趣味Web 小説 2006-01-14

記者クラブ陰謀論

記者クラブが無ければ、警察も記者会見の連絡を誰に対して行ったらいいのか分からない。記者クラブがあれば、その代表者に話すだけでいい。芸能人が最近、ウェブサイトで公式な声明を出すのは、記者クラブがないからだと思う。従来は主要なマスコミだけに FAX を出していました。芸能事務所がクラブなしでやってきたことをなぜ警察ができないか? それは簡単で、警察が「主要なマスコミ」を選別すれば問題になるから。記者クラブのように、マスコミ側で自主運営しないといけない。

国民の「知る権利」を、なるべく公正に担保するために記者クラブは必要だ、というのは現実論として間違いない話。クラブの閉鎖性がしばしば問題視されますが、フルオープンでは、例えば誘拐事件の報道規制を守る倫理観のない連中まで情報に接することができてしまう。現状のバランスが最適かどうかという問題は問題として、「記者クラブを廃止せよ」は乱暴に過ぎるでしょう。フリー・ジャーナリストに対し無制限に門戸を開いて会見場に1000人も押しかけても対応できないわけですし。

……といったわけで、現実問題として記者クラブは社会に欠かせない仕組みなのだよ、といったことを花岡さんはいいたいのだと思う。「取材対象との癒着」などと言い募る向きも多いわけですが、証拠も出さずに誹謗中傷し放題なのはいかがなものか。曖昧な根拠で巨悪を作り上げ、それを口実に記者クラブを廃止したとして、明るい展望をどう描くのか?

無論、クラブのような会員制度が絶対によいというものではない。しかし例えば米国のような記者登録制度が理想といえるだろうか。ようするに「政府がジャーナリストを認定する」仕組みです。マスコミ側に主導権のある日本型の方が、理念的には優れているとはいえないか。いま、より信用できるのは政府かもしれない。だが長期的に見て、マスコミの力を削いでいくことが正しいといえるのか。

(単純な)記者クラブ廃止論は、万能の超人が指導すれば社会主義は成功する、みたいな話だと思う。記者クラブの厚い壁に阻まれて真実に辿りつけないフリー・ジャーナリストが世の中にはたくさんいて、記者クラブさえなくなれば多くの「悪」が暴かれて世の中よくなるんだよ……という伝説がありますが、厚生労働省に対する開示請求を全て認められた木村剛さんが、これといった巨悪を発見できなかった例もあります。

そもそも巨悪は実在するのか? 小学生の頃、先生方は悪いことばかりしている、とか思っていませんでした? 「大人の事情」を裏の裏まで深読みして大人を悪者にしていた中高生の頃を思い出して苦笑した経験、ありません? 世の中に「巨悪」が全然ないとはいわないけれど、陰謀論は自分を無責任にする都合のいい主張なので、なるべく避けたほうがよいと私は思います。

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