺が自分のスタイルを崩さず導入することに成功したのを見たからだった。ツールに振り回されないためには、カスタマイズの自由度が保証されている必要がある。とくに、余計な(うるさい)機能の排除を強く望む私にとって、MT はいいものに見えた。blosxom を選ばなかった理由は簡単。ほしい機能を追加するより、いらない機能を削る方が簡単だからだ。

さて、ごく簡単に書くと、MT をはてな風に使いたければ、個別記事のアーカイブを作らないことだ。最小単位は日毎にする。月毎のアーカイブにも記事を全文表示するようにする。ここまでが重要で、あとはこだわり次第でいろいろ。最近の記事一覧とか、最近のコメント一覧などは表示しない。はてなのヘッダーを模したテーブルを最上部に据える。……このようにすれば、MT をはてな風に使えるようになる。

現在はデフォルトの設定通りに個別記事のアーカイブを生成している人が多く、それだからつまらない更新ができないという自縄自縛に陥る。日毎のアーカイブを最小単位にすれば、つまらない更新をいくらでもできるようになる。自分のカスタマイズの問題なのに、「MT はこうだ」などと可能性を小さく小さく見積もるような意見をよく見かけるので、この機会にちょっと書いてみた。

追記(2003年12月17日)

より限定すれば、私はMTは一つの記事を書くのに気合いがいるので、簡単に追加できない。この一言に対してコメントしました。記事全体への意見でなければ TrackBack お断りですか?

まず、私は「はてなスタイルで気軽に投稿したい」などと言っているわけではない。日付ごとの投稿スタイルだと気軽に追加しやすく、エントリーごとの独立スタイルだと一つの記事への追加に気合いがいる、ということを示すために、典型的な例を持ち出したに過ぎない。

松永さんが補注なしに「MT = 各記事が独立した形」として発言なさったことは間違いなく、その裏には、その手の共通認識が界隈に蔓延している事実があります。現状では、単に MT といったら、誰もが各記事の独立した形を連想します。

MT 自体はどうとでも使えるツールなのに、そのような認識が一般化したのはなぜか? 「MT = ウェブログ(専用ツール)」という、松永さんが過去に何度も批判した誤解が、消滅するどころかHTMLへの誤解と同様に規定路線へと突っ走りかねない状況となっているのはなぜか?

後段の問題提起には注釈が必要でしょう。HTMLと同様、濃い人々の間ではツールをウェブログと混同する愚は排除されました。しかし裾野が広がるにつれて、誤解している人数はどんどん増えています。松永さんの説明によればさるさる日記だってウェブログになりえます。勝谷誠彦の××な日々。などいかにもそれらしい。なのに、雑誌のウェブログ特集で「ウェブログツール」としてさるさる日記が紹介されることはない。わかっているはずの人たちが、誤解を拡大再生産しかねないことをやっています。

松永さんは「MT = ウェブログツール」という誤解が誤解だと知っています。しかし、その松永さんでさえ、単に MT といったとき「各記事が独立した形」をみなが想像するという MT の虚像に依拠した発言をなさる。結局、多くの人々はデフォルト設定に引きずられるのです。

自分はわかっている。身近な人も誤解から解放されている。わかりやすい説明も書いた。だから安心……でしょうか? W3Cがあれほどわかりやすい仕様書を書いても、ほとんどの人はそれを読みませんでした。視覚系ブラウザのデフォルトスタイルに引きずられて、大多数の人々はHTMLをレイアウトの記述に使う言語と誤解しました。そうして、HTMLは広まっていきました。MT もそうなります。現実にそうなっている。

MT はウェブログにも使えるツールです。しかしこのままいけば、バカ日本地図は「MT がいわゆるウェブログの専用ツールではないことを証明した例」ではなく、「ウェブログツールの可能性を広げた例」と解釈されるでしょう……。

以上、私の問題意識をご理解いただけましたでしょうか。

追記(2003年12月18日)

DoBlogの方とお話ししたときにすでに文脈(コンテキスト)として「私がMTを使って運営している“ウェブログ@ことのは”では」云々だった、ということであって、別にMT一般論を話していたわけではない、ということで徳保さんには理解していただければと思います。

なるほど。なぜ松永さんがデフォルト設定に引きずられている?このサイトが?というタイトルで反論をお書きになったか、そしてその内容が「私はデフォルト設定に引きずられていない」という説明を主としていたのか、理解しました。私は「MT = 各記事が独立した形」として話が通じる空気が、MT への偏見と誤解を象徴するものと考え、それ故に「デフォルト設定に引きずられる人々」と書きました。

ところで、松永さんは主に想定されている使用法を想定して語ることが、そのツールの可能性を狭めるというのであれば、ちょっと杞憂とおっしゃいますが、私はそう思いません。この件については、後々また別の記事を書くかもしれません。

「MTがいわゆるウェブログの専用ツールではないことを証明した」ということと「ウェブログツールの可能性を広げた」ということはまったく矛盾しないと思います(ウェブログ≠ウェブログツール)。「ウェブログの可能性を広げた」という趣旨なら理解できるのですが。あと、「MTはウェブログにも使えるツール」と書いてありますが、「MTはウェブログ用ツールとして開発されたが、それ以外にも使えるツール」というのが正確だと思います。

ご指摘の2箇所について、私の記述の不備を認めます。

Information

注意書き