趣味Web 小説 2005-09-18

労使協調は労働者の意思だった

1.

定時に帰るのは労働者の当然の権利だろうに、そう思わない社員が集まっている会社が世の中には多い。

定時に帰ったのでは仕事が終わらないのだとすれば、それは無茶な仕事量を割り振った上司が悪い。だから上司が判子を押して残業の指示を出す。これが残業の考え方。ところが、社会主義のイデオロギーが衰退した今、何故か悪徳経営者だけでなく、一般の労働者までもがこの考え方に反旗を翻す。

優秀な社員が「労働時間だけで給料が決まるのはいかがなものか。まじめに仕事をしていたとしても、結果が伴わないものはそれなりのペナルティがあっていい」というならまだわかる。平凡な社員までもが「俺はサービス残業をやって優秀な社員と同じだけの仕事を頑張ってこなしているんだから」と言い出す。頭おかしいんじゃないの。できない社員に味方すれば、平凡な社員はサービス残業しなくて済むのだし、法律も定時帰宅を労働者の権利だといっているわけです。

正しい解決策は、人手が足りないなら増やすこと。基本給を最低限とする代わり、残業代を支払うこと。優秀な社員には何らかの役職をつけて給料を増やすこと。それができない理由が、経営者ではなく、忙しい時期にサービス残業を拒否して定時帰宅する人を悪者扱いする一般の労働者にあるのが日本の面白いところです。で、それが昨日今日の新しい風潮かというと、そうではないだろうと思う。「プロジェクトX」のような労働基準法違反事例集が中高年に人気あるのですから。

「正義と信じさせられている何か」だろw 俺はまっぴらごめん。昔から?どういう昔だw 手前勝手な幻想の昔なぞ信じられるか。もっと具体的に語っていただきたいね。

世の中たいていの人には大した能力がないわけで、自分ひとりの利益を考えるなら、結果平等の世界がいいに決まっている。これはバカでもわかる理屈ですよ。だから私は、組合が強くて年功序列がずっと続きそうな会社を選んで入社したわけです。ところが大半の人は、自分が損をすることはわかりきっているのに、年功序列を批判します。能力のある者が報われ、無能な者が冷遇されるのは当然だ、それが正しい世の中のあり方だ、という。

昔から、日本人はそう思ってきた。だから社会党は選挙に負け続けたんです。ご両親やおじいちゃんおばあちゃんにも訊ねてみてくださいよ。結果平等と機会平等、どちらが望ましいか、と。機会平等は、わずかな強者だけが得をする考え方なんです。最大多数の幸福が大切なら、結果平等を目指した方がいい。機会平等が正しいと思っているから、結果が不平等でなければ不満を覚えるのであって、価値観を転換すれば結果平等は不満の種にはならないのに。

その小さな意識革命を、日本人の多くは、拒否してきました。

2.

私はサラリーマンの平均収入に満たない7割の労働者を弱者とみなしています。ともぞーさんの定義では弱者全員が野党に投票しても選挙に勝てません(私の記事は内田説への反論だったことに注意)。ちなみに私は入社4年目で手取り月収14万5000円、毎年月額5~8000円ずつ給料が上がります。その他、一時金が年2回。そんなわけで私は、自分を弱者側に入れてます。定年まで勤めても、累進課税を厳しくして消費税をなくしてくれた方が、私個人としては得をしそうですからね。

ちなみに日本の労組はどちらかと言うと経営との共犯関係にあったがゆえに衰退したのだと思う。労使協調って奴ですな。故に存在意義を失い、機能不全に陥ったと。

労使協調が広まったのは、左翼過激派がテロで決定的に世論の支持を失い、オイルショックで企業が次々に倒産していった70年代以降の話。それは組合員の意識変化によるものであり、過激な労組は空中分解していきました。私の勤務先でさえ、無茶な要求を掲げる最強硬派を見放した大多数の組合員が第二労組を結成し、労使協調の道を探った歴史があります(最終的に労組が再統合され強硬派が復権→30年後の今年の春闘もストライキ決行)。

労使協調は労働者の多数派の意思でした。その結果、従来、幹部を勤めていた強硬派の離反を招き、組合活動の背骨が失われていったのは事実です。しかしそれは、あくまでも民主的な判断でした。今もそれは変わりません。協調路線の労組しかない会社の人に「強硬派幹部が率いる労組が羨ましい?」って訊ねて御覧なさいな。「ストライキなんて勘弁してよ」という答えが多いのではないですか。ストを打ったり残業拒否闘争をしたりすれば、自動的に給料も減りますしね。

労使協調は、労働者の意思なんです。70年代以降、現在に至るまで。

労組がある会社なんて、労組のない会社を渡り歩いて来た俺からすればもう天国みたいなもので、羨ましい限りなんですが。ちなみに、俺の在籍した会社では"社員の幸せ"を社是としていたにもかかわらず、ボロボロになって退社する人が後を絶たず、入社時に30人強いた同期が3人になり、俺が退社した事によって2人になったがその後は知らず。

労組不要論が出ていますが、労組がない会社ってそんなもの。今後はそういうところが増えるでしょう。

私の勤務先に労組ができたのは、約50年前、給料の未払いが続いたことが原因でした。最初の危機は幹部の解雇でしたが、解雇撤回を求める大規模ストで経営陣を押し切ったことで軌道に乗りました。先輩方が戦ったのは、よその会社へ移っても同じことだったからでしょうね。「そんな会社、辞めたら?」で済まされがちな昨今とは状況が違う。ただ、最近ひどい会社が増えているという話は聞きます。再び戦う労組が増加する日も近い?

終戦直後と比較して、労働者を保護する仕組みは格段に堅牢となっています。労組結成を理由に解雇するなんて、(労組が顧問弁護士を雇っていれば)現在ではありえない。同期社員30人から毎月1万円の会費を集められるだけの需要があるなら、同世代だけでも組合を結成可能です。月額30万円あれば弁護士費用を負担できますから(もちろん専属は無理)。本当に労組が羨ましいなら、作ったらいかがですか。お金も手間もかかります。でも、その価値があると思うなら、どうぞ。

問題は賛同者の人数です。学生時代のバイト先は、正社員が薄給とサービス残業に悲鳴を上げていたけれど、誰もお金と時間を提供しなかった。夜食を買うお金とサービス残業する時間はあったのに。そうして労組結成の計画は経営側の圧力と関係なく挫折したのです。

内田樹さんのいう「特異な病像」は昔からあったし、その患者は1996年以降、日本の圧倒的な多数派となりましたが、21世紀に入ってますます社共の支持者が減っているのは興味深いことです。自民党は戦って得られる利益が戦いに必要なコストよりも低くなる程度には、「最低限の生活」を保障する社会を作り上げてきた、ということなのでしょうかね。給料が未払いでは嫌でも戦うしかないけれど、最近はそこまでひどい話は滅多に聞きませんしね。

私が書いたのは、1つの補足説明と2つの反論のみです。まず1点目、高度成長期には武闘派労組が多かった。ストライキが激減し協調路線が常識となるのは、バタバタと企業が倒産して労使対決の余裕も消えたオイルショック以降です。武闘派が生き残った私の勤務先は例外。ともぞーさん、バブル景気の頃とごっちゃにしてません? そして2点目は、武闘派労組に本当に需要があるなら、例えばあなたが作ればいいでしょ、という話。

ともぞーさんの記事は「弱者」という言葉を再定義して自説を語るものだったわけで、議論の前提自体が共有されていない。だから私は「あなたとは前提条件が違います」と説明して、そちらの土俵には上がらない意思を示したのです。それを齟齬が生じているとか論点をずらした詭弁といわれてもね……。

3.

人に優しい会社に書いた通り、私は基本的には結果平等に賛成なのです。ただ、多くを望む人には賛同できない。私は可処分所得が200万円あれば十分なので、給料アップを目指す労組には加入しない。そして世の中には機会平等主義者が多いので、彼らともうまく折り合いをつけていく他ない。

現在私の年収は300万円超なので、現状では税金・年金・保険を払っても250万円ほど残ります。つまり抵抗ラインの200万円まで50万円の余裕がある。ならば自民党や民主党のような保守政党の政策に、現時点で強く抵抗する理由はない。衣食足りているなら、外交や文化など、もっと高踏な話にかまけていられます。私は社共の外交・文化政策に反対なので、保守政党を支持しているわけです。

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