Trackback も、おそらく同じことになります。「こんなつまらん記事を Trackback しやがって」といってザクザク消していくと、「何で消すんですか? 私の記事の何がご不満だったのでしょうか?」という人が出てくる。いちいち説明するような理由があるか、という話なんだけれども、そう答えたら怒り出すので困った話です。無視すればいいじゃないか、というのは他人のことだからいえる話で、なかなか無視するにもエネルギーが要るのです。コメントもそうですね。よそのサイトについているコメントの9割以上は私から見るとクズです。よくもまあ**さんの玉稿にこんなくだらないコメントを寄せるもんだな、と思う(私のコメントも同類ですがね)。でも、そんなくだらないものでも、消すと問題にする人が出てくる。
無視しようと努力するから疲弊する、というだけだと思いますが。
良心的な読者は
つまらない Trackbackを筆者同様に詰まらないと考え、適当に無視するでしょうから、公序良俗なるものに反しなければ態々消す必要性もないのではないかと存じます(精神病患者はは自分が病気であるということを理解できないだとか対話ではなく、自分の妄想を撒き散らすしか能がないなどと云うコメントさえ放置している私の態度も確かに極端だろうが)。ただ、私には Trackback を送らなかったら陰でこそこそやるのはどうかと思うなどと云われた経験もある訳で、結局のところ、誰もが納得するような妙諦などない訳です(単にいつもの結論に落ち着いただけである)。
「無視」の対象がずれているような……。私は、「なぜ消すのか?」という声を無視するのがなかなかつらい、ということを書いたつもり。どうしても反論したがる性格なので。しかし精神力も体力も時間も有限だから、なんでも反論しているわけにはいかない。それでストレスがたまる、と。
私は「読者に配慮してやりたいことを制限すること」には賛成しませんが、これは逆にいうと、「自分がやりたいことは何でもやったらいい」ということ。したがって、「消したい Trackback はどんどん削除したらいい」と思う。しかしそのとき、「つまらない声に苦しめられること」はわかりきっていて、それも嫌だと思う。そのあたりを勘案した結果として「Trackback を最初から受け付けないことにする」という判断が出てきます。
読者がつまらないと思う Trackback でも私が大切だと思うなら残すし、逆の場合も同様。私がやりたいようにやる。ただ、それを貫くにはトラブルを突破する精神力が必要になるわけです。反論するにせよ、批判を無視するにせよ。そこで、あまりこだわりのない分野については自粛もするし、最初からトラブルの種となりそうなものを持ち込まないようにもします。
私にとって「何事もしたいようにする」というのはひとつの目標であり、建前です。それを徹底的に貫くつもりはないし、努力してもそれは無理だろうと諦めてもいます。ただ、もう少し、気楽にやりたい。そのためには「戦い」が必要なんじゃないか、と思っています。自分の周りの狭い世界にしか影響を与えられなくとも、とりあえずはそれで十分なわけです。そこで優先順位を考えている。Trackback は「戦い」をしてまで云々したいテーマではないので、トラブル回避の方向で動いているんですね。