趣味Web 小説 2004-10-23

伊勢湾台風の思い出

平成16年10月20日に本州へ上陸した台風23号は、25年間で最悪の死者・行方不明者を出した。土産物購入で時間オーバーして水中に取り残された観光バスの皆さん(兵庫県市町村職員年金者連盟豊岡支部の方々)が全員無事でなかったら、海王丸が沈没していたら、危うく死者が100名の大台を突破するところだった。各地で相次ぐ土砂崩れ、一般家屋の被害も全壊家屋37棟、半壊62棟、一部破損1088棟、床上浸水8201棟、床下浸水16581棟(以上、21日付消防庁発表)と甚大となったが、しかし50年間の徹底した治水政策がなかったら、一体どうなっていたことだろう?

昭和34(1959)年9月26日、11歳の誕生日を間近に控えていた父はその日、朝から家中の窓に板を打ち付ける作業を手伝っていた。既に雨がザーザー降っている。当時、父は母屋から離れた物置のようなあばら家に住んでいた。長男は母屋で暮らし、次男は離れで暮らす。戦後になっても、田舎の農家では長幼の序をハッキリつけざるを得ない事情があった。家業を継ぐのは長男の役目、次男は、たとえどんなにかわいくても家を出て行くしかない運命にある。

祖父は、あばら家に補強の木材を打ち付けた。そして最後に父を残して母屋に入り、内側から玄関を封印した。作業の完了を確認した父は、吹き荒れる雨風の中をロープ伝いにあばら家へ戻り、入口を厳重に封印した。間もなく外の世界はゴーゴーと恐ろしい音が充満した。ビュービューと隙間風の吹き込む部屋の真ん中で、ガタガタと震えていた。その内に壁に何かがぶつかる音がゴン、ガンと断続的にしだした。柱や梁がギシギシと嫌な音を立て、屋根の方からひどく大きな音がした。

超大型の台風15号が潮崎に上陸したのは、この日の夕方のことだった。上陸時の最低気圧959.5hPa、最大風速50m/s 、暴風半径は500kmにおよび、観測史上有数の巨大で強力な台風であった。

ふいに部屋が真っ暗になった。ついに送電がストップしたのだ。布団にもぐりこみ、亀のようになって身を守った。外では屋根瓦が落ちてひどい音を立てている。バリバリという音が不気味に響く。窓の封印が吹き飛んだか。そうしていつしか、父は眠りに落ちていた。

翌朝、薄暗い部屋の中で目が覚めた。窓を全て封印したので、家の中は暗い。だが、壁に隙間ができていて、日が差し込んでいた。家中に水溜りができていた。布団が濡れなかったのが奇跡のようだった。封印をはがして外へ出ると、世界が一変していた。母屋は瓦が落ちて窓が破れたくらいで済んだが、父のあばら家は明らかに傾いていた。沼の水があふれ、玄関先まで勢力を伸ばしていた。畑はボロボロになり、大木が倒れ、見たこともない木材の折れ端が地面に突き刺さっていた。野鳥たちだけが、いつものようにピーピー鳴いていた。

学校へ行くと、知人一家の死を知らされた。すぐに家へ帰って、復旧作業の手伝いをした。母屋と畑が優先で、傾いたあばら家は誰の目にも入らないかのようだった。仕事から解放された父は、一人で床を拭き、後片付けをした。母屋で夕飯をとり、真っ暗にならないうちにあばら家へ戻る。ろうそくに火をつけ、床を敷いて寝た。電気の復旧はいつになるのかわからなかった。時々、懐中電灯の光が窓から見えた。梁がギシギシいうたびに、崩れるのではないかと気が気ではなかった。

気付いたときには、また朝になっていた。その日のことを、父はよく覚えていない。

被災3日目の9月28日、父は友人と一緒に名古屋へと向かった。平野へ出ると水浸し、仕方ないから丘陵地帯に沿って進む。そして、名古屋の外れで丘が途切れた。眼前に広がった世界を見て、絶句したという。一面、水、水、水。名古屋は水上都市と化していた。濁水の表面は鏡のように平らで、都会の喧騒は消え失せていた。静まり返った世界に、遠い子供の泣き声だけが響いていた。

記憶の中の話だから、どこまで本当のことかはわからない。ただ、父にとっての真実はこうだった。

「治水は自然に任すがよい」などと平気でいい、堤防のコンクリートをはがし、ダムの建設を止めようとする人がいる。コンクリートをはがしても決壊しない堤防なら、それも悪くない。不要なダムなら作らなくともよかろう。しかし、自然を人の味方と勘違いしているような意見には、疑問がある。父が体験し、悲惨な被災地の状況を目の当たりにした伊勢湾台風を思い起こすとき、人命が失われるような災害を防ごうとするならば、治水は必要だという当たり前の結論に行き着く。

今回の台風23号により北陸で大水害が起きたのは、土盛の堤防が決壊したためだ。コンクリートで固めていれば、どうだったろう? こういうときこそ、自然派の方の意見を伺いたい。台風が来て人間が死ぬのも自然なことでしょう、といってのけたら、敵ながら天晴れと思うのだが。

伊勢湾台風の詳細情報
追記(2004-11-03)

メールで以下のような意見が寄せられました。私は確認できませんでしたが、ご参考まで。ただおそらく、「コンクリートで固める」については想像しているものが違うのではないかと思います。

台風23号で堤防決壊したのではないのです。あと、コンクリートで固めてありましたが決壊しました。

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