趣味Web 小説 2004-02-08

見方を変えれば

京都新聞の該当記事が著作物の定義である「思想又は感情を創作的に表現したもの」であり、かつ上記2つの例外規定にあたらないものである、という事は「明々白々な」という程に自明ではない様に見える。

その疑問への回答は情報の自由な流通か、はたまたただ乗りか?に示されていると考えます。明々白々と書いたのはさすがに多少の筆の滑りを認めますけれども、まずそういってかまわないのではないか、と私は判断します。

ところで、私は実のところ、悪徳商法?マニアックスの Beyond さんが株式会社ウェディングを悪徳業者を決め付けていること自体については、必要悪だろうと考えています。しかし悪(ここでは「違法性が高い行為」という程度の意味)には違いないので、相手を本気で怒らせたなら Google の検索インデックスから削除されて当然だし、法廷へ引っ張り出されるのもプロバイダを移らねばならないのも不思議なことではありません。これまで許されてきたのは、単なる幸運に過ぎなかったのです。

私が Beyond さんを批判したのは、法的に問題のある記事を書いたからではなく、対抗措置を一方的に非難したからです。Beyond さんの支持者を批判したのは、対抗措置の正義を顧みなかったからです。「確信犯には困ったものだ」ということをいいたかった。現実社会においては、自分の信じる正義だけが唯一の正義ではないわけです。法秩序とか、そういった他の正義もあります。「仕方ない」ではなく、「よくやった」という感想をもつ人間もいます。

Google の判断に私は理解を示しました。自分が誹謗中傷されたとき、Google が味方になってくれる(であろう)と思ったからです。そういうものの見方があっていい。にもかかわらず、「(これは望ましい事態ではないが)クレーム対応は面倒だもんね、お察しします」みたいな感想ばかりが目立ちました。はてなの件も同じです。はてなではこれまで、キーワードなどの取り扱いを慎重に慎重に行ってきました。しかし、緊急時にもそんなことでは困ります。申立者が「法的手段に訴えることも辞さない」ところまで追い詰められたとき、はてなが「手早く対応してくれる」ことが今回わかりました。だから、見方を変えれば、これは歓迎すべきことなんです。

多数派の感情論は、いつもひとつの正義となります。法(あるいは少数派の感情論/etc)はしばしば、その正義と対立します。今回の Google とはてなの件について、「正義の名のもとに悪がまかり通った」という感想を持った人が多かったのは、意外なことではありません。しかし、天邪鬼であるところの私としては、こういうときこそ一言いっておきたかった。

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2004年の特集記事「株式会社ウェディング問題」

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