趣味Web 小説 2004-04-11

実践至上の主張に辟易する

体育の授業が好きだったことのない私は、どんなスポーツも「好きじゃない」ということになるのかな。見るだけなら、好きなものはたくさんあるのですが。

別にPRIDEに因縁付けようとか恐ろしいことを言っているのではありません。ただ、「野球が好き」「サッカーが好き」という方は、少なくとも人生の一時期に少しは野球なりサッカーなりを経験していたものです。弱くて話にならない部活動だったとしても、仲間内の草野球だったとしても、いくばくかのリアルな体験を経た上で、今は良きファンとして社会人生活を送っているのです。

ところが、こと格闘技となると、「やる」側の人と「見る」側の人に大きな溝ができてしまっています。多くの「格闘技ファン」にとって、自分がグローブを付けて打ち合うことなど「とんでもない」ようです。「見る」側にとっての格闘技と、「やる」側にとっての格闘技は、まるで別のスポーツであるかのようです。

それは違うのではないですか。

私は、体育の授業でプロレスや K-1 のような格闘技をやったことはありません。陸上、野球、サッカー、相撲などはやりましたが。でも、好きでやっていたものはひとつもありません。石倉さんの文章は、そのようなケースを除外しているように読めます。だとすれば、サッカーファンの過半数、野球ファンの過半数もまた、格闘技ファンと同じタイプなのではないでしょうか。

例えばプロ野球というものは、膨大なアマチュア人口に支えられて初めて「プロ」として存在し得ます。ボクシングも同様です。スポーツ競技としての全体像があり、そのピラミッドの頂点として「プロ」が君臨しているのです。アマチュアがあるからプロがいるのです。

ところで、「アマチュアのプロレス」とは何でしょうか。ほとんど形容矛盾ですらあります。

念のためですが、大学のプロレスサークルといったものは、初めに「プロレス」あってのアマチュアですから、プロ野球に対する一般野球愛好者とは意味が違います。また、いわゆる「アマレス」、つまりレスリングは立派なスポーツですが、プロレスとはまったく異なるものです。プロレスはあくまでプロレスであって、「プロのレスリング」ではありません。

このあたりは賛同できます。「プロレスは狭義のスポーツではない」と説明する意見としては非常に一般的なものですし、広く認められた結論だと私は認識しています。(注:広く認められていればそれでいいのか? という疑問は、この場合、あまり意味がないでしょう。ここでテーマになっているのは、一般的にスポーツという言葉がどのような意味づけをされて用いられているか、ということなのです。多数派の意向さえわかれば、それでいいわけです)

ですが、もしもあなたがラグビーを愛する人であったなら、「サッカー対ラグビー最強決定戦」などという試合を楽しむことができるでしょうか。

昔、「なんでもダービー」というテレビ番組がありました。もう少しまじめな企画としては、「筋肉番付」の最強スポーツマン決定戦(ちょっと名前は違ったかもしれない)というのもあります。何らかの共通項、あるいは歩み寄り可能な範囲での折衷案的ルールを抽出・考案し、その条件下で異なるスポーツの代表者を競わせる企画は、過去にたくさんの例があります。つまり、やりよう次第で「サッカー対ラグビー最強決定戦」は興味深いコンテンツとなりうるのです。

もちろん、それが狭義のスポーツの範疇にないことはいうまでもありませんが、ラグビーを愛する人が一概に不愉快に感じるとも思えません。父は水泳と登山に青春時代を費やした人ですが、水泳選手や登山家のタレント的活動に好意的でした。純血主義的なファンも少なからずいることは予想されますが、「**が本当に好きなら**は楽しめないはずだ」みたいな決め付けは、当たっていないと思います。

PRIDEやK-1に出場している選手は、確かにものすごく強いでしょう。華やかさもあります。しかし格闘技の醍醐味は、自ら流す汗(と時々)の中にこそあります。他人の血を眺めて悦にいるのではなく、会社帰りの疲れた身体に鞭打つところにこそ、真の愉しみがあるのです。

「格闘技好き」を名乗るブロガーは、なんでも良いからまずは自分が汗を流してみてはいかがしょう。K-1を眺めてウンチクを垂れているより、ずっと楽しいこと請け合いです。

……というわけで、結局、(狭義の)スポーツも(その範疇にない)格闘技も、見るよりやるほうが楽しいんだよ! という、いかにも「昔、体育が大好きだった人」風の意見でまとめられてしまっているわけですが、どうなんでしょうね、それは。いささか、賛同しかねるのですが。

私はこれまで、少なくとも運動関連のことで真の愉しみを感じたことがない。自分がやって楽しいと思えることは、それはたしかにいろいろあります。真の愉しみといいたくなる感覚は理解しますが、「格闘技ファンはみな実践にも挑戦すべし」というのは暴論でしょう。たいていの物事は、傍観者の立場なら楽しめるけれども、実践者としては面白くもなんともないものです。スポーツに限らず、何でもですね。

最初のボタンが掛け違っているので、中盤でいいことをいっても結論でこけるという話。

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