局所的に大ヒット中、らしい。
※さきっちょとはあちゅうの区別がよくついてないのは秘密だ!
マジレスすると、ヒゲのOLがさきっちょ、カエル怪人の中の人がはあちゅう。違いは一目瞭然。あるいは、自称「おばさん」がさきっちょ、自称「小娘」がはあちゅうなんだけど、顔を見ても歳の差はよくわからない。
今時の、というか日本の学生気質について書かれた記事をふたつご紹介。
60~70年代の学生運動華やかりし頃だって最大派閥はノンポリだったわけで、両親や先生、会社の先輩方の語るところを聞くに、今も昔も大して変わらない……ように(私には)思えるにもかかわらず、主観的には「最近の若い連中はわからない」という人が多い様子。今も昔も同じ、と認識しているのは母くらい。
ま、それはともかくとして、私は「ちょっと頭のいい方に属する人」と周囲に認識されて生きてきました。あと「社会問題とかに詳しそう」みたいなイメージを持たれがち。その内実は、読者の皆さんがよくご存知の通りです。
ま、私自身、自分の程度はよく認識しているつもりでいたのに、じつはまだまだ謙虚ならざる点が多く、反省させられることが多い。とはいえ、素人は素人なりの開き直りをしていいだろう、とは思う。少なくとも現在の私は「バカは黙ってろ」という立場を取らない。微妙なバランスを求めることになりますが、「謙虚な開き直り」を持って思うところを言葉の記録に残していくことは、じつは世の中のためになるのではないか。
選挙で票を投じたり、社会調査の標本として統計処理されたり、そういった無名性の中に生きるだけでなくて、ね。
私はコメントスクラムの類は嫌いで、何度も批判をしてきたけれど、じつは積極的にその意義を評価する一人でもある。少なくともそこに、誰かの怒りがあるということ、悪を叩き潰さんとする正義心の発露みたいなものがあること、その事実を単に隠蔽することには賛成できない。よりよい形へ移行していくことは望みたいが、言葉の封殺は望ましい未来ではないと考えています。
はあちゅうさんは、凡百の若者とは比較にならないほど行動的で、知的で、多くの企業が採用したがる人材だと思う。2月18日の日記の内容を稚拙と感じる方は、人数としては大勢いるのでしょうが、実際問題として、同世代からまんべんなく集められた100人の中にはあちゅうさんを配置すれば、これだけ語ることができるのは相当な才能で、偉いことだと理解されるはず。
頭のいい人たちは頭のいい人たち同士で仲良くなって、その他の大勢を忘れてしまいがち。上ばかり見上げて、下を見ない。二極化を怒るエリート層という不思議。
元総理の中曽根康弘さんは、5回当選してもまだ八畳一間に5人家族で暮らしていた。風呂・便所は共同。庶民がその質素な暮らしに目を疑った「目指しの土光さん」とウマが合ったわけです。現参院議員の中曽根弘文さんは、そんな環境で育ったのです。私の引越し先は六畳一間。これを一人で使うのは贅沢すぎます。
話が錯綜して申し訳ないのだけれど、私ははあちゅうさんの意見に賛成はしません。世界の多様性を己の信じる正義で塗り潰していくことに不安を抱かない感性を、私は残念に思う。
ただ、「わかってる人々」のネタ的な扱い方は面白いのでよいとして、?B のコメント欄や ?D の少なからぬ言及に見られる侮蔑の感情は、結局のところ問題の再生産にしかなっていない。正面から相対することなく、黙殺もせず、軽蔑の心情を無邪気に吐露するのでは、先は見えている。ま、ちょっと叩かれたくらいでどうなるというものではないのだけれど。
fromdusktildawnさんは、まだまだ逆張りの修行が足りませんね!
案外、fromdusktildawnさんもウケ狙いでなく、素直に思っていることを書いているのかもしれませんよ。ひとつの意見を書くと、自分でそれをひっくり返したくなること、あるでしょう。そういう面を少し強調されているだけなのではないかな。だから、自分の古い記事をバリバリ批判している間に次第に話がズレ、結局は両論併記のような形になっていく。
fromdusktildawnさんの日記は長文が多い。思ったことをどんどん書いていったら、あんな感じになるのだと思う。私は面倒くさがりなので、適当に端折ってしまう。そのために文字にならずに消えていく思考の断片は少なくない。少し羨ましい。