趣味Web 小説 2005-12-27

「主観的に不幸な人々」の少子化問題

私の根本的な疑問は、「なぜ昔の日本人(アメリカ人でも欧州人でもよい)はたくさんの子どもを生み育てていたのに、経済・社会が発展するにつれて出生力が低下したのか?」というものです。いつの時代も子育ては負担だったし、そして私の見てきたデータの中に、理想子ども数を達成できたケースはありません。人口増に悩む発展途上国の親さえも、より多くの子をほしがっており、コンドームの無償配布は期待された成果を上げていない(参考:エコノミスト 南の貧困と闘う)。

貧乏で子どもが飢える時代は過ぎ去り、現代の日本では数人の子どもに飢えない程度の食事を与え、義務教育を受けさせることは不可能でない。大家族を取材したテレビのドキュメンタリー番組を見ての通り、子ども1人につき月1~3万円の追加出費で足ります。しかしたいていの人は、自分も真似して大家族を作ろうとは思わない。多額の教育費を計上し、お金が足りないと悩む。

いわゆる少子化対策に疑問を抱くのは、子育て環境の水準上昇圧力に対して無策なことです。私が生まれた1980年頃の日本の合計特殊出生率は、成功例とされる現在のフランスや北欧諸国と同等ですが、当時の子育て環境が充実していたわけではない。要求のエスカレートを放置すれば、少子化対策は全て気休めにしかならない。

主要先進国の合計特殊出生率の推移

私は第2の人口転換は不可避の事象と考えています。先進諸国が少子化には介入せず児童・家族政策に注力するのも同様の発想によるものでしょう。人口減自体は問題視しない。しかし高齢化の進展は重大な問題です。悲観論が根強いのですが、原田泰さんの「奇妙な経済学を語る人びと」は楽観的ながら説得力がありました。

私なりの理解を加味してまとめると、まず現在の状況を延長すると先に待つのは破綻です。年金支給額の抑制と支給開始年齢の引き上げは必要不可欠。ただし大半の高齢者が自活労働者となれば、問題は劇的に縮小されます。そのためには景気回復+賃金抑制+雇用大幅増が必要です。65歳以上は年金生活者という常識を変え、元気な間は死ぬまで働くのが当たり前、との意識をみなが持たねばなりません。

とはいうものの、そもそも少子化の理由が豊かさの追求によるもので、その点を改善し得ないのだとすれば、高齢化問題の解決だって不可能です。景気が回復して仕事が増えたとき、残業で吸収したり、高給で有能な人材を確保する高賃金+低雇用路線では、老人は失業し続ける他ない。老人を職場から追い出し、忙しく仕事して高給を得ても、結局、税金と年金と保険が高くなるだけなのですが……。

1990年頃、子ども部屋にクーラーのある家は珍しく、携帯電話やパソコン、全自動洗濯機が普及したのもバブル後でした。それなのに、主観的な生活水準は低下し続けているらしい。生活水準は緩やかに向上しているのに、欲求を抑制できずに募る不満。

足るを知らない「主観的に不幸な人々」の高望みが、少子化の進展と高齢化による社会保障の破綻を招く。時間差による猶予の中で、私たちは生きています。多少の出生力回復では逃げ切れない。時間稼ぎも必要ですが、もっと大切なことがあるのではないでしょうか。

補記

日本の少子化は未婚化晩婚・晩産化が直接原因です。フランスの出生力回復が婚外子の激増とセットだったことには注目していい。多分、女性が子どもを産みやすい環境を作り、結婚と出産・育児を切り離す社会文化が育つと、出生力が(いくらか)回復するのだと思う。

仮に出産・育児の価値を無視すると、女性の生涯賃金減少分+育児費用を全額補填しなければ少子化問題の金銭的解決は不可能で、その金額は現在の通貨価値で1人あたり数千万円。現状の児童手当は月0.5~1万円……。原田さんの本はきちんとそこから話を始めており hankakueisuu さんにもお勧め、かも(図書館をご利用ください)。

まとめ記事

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