趣味Web 小説 2004-08-22

野口みずきと土佐礼子

アテネオリンピックの女子マラソンで野口みずきが金メダルを獲得した。嬉しかった。

野口には姉、兄、弟がいる。姉と兄は、経済的理由で高校へ進学できなかった。三重県伊勢市、特別な街ではない。野口みずきは現在、26歳。約20年前、私が小学生の頃、日本には経済的理由で高校へいけない人がまだまだ(割合はともかく人数は)たくさんいたのに、みんなそんな人がいることを知らない顔をしてきた。私の育った街にもいた。中学生になっても制服が買えず、不登校になった。父子家庭だったが、五体満足なはずの父親が働いているところを、見た人がいない。いや、それならまだいい。恨む相手がいる。野口の両親は共働きで、身を粉にして頑張っていた。

どこか遠い世界の話ではない。これが日本の現実なのだ。もちろん、貧乏で飢えるわけではない。野口はちゃんとサイズにぴったりの子供服を買い与えられていた。靴だってある。風呂にも入れる。雨漏りのしない家で成長した。幸せな暮らし、何不自由ない暮らしをしてきたといっていい。だが多くの日本人は、幼少時の野口のような生活環境さえも、どこか遠い世界の出来事だと思っている。

かけっこに自信のあった野口は、中学で友人に誘われて陸上部に入った。走ることに打ち込めるのは3年間だけ。野口はまじめにコツコツ練習を続けたが、1500m走で県大会6位が最高の成績だった。ふつうの部員とは格が違うが、全国レベルで見れば平凡な選手に過ぎなかった。だが、そんな野口の頑張りを、姉と兄が見ていた。「みずきを高校に行かせて、陸上を続けさせてあげて」と両親に頼み込んだという。みずきは最初、拒否したが、ついに腹をくくった。しかし現実は厳しかった。

県立宇治山田商業高校で誰よりも陸上に打ち込んだ野口だったが、インターハイも予選落ち。「強くなりたい」という思いも虚しく、時間だけが過ぎていった。

何の結果も出せなかった野口だったが、ワコール陸上部の藤田信之監督がその頑張りを目に留めた。そして実業団に勧誘するのである。そしてまた何年もつらい日が続いた。相変わらず、野口は結果を出すことができなかった。高橋尚子がそうであったように、野口みずきもまた、長らく結果に恵まれない選手だった。だが、その頑張りを評価する人が、いつもいた。

努力偏重の考え方は、しばしば古臭いものとして忌避される。ダメなものはダメだ、という言い方も、とくに最近よく聞く。一理ある、と思う。結果が大事だ、という意見に異論はない。けれども、結果だけが大事なわけじゃない。そして、結果の伴わない頑張りを誉めること、その頑張りを大切にすることは、単なる敗北主義では決してない、とも思う。

高校でも大学でも結果を出せなかった土佐礼子。誰も土佐の素質を信じなかったが、一途な努力が周囲の人々を感動させ、彼女は陸上を続ける環境を用意することができた。実績はないけれど走ることが世界一好きだった高橋尚子に、小出監督は人生を賭けた。そうして高橋と野口は世界の頂点へと上り詰め、土佐は世界のベスト5に入った。嬉しかった。当然、頑張る人がみな報われるわけではない。それはわかっている。でもそんなこと、今はいいじゃないか。ただただ感動した。

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