趣味Web 小説 2006-03-21

ゼロ金利解除後の金融緩和

毎日新聞はこういった話題が好きなのに、なぜゼロインフレが好きなんだろう。フィリップスカーブについて、どう考えているのかな……と思ったのだけれど、hicksian さんの解説などを読むと、そう簡単でもないのかなあ、と。いろいろな説というか、理論があるということはわかった。NAIRU仮説によるゼロインフレ待望論は否定されても、物価の安定と失業率を別問題とみなす議論は簡単には倒れないらしい。ゼロインフレと失業率改善は両立しうる、という理屈もあるのですね。

まあ、素直に一連の毎日新聞の記事を読む限りでは、物価は上がらず給料は上がり、預貯金の金利は高く、借金の金利は低く、失業率は下がり、みんなが自分のしたい仕事をできる……なんて世界を夢見ていたいだけのような気はします。60年代~70年代の高度成長期に刊行された経済本を何冊か読んでいるのだけれど、庶民の生活がグングン改善されていることを認めながらも全く満足する様子はなく、物価高への恨み節が非常に根強いことに驚く。完全雇用は実現されて当然、らしい。その当然のことが、デフレ不況の中でどれほど難しい目標となっていることか。

ところで、なぜ量的緩和が「ゼロ金利政策の先にあるもの」という社会的コンセンサスを得てしまったのでしょうね? 新聞報道によれば、98年4月に日銀の政策審議委員に就任された中原伸之さんは、名目金利をゼロに誘導することには、名目賃金の切り下げに対する労働者の抵抗と同じような心理的抵抗があることを見通し、「ゼロ金利よりも量的緩和(注:報道に倣って以降も「量的緩和」と表記するが、当座預金残高をターゲットとして2003年3月より2006年3月まで日銀が採用した「量的緩和」より広い意味を持つので注意)を」と主張されたという。

産経新聞の報道を裏付ける内容が議事要旨に残っていないか、と思ったのだけれど、これがなかなか難しい。

将来一段の金融緩和を行うような状況においては、公定歩合やコールレートを一段引き下げるという従来の方法だけではなく、併せてマネタリーベース等の量的金融指標を目標にするといった方法も、場合によっては使い得る手段として、検討してみる余地があるとの見解が示された。こうした問題意識に同調する委員もあったが、別の委員からは、諸外国の経験等では、そうした金融政策運営が必ずしも十分な成果を挙げていないのではないかとの指摘もあった。

中原さんは初参加の回から観測気球を上げていらっしゃる。結局その後、量的緩和への賛同は広がらなかったようで、議事要旨から報道を裏付ける言葉を拾うのが難しい。議論の過程は匿名となっているため、名目金利の確保に血道を上げる強硬な金融引締派である篠塚英子委員の発言と見分けが……。最後の採決における反対意見は名前が出るわけですが、この段階では中原さんの提案はむしろ(金融緩和の現実的な方策を模索した結果)ゼロ金利政策を推進するものとなっているのです。

当初は様子見だった中原さんですが、参加4回目の98年6月12日には議長案に反対票を投じ、以降、2002年に退任されるまで孤軍奮闘を続けることになります。

議事要旨を順に読んでいくと、同じことを延々と繰り返している。中原委員案は、採決の結果、反対多数で否決された(賛成1、反対8)。その結果、どんどん景気が悪くなって、数ヶ月ないし数年後に否決した政策を実行する。そのとき中原さんは一歩先の提案を出すのだけれど、やっぱり(賛成1、反対8)で否決される……。

結局、報道の裏づけは取れなかったのだけれど、ゼロ金利政策も解除されたとして、それで金融緩和が終わってしまうとは限らないだろう、とは思う。

デフレ下の日本経済と金融政策―中原伸之・日銀審議委員講演録

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