趣味Web 小説 2005-09-10

ホワイトバンド 雑感:中間搾取はお嫌いですか

社会運動にはお金が必要なのですが、そのお金をホワイトバンドという形で集めようとすると叩く人が出てきます。では、どんな集金方法なら満足なのか。「世界の貧困はほっとけない」という意見広告をテレビ、雑誌、新聞に出して、そのお金をホワイトバンドで回収する。ホワイトバンドという商品を開発したことによって、薄く広くお金を集め、より多くの人々を巻き込むことに成功した。うまいじゃないですか。

音楽メーカーは単なる中間搾取業者、といって馬鹿にする人が大勢いますが、ならばどうして著名な音楽家の大半が音楽メーカーに所属するのか? それはメーカーの力を借りた方が最終的に自分の所得が最大化されるからです。CD 1枚あたりの取り分の大小だけが重要なのではない。路上ライブで自作 CD-R を売っていれば粗利率は高いかもしれないけれど、それで生活するのは非常に困難。

ホワイトバンドも同じようなもの。物を介在することで貧困解消とは無関係に使われるお金が大量に発生するのは事実ですが、純粋に募金だけでこれほどたくさんの貧困撲滅の意見広告を出すことができただろうか? 当然、できなかったに違いありません。

2005年09月10日 koyhoge 『[society]一見批判しがたい相手をどううまく批判するか、が影のテーマ』

その解答が「人の善意を利用した金儲けは許せない」では情けない。「ほっとけない 世界の貧しさ」キャンペーンは、寄付金の無力さへの反省から生まれました。彼らは債権放棄が貧困解消の要所だと主張し、そのために「社会運動による貧困救済政策の実現」を目指しています。批判するなら、運動の根本に切り込む方がよい。「エコノミスト 南の貧困と闘う」など理論武装に役立つ本も多い。

関連して。重要なのは貧困に目を向けることだ、という意見をよく見ますが、ホワイトバンドはその一手段として活躍していますよね。公共広告機構(AC)だけでいい? AC の問題点は、その主張に賛同した人がどれだけいるのかわからないこと。ホワイトバンドも現状程度の普及率では無意味とはいえ、1000万人が身につけるなら政治的に意味が出てきます。どうせ一過性のブームですが、いったん政策が動き出せば息の長い話になります。

日本国政府が債権放棄に消極的で、ODA の増額にも慎重なのは何故か? 端的には国民の支持がないからです。世界の貧困を解消します! といっても国会議員には当選できない。だから啓蒙活動が必要なのです。私は債権放棄が貧困解消の切り札になるとの主張には批判的なのでキャンペーンに賛同しませんが、彼らの行動原理は理解できます。(注:実現を目指す政策は明確なのでhidex7777さんの主張には少し異論あり)

しかし、キャンペーンは失敗に終わったといってよいでしょう。7月のG8、9月の国連総会、12月のWTOは大きなチャンスとして活動してきましたが、街中でホワイトバンドの着用者を見かけたことありますか? 私はまだない。この手のキャンペーンは何年もだらだらと続けても効果が上がりません。今年いっぱいで見納めだろうと予想します。(追記:2005年9月24日の国際通貨金融委員会【IMFC】で総額約570億ドルの対アフリカ諸国債権放棄を決定/日本の負担額は最大8000億円/おそらく運動とは無関係でしょうが「成果」は出ました)

最後に一言書き添えると、「寄付で貧困は解消できない」と主張している団体が、集めたお金を寄付金に回していないのは当然じゃないか。それなのに「貧困解消=寄付金」という思い込みに固執し、ホワイトバンドの購入と着用がより優れた貧困解消支援となる可能性を考えもせずに「騙された」だって? 毎度毎度のことだけど、攻撃対象のウェブサイトに書かれていることくらい、読んだらどうなのか。

参考記事と逆リンク!

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