趣味Web 小説 2004-03-14

ハルウララ

競馬が、競馬をよく知らない一般の方の話題になって盛り上がることについては大いに歓迎なのですが、生涯で一度も勝ったことがない馬が、GIレースを勝った馬達よりも注目を集める対象になるというのはどうにも理解し難いものがあります。

武豊さんがこう書いたのは、あくまでも苦言を呈しておきたいという意図があってのことだろう。理解し難いと本気でそう思っていらっしゃるわけはない。が、念のため、ちょっと書いておきたい。武豊さんの日記の読者には、文字通りの解釈をなさる方がいるようなので。

長らく弱かった阪神が、なぜ横浜やヤクルトよりも人気があるのか? あるいは、国内のパソコン販売シェアは NEC が首位を守り続けているのに、私が学生の頃、なぜか一般紙で報道されるのはソニーの VAIO が中心だった。結局その後も VAIO は天下を取れないままで、今では赤字事業に転落しかかっている。昨年はスズキのチョイノリがたいへん話題になったが、毎年売れ続けているカローラはなぜ注目されないのか。単年でもチョイノリとは比較にならないほどの利益を上げているのに。

ハルウララの人気はたしかに極端な例ではあるけれども、ようするに世の中にはたくさんの価値観があって、生涯で一度も勝ったことがない馬が、GIレースを勝った馬達よりも注目を集める状況というのは、別段、おかしなことではない。

「負けても負けても走り続ける」という物語に感動する価値観と、強い馬を褒め称える価値観は、いずれも珍しいものではない。一般化してしまえば、後者の方が強い価値観だといってしまってもいいだろう。平凡な勝ち馬は、平凡な負け馬よりもずっと有名だし、大勢の人に「勇気と感動」とやらを与えるに違いない。ただし今のノボトゥルーは、たくさんいる強い馬の一頭に過ぎない。これに対して、ハルウララは常識外れに負け続けている。「負けても負けても走り続ける」という物語における、史上最高クラスのヒーローなのだ。

普段はあまり表に出てこない価値観も、ヒーローが登場すればドカンとくる。ふだんは勝ちそうな馬にしか注目しない競馬新聞も、ハルウララの動静は記事にせざるをえなくなる。「勝つ馬が偉い」という意見はまったくその通りだけれども、しかし、「勝つ馬だけが偉い」というものではない。負け馬も、負けることを極めればヒーローになるということだ。

GIレースで勝てば、たった1勝でも大きく新聞に載る。負ける方は、ちょっとやそっと負けるくらいでは無理だ。これが価値観の優劣の差だ。ハルウララは不世出の奇跡の負け馬なのだから、ちょっと騒がれるくらいは大目に見てやればいい、と思う。ただし、武豊がこのタイミングで苦言を呈したこともまた、正解だ。「本来、強い価値観は何なのか」を確認することは、浮かれて我を忘れがちな人々にとって重要なことだろう。

追記:2004年3月15日 参考

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