匿名対象01 山田大佐批判

平成15年1月11日

にゃごろう村周辺でまた何か起きている。

まったく厭らしい奴だ。僕を批判するなら直接すればいいものを、何をトチ狂ったか苗字にあてつけての「山田姓」批判である。

山田大佐には、ひとつだけお願いしたい。誰のどのような発言に対して怒っているのか、ちゃんとリンクして情報を示していただきたい。現状では、要するに陰口とかわらないではないか。あるいは一方的なプロパガンダの発信と同等ではないか。

読者としては、こういった誰のどのような発言に対して怒っているのかさっぱりわからない記事は困る。イライラの元だ。

事情があってどうしても参照情報を示すことができないのであれば、そんなもの、読者に見せない方がよい。それこそ批判するなら直接すればいいものをといいたい。つまり特定の誰かさんにしか理解できないような文章は、メールでやりとりすればいいだろう。サイトの記事にするなら、第3者にも最低限の状況説明が必要だ。一般論としての**批判ならともかく、特定のどこかのサイトの批判なのだから。

最近とくにこうした手抜き記事(読者が記事の真実性を確認する手段を意図的に隠蔽するという意味で卑怯な記事といってもいい)が目立つので、苦言を呈しておく。批判をやるなら作法を守ろうよ。

平成15年1月18日

メールを貰う。気になる一節があったので、嫌な予感がしてにゃごろう村を訪問した。はたして、再閉鎖の予告が……。最悪だ、最悪の結末だ。

平成15年1月18日

本日の備忘録の大半は、にゃごろう村の山田大佐宛ての私信です。

平成15年1月18日

私にダメージを与えることが目的なら、山田大佐の対応は会心の一撃。私はどうにか以下の反論を書いたけれども、伝わらない言葉に意味なんかない。

ちょっとした不満を口にしただけで閉鎖とは……。私は、自分の見通しの甘さを痛感しています。閉鎖は最悪の結末です。それなら、批判の作法に不満はあっても、村が存続した方がずっとずっとよかったのに。

村の更新が再開されただけで嬉しかったはずなのに、たった3ヶ月で村が更新されることは私にとって当たり前になっていました。だから、ちょっとした不満をつい口にせずにはいられなかった。足ることを知らない自分。自分では何もできないくせに文句ばかりいう連中は唾棄すべき存在だと思っていたのに、じつは自分もその一員だったのです。私にはにゃごろう村を存続させることはできないのに、その更新スタイルを批判していた。山田大佐が極度に批判を嫌う人だということはよくわかっていたはずなのに。私はバカです。大バカです。

唯一の望みは、即時閉鎖とならなかったこと。翻意を願ってやみません。

平成15年1月18日

7年前、高校時代の復讐とか、見当外れの予想のすべてにはいちいち反論する気力もない(凡人の人生に起きる個々の事象はそんなに大げさなものじゃないということは常識的に考えればすぐにわかると思う)けれど、最後にひとつだけ、これで最後ならばどうしてもひとつだけ、いっておきたいことがあります。

たまたま僕の学歴が低いことを罵り続けたことは忘れない。

以前から、何度も何度も説明してきたのに、どうしても解けない誤解。私は大佐の学歴を罵ったことなどありません。大佐自身が罵倒だと感じているなら罵倒なんだ、という意見もありえるでしょうが、それはおかしいと思う。私はむしろ、大佐の学歴は悲観するようなものではないということを、くり返し説いてきたつもりなのです。

大佐は、私(徳保)は学歴が高いから一流企業(具体的には東証一部に上場している企業)に入社できたのだと思っています。けれども、それは大きな誤りです。以下、私の同期の出身校を列挙します。学校名と並べて書いている数字は、代々木ゼミナールによる今年度版の合格可能性50%の参考値(四大のみ記載)です。

ちなみに、大佐の在籍する学科は参考値51です。少なくとも大佐がいうような40台ではありません。4年前は今よりずっとレベルが高かったといいます。学歴から考えれば、大佐は十分に私の会社に入社できそうです。念のため書き添えておきますが、私の会社は職種による給与の差はありません。全員、手取り16万円の月給です。私のように寮に暮らす人は手取り14万円です。

大佐はFWでくり返し、自分の大学は底辺大学だといっています。だからまともな就職なんてできるはずがない、とも。けれども、私の同期には大佐の大学よりも偏差値で10も低いところからきている人がいますが、彼だって自分の出身校は底辺大学だなんてことはいいません。大佐がリポートしているように、学生の授業態度などはしっちゃかめっちゃかだそうです。それでも彼は勉強をちゃんとやって、好きだった情報技術を極め、よい成績で卒業し、現在は会社の情報部門という管理部門の中枢で働く技術者として皆に期待されています。

日本は学歴偏重の社会といわれますが、必ずしもそうとはいえません。ある程度の逆転の道が、常に用意されています。だから、諦めないことが大切なのです。

大佐は否定的なデータにばかり注目して、努力しても無駄なんだ、というような結論に飛びつきがちです。私は希望的観測を導くデータを、これまで幾度となく提示してきたつもりです。今回もそうです。実際に代々木ゼミナールのランキングを見て、私の同期の学歴と突き合わせるだけでこの結果が得られるわけです。

私は大佐のいうことに根拠があることを否定しません。たしかに厳しい状況があるのでしょう。しかし、それはあくまでも厳しいのであって、絶望的ではない、といいたいのです。

大佐は、私がこういうことをいうと、いつも痛罵された馬鹿にされた罵られたなどといって怒ります。私の発言をどう読んだら罵倒になるのですか。大佐はいつもこの質問に答えてくれません。大佐にとっては、あらゆる批判は罵倒とほぼ同義のようなのです。残念です。非常に残念です。

大学を卒業後、大佐がどのような身の振り方を考えているのかはわかりません。ただ、過ぎたこと、今更いっても仕方のないことをぼやくばかりでなく、どうか希望をもって、よい方向への展開を模索してほしい。

私はただただそう思っているだけなのに、なぜ伝わらないのだろう。なぜ? 私はいつもえらそうな物言いをしているけれど、つくづく人の気持ちのわからない人間なのだろうと思う。だから、たったこれだけのこともうまく伝えられないのだろう。

平成15年1月18日

いい加減、おまえとの論争には飽きた。もうこれ以上何を言おうとも思わない。ついにやってはいけないことをやったな。掲示板で発表したが当村は本日を持って閉鎖する。併せてお前との縁も切るから、今後一切連絡をとらないように。以上。

1年前に受信した、山田大佐からの最後通牒です。とうとうこういうことになったかと、突然のことに慌てふためきつつ悲しい思いにとらわれたものでした。いずれにせよ、私はメールという連絡手段を封じられました。私信であっても、このような形を取らざるをえない所以です。

私はかつて、友人の文才に惚れ込んでテキストサイトの運営を手伝いました。これが私がWWWに興味を持ったきっかけです。

これは本草兎目の管理人さんに宛てて昨日出したメールの一部です。私が山田大佐のにゃごろう村を手伝ったのは、その文章が好きだったからです。私は大佐の高校時代以来の読者なのです。私は何か、自分のできることで大佐の執筆をサポートしたかった。だから、にゃごろう村を手伝ってほしいという話を二つ返事で引き受けたのでした。

今でも私は大佐の文章が好きで、新作が発表されるたびに必ず読んでいるし、このサイトからも目立つところにリンクを用意して宣伝に努めています。8ヶ月ぶりに更新を再開した際には、心からのお祝いを述べました。本当に嬉しかったのです。

こういうことを書くのはあまりにカッコ悪いのだろうけれども、そんなことはこの際どうでもいいです。なんで、わかってくれないのでしょうか。こんなことはいっても仕方ないのでしょうけれども、素直に状況を見つめなおしてくれないものでしょうか?

山田大佐には、ひとつだけお願いしたい。誰のどのような発言に対して怒っているのか、ちゃんとリンクして情報を示していただきたい。現状では、要するに陰口とかわらないではないか。あるいは一方的なプロパガンダの発信と同等ではないか。

私はたしかに大佐を批判しました。けれども、これは常識的な指摘に過ぎません。特定の相手を批判しているにもかかわらず、その相手を伏せるというやり方は、読者に対して不誠実だ、といっているのです。読者には批判対象の実情を確認できないから、大佐の文章を信じるしかないではありませんか。そのようなやり方はアンフェアだといっているだけなのです。

それなのに、大佐はこういう。

なんとなく今回の目的は前に彼がやったように僕を怒らせて引っ張り出そうと言う魂胆なんだろう

違う。大佐が批判対象を伏せるのは昔からですが、これまでほとんどの場合、私はその対象を発見することができました。ところが今回はとうとう発見し損ねた。そこで批判を書いたのです。そういう単純な話なのです。

とにかく昔、毎日の様に学歴罵倒を聞かされた挙句、絶交した後は喪中にも拘らず、自称エリートの生活を綴った年賀状を投函してくるような人物は友人などでは断固ない。

喪中の件は本当に申し訳ありません。たしかにサイトにも書かれていたのですが、見落としました。都合よくそういうところばっかり見落としやがって、といわれれば返す言葉もありません。年賀状を投函してから喪中だったことを知ったのですが、その後、詫び状の送付をサボってきたわけですから。

ただ、自称エリートとか毎日の様に学歴罵倒を聞かされたといったデマはなんなのか。一方的にそういうことを書いて、その対象を伏せるというのはずるい。あまりにもずるい。おそらく、私にそのつもりがなくとも、大佐には自称エリートとか学歴罵倒と感じられる言動があったのでしょう。それは否定しない(心当たりもある)けれども、世間一般の人が同じ言動を見聞きしてそのように感じるとはとても思えないのも、正直なところなのです。だから、具体的な事実をあげずに、自分はこう感じた、という批判だけを書かれては困るのです。そのような批判は作法に反しています。

おそらくあまり友好的でないと思われる読者がかつてない規模でここへ大量にいらっしゃったわけであり、これは当村の閉鎖も時間の問題と見るべきであろう。

先日、某中堅サイトの管理人が当サイトを弾劾する文を掲載した。それ自体は構わないが先輩(管理人)と僕が直接の知人で喧嘩の果ての絶交状態にある以上、含む所があるのは明白だ。結果、知人周りで細々とやっていた当村は閉鎖直前まで追い込まれ早晩閉鎖することに相成った。合法的な潰し方である。

大佐は、1月11日に私の行った批判を合法的な潰しだという。私が求めているのは、特定の相手を批判するなら、ちゃんと相手を明示してくれ、ということなのです。批判の作法を守ってくれれば、それだけで私は満足なのです。それなのに、一体なぜサイトを閉鎖するなどという話になるのですか。私には、そこが全く理解できないのです。

大佐が私の批判をどう感じたかは、よくわかりました。けれども、どうか冷静になってほしいのです。私はにゃごろう村の閉鎖を最も悲しむ人間の一人です。だからこそ閉鎖するのかもしれませんが、そりゃないよ。

なぜそれほど打たれ弱いのですか。批判には反論したらいい。あるいは無視したっていいじゃないですか。それなのに、閉鎖だなんて。批判の作法を求められただけで閉鎖だなんて。

平成15年1月18日

人間落ちぶれると友人と信じて疑わなかったものが突如裏切るのは実に興味深い現象である。

裏切りだって? ちょっと待ってよ。どうしてそういう話になるわけ? 批判対象が不明だから大佐の批判をどう判断したらいいかわからない。それで困ったから、ちゃんと対象を読者にもわかるようにしてくれといっただけのことじゃないか。大佐にとって、自分に意見する人間は全員裏切り者なのかい。無茶苦茶だよ。

大佐の中では、意見するということはすべて喧嘩を吹っかけることと同義になっているようだけど、それはいくらなんでもひどいんじゃないの。気になることがあったから意見しただけなのに、わざわざ何年前のあのことの遺恨だろうとか、邪推もいいところだよ。意見するというのは、そんなに悪いことなのかい。恨みのある人間しかやらないはずのことなんですか。

それに、絶交してるはずだとか、相互不干渉とかいうのは大佐が一方的に通告してきた話だけど、そういいながら何度も私についてあれこれ書いてきたのは誰なんですか。誉めたり批判したりいろいろあったけれど、サイトにリンクさえしなければ不干渉を維持していると言い張れるという考えだったのですか。平成14年12月2日にIくんを陰口が下手だといって批判している大佐だけれど、堂々と、私が読んでいることを知りながらあれこれ書いてきた人が、何が相互不干渉だよ。自分が批判されたときばっかりそんなことをいって。これを卑怯というのは、罵倒じゃないよ。正当な批判です。

誉める場合はリンクなしの方がいい。されても気恥ずかしいだけだから。けれども、批判するならリンクしろよ、とはずっと思ってた。反論の機会を与えてほしい、と。一方的に、絶交だ、メールもよこすなといっておきながら、自分は陰口のように批判を繰り返している。それでも私はずっと我慢してきました。いわれっ放しにしておいた。ただ今回、私以外の誰かが、やはり陰口の要領で批判されていて、私はその誰かさんの正体がとうとうわからなかった。それでムッとしたんです。

大佐のいっていることが正しいのかどうか、判断がつかない状態というのは非常に気持ちが悪いものです。大佐の批判が正しいのなら問題ない。けれども、もし間違っているとしたら? 私の心の中だけでも、批判されている人を応援したいじゃないか。大佐がそのサイトをパクりだと思ったことを書くなといっているんじゃない。そういう批判をするなら、ちゃんと読者にも判断がつくように、パクりサイトとパクられサイトへのリンクを用意すべきだろうといっているんです。そうでなきゃ、大佐がやっているのはただの誹謗中傷じゃないですか。

ネット世界ではカウンター数を背後に威張ってるけどさ。リアルを知っている身としては怖くは「少なくとも」ないんだな。

あのね、大佐がパクりサイトとやらに対してやっていることとは違って、私は大佐を脅しているわけじゃないの。ただ改善してほしいことがあるから意見しただけなの。大佐は自分が他人を批判するとき、怖がらせようとか、喧嘩を売ろうとか、恨みを晴らそうとか、そういう含みが必ずあるんでしょうね。でも、ふつうの人が他人に意見するとき、その言葉以上の意味はないものと考えた方がいいよ。意見したいことがあったから意見した。ただそれだけ。

ちょっと意見しただけで、「お前なんか怖くないぞ」「喧嘩を売るとは上等だこの野郎」「そうかあのときの恨みを今でも忘れていないんだな」だなんてまるっきり見当違いの過剰反応をされるのは非常に疲れる。もっと常識的に考えてよ。人の行動に、いちいち裏の意味とやらが必要なのか。あんまりにもくだらない邪推が多すぎて、ほとほと嫌になるよ。

最近、なんか元の相棒・今の他人は有名サイトに喧嘩を吹っかけまわっているようだけど、当村はちょっと毛色が違う。どう違うかと云うともう殆ど一般の客相手に物を書いていない。実際は個人的な雑記帳+少数の知人への見世物である。僕の文章がわからないというのも道理で、元の相棒とは当サイトで宣言したとおり、何の関係もない以上一読で解るようなことは何も書いていないつもりだ。それを卑怯だのなんだの云われてもねえ。

この一節だけは、読んでいてほっとする。ふつうの、常識的な反論になっているからだ。ここだけ読めば、大佐の意見を素直に理解できる。もちろん、私は卑怯だといった批判は取り下げない。WWWに公開した文書である以上、話のわかる人だけにむけて書いている、というのは通用しない言い訳だからだ。けれども、作者がそのつもりならそうなのだ、といった作者至上主義は日本のWWWに蔓延する誤解のひとつであり、この観念を説得により覆すのは困難だ。したがって、私もここらで引き下がるか、ということになる。

大佐がふつうの反応を返す常識人なら、ただそれだけの話だったのに。

いずれにせよ、大佐は自分では陰口を書いていて、根拠を示さない批判(≒誹謗中傷)もしばしばくり返している。それなのに私が根拠を示しつつ意見をしたら、それだけでぶちきれてサイトを閉鎖するなんてひどいことをいう。邪推に邪推を重ねて私をとんでもない人間のようにいう。いい加減、もっと大人になってよ。

平成15年1月18日

正直喧嘩ばっかりで厭になった。

喧嘩? 私は喧嘩を売ったのではありません。批判の作法について、意見したに過ぎません。何か意見されるたびに、喧嘩を売られたと捉えるのはおかしいよ。

平成15年1月20日

書いても詮無いことですが、備忘録としていくつか話題を拾っておきます。

18日付の備忘録は、たしかに大佐のいう通りお客様に向けて書かれたものであります。とくに文体などにその影響が強く出ているように思います。けれども、第一義には大佐宛ての私信でした。これは事実です。大佐が直接読むことを念頭において書きました。ほとんど望みのない状況打開の最後のチャンス、私はあの私信に賭けていました。結果は惨敗、大佐は逆に激怒し、村は予定通りの閉鎖です。

大佐は、激怒の理由は私にはわかるはずだといいたげですが、正直わかりません。私と大佐の間には、裏でのメールのやりとりなどはありません。11日の批判が発端で、コトの全貌はWeb上にある通りです。あらためて読み返してみても、村の閉鎖にいたる大佐の深い怒りは、とうとう理解できませんでした。わからないで説得しようというのですから、18日の私信はたしかに伝わらない言葉でしかなかったのでしょう。

大佐は今回の件を一貫して喧嘩と称しています。私にはそもそもこれが心外で、意見されることと喧嘩を売られることとは全然違うと書きました。この一点さえも、ついに大佐は歩み寄ってはくれませんでした。大佐は、自分が他人に意見するときも喧嘩を売る覚悟なのかもしれません。でも私はそうではない。もっと気軽に、日常的に、自然な行為のつもりで意見します。共感できなくてもいい。理解だけはしてほしかった。

大佐にとっては、今回の件には内幕があるそうです。私にはその内幕がなんなのかわかりません。でも大佐は、その内幕を私も理解していると思っています。大佐は何事にも真の意図、歴史的背景が裏に隠されていると考えているようです。私は残念ながら薄っぺらな人間です。ほとんどの行為は刹那的に、思いつきで、ふとやってしまっています。じつはこういうことだろう? と勘繰られても、何もないので困ります。

私にとって今回の件は、Web上の発言がすべてです。大佐の批判対象が、いつものようには見つけられなかった。それでムッとして、批判対象をちゃんと書け、と批判した。すると大佐が村を閉鎖するという。そりゃないよ、と私は大慌てで大佐の提示した論点への反論を中心に村の閉鎖を思いとどまってほしいということを書いた。ところがさらに大佐は怒って、村は閉鎖。私はがっかりして、今はこんな文章を書いている。

18日の私信の目的は、究極には村の閉鎖を食い止められないか、というものでした。やりようはいろいろあったと思う。徹底して謝り機嫌を直してもらうというのもひとつだし、あるいは村のエッセイの中でとくに面白いと思うものを紹介して、こんな面白い文章を連載しているサイトが閉鎖しようとしている、皆さんの力を貸してほしい、というように読者に訴えてもよかった。でも、私にはできなかったろうな、どっちも。

大佐に和解を勧めるメールを送ってくださった方が少なからずいらした、ということには驚かされました。私宛にその手のメールは全然なかったので。当サイトには旧村以来の読者が何人もいらっしゃいます。その皆様には、にゃごろう村を結果的にとはいえ閉鎖させてしまったことに心よりお詫び申し上げます。ただ、大佐と私の関係修復は諦めてください。大佐が絶交だといって、その後、交流を回復した例を知りません。

大佐と私が和解したら村は閉鎖しないですんだのか。私には11日の備忘録が村の閉鎖につながるロジックが解明できないので、それもよくわかりません。ただ、クイズミリオネアのライフラインでオーディエンスの成功率が異常に高いところをみると、村の閉鎖を食い止めるには、多くの方が目指した和解が唯一の手だったのか。とすると、和解は無理(理由は前記)なので、11日の時点ですべてお終いだったのですね。

大佐の友人三禁忌がFWの昨年1月12日付にあります。「学歴差別」「恋愛干渉」「精神病扱」がそれで、私はすべてに違反したらしい。一番わからないのが学歴差別で、私には全く思い当たる節がない。他のふたつは、あの程度の物言いでさえも許さないのかな? という疑問符つきながら、一応思い当たることもあるという感じ。今回もまた学歴云々の話があって、理解できなかった。誰か、解説してほしい。

大佐は批判されると怒り出す。じゃあ自分は他人を批判しないのかというと、し放題にやっている。住宅街の「フォレスト電波塔」に僕は現在、ホームページを持っている。やりかえしてもいいのだが、僕は優しいのでそんなことはしない。とあるのだけれど、この文章自体が見る人が見れば僕と解る人物に対して、罵倒が掲載されていた。と同様の存在。自分がやっているのは正当な批判だというのだろうか。

自分がやっているのは批判で、他人が自分に対してしているのは罵倒だ、というならば、ちゃんとその線引きを解説してほしい。相手がどのようなことをいっていて、その文言のどこが罵倒なのか解説してほしい。そして、自分の批判にそのような部分はないということも示してほしい。私は大佐が今回の件を攻撃と表現していることにこだわっています。意見を攻撃と呼ばれて黙ってはいられないのです。

大佐は私の前から姿を消します。しかし、大佐の前から私は消えません。大佐は必ず当サイトを見ているでしょう。しばらく見なくなっても、またいつか見る。この備忘録の基本路線は、個人的な備忘録と方々のサイトの意見への異見表明の二本立てです。備忘録の続く限り、批判から離れられません。今後本コーナは、罵倒と批判は線引きされるべきだ、というテーマを腹蔵して更新していきます。大佐を想定読者として。

最後に、ひとつだけ予想というか。にゃごろう村の現在の読者、大佐によれば1日約10人とのことですが、私はそのほとんどは旧村以来の読者だったのではないかと思います。当サイトにも旧村の読者の方が数人いらしていることを確認していますし。ただ、村の掲示板に顔を出す人がいなかったから、予想は永遠に確かめられないわけですが。ちなみに、私は週に2回程度見てました。更新頻度の高かった頃は週5回程度。

平成15年1月20日

うわー、にゃごろう村、閉鎖……。最悪の結末が、現実のものとなってしまいました。

にゃごろう村のファンの方々には、本当に申し訳ありません。移転先でも(そこでは名前も何もかも変わっていることでしょうが)村をよろしくお願いします。移転先を知る術がないので、今回のようにつまらない意見をして私が村長を怒らせることもないはずです。

私の言い訳というか、最後の望みをかけた村長への呼びかけは18日の備忘録に書きました。危惧していた通り、かえって村長は激怒したそうで、何も事態を好転させられませんでした。力不足です。覆水を盆に返す芸当はできませんでした。