趣味Web 小説 2006-03-17

少数派の戦い方

いわんとすることはわかるが、裁判所に却下された「公判の延期を求める理由」を「それでも正当だ」と言い張ることに社会的コンセンサスは得られないだろう。

裁判所だって、公判の準備がどうしても絶対に間に合わないと判断することはあるのだろうし、一概に「公判の準備が間に合わない」という理由を却下すると決めているわけではない。ケースバイケースで判断していく中で、今回の事案については「間に合うはずだ」と判断した。そういうことだと思う。

私も過去にいくつかの判決文などを読んできたけれども、裁判所は様々な意見の中から、より妥当な判断を選択する機関だと私は認識している。裁判所の判断に全員が納得することは基本的にない。一方が喜ぶなら、他方は「不当な判断だ!」と怒る。そういうものなのだと思う。

マスコミも裁判所も、基本的には市民の持っている価値観を忖度している。市民ったって大勢いるわけだから、少数派の主張は却下され、多数派が納得するような結論を導こうとすることになる。ここで注意すべきは、誰もが何らかの場面においては少数派となってしまうことだ。それゆえに、「少数意見も尊重しましょう」という原則がある。これが多数派の暴虐を抑える安全弁だ。

しかし人は、ときに原則を忘れる。「この問題で少数派に回る奴の気持ちはわからん」と多数派意識に安住する人が大多数となってしまうことがある。

このとき、私はやはり、小杉さんのような戦い方しかありえないのだろうな、と思う。多数派の人々こそが敵なのだから、彼らを糾弾する他ない。で、その言葉はどこに届くか。どこにも届かないだろう。価値観闘争なのだもの、いくら訴えたって、さ。それでも小杉さんは戦い続けるに違いない。

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