若者の就職率が低下している、フリーターが増加している、という話があって、政府が対策に頭を悩ませているそうですね。私はそんなの、基本的には放っておけばいい、と思う。
好きな仕事につけばいい、といわれたら、逆にいって嫌いな仕事はしなくていい、という話になります。つべこべいわず働け、というには日本の現状は豊か過ぎるので、仕事がつらければ仕事を辞めてしまうわけだし、気に入るような職種につけなければフリーターでいいという話になります。だいたいね、下水道の掃除夫に憧れるような人なんて滅多にいるわけない。絶対に必要な人数とやりたい人数がつりあわないわけですよ。だから、好きな仕事をすればいい、なんていっていたのでは世の中成り立ちません。
ま、若い労働力がこれだけ余っているところをみると、労働力不足による外国人労働者の受け入れという線はこれで完全になくなったな、と。工場は今後も海外へ移転の傾向ですしね……。しかし日本はどうなっちゃうんだろうな。お勉強のできない人の仕事がどんどん海外へ行ってしまってるわけですが、日本には相変わらず多勢のお勉強のできない人が残されているというか、むしろ増えつつあるわけで。文部省はもちろんのこと、バカ親連中はそのあたり、どう落とし前をつけていくのだろう。
以前にも書いたのだけれど、子どもを少しでも勉強のできる子にするために親はどうしたらいいか、という話など。
1冊だけおすすめするならば、向山洋一「どんな子だって勉強できる子になれる!」は必読。向山さんはいろいろ問題の多い方とされていて敵が多いのだけれども、本書は毒が抜けていて一般の方にも素直に読めると思います。
私は大学時代の一時期、「生徒の成績を上げる方法」について論じた本を、おそらく某C大学教育学部の誰よりもたくさん読んだと思います。1年半で300冊以上読みました。で、塾でいろいろ試しました。私の実力はとうとう頭でっかちに追いつきませんでしたが、あるグループの研究成果がずば抜けて素晴らしい効果を生むことが確認できました。そのグループというのが、向山さんの率いるTOSSだったのです。私はTOSSの方法論を推しますが、向山さんがたいへんアクの強い方であったために、TOSSは教育界の鬼子となりました。ダントツの実績がありながら、主流とはなりえなかったということです。
それはさておき。できない子を、少しでもできる子にするにはどうしたらいいか。
とくに小中学生の場合、一番大切なことは、親と子が一緒に勉強することです。このとき、親は子どもより断然よく勉強ができねばなりません。クラスで下位にあまんじる子供より、その親の方がもっと勉強ができないというケースが非常に多いのですが、それはいけません。子どもの学習意欲を失わせる元凶となります。できない親は、必然的に子どもを一人で勉強させることになります。できる子の場合、親がつきっきりで教えるとかえって能率が低下しますが、できない子に一人で勉強させると能率はほぼ0になりますから注意が必要です。できない子には、親がついてあげなければなりません。といってもあれですよね、たいていの親は勉強の教え方を知らないからなあ……。そうそう簡単な話ではないのですけれども。この話は、また機会があったら書きます。今日はちょっとダメっぽい。
どうでもいいけど、TOSS関係者はSEOの基本がわかっていない。教育ポータルサイトなのに、教育というキーワードが表紙にないから、教育ポータルサイトとしての検索順位がひどく低いのだ。「教育技術」「授業」といったTOSSが最重要視するキーワードでさえ、ちっとも上位にこない。もう一点、TOSSに参加する教師がみな揃いも揃ってHTMLに無知なのはどうしたわけか。TOSSはボランティア教育などに実績があるのだが、どうもなんというかあんまりにもあんまりな状況なのですべてが怪しく思われてくる。HTML文書の書き方とか、アクセシビリティーに詳しい人がもう少しいてもいいと思うのだが。
「電波」とか「困ったチャン」とかに絡まれやすい
のは、単に類は友を呼ぶという話なんではなかろうか。つまらないことに怒るという点が共通しているので、絡まれたというほどのことでもないのに大袈裟な方向へ話が展開していく。
批判対象の行動を「ガキのやること」と評しつつ、自分も同じことをしてみせるのはどうしたわけか。ねぇ、鋭い感性の女の子ならさ、なんで他人の気持ちを察することが出来ないんですか?
とおっしゃるのはいいが、あなたも批判対象の気持ちを察してそっとしておいてやればいいのに、と思う。どうせ相手は電波だから話なんて通じないんでしょ? 諦めているんでしょ? なのになぜ突っかかるのですか。いいっ放しで勝ち誇ったような顔をしているのはどういうわけなんですか。
不幸自慢する人が多くて困るよ、という不幸自慢。
もちろん、悪いことをするやつが悪いに決まっている。けれども、例えばこんな話があります。イラクの攻撃にあっという間に屈して国土を占領されたクウェート指導層は、じつはけっこう米国などに非難されたものでした。自分で自分の国をちゃんと防衛しないで、他人の力を借りて国土を回復することしか考えていない、と。あるいは、いまどき旅行中に玄関の鍵を開けていて泥棒に入られたといったら、誰も(深くは)同情はしてくれないでしょう。
クウェートを占領したイラクは避難されてしかるべきで、当然のように罰を受けました(しかしイスラエルはどうなっているのか)。玄関の鍵が開いていたのだとしても、泥棒はちゃんと有罪判決をくらいます。玄関の鍵云々では情状酌量など一切されません。
でもね、だからといってクウェートが批難されないというわけではありません。玄関の鍵を開けておいてもいいんだ、という話にはなりません。できる限りの対策をしていて、それでも被害にあってしまった場合と、他人の善性に期待して無防備にしていて被害にあう場合では、社会の見る目が違ってくるのです。それは悪者を正当化する話ではないのです。世の中には残念ながら、悪いやつがいます。それは認めざるをえない。だから、無防備にしている人は馬鹿なのです。被害に遭うことは予想できるのに、対策をしていないからです。
くりかえしますが、これは悪者を正当化する話ではないのです。警察だってね、鍵を開けっ放しにしていて泥棒に入られました、なんて間抜けな話には付き合っていられないのです。服装と痴漢の話も同様なのです。扇情的な服装をしていたって、そりゃあ痴漢するやつが悪いのは当たり前です。当たり前ですが、わざわざ危ない格好をしている必要もないだろうと思う人がたくさんいるのも当然のことなのです。
世の中から少しでも犯罪を減らすにはどうしたらいいか。まず、悪い人間を育てないことです。そして、不幸にも悪いことをするようになった人間を捕まえることです。最後に、各人が自分が被害者となることがないよう、できる限りの対策をすることです。悪党を責めるばかりで、自分の無防備を正当化するのはどうかと思います。
アクセス数至上主義を批判する意見としてよくあるのは、内容の充実をおざなりにして、宣伝に走ることになりがちだからよくないというもの。
私は思う。いくら宣伝したってアクセス向上は実現できないのだから、むしろみんな一度は疲れ果てるくらいに宣伝をしてみた方がいいのではなかろうか、と。逆説的な話ですが、「ロマンチストはリアリストよりもリアリストである」といわれます。現実的な判断に長けて挑戦を避け続けるリアリストは、夢に挑戦して厳しい現実を知るリアリストよりも現実に疎くなりがちだからです。宣伝なんかでアクセス向上に成功できるものならしてみろ、といいたい。
本気でアクセス向上を考える人は、結局はサイトの内容の充実に力を注ぐことになります。さもなくば、夢破れてアクセス向上の旗印を降ろすでしょう。アクセス向上に近道なし。だからアクセス数至上主義を悪くいう必要はないと、私は考えます。
喫茶店の運営でも同様です。目先の数字にこだわってがつがつしても、結局はうまくいきません。だから正統派の運営に立ち返ることになります。ビジネスの世界では十年一日のごとく原点回帰が謳われているのですが、これは故なきことではありません。なお、「サイト運営の原点はコミュニケーションにある」と決まっているわけではないので、注意が必要です。いろいろなケースがありえます。(参考:中級講座[企画篇])
あぁーもう! 怖いもの見たさでメンタル系サイト行ったら気持ち悪くなった!
あえて問題発言をします。あえて。鬱病とかパニック障害とかPTSDってのは結局のところ、「病状や薬名を羅列して公表し、詩を書いたり写真を撮ったりしたくなる病気」なんですか? あえて言ってます。
闘病を表現するのに詩以外の方法はないんですか? 自分の病気を分析するのに病状の羅列しか方法がないのですか?
病気なのは分かった。文章を書くことがセラピー効果があるというのも知っている。好きにすれば良いです。嫌なら見に行かないし。ただ分かり難い下手な詩を書いて、病状を羅列したからって「私を理解して」とか要求するのは止めてください。ついでに他人様の掲示板で病気を言い訳に、突然ディープな身の上話を吹っ掛けるのも止めて下さい。幸い、うちの掲示板にはいませんが。
勘違いしないでほしいのは、あえて言ってるって事です。例え管理人が精神の病気であっても、好きなサイトはあります。そういう所は、閲覧者に予備知識として「管理人の心の病気」を必要とさせない。もしくは真摯な闘病の姿勢を持っています。分かり難い詩だけで病気への理解が深まるとは考えていないのでしょう。
(後略)
以下は、私の感想。
闘病記録のサイトではない。自己表現のサイトであり、仲間同士が集まる拠点となるような、自分の居場所作りのサイトである。
とまあ、私もあえて露悪的に書いているわけですが。
発端は、当サイトへリンクした「地下食堂の白い猫」の日記にムッとした私が、当該の日記および「テキスト」の分類で収録されていた文章の全てを批判的に紹介したことでした。