母から送られた手作りジャムのビンが到着時に割れていたことに気付いた平野一成さんがヤマト運輸に抗議した。ヤマト運輸は発送依頼人である平野さんの母親に連絡したが、精神的ショックを不安視し、母には問題の発生を黙っているつもりでいた平野さんは激怒、恐怖のクレーマーと化す。
発送依頼人は平野さんの母親であって、ヤマト運輸が謝罪・弁償すべき相手は平野さんではない。だから、「謝れ、弁償しろ」という話になったら、母親へ連絡する他ない。この基本的な問題の構造を理解できない平野さんは、渡世に苦労しそう。多分、ヤマト運輸の社員も散々説明して、それでもわかってもらえなくて諦めたのだろう。
……とはいえ、こうして弁償を求める権利を有さない声が大きいだけのクレーマーに30000円もの慰謝料を支払うのは、総会屋への利益供与と(ある意味で)同じだ。遵法精神を謳うなら、ヤマト運輸は平野さんへの弁償など提案してはならなかった。
ヤマト運輸は人の心を慮る会社だから、理不尽な要求を突きつけるクレーマーにも誠心誠意対応する。それは「問題をこじらせて嫌がらせに対応しなければならなくなったり、裁判だのかんだのといって、無駄な費用が発生することを思えばこの方がマシだから」かもしれない。けれども、平野さんのコンプライアンス。それは、おもいやりなのだ。人をおもう気持ちなのだ。
という主張には合致している。
「平野さんには何の権利もない」といって門前払いしていたら、きっと「大企業の官僚的対応」などと批判されたろう。それにしても、「思いやり」といえば聞こえはいいが、現実に「思いやり」が問題となるとき、私はしばしば、つかみどころのない怪物のおぞましい一面に触れて戦慄する。
記事に多数寄せられている読者のコメントも参照のこと。
ただし私は、読者の意見にも異論がある。例えばヤマト運輸の担当者名が公開されている件については、プライバシーの侵害とは考えない。名前を出して仕事する以上、当然の結果だろう。新聞の署名記事の誤謬を指摘するケースと同様に扱うべき。
だから逆に、個々の社員を免責し、常に組織として対応することを社是として、クレーム対応担当者が決して個人名を明かさない会社も存在する。批判の敷居が高くなることを期待しているのだろう。しかし組織相手の方が気軽に批判できる風潮もある昨今、僅かな DQN 社員の行動のために組織全体がダメージを負うリスクの方が大きいのではないか。
ケチな性分なので、ビンが割れていても、ふつうに詰め替えて食べていたろうと思う。何せ中身は保存食の代表というべきジャムなのだ。だから、もしも受取人が私だったら、ビンが割れていたからといって、ジャムの全てが失われたかのような発想はしない。
そういった意味でも、遠い世界の話だな、と思った。
ヤマト運輸は結局、ビンが割れた理由を公式にはきちんと説明できなかった。「平野さんの母親がワレモノ注意のサービスを過信し簡易包装で発送したこと」が本当の理由なのだから、当然である。
ポイントは、それが「過信」か「当然の期待」か、ということだろう。私はコメント欄の意見に賛成で、平野さんの母親に常識が足りなかったのだ、と思う。けれども、ヤマト運輸として、それを口にすることはできない。何せ平野さんはブチ切れており、これを宥めるだけで大変(そうしないとクレーム処理が延々と長引いて人件費の大損害)という状況なのだから。理より利を優先するのは、営利企業の価値観に照らして、正しい。その意味では、理に適っている。
理の通った行動、といっても、それは拠って立つ価値観次第によっていろいろありうるわけであって……と、「いつもの話」へ持っていったところで筆を置く。