人間の作った物などいつか必ず壊れるんだから、ちゃんと壊れる事想定しておけ。何でもかんでも「想定外、想定外」と。責任逃れの代表的文句だな。
(よく見かける意見のひとつなので)とくにこの記事がどうこうというわけではないのだけれど。
地震で新幹線の架線が切れたことについて、JR東日本は「地震による切断は想定していなかった」と話している
と読売新聞が伝えたわけです。別に、架線が切れても誰も死ななかったし、怪我もしなかった。「架線が切れた場合」については対策があり、架線が切れる理由については全てを把握しきれていなかった、という話だろうと思う。
自分の仕事を省みれば、実際問題、あらゆる可能性を想定しておくことは不可能だといえる。来週出荷する製品があり、明日中に部品が入ってこなければ組み立てが間に合わない、という状況があるとして、部品が入ってこなかったらそれはもうどうしようもないわけだから、謝って納期を遅らせてもらおう、という算段は立つ。けれども、部品が入ってこない理由については、「無理のない発注」とか「こまめな状況確認のシステム化」といった主要な対策をする他ないのではなかろうか。
実際、部品が入ってこない理由にはいろいろあるわけで、例えば地震で部品工場がしっちゃかめっちゃかになってしまった、というのもそのひとつ。もちろん地震対策は必要なのだけれども、少なくともそれは「部品の納期を守らせる」という目的から導かれるものではないと思う。地震でレールがずれてしまったら大惨事につながるので大変なんだけれども、架線くらい切れたっていいんじゃないのか。
「架線が切れたら、その区間だけ送電を止める(感電事故対策)」といった安全対策があれば十分なのであって、架線と地震が結びついている必要はないのではないか。もちろん架線が切れない方がいいには違いない。だから、今回の地震を契機に、架線が切れた理由を調べるのは悪くない。ひょっとすると、簡単な対策で切れにくい架線を実現できるかもしれないのだから。ただ、こうしたことを何でも事前にやっておけ、というのは無茶な話だろう思うのだった。
あるいは、地震が起きた際の対策マニュアルに「切断架線の探査・修復」の項が追加される必要があるか否かが問題なんだろう。地震で架線が切れることは稀だそうだ。であれば、地震の対策マニュアルと架線切断の対策マニュアルが連動している必要はない、と私は考える。地震のたびに架線切断の対策を発動するのは無駄だろう。柔軟に対処していけばいい。