趣味Web 小説 2006-01-30

ジャンプ!

私は幼少時より一貫してたいへん臆病で、例えば「伝い歩き」は大好きだったけど、2本の足だけで歩くまでには相当の時間を要しました。両親が両手をつなげばトコトコ歩くのに、手をパッと離すと、足がすくんで歩けなくなってしまう。困惑して泣き出したり、しゃがみこんでしまったり。そして私は両手を床につき、ハイハイして壁まで進むのでした。

私は、「ジャンプする」ことが3歳になってもできませんでした。両足を宙に浮かせることを非常に怖がったのです。最近はバリアフリー思想の展開によって駆逐されたようですが、一昔前の公団住宅では、ドア枠が床から1センチくらい高くなっていました。両輪はそこに私を立たせ、「ピョンと跳んで降りなさい」といったのだけれど、必ず片足ずつ降りるのでした。親が何度、手本を見せても、頑として真似しようとしませんでした。食卓の子ども椅子に座るときも、必ず梯子のように登り、梯子のように降りていたといいます。狭い座面で身体の前後を入れ替えるのはたいへんだと思うのですが、何せジャンプができないのだから仕方がない。

とまあそんなわけで、2歳にして居間のテーブルからカーペットの上に飛び降りる shuu さんはすごいなあ、と。

ちなみに、私の弟は怖いもの知らずで健康で運動神経がいいので、ハイハイを始めたと思ったらすぐに立ち上がり、立ったらすぐに歩き、歩いたらすぐにジャンプしました。そして2歳ごろには shuu さんのように椅子やテーブルからピョンピョン跳び、公園へ遊びにいったら階段からも跳んだので母は卒倒しかけたという。親が立たせようとしなければ、いつまでもハイハイで満足していたろうといわれる私とは大違い。

私と弟は3歳違いなのですが、自転車の補助輪が取れたのは、ほぼ同時。私は転んだり怪我したりするのが嫌で嫌で、そしてまた運動神経が鈍いのでなかなか上達しない。「ぼく、ずっと補助輪つきでいい」といって泣いていたらしい。弟は逆で、私が補助輪なしで走りだしたらもう悔しくて仕方がない。「お前にはまだ早い」といわれても補助輪なしで走りたがり、転んで怪我をしてもすぐケロリ。

弟はお勉強も私よりずっとできて、一浪はしたけれど一流大学に入学、先日も無事に院試に合格したという。まだまだ親のすねかじりを続けるぞ、ということなのだけれども、授業料自体は返済型の奨学金で賄うのだそうな。土日はパチスロで稼ぎ(月に15万円くらい勝つらしい)、平日は卒研に打ち込む。父の運動能力と母の聡明さをともに受け継いだ子、なんだろうな。負けず嫌いで向上心も名誉欲も強い。ぼんくらの兄貴は、切磋琢磨に興味がない。これまでと同様、これからも、弟には何でも負けようと思う。

先日、生まれて初めて印鑑登録をして、印鑑証明を取ったのだけれども、これは弟の奨学金の保証人になるのに必要だったから。「いくらなの?」「450万円(注:大学の授業料も奨学金で払っていた)」「それくらいなら、貯金を全部崩せば足りそうだなー。ま、いいよ」「はい、書類」という簡単なやり取りで保証人に。どうでもいいけど、郵送した印鑑証明、お礼は別に要らないけど、届いたかどうかくらい教えてくれてもいいんじゃないかな、と思っている。

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きれいですね~!

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