趣味Web 小説 2006-03-21

理解と賛同は別問題なので……

1.

rody さんご紹介の記事をふたつ読んだ。id:santaro_y さんが違和感を抱くという近代的で合理的な思考や人間観を私は支持している。またオウム真理教をテロ集団とみなし、共存より排撃の道を選択する id:plummet さんにも賛同しない。

山一証券は不良債権の「飛ばし」で廃業に追い込まれたが、社員の大半はその事実を知らず、関与もしていなかった。おそらく上司の指示があれば、唯々諾々と従う者が大半だったのだろうが、山一証券は犯罪集団で、社員は全員、社会的制裁を受けるべきだったのか? あるいは、テロ集団だった(そしてまた時勢が変わればテロ攻撃を再開するであろう) PLO の支援者が、今では米国政府の高官だちと会うことができる。アフガニスタンで強盗をはじめ犯罪を繰り返していた私兵集団のボスたちが表舞台に出て堂々と活動している。オウムがせいぜい数千人の集団でしかないから、そして現在の彼らに国家を転覆する力などありはしないから、安心して排撃できる、多数派がその立場に安住できるのではないか。

自分の思いを語る id:santaro_y さんとは、意見の違いはあれど仲良くやっていけそう。他方、id:plummet さんはノケモノだもの。 / ヨハンまったくこの人がこれほど目を曇らせるとは想像していなかった。と書いているように、「**はバカ/無知だからわからんのだ」という発想の持ち主。仮に将来、id:Schwaetzer さんが id:plummet さんの主張に賛同しても、現在の id:Schwaetzer さんの目が曇っているとはいえない。id:plummet さんは結局分かって貰えなかったようだ。しかし、なるほど隠棲者の視点とはそういうものかもしれぬ。ともいうが、id:Schwaetzer さんは id:plummet さんの主張を理解しているでしょう。理解と賛同は別問題なのです。

2.

松永さんに、こうした告白手記を書かせたかった人々の気持ちはわかる。いくら書いても、一部の人々の不満が尽きないことも、容易に想像がつく。そして圧倒的多数の無関心は揺るぎない。

3.

うーん、これは……。私は、こういった主張をしようとしたけれど、できなかった。どうしても割り切れず、どっちつかずの宙ぶらりんになったのでした。

4.
5.

俺の「共存より排撃の道を選択する」記述がどのあたりなのか、具体的に述べてみてもらいたいと id:plummet さんはおっしゃるのだけれど、乱暴に書けば「全部」といいたい。以下、簡単に説明します。

俺は一連の松永氏関連エントリーでは、個人的感懐である「恐怖」の吐露と、「まだ足りない」「書き方が悪い」くらいのことしか書いていない。という一文を素直に読めば、id:plummet さんは「まだ足りない」「書き方が悪い」の2点については、一般的な事実とみなしているらしい。だから、それを「知らない」のは「無知」で、「理解できない」のは「アタマ悪い」とお考えになるのでしょう。「足りない」「悪い」は価値基準を必要とする言葉だから、その背景には何らかの価値観がある。価値判断は一般的な事実たりえません。

社会の多数派は「足りない」「悪い」と思っているでしょうね、という状況認識を示しているだけならいい。問題はその先。「足りない」「悪い」と判断する価値観を共有できないなら、社会はあなたを排除します、と松永さんを脅迫することを是とするかどうか。私は、社会は多様な価値観を受け入れるべきだ、といいたい。もちろん、社会を維持するためにルールは不可欠なので、多数派の暴力を全否定できない。しかし価値観の社会的強制は極力減らすことが望ましく、立法の手続きを経たものに限るべきだと私は考えている。

いちいち「これはあくまでも私見ですが」なんて書くのはくどい。だから私もほとんどの場合、略している。だから文章の一部を切り出せば id:plummet さんと私の差異は消えてしまう。だから例示した一文だけでなく、総合的に「id:plummet さんは幅広い価値観の共有を求める社会を志向されている」のだろう、と私は解釈したのです。

あと疑問をふたつメモっとく(注:理解はしたいが合意は目指していない)。

2つ目の疑問を補足しておく。私は自分が少数派になりやすい性格なので、社会の多様性を確保することを、かなり重視している。その希望を実現するためには、全体の部分に対する干渉欲を抑制する必要がある。

しかしそれは結果的に、多数派の利益にもなっていくのです。例えば当事者にフォーカスして犯罪への対処を考えていくと、応報概念に陥ってしまう。被害者に同情してしまうから。ミクロではそれでいいのかもしれない。「犯罪者にも人権を認める」「疑わしきは被告の利益に」で涙を呑んだ人はたくさんいます。それでも「人権重視の原則は民主主義に不可欠+民主主義の維持増進は社会全体の利益に資する」という社会学の成果を、法制度は取り込んできた。

オウム怖い、という市井の声はわかりますよ。松永さんに脱会の証明を求めたい人の気持ちもわかる。それでも私は「原則の方が大切だ」といいたいわけです。原則通りの対応を基本として、個別の事情は「斟酌する」のが相当だ、と。

6.

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