趣味Web 小説 2006-02-05

国語教育を推進したい気持ちはわかる

「必要はない」としても、多少のお勉強はやっぱりした方がいいわけで……なんてことを書くまでもなく、日本語の苦手な人は極東ブログなんて読めないんだから、心配要らないか。以下は、あんまり関係ない話。finalvent さんが批判しているあれこれとは別の国語教育について。

私が「国語教育はやった方がいいんじゃないかな」と思うようになったのは、大学時代です。高校受験を目指す生徒を教えてみて、県立高校入試のあまりの簡単さに衝撃を受けたことがきっかけでした。「こんな簡単な問題で10点や20点しか取れないで、よくコミュニケーションが成立するなあ」と思ったのだけれど、よく注意して彼らの様子を観察してみたら、実際、コミュニケーションが成立していなかったことに気付いた、と。

小説問題への批判として、「結局のところ書かれていないことはわからないじゃないか」みたいなものがあるのだけれども、その批判自体は正当だとしてもですね、まず実際の問題を見てから文句をいってほしいのはたしか。明らかに可能性の低い選択肢と、まさにこれでしょという選択肢があって、より妥当なものを選びなさいといわれて、後者を選べないのでは他人と意思の疎通ができるわけがない。

もちろん人と人とが分かり合えるなんてウソだよ、という意見は私も認めますが、しかし「多分こうなのでは」という予測が全く立たないのでは困る。いや、本人はじつのところ困っていないのでしょうけれども、お勉強させたい側の気持ちはよくわかる気がしました。

……が、論理的で音の響きのよい日本語の名文を繰り返し音読・暗誦・筆写せいとか、無意味だと思う。という主張には半分賛成します。そういう精神修養的な指導をしたがる人は、自分が本当は何を教えたいのか、よく認識していないことが多いから。非常に迂遠なんですよね、音読とか暗誦って。そのことを認識しているのかどうか。何でもお手軽に、とはいかないので、そうした指導もやっていいとは思いますが、費用対効果の謎な指導に入れ込むのは危ない。

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関連する話題。石原千秋さんは国語教育は道徳教育だ、といって警戒感を煽っているのですが、私は疑問を感じます。価値観は自然発生しないので、どこかで誰かが、何らかの価値観を提示する他ない。それは洗脳なのだけれど、誰かがあえて蛮勇を振るうしかない。もっと悪い事態はいくらでも考えられるわけで、学校が価値観の注入装置になるのはベターな選択でしょう。ようはその排他性の程度であり、バランスの問題だと思うのです。

うあっ、こ、これはしょーもない……。「これはどういう意味か」とか「作者は何を言いたいのか」とか「この『それ』は何を指すか」とか、そんな瑣末なことはどうでもよい。って、逆ですよ。その瑣末なことがわからない子には内田さんの文章はサッパリ読めない。なぜか。内田さんの文章には代名詞や接続詞が含まれ、そして100字より長いからです。暗誦は手間も時間もかかり、授業向きではない。宿題にもなじまない(チェックが難しいから)。家庭教育の領域だと思う。

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