趣味Web 小説 2004-04-06

バカには見えない服

水に落ちた犬を叩く……といった感じで、ちょっとなあ、と思わないでもない。それでも「Deep love」は勝ち組だからいいんだ、ともいえるか。しかし逆に、それ故に批判者側のリミッターが解除されてしまっているようで、ちょっと気になるわけですが。

仮にダメな政治家がいるのだとすれば、その責任は有権者に帰結するのではないですか。ダメな作家が成功するのだとすれば、それは読者がダメだからに他ならない。

出版不況だの、若い人が本を読まないだのということがいわれているけれども、祖父母らの話を聞くに、日本の庶民がみな本を読んでいたのはごく短い期間のことに過ぎません。もともと本はインテリのものでした。従来、本をあまり読まなかった層に受け入れられた本が「リアル鬼ごっこ」「世界の中心で愛を叫ぶ」「Deep love」だったことは示唆的です。作家を責めても仕方のない話で、日本語表現の稚拙さなど問題にしない客層が存在する事実を見つめるべきです。新世界で成功した先駆者には、何らかの学ぶべき点があるのではないか。(→とくに出版不況を憂える方々)

批判者の想定する「もう少しマシな作品」は「Deep love」読者の大半に見向きもされないはずで、つまり「Deep love」の作者は文字通りの意味で「バカには見えない服」を着ているのであります。「バカには見えない服」の問題点は、着ている人にさえ実態がつかめないこと。ケータイ小説の作法を押さえた文体が云々、といった指摘は見当外れに決まっていて、yoshi さんは遠からず栄華を失うでしょう。「バカには見えない服」を紛失せず着こなし続けるのは、想像を絶する難事業なのです。

つまり何がいいたいのかというと、西村京太郎は天才だ!

余談

ARTIFACT で紹介されていた「デイリーポータルZ」の素顔という記事が面白い。加野瀬さんと同じ箇所を引用します。デザイン会社社長で、DPZ のライターでもある住正徳さんの発言。

デザイン会社の方では、クライアントありきの制作が多くて、SEO(検索エンジン最適化)とか「ユーザビリティー」とか言いながらまじめにプレゼンしているわけですよ。でもDPZみたいに、一見勝手気ままにやっているように見えるサイトに実際は人が集まっている。分からなくなってしまいます。

「バカでも見える服」は、小さな需要を喰らい尽くす役にしか立ちません。需要自体が圧倒的に大きい相手には、太刀打ちできないのです。そして需要の拡大を目指す試みの前方には、「浜崎あゆみ問題」(大勢に嫌われても日本一売れる歌手になれるという不思議)が待ち構えているわけです。何をどうしたら需要が増えるのか、凡人にはわからない。

「バカには見えない服」が、蜃気楼のように立ち上がってくる所以です。

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